夏休みの日記
いきなりだが――。
今回の夏休みは、学年も3年ということで俺にとっては最後の夏休みだ。
もちろん俺にとっては学園生としてだけでなく、この『乙女ゲーム』の世界での最後の夏休みでもある。
なのでちょっとばかし夏休みっぽいことをしてみたくなった。
それは――。
『夏休みの日記』
を書いてみることだ。
実は最初の思い付きとしては『夏休みと言えば、絵日記だよねー』などと考え、第1弾としていつものみんなで行った海水浴のことを書いたのだが――。
まぁ、見事に絵が壊滅的だった。
レベル的には、下手くそな小学生が書いた絵日記くらいな……。
俺に絵心が無いというのは、こちらの世界に来る前から自覚はあった。
しかしながら俺と一心同体であるエリスが教養豊かなご令嬢なので、絵日記レベルの簡単な絵くらいならばなんとかなるだろうと軽く高を括っていたのだが――。
その頼みのエリスも、壊滅的に絵心が無かったのである。
かくして絵日記の絵を描こうとして、不気味な怪物モドキなデザインを新たに生み出してしまった俺とエリスは、自分たちの才能が壊滅的である絵などというものをすっぱりと諦め、普通の日記を書くことにしたのである。
ついでと言うのもアレだが『夏休みの日記』は、エリスのお嬢様語ではなく俺の文体で書いていくこととなった。
これは俺の中のエリスの提案によるものだが、夏休みの思い出と同時に、俺との思い出も何か残しておきたいということらしい。
気持ちは分かる。
さすがにもう丸2年以上一心同体だからな……お互いに情が湧くってもんだ。
そんな訳で――。
夏休みの日記とやらを、数十年ぶりに書いてみようと思う今日この頃である。
――――――――
― 7月10日 ―
尻の痛くなる長い馬車での旅も終わり、ようやくハイエロー領の実家へと到着した。
ステータス的にはかなり頑丈なはずの俺の尻が痛くなるとは、おそるべし馬車の旅である。
帰省は、マリアと弟のアナキンも一緒だ。
マリアはまだハイエロー領を見たことが無く『一緒に行きたい』と言うので連れてきた。
馬車での長旅が初めてだったマリアは、尻をかなり痛めたようだ。
つーか『揺れるぞキツいぞ』とさんざん警告しておいたのに、薄っぺらいクッションしか馬車に持ち込まなかったので自業自得というものだろう。
馬車から降りるとすぐ、妹のアリスが飛んできた。
なんか空中を……。
今年で9歳になる美少女天使アリスちゃんは風魔法の適性が半端なく、自ら起こした魔法による風で空を飛ぶことができるのだ。
――まだ体重も軽いしね。
今年はアナキンも学園に通い始めたので、兄弟姉妹の中で唯一アリスだけが実家に取り残され、ずいぶんと暇で寂しい思いをしていたらしい。
なので俺とアナキンが帰省するのが楽しみで仕方なく、到着するなり文字通り飛んできた訳だ。
風魔法はまだそれほど使いこなせてはいないが、実は【浮遊】のスキルを組み合わせれば俺も飛べるので、そのうち一緒にその辺を飛んでみようかと思う。
どうせ飛ぶなら、天気の良い日がいいだろう。
今度の冬休みは、婚礼などの準備で帰れないと思うし――。
この夏休みは実家を満喫しようと思う。
――――――――
― 7月12日 ―
ユリオスくんが屋敷にやってきた。
愛するマリアに会う為にはるばる自分の領地からやって来やがったのかと思いきや、こいつはわざわざこのハイエロー領の領都に別邸を作ったらしくそこから来たとのこと。
しかもユリオスくんは、夏休み中ずっとその別邸で過ごすつもりらしい。
――マリアに会う為だけに。
イヤ、愛が重いよユリオスくん……。
つーか、自分の領地に帰省しろよ。
で、愛されている当のマリアはというと――『毎日会いに来られてもちょっと……』と言いつつ満更でもないふやけた顔をしていた。
はいはい、邪魔はしませんよ。
毎日デートでも何でもしてくださいな。
実のところ領都など自分ちの庭みたいなもので特に新鮮味も無く、あちこち案内するのもちょっと億劫だなと思わないでも無かったのだ。
丁度いいから、情報だけ与えてあとはユリオスくんにエスコートさせてやろう。
こっちはこっちで実家を満喫するから――。
そっちはそっちで良きにはからうがいい。
――――――――
― 7月18日 ―
あれから本当にユリオスくんが毎日、マリアをデートに誘いに来やがる。
今日も朝っぱらから、クーコーの丘までピクニックに行こうとマリアを連れ出していたし。
だがぶっちゃけあの丘、樹とか生えて無いから夏場は直射日光がガンガン当たるんだよねー。
しかも今時期の風向きだと、近くの玉ねぎ農家からなかなかにキツい香りが漂って来るのだ。
正直夏場のピクニックには向かない場所なのだが、俺は黙って見送ってあげた。
どうせ何があろうと、多少のことならきっと良い思い出になるに決まっている。
カップルなんて、そんなもんだろう。
どちらかというとあいつらは最近、バカップルだが……。
――――――――
― 7月22日 ―
天気も良く涼しかったので、今日は妹のアリスと領内の上空を飛び回って遊んだ。
最終的には鬼ごっこになり、序盤こそ飛び慣れたアリスに軍配を譲ったがそこはチートな魔力量を持つ俺である――飛ぶことに慣れた頃からは圧勝した。
大人げないと言うでない。
そこはほら、姉の威厳というものを見せねばならんのだよ。
やはり発展途上の年少者には、上には上がいるということを教えてやらねば。
決して負けず嫌いが発動して、つい本気になってしまったからでは無いのだ!
――イヤ、本当だからね。
それはそれとして――。
相も変わらずユリオスくんが、毎日欠かさずマリアをデートに誘いに来る。
今日はローズト川で、ボートに乗るのだそうだ。
あの辺、時々洪水が起きるから治水工事の途中なんだよね。
デートにはちと雑音が多そうなんだが……。
まぁ、そんなバカップルたちは別にどうでも良いのだが、実は他に気になっている人物が約1名いる。
――弟のアナキンである。
聖女であり義理の姉でもあるマリアに対して恋心を抱いているアナキンとしては、毎日デートに誘いに来るユリオスくんとそれに応えていそいそとお出かけするマリアの姿がやはり面白くは無いらしい。
それが証拠に馬車でデートに向かうバカップル2人を、アナキンは屋敷の2階の窓からいつも睨みつけているのだ。
それは嫉妬か憎しみか……。
仲睦まじい2人を見るアナキンの目つきは、ずいぶんと険しい。
気のせいかアナキンのその目つきが、だんだんと悪くなっている気がする。
まさか――。
ダークサイドに飲まれそうになっているのでは無かろうな……。
心配である。
――――――――
― 7月30日 ―
マルオくんから分厚い手紙が届いた。
いつものごとくこの夏休みも毎日のように手紙は来ていたのだが、夏休みに入ってからこれほど厚い手紙は初めてだ。
原因はもちろん、ユリオスくんである。
ユリオスくんがマリアに会いたさでハイエロー領の領都に別邸を作ったことを、俺がうっかりマルオくん宛ての手紙に書いてしまったのが事の発端。
それを羨ましく思ったマルオくんは、同様にこちらに別邸を作ろうと動いたらしい。
ところが……というか王子という立場上、様々な問題やしがらみや既存の予定等が立ちはだかり、そんなもんをそう簡単に周囲が許してくれるはずもない。
結局のところマルオくんが強権を発動しようがゴネようが駄々をこねようがその動きは潰されてしまい、ハイエロー領に別邸を作る計画は頓挫した。
ならばせめてもと我がハイエロー領への旅行を企ててみたものの、それも叶わず。
最終的にマルオくんが俺に会いたいという思いは、全て手紙という通信媒体に込められることとなった。
――で、その結果が冒頭の分厚い手紙という訳だ。
その辺の経緯と愛情と愚痴が大量に詰まった、いろんな意味でヘビーな手紙……。
正直読むのに目もメンタルも疲れる中身である。
これの返事書くの、面倒っちいなー。
長い手紙に短い返事を書くというのも、これはこれで頭を使うのだ。
あ……マリアがほやほやした顔で、デートから帰ってきやがった。
あいつの彼氏のおかげでこっちが苦労していると思うと、なんかムカつく……。
よし、料理長に命じて今晩のメニューに、マリアの嫌いなブロッコリーを入れさせよう。
それくらいしないと――。
なんとなく気が収まらぬ。
――――――――
― 8月8日 ―
お姉ちゃんは信じていたよ!
という訳で――。
アナキンが闇落ちしていないことが、この度明らかになった。
アナキンがデートに出かけようとするユリオスくんとマリアのバカップル2人を、2階の窓から殺しそうな目つきで見ていた理由……それは――。
『近眼』が原因でした。
うーむ、まさかそんなもんが原因だったとは……。
はっきり言おう――盲点だった、と!
気付いたきっかけは、久しぶりにアナキンと模擬戦をしたことだ。
『姉より優れた弟など、存在せぬ!』などと驕り油断していたおかげで、俺はアナキンとの戦いでうっかり1本取られそうになった。
で、そこはやはり年長者として負けられぬということで、ついついちょっと強めに反撃してしまったのだ。
おかげでアナキンの頭には、大きなタンコブが出来てしまった。
その治療の為に頭部に回復魔法を掛けた結果、気付いていなかったアナキンの近眼まで治ってしまったのである。
どうやら学園で学ぶ環境があまり合っていなかったせいで、いつの間にかアナキンは近眼になっていたらしい。
更にアナキンは入学してからこっち怪我も病気もしておらず、回復や治癒の魔法とは全く縁が無かった。
その結果が『目つきが悪くなるほどの近眼になっていたにも関わらず、全く気付いていなかった』という事態になってしまったのだ。
まぁ、アレだ――。
健康というものには、過信は禁物ということだね。
健康診断は定期的にちゃんと受けようってな話だ。
ちなみに近眼が治ったアナキンではあるが、2階からデートに出かけるマリアとユリオスくんを見続けていることには変化は無い。
険しい目つきが、ジト目になっただけである。
気持ちは分からんでもないが、いいかげん諦めれ。
あと――。
闇落ちだけはしないでおくれね。
――――――――
― 8月15日 ―
……とは言っても、この世界ではお盆でもなく終戦記念日でもない、ごくごく普通のクソ暑い夏の日である。
クソ暑いとはいえ冷却魔法と風魔法を駆使すれば、普通に涼しく過ごせる。
しかしながら毎日それでは面白くないと思い、今日は夏の日差しを浴びながら氷結魔法を使ってカキ氷なんぞを作ってアリスと楽しんでいた。
アナキン? あぁ……なんかあいつは今日、滝行に行ったらしい。
出かける時に『煩悩に打ち勝つんだ』とか言っていたので、まぁそういうことなのだろう。
で、カキ氷を食べていた俺なのだが――。
勢い良く食べ過ぎたおかげで頭がキーンと痛くなっていたところに、マルオくんからの手紙が届いた。
ちょうどインターバルが欲しかったタイミングだったので、頭痛が収まるまでと思って手紙を読み始めたら、いつもはどうでもいい話ばかりのその手紙に、何やら王都で起こった事件のことが記されていた。
――王都の武具庫から、兵士用の武器防具が大量に消えたとのことである。
賊が侵入した形跡が見当たらなかったので内部の犯行が疑われたのだが案の定、武具庫の警備をしていた者を含む十数人の兵士が同時に行方不明になっていた。
調査は始まったばかりだが、この兵士たちはまたもやジャー教の教徒である疑いが濃いらしい。
ジャー教と言えば、当然邪神ガンマ――魔徒四天王が絡んでいると考えて、間違いはあるまい。
今度は何を企んでいるのやら……。
まぁ、武器防具の類を盗んで行ったことからして、恐らく戦闘行為でもするつもりなのだろうが……。
行方不明になった者は、実はもう1人いた。
宰相府の若手実力者――これまで俺たちの都合を、微妙にかき回してくれやがっていた『ゲヒャナ大臣』である。
現在までの調査によると、消えた兵士たちの大半がこの『ゲヒャナ大臣』と何らかの繋がりを持っていたということで、これは『ゲヒャナ大臣が武具の大量盗難の主犯だったのではないか?』との目星が付けられているらしい。
何にしても、そう遠くないうちに何かが起こるはずだ。
これはやはり、早めに王都へと赴くべきだろう。
――――――――
― 8月18日 ―
マルオくんから、王都の混乱の続報が届いた。
愛の囁きとかそういうどうでも良いところはさっさと読み飛ばし、重要なところをかいつまむと――。
まず、墓荒らしがあったらしい。
それも何百件も。
普通は墓荒らしというと、遺体と一緒に埋葬されている貴金属などを盗んで行くものだが、今回は遺体が無くなっていたのだそうだ。
それも盗まれたのは男の遺体ばかりとのこと。
更に王都周辺に、賊が出没し始めたらしい。
そっちは主に小規模な商隊や乗合馬車が狙われていて、荷だけではなく人も全て攫われている。
消えたゲヒャナ大臣と兵士たちの行方は、アキエムの森の魔物が減っているのでそちら方面へと逃げた可能性を追っているらしいが、まだ痕跡すら見つかっていない。
王都に残っている男子たち――ガルガリアンくん、ラルフくん、フラワキくんを集めて議論を交わしてみた結果、ゲヒャナ大臣が魔徒四天王である疑いが浮上したとのことだ。
もう厄介事の予感しかしない。
王都に戻るまでに、何事も無ければよいのだが……。
――――――――
― 8月20日 ―
帰省は今日――というか昨日でおしまい。
今日からはまた王都への、尻が痛くなる馬車での旅である。
一緒に行くのは帰省の時と同じく、俺とマリアとアナキン。
ユリオスくんは一旦自領に立ち寄らねばならぬので、別ルートとなる。
マリアとユリオスくんは、ここでもバカップルぶりを発揮。
お前らは永遠の別れでもするのかとツッコミを入れたくなるほどの、大げさな別れのシーンを繰り広げやがった。
つーか、どうせ王都に着いたらすぐ新学期じゃんか。
そしたら毎日会えるだろうに。
いいかげんにして欲しいものである。
――馬車の旅が終われば、王都だ。
そして、新学期が始まる。
魔徒四天王が動き出していると思われるのでそこは懸念であるが、調査と準備さえ怠らなければきっと大事には至らず解決できるはずだ。
みんなの力を合わせればなんとかできると、俺は信じている。
そして懸念はもう1つ……。
マリアとユリオスくんのバカップルぶりに、マルオくんが影響されそうな気がするのだ。
そうなると絶対に、今まで以上にイチャコラしようと画策するに違いない。
勘弁して欲しいよなー。
中身おっさんなんだから、男の子とイチャコラとか無理だから。
そっち方面の趣味とか無いから。
貞操の危機だけは――。
絶対に回避せねば!




