王都の不安
― 7月末・通学路 ―
「逃がすな! 捉えろ!」
「違う! 俺はジャー教徒じゃない!」
「しらばっくれるな! 通報があったのだ!」
「嘘だ! 本当に違うんだ!」
「調べればすぐに分かることだぞ!」
馬車の外から、男たちが叫ぶ声が聞こえた。
通学用の馬車にはいつもカーテンが下げられているので、俺にはその姿は見えていない。
「もしや、またですの?」
「はい、またジャー教狩りのようですわ」
カーテンを少しだけ開いてガーリが外を見ていたので、もしやと思い聞いてみると、七色教の聖騎士数人が1人の若者を連行するところ――つまり、ジャー教狩りの現場が見えたようだ。
魔徒四天王や邪神ガンマのことを報告するついでに、ジャー教のことも偉い人たちに報告したところ、何故だか王国ではなく七色教がジャー教の調査と壊滅に乗り出した。
乗り出したのだが……七色教が特例としてアッカールド王国に持つことを許されている戦力――聖騎士団によってジャー教の本部の制圧には成功したにも関わらず、教主グーガルとほとんどの信者には逃げられてしまったのである。
七色教の騎士団は、逃げられた教主グーガルと信者を捕らえるため、大規模な捜索を始めるのと同時に七色教の信者たちに、ジャー教の信者を見つけ次第通報するようお願いをした。
そうして始まったのが、この『ジャー教狩り』なのである。
七色教の聖騎士団は、騎士団と名がついているが実際のところは教団の警備兵のようなものだ。
なので数もそれほど多くは無いのだが、それでもこの王都には1000名ほどが勤務していた。
実を言うと王国に保護されている立場の七色教は、王国や教団に害をなすと思われる他の宗教団体に対して、独自に聖騎士団を動かし戦闘行為をする権利を許されている。
ただその権利は、アッカールド王国と七色教の歴史上行使されたことは今まで1度たりとも無かった。
なので聖騎士団が戦闘行為をし、異教徒を取り締まるなどという今回のようなことは、国・教団・住民という全ての人々にとって初めてのことだったりする。
そのせいもあり王都は、少しばかり落ち着かない空気が漂っているのだ。
聞くところによると、どうやら今回の聖騎士団の行動は団長であるギアロスという人が強硬に主張してのことらしい。
婚約の儀の時に見た人の好さそうな教主――サンレイン三世さんは、このギアロス団長に押し切られてついつい認めてしまったのだそうだ。
しっかし教主さんも、なしてそれをついつい認めるかねー。
おかげで王都の空気が重いったらありゃしない。
ジャー教の取り締まり自体は必要だとは思うんだけどねー。
もうちょっとやり様があるだろうとも思うのですよ。
つーか、朝っぱらから通学路でこの騒ぎとか、気が滅入るわー。
明日っから夏休みで帰省することになるから、しばらくはこの騒ぎとは無縁になるとはいえ――。
ただでさえ帝国の動きが怪しくて面倒臭いのに――。
これ以上面倒なことは勘弁してくれよ。
――――
― 教室 ―
「おはようございます! コレス」
「おっすガーリ!」
教室に入るなり、ガーリがコレスに駆け寄っていく。
そう、この2人は付き合い始めたのだ。
「ごきげんよう、ラルフくん」
「おはよ~、アン。 今日もかわいいね~」
ついでに、アンとラルフくんも付き合い始めた。
こちらはラルフくんが、いつの間にかアンを口説いていたらしい。
「ごきげんよう、マルオ様」
「おはようエリス――その、今日も綺麗だよ」
イヤ、すぐ横でラルフくんがアンのことをかわいいと言ったからって、別に取って付けたように俺のことを褒めなくてもいいんだぞマルオくん。
アンとガーリは、どうやら婚約した俺とマルオくんに刺激されたらしく、それぞれラルフくんとコレスという手近な男子たちと付き合う方向へ舵を切ったらしい。
で、肝心のこの世界の主人公であるはずの、マリアの恋愛はどうなっているかというと――。
「今日は午後からラルフ様のおうちで対策会議ですよね~。 あたし楽しみ過ぎて、朝ごはん抜いてきたんですよ~」
とまぁ、対策会議という名のメシ会がこの上ない楽しみであるくらいに、未だにマイペースな花より団子な女の子のままだ。
どっちかっつーとアンとガーリよりもマリアに恋愛をして欲しいんだが、どうやら本人にはまだその気は無いようである。
いいかげんダイエットにも成功しメイクの技術も向上していることによって、まだ地味感はあるがなかなかの美少女に仕上がってきているのだから、そろそろ彼氏の1人や2人出来ても良さそうなものなのだが……。
ガルガリアンくんとかどうよ?
賢くてクールなイケメンだよ?
今なら彼女もいないし、お勧めですよ?
「今日はパエリアと冷製オムレツの予定だよ~」
「冷製オムレツはいいな、最近暑いし」
「ならデザートにはアタクシがアイスを用意しましたので、ちょうど良かったかもしれませんね」
「いいな! アイス!」
「アイス食べたいです~」
「お昼にね」
「バニラアイスだけか?」
少しずつ恋愛系の要素が増えつつあるが、俺たちの会話は結局いつもの食い気メインの話に収まってしまう。
なかなかマリアが恋愛に興味を持てないのも、この辺が原因かもしれない。
いつものごとくお気楽で楽しい会話を続けていたら、ゾロゾロと十数人の生徒たちが2年A組の教室へと入ってきた。
フェルギン帝国の第3皇子――フラワキくんと、その派閥の連中である。
「おやぁ? 期末試験でボクに惨敗した、マルオース王子とそのお仲間たちじゃありませんかぁ――どうも、ごきげんよぅ」
わざとらしくその銀色の前髪をかき上げて勝ち誇ったセリフを垂れ流してきたこいつが、フラワキくんその人だ。
つーか、期末試験で惨敗って……お前、総合でマルオくんにギリ勝っただけじゃん。
「あら、誰かと思えば総合でアタクシに大差をつけられ2位だった、負け犬のフラワキ様ではありませんか――戦闘術の試験でアタクシに叩きのめされ無様にお漏らしをなさったあなたが、いったい何の御用ですの?」
挑発されたみたいなので、挑発で返してやる。
貴族の世界は、基本マウントの取り合いなのだ。
ちなみにフラワキくんが漏らしたのは、小だけでは無い。
「べ……別に用は無いさぁ。 クラスメイトだから、朝の挨拶をしただけだよぉ」
「そうだ! 挨拶をして何が悪い!」
「フラワキ様が挨拶をしてやっているんだ! ありがたく思え!」
なるほど……ただの挨拶だったか。
にしてもフラワキくんはともかく、取り巻きがウザいな――君たち、自分がアッカールド王国の貴族だってことを忘れてないか?
そんなだと、マルオくんが王様になったら粛清対象になりかねんぞ?
それとフラワキくん派閥に行ってから影の薄いユリオスくんよ、そいつらのセリフを聞いて苦笑いするのは止めれ。
君はフラワキくん派閥の貴族という設定なのだから、実はこちら側のスパイだということがバレないように少しは気を遣いなさい。
「で? この成績優秀者のクラスであるA組の教室に入る資格の無い、B組以下のオマケは何の用なのかしら?」
「こんな無能たちを引き連れて派閥などと……よく恥ずかしくありませんわね」
「平民のあたしですらA組に入れるのに、なんで皆さんは入れなかったんですか~――不思議ですね~」
さすがはアンとガーリとマリア――俺の取り巻き令嬢たちだ、マウントの取り方を弁えていらっしゃる。
あ、マリアは令嬢じゃ無いか……。
たがあんまりやり過ぎるなよマリア、向こうの派閥にはお前はこちらの情報を流すスパイだと思われているはずなんだからな。
設定を疑われないよう、ほどほどにね。
こちらの女性陣に反論しようとフラワキくん派閥のザコたちが口を開こうとしたところに、タイミング良くガルガリアンくんが機先を制した。
「そろそろ先生が来る時間だ。 よそのクラスの生徒は、そろそろ自分の教室に戻ったほうが良いのではないのか?」
このひと言でフラワキくんの取り巻き連中は、このクラスの生徒であるユリオスくんとその他2名を除いてあっさり退散した。
この連中は数が減るととたんに無口になるので、これで大人しくなるだろう。
タイミング良く、担任であるアンドルド先生が入ってきた。
この人も我がハイエロー家の派閥の人間なので、実は学園内のフラワキくんの動きはアンドルド先生からも入ってくる。
今のところフラワキくん派閥の動きには、特に目立ったものは無い。
つーか、何がしたいのかイマイチ分からん。
――まぁ、それは良いとして。
ユリオスくんからマリアへ渡されているフラワキくん派閥の情報を書いた手紙には、いつも『つまらない』だの『帝国の菓子は口に合わない』だのと、派閥の活動の愚痴のようなことが書かれていたりする。
それが最近では愚痴だけでは無く『マリアの作るケーキが食べたい』とか『俺様のことを気にかけてくれるのはマリアだけだ』とか『マリアは俺様のオアシスだ』なんてことを書いて寄越しているのだ。
本人にその気があるかどうかは別にして、こんなもん口説いているようにしか見えぬ。
なのでこっちに戻ってきたその暁には、目一杯冷やかしてやろうと思う。
そもそもこの手紙のやり取りは、ユリオスくんとマリアの個人的な文通では無いのだ。
だいたいにして手紙はあくまで派閥の情報のやりとりであって、それをみんなで回し読みしているということをすっかり忘れて、思いっきり私信を書いてしまっているユリオスくんが悪い。
冷やかされるのは、自業自得というものだ。
つーか、このままマリアとユリオスくんが付き合うとかにはならんだろーな……イヤ、こんな残念な俺様キャラと付き合うとか、お父さんは許しませんのことよ。
でもなー、攻略対象男子で残っているのはユリオスくんとガルガリアンくんくらいなんだよなー。
フラワキくんは明確に敵側なので論外だし……あ、そういやアンドルド先生も攻略対象だったか――でもあの人影薄いし、教師と恋愛とかは何か違う気がするのだ。
俺としては、ガルガリアンくんが一番いいと思うのだが……。
恋愛ってのは、理屈じゃ無いからなー。
――――
― ラルフくん邸 ―
「それでは、無事に1学期を終えたということで――」
「「「「「「「「かんぱーい!!」」」」」」」」
まずは冷やし緑茶で乾杯し、取り分けられたパエリアに手を伸ばす。
「む……この味、さすがですわね」
相変わらずラルフくんの料理の腕は大したものだ、このパエリアも魚介の旨味が凝縮していて、それでいて濃厚過ぎない良いバランスを保っている。
伊達に食いしん坊キャラである、アンの胃袋を掴んではいないな。
「どう? アン……?」
「もちろん美味しいですわ!」
ラルフくんはどうやら、アンのために料理を作ったらしい。
俺たちその他大勢の感想など、聞いちゃいないし。
あー、はいはい……お熱いですな。
まだひと口しか食べてないけど、ご馳走様な気分ですよ。
そうかと思えば――。
「――ということだから、ガーリの槍はまだ引く動作に隙があると思うんだ」
「なるほど……コレスから見たら、あたくしの槍はまだ引きが甘く見える、と――」
コレスとガーリの2人は、戦闘技能のお話に花を咲かせている。
話している中身はともかく、これはこれで仲が良さそうだ。
この上、俺とマルオくんまでイチャコラし始めたら、マリアはともかくガルガリアンくんが面白く無いだろうなと思っていたら、意外な話が舞い込んできた。
俺にイチャコラをやんわりと拒否されたマルオくん曰く――。
「なんだ知らなかったのか? ガルガリアンなら来月婚約するぞ」
とのこと。
イヤ、ちょっと待って――そんな話、全然聞いてないんすけど?
「だったらお祝いさせていただかないと!」
「あたし、ケーキ作りますよ~!」
「お相手はどなたなんですー?」
「もういっそ、ここに連れて来なさいな」
女性陣は誰も聞いていなかったらしい。
一方、男子たちは――。
「おいら知ってた~」
「オレもマルオから聞いてたから、知ってたぞ」
「すまん、てっきり女子も知っているとばかり……」
「そうやって『連れてこい』とか言われるのが嫌だから、教えたくなかったんだ」
全員知っていたらしい。
なんだよー、教えてくれてもいいじゃん。
つーか、連れてこい。
ガルガリアンくんを問い詰めたところ、相手は学園の1コ下の学生で、いつの間にやら向こうに告られて付き合っていたのだそうだ。
こいつ……どうやって俺たちの目を掻い潜って、下級生の女の子と付き合ってやがったんだ?
このメンツはいつも一緒だったはずなのに、気づかぬとは不覚……。
あれ? そうなると攻略対象の中でマリアの相手になりそうなのは――。
マジか、ロクなのが残ってねぇ……一番マシそうなのがユリオスくんというのは、何かの冗談か?
食事もだいたい終わり、『アイスを食わせろ』との大合唱が起きたので皆に食わせつつ、マリアにその辺の話を振ってみたのだが、やはり興味無さげな返事しか返ってこなかった。
うむ、もうアレだ――ユリオスくんでもアンドルド先生でも、マリアが付き合いたいと思う相手と付き合えばいいよ。
残りモノにはひょっとしたら、福があるかもしれないしね。
――まさかフラワキくんとかは無いよね?
それだけはお父さん、許しませんのことよ。
――――
― 馬車の中 ―
夏休みに突入してすぐに、俺は我がハイエロー領へと帰省するべく出発した。
これは王都より自領のほうが安全であると、ノットール父上さんが判断したからである。
現在はその真っ最中――移動の馬車の中だ。
正直、ハイエロー領に帰るのは気が進まない。
なんとなれば、王都にはあまりにも気になることが多すぎるからだ。
まず気になるのは、邪神ガンマとその配下である魔徒四天王の動向。
こいつらはどう動いてくるか分からないし、マリアが何かの形で狙われる危険性もあるので最も不安なのだ。
念のためマルオくんに警備をしてもらうように頼み、何か危険だと感じたらすぐに王家で保護することを約束してある。
もちろん引き続き王都の動向を探る任務に就くハイエロー家の影の者たちにも、マリア宅とその周辺に注意を払うよう命令済みだ。
次に気になるのは、フェルギン帝国から入ってきている商人などの帝国民の動きだ。
ノットール父上さんから帝国が侵攻して来る可能性が高くなってきたとの情報を聞いているので、もしかしたらその連中が後方かく乱として王都の治安を悪化させることもあり得ると俺は考えている。
治安の悪化と言えば、七色教の聖騎士によるジャー教狩りも気になる。
ジャー教の取り締まりをするのはいいが、今のやり方では王都の民たちの不安を煽るだけなので、逆に王都が混乱しそうで怖いのだ。
フェルギン帝国から留学しているフラワキくんの動きも、気にならないことは無い。
そもそも何のために学園内で派閥を作っているのかが、さっぱり分からない。
彼の留学は恐らく帝国侵攻の目くらまし的なものであろうというのが、俺とノットール父上の共通の認識だ。
なのでフェルギン帝国の侵攻が始まる直前か同時期に、王国を逃げ出すのではないかと思い影の者に見張らせている。
王都は今、不安の種がバラ蒔かれている状況なのだ。
そして――。
やはり王都に残るべきだったろうかと、頭を悩ませ続けることしかできなかった帰省の道中――その3日目の午後。
馬車の中で、俺はその報告を聞くこととなった。
その報告は――。
『フラワキくん邸の使用人や帝国の商人たちが、一斉にその姿を消した』
と、いうものであった。
ついにフェルギン帝国が動き始めたのである。
プチ戦記モード入りまーす。




