その名はベンジュマン
― 教室 ―
新年度が始まり早一週間。
始まったばかりではあるが、今のところ3年目の『乙女ゲーム』の世界は平穏無事に過ぎている。
フェルギン帝国では、ついに内乱が始まった。
併呑されていた元は他国だった地域が、独立戦争を起こしたのである。
独立戦争の裏にはもちろん帝国の周辺国がおり、我がハイエロー家からも多少の支援をしている。
どうやらノットール父上さんによる独自の外交が、上手くはまったようだ。
帝国内も次期皇帝であった第1皇子が戦死したこともあり、なかなかにややこしい混乱ぶりとの報告が入っている。
これなら独立戦争を起こした連中がフェルギン帝国から独立することも、現実味を帯びてくるだろう。
アッカールド王国が帝国へと逆侵攻するのならば、本来このタイミングがベストだった。
秋に帝国へと侵攻したときは占領地のほとんどが農村地帯で、そのまま領土を切り取ったところで軍事拠点にできるところも無く、奪い返されるのが目に見えていた。
そのおかげで、冬将軍の到来に伴い退却をせざるを得なかったのだ。
だが今なら軍事拠点化できるような要地や都市も、独立戦争が起きている地域と連携することによって奪い取れていた可能性が十分にあっただろう。
仮にそれができなかったとしても、独立戦争のアシストには間違い無くなったはずだ。
――もう少し我慢していれば、絶好のチャンスが舞い込んだというのに。
アッカールド王国の戦争下手にも、困ったものだ。
せっかくフェルギン帝国が混乱しているというのに、それに乗じることができぬとは……。
そもそもあのゲヒャナ大臣とかいうヤツが、あんなに早く逆侵攻の話を通し軍を編成などしなければ、拙速に過ぎるタイミングにはならなかったのだ。
戦争前は帝国の経済を絡めた浸食に対し警鐘を鳴らしてくれていたので、なかなかに有難い人物だと思っていたのだが、結果を見れば有能ではあったが今ひとつ王国の役には立っていない。
いらぬ苦労や戦死者を増やしただけで、得たものは王国のメンツだけ――実利の収支など、むしろマイナスなのである。
そのゲヒャナ大臣は、他の大臣たちが軒並み戦争前に帝国との友好推進派に舵を切っていたこともあり、唯一の帝国警戒派としてその立場を上げていた。
そして今や宰相府の有力者――とまではいかないが、若手(50歳未満)の中では頭ひとつ抜けた存在だ。
なんか納得がいかん。
結局ゲヒャナ大臣なんて、大して功があった訳でも無いのにさ。
で、本来なら功の大なる我がハイエロー家の恩賞なのだが、これがまた微妙であった。
まず、フェルギン帝国へ自由に侵攻して構わない旨のお墨付きと、領土は切り取り次第ハイエロー家の領地にしても良いという、アッカールド王国からの許しを貰った。
そもそもハイエロー家だけで帝国の領土を切り取るというのが無理ゲーなので、こんなもん今のところは褒美にも何にもならぬ――将来的にはどうか分からんが。
いっそ俺が先頭に立って軍を率い、帝国に攻め入ってやろうか。
今なら帝国内は独立戦争がいくつも起こっていて動かせる軍も少ないし、防衛拠点や城塞都市など【メテオ】の魔法をいくつかぶっ放せばまず落ちるだろうし……。
あれ? これ行けんじゃね?
まぁ、やらんけど。
俺がこの世界に居られるのもあと1年足らず。
その残り期間を戦争に費やすなど、勿体無いにもほどがある。
残り期間は友人たちと楽しく学園生活を過ごすのだ!
あと、邪神問題が残ってるので、戦争に出かけるとかマズそうだし……。
――話を戻そう。
王国からハイエロー家への恩賞はもう1つ。
それは『マルオース第1王子の妃はエリス・ハイエローとする、如何なることがあろうが異論は認めない』というものである。
『おいおい、今更それ? つーか、それ恩賞になるのかよ』とか最初は思ったが、これで完全に『婚約破棄フラグ』をへし折ることができるのだから、これはこれで良しとすべきなのだろう。
これで『婚約破棄エンド』は無くなったし、『没落エンド』もハイエロー家の力をもってすればまずあり得ない。
あとは邪神や魔徒四天王が関わりそうな『死亡エンド』だけなのだが――そんなもんは叩き潰す!
伊達にチートは張っちゃいねえぜ!
どっからでも掛かって来いや!
脳筋展開上等じゃい!
…………
………
……
まぁ、恩賞に関してはそんな感じ。
正直不満はあるが、王国の財政とか諸々の事情を考えればこれで我慢するしか無いのであろう。
――で、学園生活なのだが……。
絶賛混乱中の帝国から亡命した、第3皇子のフリをしていたフラワキくんが学園に戻ってきた。
そして現在その亡命者は、朝っぱらから俺の目の前で呑気に実家の悪口を言っている。
おかげで爽やかな朝が台無しである。
フラワキくんは妾腹の子供で母は既に他界、正妻である継母やその子供たちに酷くイジメられていたのだそうだ。
父親はそんな状況でも、当然のように無関心。
「酷いよねぇ、それでもその頃は父上が好きだったんだよなぁ」
それでも父親の気を少しでも引こうと勉学や戦技の向上に励んでいたところ、いつの間にか同年代で最も優秀な子供になっていたらしい。
ちなみに本物の第3皇子の出来はと言うと、『中の下』程度という噂とのこと。
「しかもさぁ、性格も悪かったらしいよぉ」
優秀と評判になったフラワキくんは、更に実家でイジメられた。
妾腹の子のくせに生意気だ、というのが理由である。
「まぁねぇ、妾腹の子なんてそんなものなんだろうけどさぁ」
継母はフラワキくんが帝国の学校へと入学すると、厄介払いとばかりに寮へと放り込んだ。
ここでも父親は、みごとに無関心であったそうだ。
「さすがのボクもぉ『もしかしてボクってぇ、いらない子ぉ?』ってぇ、そこで気づいたよぉ」
学校でもやはり優秀で学年トップの成績を収めたフラワキくんは、そこで帝国に目をつけられた。
そう、『第3皇子のフリをして、王国に行け』と命じられたのである。
「いらない子扱いされてたからぁ、帝国に必要とされていると思ってぇ――思えばぁ、舞い上がってたのかもしれないねぇ」
背格好も第3皇子に近かったフラワキくんは、顔を変え仕草も懸命に訓練し第3皇子になり切った。
そうやって我がハイエロー家の影の者などの諜報網を潜り抜け、まんまと王国――レインボー学園に潜入することに成功したのだそうだ。
「だからこの顔ってぇ、本当に第3皇子にそっくりなんだよぉ」
そうして学園に入ったフラワキくんが受けた命令は『王国の貴族を抱き込むから、その子弟で学園内に派閥を作れ』だの『成績でマルオース王子を圧倒し、学年でトップに立て』だの『デリン皇太子の良い噂を、できるだけ流せ』だのというものだった。
それらをフラワキくんが命令通りに全力で遂行しようと奮闘していたところに、帝国の宣戦布告があったという訳だ。
「それなのにまさかねぇ、あんな仕打ちを受けるとはさぁ」
宣戦布告の当日、フラワキくんの屋敷には朝起きると誰もいなかったらしい。
何が起きたのかも分からず途方に暮れていたフラワキくんであったが、それは昼過ぎに全て明らかになった――王国の警備兵に逮捕されたからである。
「あの時は本当に驚いたよぉ」
逮捕・拘束され尋問を受けたフラワキくんは、ようやく事の次第を理解し――結局、帝国も自分のことを必要としていなかったことに絶望した。
自分は王国を少しでも油断させるための捨て駒で、結局どこに居ようがどんなに努力をしようが、所詮自分など『いらない子』でしかなかったのだと思い知らされたのだ。
「そんな立場になればぁ、そりゃあ自暴自棄にもなって情報をペラペラ話もするさぁ」
家族にも国にも見捨てられたフラワキくんは、実に正直に知っている限りの帝国の情報を王国に話した。
だが、そんな人生に絶望して自暴自棄になっていたところに、なんと救世主が現れたのである。
「あの時ボクは、そぅ――光を見たんだよぉ」
救世主の名はマルオくん。
フラワキくんが素直に王国の拘束を受け、なおかつ積極的に帝国の情報を吐いているとの報告を聞いたマルオくんは『ならばこれは、将来有望な役人候補を手に入れるチャンスとなるのではないか?』と考えた。
その優秀さは学園でマルオくんと互角の成績で争っていたことからも確実であり、そんな人材をこのまま情報を引き出すだけで捨ててしまうのは勿体無い。
そう考えたマルオくんは、なんと自ら『王国に亡命して、将来の私の治世を支える役人となってはくれないか? 君のような優れた人材を、私は1人でも多く欲しているのだ』と、口説いたのだそうだ。
「あまりにボクに都合のいい話だからぁ、そりゃあ少しは疑ったさぁ――でもねぇ」
マルオくんの『君がどれだけ優秀なのかは、共に切磋琢磨したこの私が1番良く知っている――手を貸してはくれまいか』という言葉に、フラワキくんはあっさり陥落した。
自分を必要としてくれる――それだけが彼にとって唯一無二の望みだったが故に。
「だからボクにとってはさぁ、マルオ様は神様なんだよぉ」
――と、まぁそんな訳で。
マルオくんは信者という名の、将来の配下をゲットした。
さぞや有能な役人になってくれるであろうが、狂信者になりそうでそこだけが心配である。
今のところは学園の生徒ということで派閥の一員にしてはいるが、実質フラワキくんはマルオくんの使いっ走りのようなことをしている。
これは誰がそうしろと云った訳でも無く、フラワキくん自らがそうしているのだ。
「あっ! マルオ様がいらしたぁ」
は? 俺の【気配察知】のスキルでは、まだマルオくんは教室の10m手前だ。
俺のように察知系のスキルを、フラワキくんは持っていないはず。
なのにマルオくんが来るのが分かるのか?
なんかやっぱ――。
狂信者になりそうで怖いなこいつ……。
…………
教室に入ってきたマルオくんは、不機嫌であった。
「どうかなさいましたの?」
「あぁ、出がけにちょっとな。 逃亡中のジャー教の教主グーガルを見つけたとの報告で、警備隊が捕縛の兵を10名ほど差し向けたらしいのだが――それが全員殺されたとの知らせを聞いたのだ」
ジャー教教主グーガル――魔徒四天王の1人だと、俺たちが睨んでいる男だ。
確か七色教の聖騎士団が、ヤツを追っていたはずなのだが――。
「どうして王都の警備隊が動いてますの? グーガルは確か、聖騎士団に任せてあったのでは?」
「聖騎士団に任せても埒が明かないので、この4月から警備隊も動き始めたのだ。 幸先よく見つけることができたということだったのだが――よもや捕縛に向かった兵が全滅するとは……」
鍛え上げられているはずの、10人の警備兵が全滅……ということは、グーガルはよほどの手練れかあるいは――。
「やはり、魔徒四天王……」
「エリスもそう思うか?」
「はい、可能性はかなり高いかと」
仮にそれほどの手練れならば、ジャー教の教主という広告塔も兼ねる立場なら少しは噂になっていても良いはず。
帝国の工作員だったとしても、戦争中に全く動きが無く潜伏していただけというのはまずあり得ない。
ならばやはり、魔徒四天王である疑いが濃厚だ。
警備兵では対処が難しいとなれば――。
これはやはり、俺が出るしか無いかもしれないな。
ガラリと教室の扉が開いて、担任の先生が入ってきた。
我が3年A組の担任は、3年間変わらずアンドルド先生である。
相変わらず影が薄い、隠れハイエロー派閥の一員だ。
どうやら3年目の学園生活も、あまり変わり映えしない面々でお送りすることになるらしい。
…………
― 昼休み・中庭 ―
天気も良いということで、俺は中庭でお弁当を食べようと仲間たちを誘ってみた。
少し開花の時期が遅れた桜の見頃がそろそろ終わりそうなのと、春の『恋のどきどきイベントスロット』による『フラワキくんと中庭で桜を観る』とかいうイベントを消化するためである。
「ゴザを持ってきましたぁ!」
「あぁ、ありがとうフラワキ」
今朝がたパラパラとした雨が降っていたせいで中庭が濡れていたので、フラワキくんが駐車場に置いてあるマルオくんの通学用馬車から、ゴザを取ってきた。
なにげにマルオくんも、当たり前のようにフラワキくんを使いっ走りにしている。
桜はもう満開を過ぎ半ば散ってはいるが、まだまだ花見は出来そうだ。
みんなでゴザに座り、花見をしながら弁当を広げる。
ついでに酒でも飲みたいところだが、さすがに学園内で酒盛りはできない。
なのでお茶を飲む。
「ささぁ、マルオ様お茶をどうぞぅ」
「ありがとう」
「フラワキ、アタクシにも」
「かしこまりぃ」
「フラワキ、俺様にも」
「どうぞぅ」
「フラワキくん、あたしにもください」
「少々お待ちおぉ」
なにげにみんなフラワキくんのことを、小間使い扱いしてるね。
つーか、フラワキくんも嬉々としてそれを受け入れているのはどうなのよ?
これは修正した方がいいな。
小間使いなら足りている、増えるなら友達がいい。
「ところでマリア、ハイエローの屋敷での生活は少しは慣れたか?」
「はいユリオス様、毎日楽しいですよ~」
ユリオスくんは、こうしてみんなで集まるとまず真っ先にマリアに声を掛けてくる。
俺様キャラなくせに、だいたい世間話から入るのがユリオスくんのスタンスだ。
「イジメられてないか? なんなら我がキーロイム家の屋敷に住んでも――」
「前歯を叩き折りますよユリオス。 アタクシがマリアをイジメるなどあり得ません」
俺がマリアをイジメるなどと、なんて失礼なことを言うのだユリオスくんめ。
つーかお前、マリアと一緒に住みたいだけだろう。
「そう言えば小耳にはさんだんだが――」
ガルガリアンくんが流れをぶった切って、何やら話を始めた。
祖父である宰相さんから漏れ聞こえた話とのことだが――。
「ゲヒャナ大臣がそんなことを?」
帝国警戒派だったゲヒャナ大臣のことだから、多少なりともハイエロー家の味方であろうと勝手に思っていたが、案外そうでは無かったらしい。
「あぁ、ゲヒャナ大臣はマリアをハイエロー家に囲い込ませず、王家で保護して爵位を与え、独立した貴族としてアッカールド王国に貢献させるべきだと主張しているそうだ」
「それは――気に入りませんわね」
マリアにとっては、ハイエロー家が保護するのが最も良いはずだ。
他の貴族では、『聖女』であるマリアを保護するには力が足りない。
王家が保護すればマリアは政治の道具として使われかねないし、何より立場上特別扱いなどしてくれはしないだろう。
だが我がハイエロー家ならば、マリアを『聖女』ではなくマリア個人として保護できる。
何よりハイエロー家の持つ権力を自由に駆使して、出来るだけマリアの好きなようにこれからの人生を選択させてあげられるのだ。
「その動きは潰そう――もちろん、私も力を尽くさせてもらう」
「ハイエロー家も最大限の圧力を掛けますわ」
という訳で、マルオくんと一緒にマリアの身柄を王家には渡さぬよう工作するとしよう。
聖女マリアは、アタクシのものよ!
――なんつってな。
「早く保健室へ!」
「まだ他にも倒れている生徒がいるんだ!」
「皆さんの中に、治癒魔法を使える生徒様はおられませんか!」
急に何やら、廊下が騒がしくなった。
聞こえる叫び声から察するに、どうやら倒れた生徒がいるようだ。
「エリス様!」
「そうね、急ぎましょうマリア」
治癒魔法が使えるということで、俺とマリアは互いに顔を見合わせて、倒れた生徒の元へ向かうことを阿吽の呼吸で決める。
何が起きたかは知らないが、治癒魔法が必要だというのならば、我らが駆け付けようではないか!
広げてあるお弁当の始末をアンとガーリに任せ、俺とマリアは中庭から校舎内へ――。
《恋のどきどきイベントが終了しました》
あー……そういやそんなのもあったっけ。
ピロリロリーン♪
《ベンジュマンの好感度が上昇しました》
は? ベンジュマンって誰よ?
とか思ったが、思い出した。
みんなが『フラワキ』と呼んでいる彼、そもそもの名は『ベンジュマン・ドギングラソス』と言う。
『フラワキ・ザ・フェルギン』というのは、そもそも彼が成りすましていた帝国の第3皇子の名なのだ。
ちなみにフラワキ改めベンジュマンくんの帝国での戸籍は、ハイエロー家や王家の諜報員の目を誤魔化すために『フラワキ・ザ・フェルギン』に変えられていた。
なので当時の帝国には『フラワキ・ザ・フェルギン』という名の人物は2人いたということになる。
そしてこの度、4月から正式にアッカールド王国の国民となったのを機会に、フラワキくんは元の名前である『ベンジュマン・ドギングラソス』で王国の戸籍を取得したのだ。
つまりフラワキくんは、本当はベンジュマンくんなのだ!
――うむ、ややこしいな。
実際にスロットでの呼び名も、4月を区切りに変化しているからなー。
おかげでベンジュマンとか言われても誰のことを言っているのか、一瞬分からんかったし。
だが手は打ってある。
これまで彼のことを『フラワキ』と呼んでいた我々としては、今更『ベンジュマン』と呼ぶのはやはり間違えそうだし覚え直すのが面倒臭い。
しかしながら、そこで我々は妙案を思いついた。
それはベンジュマンくんに『あだ名』を付けることだ。
そう、そしてもちろんその『あだ名』こそが――。
『フラワキ』
なのである。
これで我々は、これからも彼のことを『フラワキ』と呼べば良いことになった。
これで余計な人名を覚えずに済む。
――てな訳で。
彼はこれからも『フラワキ』くん。
本名は忘れて良し。




