悪役令嬢の逆襲
― 1年A組の教室 ―
「さて、1年A組の生徒の皆さん――皆さんにはこれから、ハイエロー家との交渉をするための人質になってもらいまーす」
俺を含めたクラスメイトを人質にして教室に立てこもった、賊の頭目と思しき男がニタニタとした余裕の笑みを浮かべながらそう言った。
目的であった俺という人質を得て、事は成したも同然とでも思っているのだろう。
だが、それは大きな間違いだ。
アンとガーリとマリアの喉元からナイフの刃が離れた今、お前たちの生殺与奪は俺の思いのままとなったのだから。
頭目と思しき男が教室後方へ向かい、扉越しに外にひしめいている警護の騎士たちに向かって、大声で話し始めた。
「おら聞こえるか下っ端ども! ノットール・ハイエローに伝えな! 娘の命が惜しかったら、100億持って来いってな!」
ほう……身代金100億Gとは、ずいぶんと要求しやがるな。
もっとも、どうせ金が目的では無いんだろうがさ。
身代金を要求しておいて、人質になっているハイエロー派閥の貴族の子供たちを殺す。
そうすればハイエロー家の面目は潰れ、貴族たちへの求心力も失うだろう。
その上で俺もついでに殺してしまえば、マルオくんとの婚約話も流れる。
反ハイエロー陣営にとっては、一石二鳥の策といったところだろう。
もちろん、させるつもりは無いが。
エリスの中身が俺だったのが、お前たち賊の不運だ。
さて、賊どもの意識が教室の入口へと向いているな。
こちらを見張っているヤツも何人かいるが、問題無い――始めさせてもらうとするか。
俺はまず、自分のスキルである【毒球】の魔法を使う。
猿ぐつわを噛まされているが、俺の魔法は特に詠唱とか必要としないので、この状態でも問題無く使えるのだ。
【毒球】の魔法は床に向けて大量に放つ。
これで教室内を、毒に浸してやるのだ。
放った毒は揮発性の、麻痺と睡眠の毒。
いちいち賊だけを狙うのは面倒なので、人質になっているクラスメイトごと無力化する。
「いいか、100億だぞ100億! 急いで持って来させろよ! 早く100億持って来ねえと、30分経つ毎に人質を1人ずつぶっころ……ほにゃう……」
――はい終了。
揮発性の毒なので、あっという間に人質も賊も全員麻痺しつつ眠りこけた。
賊の頭目も、言いたいセリフを全部言えずにおねんねだ。
さて、このままでは俺も身動きがとれぬ。
なのでスキルを使わせてもらおう。
そのスキルの名は【縄抜け】、今まで使う機会がほぼ無かったスキルである。
ちょいちょいっと手首や足首を動かし、関節を緩くしてモゾモゾっとやると――あら不思議、縄からスッポリと手足が抜けました。
やっぱスキルの能力って、反則だよねー。
猿ぐつわも外して、賊の頭目のところへ移動。
学園祭という生徒以外の人間が入り込めるイベントだからと言って、このレインボー学園にそう簡単にこれだけの数の賊が入り込めるなど、普通ではあり得ない。
必ず背後にそれなりの力を持つ誰かがいるはずなので、誰の差し金なのかを吐かせたいのだが……。
どうせ素直には、吐いてはくれないのだろうな。
「【完全治癒】」
まずは賊の頭目の、解毒をしてやる。
素直に吐きはしないだろうが、聞くだけ聞いてみるとしよう。
「う……うぅむ……」
「あら、やっとお目覚めになられましたか?」
目覚めた賊の頭目が慌てて起き上がろうとするので、俺はその胸倉を掴んで床に固定してやる。
エリスのステータスの数値に俺の数値が乗っかっているのだから、筋力は圧倒的にこちらの方が上、なので相手が大の男だろうが簡単に抑え込めるのだ。
「な、何で……いつの間に……」
「ハイエロー家の人間には、この程度のこと造作もありませんわよ。 そもそもその程度の実力で、アタクシをどうこうしようなど、随分と無謀な――あなた、ハイエローをナメ過ぎではなくって?」
相手が混乱しているのを良いことに適当な嘘を刷り込み、ただでさえ恐れられているハイエローの名前を膨らませ、得体の知れない恐怖を持たせてやる。
ハイエロー家の人間だからと言って、手足を縛られ猿ぐつわで口を塞がれているにも関わらず、ちょっと目を離した隙に20人もいる賊たちを全て麻痺させ眠らせる――などという芸当など普通はできるはずも無いのだが、賊がそんなものを知っている訳も無い。
なので今の状況と聞かされた嘘八百で、混乱している賊の頭目には俺のことが、得体のしれない化け物のように感じられていることだろう。
恐怖とは、理解できぬ相手に対して生まれるものなのだ。
賊の頭目が俺に押さえつけられながら、モゾモゾと動こうとしている。
どうやら手を動かして、何かを探しているようだが――。
「あなたがお探しの物は、ひょっとしてこれでしたかしら?」
「なっ!?」
俺が左手に持った、こいつの腰から取り上げておいたナイフを見せると、賊の頭目が固まった。
アホか、武器なんぞ持たせたままにしてある訳が無かろうが。
「さぁ、素直にお話しくださいな。 あなた、誰に雇われてこのような無謀なことをなさったんですの?」
「…………」
「素直にお話くだされば、殺すのは勘弁してあげましょう。 あとは……そうですわね、1億程度なら褒美をくれて差し上げても良ろしくてよ――いかが?」
「…………」
にっこりと愛想笑いを浮かべて質問してみたのだが、どうやら答えてくれるつもりは無いらしい。
ならばこちらも当初の予定通り行動するまで――長々と拷問して、こいつに付き合ってやるつもりは俺には無いのだ。
見えていない後ろを【気配察知】のスキルで探り、マリアを補足。
麻痺して眠っているマリアに【完全治癒】の魔法を使い、解毒してやる。
「ううん……」
解毒され目が覚めたっぽいマリアが眠そうな声を出したので、俺はそれに合わせて『思わず反応してしまいましたよ』的な風を装って、マリアのほうを向き賊の頭目を抑えていた右手をわざと緩める。
こちらの思惑通り、その隙に賊の頭目が逃げた。
教室の扉を素早く開け、捕まった野生動物が逃げるが如く、なりふり構わず飛び出し廊下の窓をブチ破って校舎の外へと飛び出した。
逃げた賊の気配が、学園の建物を外部から守っていた騎士たちを無事に突破したようだ。
突破できなかったら騎士たちの邪魔をしてやろうと思っていたのだが、どうやらその必要は無かったらしい。
ふふふ……よしよし、頑張って逃げろ。
頑張って逃げて、お前に今回のことを命じたクズ野郎のところまでの、道案内をするが良い。
教室の扉が開いて何者かが飛び出て行ったのを見て、廊下にいた騎士たちが騒ぎ始めた。
逃げた賊をすぐにでも追いたいが、とりあえずこの場をなんとかしてからにしよう。
俺は開かれた教室の扉から、胸を張り威を保ちながら廊下に出た。
「騎士の皆さま、ご安心なさいませ。 教室内はこのアタクシ、エリス・ハイエローが制圧しました」
廊下の騎士たちが『おぉ~』と、どよめく。
そしてイマイチ俺の言うことが信用できないのか、おそるおそるという感じで近づいて来た。
「あの~、エリス様? これはどうなってるんですか~?」
と、後ろからマリアの呑気な声が聞こえてきたので、『みんなを麻痺と睡眠の状態異常にしてありますので、治癒魔法で起こしてさしあげて――あぁ、間違って賊を起こさないでね』と、指示を出しておく。
マリアの治癒魔法はなかなかのものなので、任せても問題はあるまい━━ドジっ子さえ発動しなければ……。
マリアの呑気そうな声を耳にして、ようやく騎士たちが教室内へと入って行った。
だがハイエロー家の騎士たちは突入せずに、俺を護衛すべくこちらへ集まって来る。
丁度いいから、指示を出しておこう。
「ご苦労ですが、護衛はもう結構。 あなた方も教室に入り、賊を何人か確保しておきなさい――王家の調べは今一つ信用できません、ハイエロー家で賊を取り調べ背後関係を吐かせるのです」
「はっ!――お前たち、賊を確保せよ!」
今回俺に付いた護衛の騎士で一番偉い人が、部下に賊の確保を指示したのだが――イヤ、そうでなくてさ。
「あなたもお行きなさい」
「いや、ですがエリス様の護衛が……」
「アタクシは、まだすることがあるので護衛は結構」
「しかし……」
「いいから命令通りになさい」
「はぁ……」
しぶしぶと教室に入る最後の護衛の騎士を見て、ようやくこれで自由に動けるかと思ったら、まだ俺に用事のあるヤツが残っていた。
マルオくんである。
「エリス! 無事で良かった!」
心配してくれるのは有難いのだが、正直俺としてはそろそろ逃げた賊の頭目を追いたいので、悪いけど感動の場面は後回しにしてもらいたい。
「まぁ、心配はいらねーとは思ってたけどよ」
あー、そういやコレスもいたっけな。
そう言いつつ、少しは心配したんだろ? ありがとよ。
「コレスの言う通り、あの程度の賊などアタクシの敵ではありませんわ。 それよりクラスのみなさんのことをお願い致します――アタクシはこれから、逃げた賊を追わねばなりませんので」
そう言い残して俺は、【隠密】と【隠蔽】のスキルを発動し、賊の頭目がブチ破った窓から外へと飛んだ。
そして着地の寸前で【浮遊】のスキルを使って、フワリと着地。
非常事態ではあるが、外部から学園を守る騎士の配置はこんな時でも変更にならぬ仕様なので、いつもの俺の護衛である『クレシア』が配置されている場所へと出向き、屋敷にいるノットール父上さんへの伝言を頼んだ。
「クレシア」
「この声はエリス様! どちらに!?」
「父上に伝言を頼みます。 アタクシは背後にいる者を突き止めるため賊を追います、心配はご無用――夕食までには一旦戻る、と」
「エリス様!?」
「頼みましたよ」
クレシアに伝言を頼み、有無を言わさず賊の頭目の追跡を始める。
スキル【気配察知】をフル稼働だ。
教室でヤツの気配はちゃんと覚えた。
おそらくヤツも必死だろうが、そう簡単に逃げおおせると思うなよ。
俺の【気配察知】の有効範囲は、半径5kmにも及ぶのだ。
学園の敷地から出るころには賊の頭目の気配をあっさり見つけられたので、しっかりと後を追う。
逃がしはしない。
追いかけ、走りながら思う。
――着替えてくれば良かったな、と。
実は俺はまだ演劇の時の、王妃の衣装のままなのだ。
大きく広がった派手なスカートが、さっきから邪魔で仕方が無い。
動き辛さを我慢して追跡していると、賊の頭目の気配がとある屋敷へと入って行った。
この辺りは貴族の屋敷が並んでいる区域である。
はてさていったいどこの貴族が裏にいたのかな、と正面に移動して家名を確認してみたら――。
……あー、なるほどこいつだったか。
その屋敷は、テンバイヤー男爵家のものであった。
この野郎、我がハイエロー家にさんざん嫌がらせをするだけでは飽き足らず、直接俺の命まで狙って来るとはいい度胸してるじゃねーか。
俺の中のエリスの怒りが。グツグツと煮えたぎっているのが分かる。
安心しろエリス、俺だってこいつには頭に来ているのだ。
このままで済ますつもりは毛頭無いから、まだ我慢してろ。
…………
屋敷を取り囲んでいる壁を【吸着】のスキルを使って乗り越え、不法侵入を開始。
賊の頭目の気配のある、大きな建物までスルスルと近づく。
警備の騎士がウロついているが、【隠密】と【隠蔽】のスキルのおかげで全く気付かれてはいない。
建物まで辿り着いたので、賊の気配がする部屋の窓のすぐ下へ。
そのまま建物の壁に【吸着】のスキルで張り付き、ヤモリよろしく登って行く。
窓へと到着。
分厚いカーテンが掛かっているため中は見えないが、間違いなくこの中にヤツはいるはず。
つーか気配が2つあるので、誰かと会っているのだろう。
窓の中へと聞き耳を立てると、何やら会話が聞こえてきた。
「つまりハイエローを追い込むどころか、ハイエローの娘を殺すのにも失敗したというのか? あれだけこちらでお膳立てをしてやったにも関わらずにか?――この役立たずめが!」
「冗談じゃありやせんぜ! あんなもん、誰がやったって無理だ! それにあのハイエローの小娘があんな化けもんだなんて聞いちゃいねえ――話が違い過ぎやすぜ旦那!」
「ふんっ! 下手な言い訳を――それで、貴様以外の者はどうした?」
「わ、分からねえんすよ――逃げた時はみんなぶっ倒れてたんで――」
「それも分らんのか!?」
「だ、だがよ、あいつらにはあんたたちの事は教えてねえ。 知らねえんだから、拷問されようが何されようが、テンバイヤーの名前は絶対に出てこねえはずだ」
「ふむ……それは確かなのだろうな」
「あぁ、絶対だ」
そこで一旦、会話が途切れた。
賊の頭目と話している相手が、何やら思案しているのだろう。
「まぁ……良かろう。 とりあえずはこの屋敷でしばらく休むが良い、またそのうちに別な仕事を任せるゆえ次は失敗するなよ――与えた金の分は働いてもらうぞ」
「もちろん! 次は必ず役に立ってみせますぜ!」
「当たり前だ、払った金の分くらいは役に立ってもらわねば困る――おい誰か! こいつを部屋まで案内してやれ!」
部屋の外に控えていた2人の気配が部屋に入って来て、賊の頭目を間に挟んで部屋の外へと出て行った。
話をしていた何者かも部屋から出て行ったので、俺は建物の中へと入ることにする。
窓には鍵を掛けられていたので、【鍵開け】のスキルで開けて部屋の中へスルッと侵入。
廊下に出ようとノブに手を掛けたところで『ごぁっ……!』という声がして、どこぞの部屋に案内されているはずの賊の頭目の気配が消えた。
どうやら賊の頭目は、口封じをされたらしい。
馬鹿めが……悪辣な依頼をするような相手を、信用などするからだ。
今回の犯罪の証人にもなる賊の頭目を消されてしまったのは痛いが、俺としては法に基づいた手段でやり返すつもりは無いのでそれほど惜しくは無い。
だが一応、死体をどうするのかだけは確認しておこう。
賊の頭目と話していた相手も追いたいが、気配を覚えているので後回しでも大丈夫だろう。
部屋を出て、賊の頭目を案内していた気配を追う。
どうやら建物の外へと出るようだ。
外へ出ると程無く、前を歩いていた男が魔法で穴を掘り始めた。
そして後ろを歩いていた男が、担いでいた賊の頭目の死体を穴に放り込む。
あとは再び魔法で穴を埋め、死体の処理はどうやら終了のようである。
見た感じ男たちが手慣れた様子だったということは、死体の処理などはこの屋敷では珍しくも無いのだろう。
死体の場所は覚えた。
もしテンバイヤー男爵家に捜索が入るようなことがあれば、善意の情報提供者として場所を捜索する人たちに教えてあげることにしよう。
賊の頭目の死体の行方を確認したところで、今度は話をしていた相手の確認だ。
気配は先ほどの建物を出て、屋敷の本邸へと向かっている。
向かう先が分かったので、俺は先回りをして本邸へと侵入。
入ってくるであろう扉に目星を付け、素早く移動して目的の気配を待つ。
――来た。
入ってきたのは地味な服装の、初老のおっさん。
間違い無くテンバイヤー男爵本人とかでは無いな、たぶん家宰とかそんなんだろう。
念のため【吸着】のスキルで天井に張り付きながら、悪の家宰(仮称)を尾けていくと、やや大きな扉へと到着。
悪の家宰(仮称)が扉をノックし、部屋の中へと声を掛けた。
「ドレフト様、ご報告宜しいでしょうか」
ドレフト、ということは『ドレフト・テンバイヤー』か。
どうやら当代のテンバイヤー男爵その人の顔が、ようやく見られるようだ。
ドタドタと重そうな足音が、部屋の中から響いてきた。
さて、話にだけは聞いていたがどんなヤツなのか……。
「やったか!?」
扉を開け息を切らせて部屋から出てきたのは、いかにも高級そうなシルクのローブを身にまとった、大柄でブヨブヨとした醜悪な物体であった。
「残念ながら、仕損じましてございます」
「ぬうおあああぁぁぁ! なぜ仕損じたのだこの馬鹿者がぁ!」
部屋から出てきた醜悪なモノが、目の前の初老の男を殴った。
――なるほど、コレがテンバイヤー男爵か。
化粧をしているようだが微妙で、おっさんなんだかおばちゃんなんだか微妙なブサイクぶりである。
「雇った者が思いのほか無能だったようで、ハイエローの小娘にしてやられたようでございます」
「なんだとお! たかが小娘1人にやられたのか! ええい、その無能をここに連れてこい! わしが直々にブチ殺してくれるわ!」
なんだろう? 見ているだけでイライラが増す。
つーか直接手出しをしてきた賊なんかより、お前をブチ殺してーわ!
「申し訳ございません、既に処理を致しましてございます」
「勝手なことをするな馬鹿者ぉ!」
またテンバイヤーが、初老の男を殴った。
なんか腹が立つ、代わりに殴り返してやりたい。
「はぁはぁ……くそっ! どいつもこいつも役立たずばかりめが……。そうだ、今回使った役人たちはどうした? 役立たずの賊どもが学園内に入れるよう、受付として送り込んだ連中は?」
「そちらは事を起こす前に、念のために処理致しました」
「そっちもか!?――まぁいい、役人の手に落ちたらそちらのほうが面倒だからな。 そっちは良かろう」
なるほど……なんで賊が学園内に入れたのかと疑問だったが、受付の役人にテンバイヤーの手の者を送り込まれていたのか。
にしても実行犯は片っ端から使い捨てか……非道といえば非道だが、賢いやりかたでもある。
「それにしてもハイエローめ、領地が広いだけの蛮族のくせしおって何様のつもりだ! だいたいアレは盗人だぞ! わしの領地からごっそりと領民を盗むだけでは飽き足らず、今度は娘を王家に嫁がせて国を盗もうとしているのだ!」
何を好き勝手にほざいてやがるんだこの汚物は、妄想もいいかげんにしろ。
「それをどうして他の連中は理解しようとせんのだ! どいつもこいつも無能な馬鹿ばかり――いや、ハイエローが金をばら撒き、権力で脅しているのか……そうか、そうに違いない!」
それをやっているのはお前だろうが。
自分がそういう人間だから他人もそうするはず、とか思い込むのはやめれ。
…………
その後も延々と、ハイエロー家への妄想たくましい誹謗中傷は続いた。
俺が、よく飽きないものだと思いつつ『こいつをどうしてくれようか』などと考えていたら、テンバイヤーのクズ野郎がとんでもないことを言い出した。
「そうだ、良い手を考えたぞ! 今度はその王家に嫁がせようと画策している、ハイエローの娘を攫わせろ! そして『アキエムの森』へと連れて行き、裸にひん剥いてオークに犯させるのだ! そうだそれがいい――ふひひひひひ、そうすれば王子との婚約話など吹き飛ぶぞ! オークに犯された娘などを、妻にしたい者などおらぬからなぁ! ひひひ……うひひひひひひ」
このクズ野郎が!
俺の中のエリスがブチ切れた。
俺自身もカッとなったが、ギリギリのところで暴れずに踏みとどまる。
待て待てエリス、良いことを思いついたぞ。
だから一旦、落ち着け。
このやり方ならば、お前だって満足するはずだ。
だからしばし待て。
まだ、外は明るい。
深夜まで待とう。
俺たちの逆襲は、それからだ!
――――
― ハイエロー邸・自室 ―
夕飯を済ませ、俺は自室に戻って黒装束に着替えた。
この黒装束は、ハイエロー家の影の者である『カスミ』に用意させたものだ。
テンバイヤーの屋敷からとりあえず学園へと戻り、クラスのみんなの無事を確かめた俺は、マルオくんたちいつもの面子に『諸々のことは後日にお話いたしますわ』と伝えただけで、自邸へと帰った。
明らかにみんな不満そうな顔をしていたが、俺としては頭の中がテンバイヤー男爵への逆襲でいっぱいだったので勘弁して欲しい。
その辺のことは、後で謝ることにしよう。
友達なんだから、たぶん許してくれるはず。
屋敷へと帰ると、婚約を巡る政治的なあれやこれやのために王都に居っぱなしである、ノットール父上さんとのお話が待っていた。
さすがに父上さんに対しては『お話は後日』とは言えず、背後にいたのがテンバイヤー男爵だったことや、実行犯たちが既に始末されたことなどを話した。
もちろんノットール父上さんからも、ハイエロー家で確保した賊の正体が王都の裏社会の者だったことや、学園祭で受付をしていた役人が2人、ゴミ焼却場で死体となって見つかったなどを話してもらい、互いの情報をすり合わせている。
こちらの話を聞いて『テンバイヤーの糞外道め! 今度こそどんな手を使ってでも息の根を止めてやる!』などとノットール父上さんが激怒したが、そこは『此度ケンカを売られたのはアタクシです。 買う権利は父上ではなく、売られたアタクシにあるはずですわよ』と、権利を主張してやった。
それでもガタガタと文句を言ってきたので『これはエリスとして言っているのではない、女神ヨミセン様の使徒タロウとしての言葉である』と、今まで使うのを忘れていた設定を思い出して説得――これでなんとか逆襲する権利と許可を、無事にもぎ取ったのである。
その後もノットール父上さんはブツブツと何かを言っていたのだが、そこは無視だ。
娘が心配なのは分かるが、そこはエリスの中身であるチート持ちのおっさんに任せておくがよい。
支度も出来たので、そろそろ出発しよう。
出ていくのは、屋敷の入口では無く自室の窓だ。
南風が吹いている。
これからやろうとしていることには、良い具合の風だ。
月が邪魔だな。
闇で動くつもりで深夜にしたというのに、これではちと明るすぎる。
まぁいいさ。
月がこれから俺がすることを観たいというのならば、それも良かろう。
さぁ、始めようか――。
逆襲の時間だ。
――――
― テンバイヤーの屋敷 ―
既に1度侵入しているので、勝手知ったる他人の家。
俺はすぐにテンバイヤー男爵の気配を見つけ、建物の壁をよじ登り窓の鍵を開けて、スルリと部屋へと忍び込む。
どうやらテンバイヤーは、寝ているようだ。
つーか、ものすごーく豪快なイビキをかいているので、たぶん寝ているので間違いは無いはず。
本当は【毒球】の魔法で麻痺と睡眠の状態異常にして運び出す予定だったのだが、このイビキだと音がうるさいので誰かに気づかれそうな気がする。
【隠密】と【隠蔽】のスキルでは、運んでいる人間のイビキまでは消せないのだ。
そこで俺は、毒の種類を変えた。
この【毒球】という魔法は、ありとあらゆる毒を使い分けることができる便利魔法なのである。
今回使う毒は『石化』の毒。
石化しても死ぬ訳では無いので、こいつのイビキを止めるにはちょうど良かろう。
行け【毒球】!
どうせイビキの音に紛れて部屋の外にいる護衛になど聞こえないだろうが、一応無詠唱で毒を放つ。
みるみるうちにテンバイヤーのブヨブヨした肉体が、カチンコチンに石化していく。
着ている寝間着まで石化するのはどういう理屈なのだろう?
テンバイヤー男爵の石像が完成したので、用意していた黒い布で包んで肩に担ぐ。
危なくうっかり『どっこいしょ』とか言いそうになったが、なんとか我慢した。
さて、これから王都の外へと出るつもりなのだが――。
もちろん王都の中を石像を担いで、エッチラオッチラと歩くつもりなどは無い。
俺は【浮遊】のスキルを使いつつ、窓から飛び出す。
このままプカプカと風に流されながら、王都の外へと出るつもりなのだ。
都合の良いことに、今夜はやや強めの南風が吹いている。
これならば、さほど時間も掛からず王都の北門の向こう側へと出られるはずである。
…………
― アキエムの森 ―
テンバイヤー男爵の石像を担いで、王都の西にある『アキエムの森』へとやってきた。
王都から徒歩で3時間というさほど遠くないこの『アキエムの森』には、ゴブリンやオークが生息している。
これから俺はいったい何をやろうとしているのか――。
察しの良い人なら、たぶんお分かりだろう。
テンバイヤー男爵が俺に対してやろうと考えていたことを、そのままやり返してやろうというのだ。
森の少し奥へと入り、オークの気配を探してまずは近くまで移動。
ここでようやくテンバイヤー男爵の石像を肩から降ろして、包んでいた黒い布を引きはがす。
さぁ、石化を解いてやるぞ。
どんな反応をするかな……?
「【完全治癒】」
治癒魔法を掛けてやると、石化したテンバイヤー男爵がゆっくりと、元のブヨブヨした物体に戻って行く。
そして盛大なイビキの音が、森に響き渡った……。
呑気に寝てるんじゃねーよ。
まぁいい……それならそれで起こす前に、その辺の樹と足首をロープで繋いでおいてやろう。
ついでに手の方も縛っておこうか。
俺はストレージからロープを取り出し、電柱ほどの太さの樹とテンバイヤーの右足首をガッチリと結び付け、手は腹の側で縛ってやった。
これで良かろう――おら、起きろテンバイヤー。
「うぅ……む? なんだ?……ここは、どこだ?」
軽くつま先で頭を小突くと、ようやくテンバイヤーが目を覚ました。
「ここは『アキエムの森』ですわ――ようやくお目覚めですのね、テンバイヤー男爵」
「な、なんだ貴様は! なんでわしはここにいる!?」
悪いがそんな質問に答えるつもりは無いし、お前の困惑などどうでもいい。
つーか、身バレするような情報など教える訳が無かろう。
黒装束に黒の覆面を被って顔を隠しているようなヤツが、自分が何者かを名乗るとでも?
「そんなどうでもいいことよりも、これから自分がどうなるかを心配なされるほうがよろしくてよ?」
「な……なんだと!?――――まさか、わしを魔物に殺させる気か!?」
「そう簡単に死んでもらっては困りますわ――あなたにはこれから、もっと楽しい目に遭ってもらう予定ですのよ?」
「楽しい目だと!?」
俺はストレージから、ドリンク剤ほどの大きさのビンを取り出した。
以前にいた異世界で『ヤバいブツ』のアイテムスロットを回した時に手に入れた、『性転換薬』である。(※第41部分参照)
ちなみに――。
――――――――――――――――――――――――――
性転換薬
男女の性を転換する薬。
1回1本、瓶入り。
――――――――――――――――――――――――――
とまぁ、こんなブツだ。
性転換薬のビンの蓋を開け、テンバイヤーの髪を掴んで無理矢理上を向かせて、空いた口にビンの中の液体をブチ込み飲ませる。
「うご……うご……ぶはぁ……! なんだ!? わしに何を飲ませた!――毒か!?」
「まさか――そう簡単に死んでもらっては困ると言ったでしょう?」
飲ませたのは性転換薬なのだから、死ぬなどということは無い。
男から女になるから体型などは変わ――――あれ? あんまし変わらんな。
気持ち胸の辺りが膨らんだようには見えるのと、やや身長が縮んだくらいか?
あぁなるほど、これはアレだな――太った『おっさん』とか『おばちゃん』にたまたまありがちな、歳取ると性別が分かりにくくなるという例のアレだ。
つまり、おばちゃんみたいな見た目のおっさんであるテンバイヤーが、性転換薬によっておっさんみたいな見た目のおばちゃんになってしまったのだ。
もっと劇的に変化するかと期待していたので、ちょっと残念である。
【雌雄判別】のスキルというのを俺は持っているので、念のためスキルを使って確認してみる。
――ふむ、ちゃんとメスと出た。
性転換薬は、ちゃんと仕事をしたらしい。
当のテンバイヤーはというと、ポカンとしている。
どうやら自分の肉体に、何が起きたのかを分かっていないようだ。
このままではつまらんので、分からせてやろう。
俺はテンバイヤーの寝間着の下を、下着ごと一気に引き下ろした。
「な、なんじゃ何をする! はっ! まさか貴様、わしのアレを切り落とすつもりか!」
「なにを馬鹿なことを……そもそも切り落とす必要さえありませんわ――嘘だと思うのなら、確認してごらんなさいな」
「なに……!?」
テンバイヤーが縛られた両手を、自らの股間に伸ばし確認する。
何度も何度も、あるはずのモノを。
「ご理解いただけましたか? あなたが先ほどのんだのは『性転換薬』――あなたは『女』になったのです」
「な……まさかそんな!」
驚くのはまだ早い。
「あらあら、ずいぶんとおモテになりますのね? あなたの初めてのお相手が、群れを成してまいりましたよ?――ほら、もうすぐそこまで……」
俺が指さした森の一角には、股間を臨戦状態にした5匹のオークの群れ。
今宵の明るすぎる月のおかげで、ハイエロー男爵の目にも見えているはずだ。
「……あれは……オークか!?…………まさか!? 貴様まさか……!?」
ようやく自分がどうなるのかが理解できたか、そうだ、お前の想像通りだ。
だがこれ以上お前と長話をしてやる気は、俺には無い――どうやら来客たちも、我慢の限界らしいしな。
「ではアタクシはこれで――素敵な夜をお過ごしくださいな、テンバイヤー男爵様」
俺はテンバイヤーに背を向け、今までオークを押しとどめていた【威圧】のスキルを緩めてその場を去る。
背後の気配を察するに、オークたちがテンバイヤーに殺到しているようだ。
「やめろ豚ども! くそっ、ロープが解け――うぁ、やめ……うぎゃあああ!」
後ろからテンバイヤーの悲鳴が聞こえる。
綺麗な月夜だというのに、無粋なヤツだ。
これに懲りたら、少しは自らの行いを反省するがいい。
――まぁ、そんな殊勝なことはしないとは思うが。
…………
少し歩くとこんな時刻だというのに、たくさんの馬と人の気配がこちらへ来るのを感じた。
近づいてみると――。
「男爵様ー!」
「おられますかー!」
「見つかったか!?」
「こちらにはおられません!」
どうやらテンバイヤー男爵の、捜索隊のようだ。
出がけに『2~3時間したらテンバイヤー家に、男爵はアキエムの森にいるとの情報を流しておきなさい』と影の者のカスミに命じておいたので、その情報を信じて探しに来たのだろう。
ふむ、だいたい予定通りだ。
これでテンバイヤー男爵も、生きて救出されることだろう。
そうでなくては困る。
ヤツにはオークにアレやコレやされているところを、助けに来た家臣たちに目撃されるという恥辱を、たっぷりと味わってもらわねば。
それに当主であるテンバイヤー男爵が女になって戻ったとなれば、テンバイヤー家はややこしいことになるはず。
このアッカールド王国では、貴族位は男性しか継ぐことはできない。
テンバイヤー男爵が女になったとなれば、貴族位は誰かに譲らねばならなくなる。
そしてヤツには娘はいるが息子はまだいない。
となると誰がテンバイヤー男爵家を継ぐかで、親戚筋を巻き込んだ争いが起こるだろう。
テンバイヤー男爵が女になったことを隠し通すということも考えられるが、そんな事実をテンバイヤー男爵家の次期頭首を狙う者が放っておくはずも無い。
貴族の家というものは、身内筋であっても足を引っ張り合うものなのだ。
仮に隠しおおせたとしても、我がハイエロー家が暴く。
だいたいそんな面白そうなこと、ノットール父上さんが手を出さない訳が無い。
――とまぁ、テンバイヤー男爵を殺さなかったのはそんな感じの理由だ
こちらの思惑通りになるかどうかはまだ分からんが、間違いなく面白いことにはなるだろう。
俺は、悪い笑みを浮かべているのだろうな。
口の端が上がっているのが、自分でも分かる。
歓喜と愉悦が、俺の中のエリスとシンクロしている。
「オーッホッホッホッ! ざまぁですわ!」
人の気配が消えた森で、悪役令嬢の俺は高らかに笑った。
世界よ――。
これが悪役令嬢だ!
『転売屋にweb小説内で天誅を下そう企画』は、以上で終了となります。




