不死のゲヒャナ
おう……。
ついにこの時が来てしまったか……。
――俺は今、途方に暮れている。
ちなみに途方に暮れているのは俺だけで、一心同体で今は俺の意識の奥にいるエリスは絶賛狂喜乱舞中だ。
いったい何が起きたのかというと――。
秋の『恋のどきどきイベントスロット』のリールが、『マルオース』と『公衆の面前』で『キスをする』などという目で止まりやがったのである。
うむ、これはいけない。
やはり女の子のファーストキスというものは、ちゃんと自分の意識が表にある時にすべきであって、俺のようなおっさんが憑依しているような時にするのはいかん。
それにこういうのは2人だけの思い出にすべきであって、俺のようなおっさんが間に介在すべきではないのだ。
あと、長い一心同体生活のおかげなのか最近エリスに対して、俺にはちょっとした父性のようなものが芽生えている。
父親が娘の彼氏とキスをするなどというややこしい恋愛模様など、ドラマの中だけで十分なのだ!
…………
………
……
というのは、まぁ建前で――。
『いやだー!』
『男とキスとかしたくねー!』
というのが本音だ。
それにぶっちゃけると『もうマルオくんの好感度とか上げる必要も無さそうだし、スロットの結果とか無視しちゃっても良くね?』とも思っている。
今まで試したことが無かったけれど、今回はスロットを無視してみようか?
もしかしたら別に強制力とか無いのかもしれないし、無視したところで特に問題ない気もする。
うむ、そうだな。
そうしよう。
――と、いうことで。
今回の『恋のどきどきイベントスロット』は、無かったという方向で。
――――
― 10月某日・教室 ―
……どうしてこうなった。
「それでは投票の結果、英雄ジョムラ役はマルオ、天使ポルア役はエリスと決定しました」
進行役であるガルガリアンくんのこの宣言により、おおー!パチパチパチと教室内が沸いた。
この投票は、我がクラスの学園祭の出し物――演劇の配役を決めるものである。
演劇の内容は『アッカールド王国建国記』
建国の王『ジョムラ・アッカールド』の物語で、英雄ジョムラに神々の祝福を授け、建国し王となった後に妻となるのが天使ポルアである。
問題なのは、この演目のラストシーン。
上演される時には欠かせない名シーンと言われている、英雄ジョムラと天使ポルアのキスシーンがある。
そう、キスシーンがありやがるのだ。
演目が決まるまでは気にも留めていなかったが、いざ配役を決めようという段になってマルオくんと俺の名前が挙がり、アンに『キスシーン、楽しみですわね』との言葉を掛けられるに至って、ここでようやく自分がどういう状況にあるかに気が付いた。
せめてもの抵抗としてユリオスくんとマリアの名前などを出してみたものの、3年の学園祭ということで王子とその婚約者は主役以外あり得ないとクラスメイトが結束し、結局は抵抗空しく上記の場面と相成った次第である。
――うーむ、困った。
このままでは、マジでマルオくんとキスをせねばならんぞ。
……そうだ!
アイドルのドラマや映画によくある、一見キスシーンに見える風なキスっぽいふりをするというのは……!
――無理だな。
この『乙女ゲーム』の世界では、婚約者同士がキスをするなどごくごく当たり前のことなのだ。
むしろ良くこれまで唇同士の接触を避けてこれたなと、我ながら感心するほどである。
「ではこれで、配役とそれぞれの仕事の分担は全て決定ということで――フラワキとフェルモは大変だとは思うが遊軍として、忙しそうなところを手伝ってくれ。 みんなも仕事の進捗状況を互いに共有しながら、それぞれ連携と協力をお願いします」
「了解したよ~」
「要は何でも屋ですわね」
「腕が鳴るぜ」
「まずは衣装のデザインを――」
「結局一昨年と分担はほとんど変わらんなー」
「まぁ、3年間ほとんど入れ替わって無いしな」
「天使の羽の素材はどうしましょう?」
キスシーン回避のことを考えて居るうちに、いつの間にか各種お話合いは終わっていたようだ。
さすがガルガリアンくんの仕切り、結果が出るのが早い。
――って、感心している場合じゃ無かった。
どうやってキスシーンを逃れようか。
そうだ! 脚本はガルガリアンくんなのだから、圧力を掛け――じゃない、交渉してキスシーンを亡き者にしてしまえば……!
とりあえず、アンとガーリとマリアを味方に付けて――。
「エリス様、天使ポルア役おめでとうございます!」
「愛する人との初めてのキスが演劇のクライマックスだなんて、ロマンティックですわ!」
アンとガーリが、興奮した様子で話しかけてきた。
うーむ、この感じだとそう簡単に味方にはなってくれそうにないぞ。
言えばこちらに付いてくれるだろうが、たぶん渋々だろう。
下手したら表向きはキスシーンに反対して、裏では俺に良かれと思ってこっそり賛成……なんてことになりかねん。
そうだマリアは!……あぁ、駄目だな。
マリアはユリオスくんとセットで、英雄ジョムラが滅ぼす国の暴虐の王と冷酷な王妃の役に決まった。
なんかもう既に暴虐の王と冷酷な王妃ごっこが、人目を憚らずに始まっているし……。
「違う、そこはもう少し……こう、見下す感じの高笑いで」
「なるほどー、エリスお姉さまみたいにですね!」
「その通りだ!」
おいコラ……他人様を勝手に、冷酷な王妃のモデルにするんじゃねーよ。
俺は悪役令嬢だけど、冷酷ではないぞー。
つーか、主人公キャラが悪役令嬢のマネを嬉々としてやるな。
少しは自分が主人公だという自覚を持ちなさい。
マリアも味方になってくれるか不安だな……。
ユリオスくんがキスシーン賛成派になると、マリアもそっちに行きそうな気がする。
ここはやはり、本丸のマルオくんに突撃するのが正解か?
イヤ、でもそれで万が一『婚約破棄フラグ』が仕事をし始めたら……。
うーむ……。
これは難しい問題だぞ……。
――――
― 学園祭・当日 ―
結局、あの手この手とキスシーン回避を狙ったものの、全ては徒労に終わった。
つーか、セリフの量が多くて覚えるのに忙殺され、思うようにキスシーン回避の工作が出来なかったのだ。
それにしてもガルガリアンくんめ、まさか演目決定の翌日に脚本を仕上げてくるとは……。
どうやらヤツの能力を、甘く見ていたようだ。
てかどうしよう!
もうじき劇が始まってしまう!
ブザーの音が鳴り、幕が上がる。
くそう! 逃げられん!
…………
我がクラスの出し物『アッカールド王国建国記』は、非常に素晴らしい出来で終盤を迎えていた。
ガルガリアンくんの脚本は素晴らしく。
ラルフくんの舞台効果は見事だった。
フラワキくんは裏方として八面六臂の大活躍をし。
アンの用意した衣装はプロ顔負けの出来だ。
出演陣も最高の演技をしている。
コレスは宿敵の役を熱演。
ガーリの英雄ジョムラに付き従う騎士は本物と見まごう程。
ユリオスくんの暴虐の王は憎々しく。
マリアは完璧に悪役王妃を演じきった。
そして英雄ジョムラを力強く演じ続け、終始観客を魅了し続けたマルオくん。
クラスメイトの熱気に乗せられ、間違いなく実力以上の演技をしている俺。
最後のシーンのためにステージに立っているのは、この2人だけ。
残るセリフも、あと僅かである。
「天使ポルアよ、最後の願いだ――我が妻となり、この新たに生まれた国をともに築いてはくれまいか?」
これがマルオくんの最後のセリフ。
あとは俺がこのセリフに返答すれば、最後のシーン――キスシーンだ。
「いいでしょう英雄ジョムラ、あなたの妻となります――妻となり新たな国を豊かにし、アタクシの魂は未来永劫、国の行く末を見守りましょう」
俺のセリフが終わり、天使っぽい演出のために使っていた【浮遊】のスキルを緩めてステージ上に降りる。
そのタイミングでマルオくんが近づいてきて、2人は見つめあう。
ラルフくんの光魔法で、俺とマルオくんだけがスポットライトに包まれた。
さすがにもう逃げられそうには無い。
うわー、ついに男の子とキスかー。
仕方が無い……俺の中のエリスも喜んでるみたいだし、ここは潔く諦めよう。
俺は目を閉じ、マルオくんのキスを待つことにした。
待つこと3秒……両肩にマルオくんの手が掛かり、ゆっくりとその唇が近づいてくるのが気配で分かる。
そして俺の唇の――。
すぐ横に口づけをした。
ん? あれ?
唇じゃないの?
ちょっと困惑しながら薄目を開けると、いつの間にか体勢が変えられていた。
これならキスのふりをしても、観客には見えないだろう。
これはいったい……?
その時、マルオくんが耳元で小さく囁いた。
「大丈夫、エリスの気持ちは分かっているよ――正式に結婚するまで我慢するくらい、私にだって出来るさ」
え? ということはマルオくん、俺のために今回キスを我慢したってこと?
何という男前な……。
「でも我慢するのは――」
マルオくんのそこからの囁きは、観客の大歓声にかき消された。
エリスのことを大事に思うマルオくんの気持ちに感謝した俺は――。
やはり、そっと唇の横に口づけを返した。
熱狂的な大歓声と拍手の中、幕は降り――。
『アッカールド王国建国記』は、学園史に残る大成功となったのである。
幕の向こう側――観客席の大歓声が、突然ざわめきに変わった。
劇終の余韻をぶち壊したのは、学園祭の警備に当たっていた騎士の避難を呼びかける声だった。
「観客の皆さんは騎士の誘導に従い、すみやかに本館の上階に避難願います!」
「慌てないで下さい! まだ時間的余裕はあります!」
「追って援軍も来るので、ご安心を!」
幕の向こうの騒ぎに、クラスメイトが撤収作業の手を止めて集まってきた。
急に変わった空気に、みんな不安そうだ。
「何事だ?」
「分からん」
「援軍……ということは、何かが攻めてきますの?」
「帝国か?」
「まさか……」
「ジャー教徒?」
「あるかもな」
「待て待て、予断は駄目だ」
「まずは落ち着きましょう」
ざわ……ざわ……、とまだ完全に冷静とはいかないが、思いのほかクラスのみんなは落ち着いている。
さすがは『オリハルコンの世代』と言われる、我がクラスメイトたちだ。
ドカドカと足音を響かせながら、ようやく3人の騎士が舞台袖までやってきた。
鎧の形状からして、こいつらは王家の騎士だ。
「マルオース様並びに御学友の皆様、王都内にアンデッドの軍勢が入り込みました。 進行方向から目的はこの学園の可能性があります、本館の3階へご避難を――」
「避難は無用です」
騎士の避難勧告を遮ったのは、誰あろう俺だ。
アンデッドの軍勢だと?
そんなもんのために素晴らしくも完ぺきだった、劇の余韻がブチ壊されたのか?
せっかくクラスのみんなと、劇の成功を喜び合うところだったというのに……。
空気読めよアンデッド。
「アンデッドの軍勢が来ると言うのなら上等ですわ、アタクシたちが蹴散らしてさしあげます」
「で……ですがエリス様――」
「構わん、私たちに任せるがいい――アンデッドの軍勢はどちらから来る?」
啖呵を切った俺に、マルオくんが同調してくれた。
これで目の前の騎士も、否とは言うまい。
「来るとしたら正門の側かと」
「案内せよ」
「ははっ!」
さすがは次期国王のマルオくん、俺の言うことには反論しようとした騎士が、マルオくんのひと言には素直に従った。
何にせよ、これでアンデッドの軍勢とやらに対峙できる。
騎士の先導で、正面玄関へと到着。
正門の前には、断じて敵を入れまいと警護の騎士たちが壁を作っていた。
「お前たち、そこをお退きなさい。 アンデッドの軍勢は、アタクシたちが相手をします」
後ろから声を掛けた俺に、騎士たちが振り返る。
こちらを見た騎士のうち10人ほどが、正門から移動した――あれはクレシア率いる、ハイエロー家の騎士たちだ。
「皆そこを開けろ! マルオース王子のご指示だ!」
俺たちを先導した騎士が命じ、こちらにマルオくんがいることを確認した騎士たちが、正門から退く。
これで邪魔者はいなくなった。
アンデッドの軍勢よ、どんとこい!
――待つこと3分。
暇なので、なんとなく持ってきてしまった天使ポルアの小道具――羽のついた扇子で、パタパタと自分を扇ぐ。
うむ、秋なので少々肌寒い。
そんなこんなしているカップ麺が出来上がるくらいの間に、アンデッドの軍勢――その先頭が見えてきた。
つーか、本当にどんと来やがったなー。
近づいてくるアンデッドの軍勢は人間・ゴブリン・オーク・狼がメインで、オークやサイクロプスといった大型の魔物が数体という構成だ。
人間のアンデッドは鎧を着ている――間違いない、アレはこの国の兵士の鎧だ。
なるほど――これで夏からのアレやコレやの謎が解けたぞ。
全てはこの、アンデッドの軍勢を作るためだったということか。
王都にある墓を掘り返し、手に入れた死体を何らかの方法でアンデッド化。
そのアンデッドに武具庫から盗んだ武器防具を装着させて、王都周辺で商隊や乗合馬車を襲ってさらに死体を確保。
更にアキエムの森へと入って魔物を倒し、それもアンデッドの軍勢に加える。
そうして出来上がった軍勢の狙いは――聖女のマリアか、それとも女神ヨミセンの使徒であるこの俺か……。
ゾロゾロと進軍してきたアンデッドたちが、学園の門の前でピタリと停まった。
軍団が2つに割れて、奥から1人のアンデッドの男が前に出てきた――確かワイトだかリツチだかという種類のアンデッドのはず。
そして――。
そのアンデッドが口を開いた。
「お久しぶりでございますな、マルオース王子。 初めまして、聖女マリアとヨミセンの使徒よ」
「久しぶり? 私にアンデッドの知り合いはいないはずだがな――貴様、何者だ」
何だろう? 今日のマルオくんは、やけにイケメンに見える。
得体のしれないアンデッドに対しても、堂々たる態度だし。
「ひっひっひっ……これは失礼を。 ワシはアッカールド王国の大臣を務めておりました、ゲヒャナと申す者――思い出していただけましたかな? マルオース王子。 ひっひっひっ……」
「なるほど、貴様がゲヒャナか――我が国がまさか、アンデッドなどを大臣にしていたとはな」
イヤ、ホントだよ。
なんでアンデッドが大臣になんかなれるのか、不思議にもほどがある。
つーか、さっきからアンデッドとはいえ腐った臭いがやたらと鼻に入ってくるなと思ったら、いつの間にか持っていた扇子で自分を扇いでいたようだ。
イヤ、ほら、なんとなく手持無沙汰だったもので……。
「ワシの擬態を見破るなど、普通の人間には無理というもの。 あぁ……ワシの本当の名を申し忘れておりましたな――ワシの本当の名は……」
そこまで言っておきながら、ゲヒャナはわざと溜めを作り……ニヤリと笑う。
そして続けた――。
「魔徒四天王、『不死のゲヒャナ』――それがワシの真の名よ」
やはりというか何と言うか、ゲヒャナ大臣は魔徒四天王の1人であったのだ。
『不死のゲヒャナ』ということは、やっぱこいつもアンデッドでいいんだよね?
まぁ、どう見てもアンデッドなんだけどさ。
「で? 魔徒四天王が学園に何の用だ。 まさか私たちと共に学園で学びたいとでも?」
ゲヒャナの相手は、まだマルオくんがしている。
こういう時、いつも代表として先頭に立ってくれるのがマルオくんだ。
すっかり頼もしくなって……。
出会った頃は、まだ子供っぽさが抜けて無かったのに……。
若者の成長って、早いよなー。
「決まっておろう、ワシの狙いは唯一人――」
「聖女マリアか?」
あ、いかん――続き始まってた。
おっさんの感傷など今は封印せねば。
「ひっひっひっ、何も知らぬ愚か者めが――聖女は大切な贄、その時までは害する訳が無かろうて」
そうなの?
その割には……えっと……ほら……四天王の最初の人――――――――そう! サトリのゴーアン! あの人マリアに悪夢見せてたじゃん。
アレは何?
「ワシの狙いは、ことごとくワシらの邪魔をしよるヨミセンの使徒――ハイエローの小娘よ!」
不死のゲヒャナがそう言って俺を指さすと、アンデッドの軍勢が一斉にこちらへ向かって動き出した。
ぶっちゃけ脅威は感じないのだが、気持ち悪い。
どうやらヤツの狙いは俺だったらしいが、こちらとしては別にやりたくて女神ヨミセンの使徒をやっている訳では無いので、とんだとばっちり感が否めない。
こういう理不尽で迷惑なヤツらには、とっとと退場してもらおう。
――と、いう訳で。
「マリア――やっておしまい」
「アラホラサッサー」
俺がパチンと閉じた扇子で不死のゲヒャナを指し示すと、マリアが珍妙な返事をして前に出た。
行け、我が手下マリアよ! お前のその力で、彼奴等を蹴散らしてやるが良い!
「汚物は消毒よ!――【聖なる区域】
聖なる区域とはマリアの持つ聖魔法の1つで、範囲内のアンデッドを強制的に浄化し消滅させるというものだ。
つまり、目の前の連中にとっては特効どころか絶対の力を持つ、天敵とも言える魔法である。
しかも覚えたての頃ならまだしも、現在マリアはこの魔法に関しては熟達していた。
その範囲は学園全体どころか、王都を丸々カバーできるほどに広がっている。
うむ、さすが聖女。
いかな主人公キャラとはいえチートにも程がある。
敵に回したくないわー。
やっぱ調子に乗って育て過ぎたかなー。
…………
王都を覆いつくさんばかりに攻め入ってきたアンデッドの軍団は、マリアの魔法で瞬く間に消滅した。
もちろん率いていた『不死のゲヒャナ』も、同様である。
またしても魔徒四天王は捕縛に至らず『邪神ガンマ』に繋がる情報を得ることができなかったが、王都の平和を速やかに取り戻すことができたので、これはこれで良しとしよう。
そして平和が戻り、聖女マリアの名声は更に高まる事態となって――。
おかげで今度は、マリアとユリオスくんが釣り合っていないなどという話が世間では広がり、それにバカップル二人が反発してちょっとした騒ぎになるのだが――。
それはまた、別のお話。
――それにしても。
なんか前回にも増して、魔徒四天王があっさり倒せたのだが……。
『サトリのゴーアン』が四天王最弱って、嘘じゃね?
むしろ四天王最強なんじゃね?




