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マンモスの狩猟

 ― ミッツメの街・自宅前廊下 ―


「おーい、パネロまだかー」

 マリーカが待ちくたびれて、イライラと腕組みをしながらまだ部屋にいるパネロを呼んでいる。

 他の仲間たちも『またか』と呆れながら、半分は諦めた顔だ。


 きっとまたパネロは、鏡の前で頑張っているのだろう。

 あいつはいい意味でも悪い意味でも努力家だからなー。


 パネロがいったい何を頑張っているかと言うと――。


 それは『アホ毛』作りである。


 アホ毛……それは頭頂部あたりに、ぴょんと立ちあがってる毛のことである。

 なんでまたそんなことを? と思われるだろうが、それには一応それなりの理由があるのだ。

 その理由は、我が『黄金の絆』の他の女性陣の見た目に起因する。


 きっかけはクェンリーが『魔法少女の衣装』という防具を手に入れたことだ。

 おかげでクェンリーは、その良し悪しは別にして見た目がかなり個性的になった。


 他の女性陣も、元々けっこう目立つ。

 マリーカはビキニアーマーという露出の多い防具を装備しており、見事に割れた腹筋なども相まってかなり人目を引く。

 ノミジに至っては訛りや方言という個性はもちろん、普通にリアクションも大きかったりするので、やはりナチュラルに目立っていたりする。


 そこでパネロは思ったらしい。

 仲間たちに比べて、自分はキャラが地味なのではないか……と。


 そして考えた。


 性格的に常識人なので、個性的な言動を取るのは難しい。

 かと言って、戦闘などで派手な活躍ができるような役割とかでも無い。

 ならば、見た目で少しでも個性を出すしかないのではないか……と。


 そこで本人が考えて考えて、考え抜いた結果が『アホ毛を作ろう』というものだったらしい。

 ちなみにその発想自体がキャラ的に地味だということは、本人は気づいていない。


 俺としては本人に教えてやろうかなと思わないでも無かったが、却って面倒なことになりそうな気がしてしまったので止めておいた。

 むしろ頭頂部の毛髪に若干難がある俺にとっては物理的に無理な髪形であるアホ毛なので、ちょっと応援してあげようとか思ってもいたりするのは本人には内緒だ。


 パネロのアホ毛作りも終わり、ようやく俺たちはギルドへと向かうべく外へ出た。

 冬場ということで日の出の時間も遅く、朝の早い俺たち冒険者の始動時間はこの時期は夜明け前だ。


「積もってるだな、いつの間に雪が降ってただ?」

「昨日の深夜には降り始めてましたよ」

 そう、ノミジとパネロのセリフでもわかる通り、今は冬。

 しかも雪まつりができそうなくらいの真冬だ。


 ここミッツメの街は夏と冬の寒暖の差が激しく、夏は暑く冬は寒い。

 そんな地域なので冬場は採取の依頼などはほとんど無く、俺たちがここのところ受けているのは狩猟か討伐の依頼ばかりだ。

 ツギノ村では耐寒装備などは必要無かったので、もちろん俺たちはしっかりとこのミッツメの街で冬用装備を整えて、毎日の依頼をこなしている。


 冒険者ギルドに到着して扉を開けると、中からじんわりと温かい空気が漏れ出てきた。

 室内から暖気が抜けると中にいる皆の迷惑になるので、俺たちは左右の靴をコツコツとぶつけて足元にくっついた雪を落としてから、素早くギルドの中に入った。


 入り口付近は入ってきた奴らの履物にくっついていた雪が溶けて床が水浸しになっているので、滑らないように注意をしながら俺たちはギルドの喫茶スペースへ向かう。

 いつものように卵サンドとコーヒーを注文し、いつものテーブル席に座って、掲示板に今日の依頼が貼りだされるのを待つことにする。


 掲示板には、今現在も張られている依頼がけっこうある。

 しかしながら、張られているのはだいたいが海中での戦闘等を要する依頼で、今の時期はみんなやりたがらない依頼だ。

 (おか)での仕事で稼げるのなら、わざわざこの時期に海の中など誰も入りたくは無いのである。


「「「おはようございます!」」」

 と隣のテーブルから声を揃えて挨拶してきたのは、ナモカ・アスマ・ツバンキという3人組。

 俺たちがミッツメの街に来た初日にギルドの入口で出会い、その日に新人冒険者となった女1人男2人のパーティー『暁のカモメ』の3人である。


 地道に依頼をこなしてきた結果、今では彼らもいっぱしの『ランク:布』という下っ端冒険者となった。

 いっぱしの冒険者にはなったが未だに戦闘は苦手なようで、採取依頼の少ないこの時期は、依頼をこなすのになかなか苦労しているようだ。

 この3人組の下っ端冒険者は、アルスくんが先輩風を吹かして面倒を見続けた結果、すっかり俺たちに懐いている。


「アルス師匠! また僕に稽古つけて下さい!」

「ノミジ師匠、おいらにも稽古を――」

「パネロ師匠! あたしも――」

 彼らはそれぞれアスマくんがアルスくんに剣を。

 ツバンキくんがノミジに弓を。

 ナモカちゃんがパネロに回復魔法の効率良い使い方を教わっている。


 俺の知らん間に、いつの間にそんな師弟関係になっていたらしい。

 弟子としてはかなり熱心らしいのだが、まだまだ彼らの腕は実戦では心もとないらしく、アルスくんはまだゴブリンとの戦闘すら師匠として許可を出していない。

 なので彼らが相手にしているのはまだ、主に人間を襲わないようなウサギ系とか鳥系などの生き物ばかりである。


 そうこうしているうちに、ギルドの掲示板に今日の依頼が貼りだされた。

 ここにいる冒険者が一斉に掲示板へと向かうと混雑し過ぎて危険なので、このギルドでは暗黙の了解で、掲示板には1パーティーにつき1人だけ見に行けるということになっている。

 俺たちの代表は、もちろんアルスくんだ。


 少し温くなったコーヒーを、お代わりもせずチビチビ飲みながらアルスくんをしばし待つ……。


 戻ってきた――早いな。

 右手には依頼の紙がしっかりと握られている。


「何か面白そうな依頼でもあった?」

 アルスくんの戻りが速い時は、だいたい面白そうな依頼を見つけた時だ。


「そうなんですよ、見て下さいこれ! 季節限定ですよ!」

 アルスくんは限定という言葉に弱い。

 限定という宣伝文句を街中で見つけたら、ついつい立ち寄って確認しようとするくらいだ。


「だったら決まりだべ!」

 ノミジはもっと弱い。

 限定と名の付くものには、ついつい財布の紐が緩くなって良く衝動買いをしている。


 依頼の紙に書いてあったその季節限定の依頼とは、『マンモスの狩猟』というものだった。

 マンモスとは――という説明は特に不要だろう。

 巨大な牙と暖かそうな毛皮に覆われた、大きな象のような生き物――そう、あのマンモスである。


 ただし異世界マンモスの生態は、俺がいた世界のマンモスとはひと味違う。

 山岳地帯に住んでいるのだ。


 ミッツメの街の北西には、ヤタラタカイという標高3200mほどの山がある。

 マンモスは春から秋にかけては、そのヤタラタカイの標高の高い場所で暮らしている。


 しかしながら戦闘とは関係無く標高の高い山岳地帯は危険で、狩猟するマンモスの価値に比べると割に合わない。

 なので冬になると山頂部分の寒さがマンモスといえども厳しくなり、生活圏が麓の近くまで下がってくるのを狙って狩猟を行うのである。

 ちなみにマンモスそのものは、そんなに強くは無い。


 マンモスの狩猟で求められる素材は、その大きな牙だ。

 毛皮もそれなりの金額で取引されるのだが、分厚くてクセの強い毛皮なので品質の割に加工が難しく、取引価格もそれほど高くは無い。


 そんな訳で――。


 俺も『マンモスの狩猟』の依頼を受けるのに、異存は無い。

 というか、マンモス見たい。


 マンモスと恐竜は、漢のロマンなのだ!


 ――――


 ― ヤタラタカイ・山麓 ―


「それじゃ、頑張って」

「はい、アルス師匠!」

 アルスくんたちの弟子である冒険者パーティー『暁のカモメ』と別れ、俺たちは山麓からまだ上へと登る。

 彼らは今回『一角ウサギの狩猟』というう依頼を受けているので、麓での狩りだ。


「弟子が育っていくのって、なんか楽しいですよね!」

 イヤ、ちょっと待ってアルスくん。

 満面の笑みで俺にそんなこと言われても、弟子とか取ったことが無いから分らんのだが……。


「んだんだ」

「若い子の成長って、見てて楽しいですよね」

 ノミジとパネロもアルスくんに同意しているが、パネロの言うことなら理解できる。

 俺だってみんなの成長を見ているのが楽しいのだ。


 アルスくんとノミジとパネロが弟子談議に花を咲かせている。

 その歩みには全く疲れは見られない。

 あのー、ちょっと休みません?


 おじさん登りとかキツくて、もうヒザがミシミシと音を立ててるんですけど……。


 …………


 休憩をさせてもらっていると、【気配察知】にかなりでかい獣の気配が引っかかった。

 全部で5頭。

 おそらくこれがマンモスの気配だろう。


 みんなに気配のことを伝え、まだ距離はあるが『無限のアイテムストレージ』から武器を取り出し、戦闘準備を――。


「あの……タロウさん? なんでそんな物を?」

 アルスくんが俺の手に持った武器を見て、『何考えてんの?』的な疑問を持ったようだ。


 俺が右手に持っていたその武器は『石斧』

 武器スロットで引いた、黒曜石を木の棒に括り付けただけの原始的な武器だ。

 ツギノ村のギルドに置いといて『ご自由にお使いください』と張り紙して置いたら、邪魔だから持って帰れとギルマスのオタカ婆に怒られたという素晴らしい一品である。


 ……何か問題でも?


 イヤ、だって、ほら……マンモスと戦うって言ったら、やっぱ石槍か石斧じゃん!

 昔のアニメでもそんなの見たし!

 やってみたいじゃん!


 みんなに真面目にやれと言われて、石斧で戦うことは諦めた。

 これはこれでロマンだったのだが……。


 …………


 マンモス5頭が目視できる距離になった。

 いよいよ、今度こそ本当に戦闘準備である。


 俺は愛剣である悪魔の短剣に麻痺毒を塗り、気配を消してマンモスに近づく。

 雪に残された足跡は、【隠蔽】のスキルによって誤魔化せている。

 スキルって便利♪


 ちなみに麻痺毒は、小瓶に小分けしてノミジにも渡してある。

 ノミジは毒の扱いも少しずつ覚えているのだ。


 戦闘の先陣はクェンリーの魔法だ。

 ダメージを与えるのでは無く、5頭いるマンモスの群れを分断するのが目的である。

 依頼されているのは、2頭分のマンモスの牙と毛皮――それ以外のマンモスは倒す必要は無い。


 クェンリーの風魔法が積もった雪を巻き上げ、マンモスたちが驚いて逃げようとする。

 これで分断は完了。

 この隙に2頭をアルスくんが狩る予定だ。


 俺とノミジが、狩る予定では無いマンモスを攻撃する。

 もちろん麻痺毒を使ってである。

 無益な殺生はしたくないので――ということでは無く、資源保護のためギルドに殺すなと言われているのだ。


 襲い掛かるアルスくん。

 長い鼻を振り回し、反撃しようとするマンモス。

 戦いはあっさりと終わり、俺たちは2頭のマンモスの狩猟を無事に終えた。


 麻痺して動けなくなったマンモス3頭はそのまま放置しておき、狩ったマンモスはアイテム袋に収納。


 俺たちは無事に依頼を終えて――。


 ヤタラタカイという冬山から、下山したのであった。


 ――――


 ― ミッツメの街のちょい外 ―


「どんな味なんですかね?」

「せめて細かく切りませんか?」

「んだな、おらもちゃんと料理したほうがいいと思うべ」

「でもこうやって豪快に焼くのも、悪く無いんじゃねーか?」

「でもこれ、豪快過ぎるでしょ」


 だいたい想像がつくと思うが、今俺は肉を焼いている。

 焼いているのはもちろん、マンモスの肉だ。

 野外で焼いているのは、自宅で焼くには大きさ的に無理があるからである。


 マンモスの肉と言えば、あの真ん中に骨がブッ刺さったデカい肉――もしくは木の切り株と見まごうような、輪切りっぽい肉だろう。

 真ん中に骨がある肉は、あの見た目になるように切り分けようとしても難易度が高かったので、アルスくんにマンモスの足を輪切りにしてもらって、その輪切り肉を現在クェンリーの火魔法によってじっくりと焼いてもらっている。


 味付けはシンプルに塩と胡椒。

 本当は塩だけにしてみたいという気持ちもあったのだが若干の臭みがあったので、そこはちょっとだけ香辛料のお世話になってみた。


 もうそろそろかな?


 いい感じに焼けたので、いざ実食!

 美味そうなところをひと口大に切り分けて、口の中に放り込んでみる。

 ふむふむ……これは……。


 硬いな。

 肉そのものもしっかりしていて、細かい筋が多い感じ。

 味的にはたんぱくで、特に美味いという感じでも無いがマズいというほどでも無い。


 うむ、ステーキで食べる肉では無いな。

 食べるなら薄切りか挽き肉のほうが良さそうだ。

 つーか硬い。


 みんなも焼きあがったマンモスの肉を口にしているが、やはり微妙な顔をしている。

 クェンリーが薄く切り分けてから食べるようにしたら、みんな真似しだしたし……。

 しまったな……俺もそうすれば良かった。


 ぶっちゃけ輪切りのマンモス肉にテンションが上がっていたので、けっこうデカい肉を口に入れちゃったんだよなー。

 おかげでさっきから咀嚼が進まぬ……。


 パキッ


 ……!

 なんか今、口の中でヤバい音がしたぞ!

 まさか……!


 俺は咀嚼していたマンモス肉を、慌てて口から出す。

 汚いとか言うな、緊急事態なのだ!


 口から出した肉を皿に乗せ、箸で肉をひっくり返しながらチェックする。

 ――あった。

 白くて硬くて小さな物体――俺の歯だ。


 まいったなー。

 歯に無理をさせないように、気を付けてたんだけどなー。

 良く見ると、折れた歯の根元のほうが少し虫歯になってたし……。

 こんな歯の状態で堅い肉噛んだら、そりゃ折れるわな。


 虫歯にならないように毎日ハブラシ草の茎に塩着けて磨いてたんだけど、やっぱ慣れない道具だと磨き切れて無かったのだろう。

 この分だと、他にも虫歯があるかもしれない。


「うわー、歯が折れたのかよ!」

 隣にいたマリーカが、俺の様子を見て歯が折れたのを察したようだ。


「この肉、かったいもんねー」

「おらの歯は丈夫だから問題ねーだ」

「僕もこれくらいなら問題ないですね」

 と、仲間たち。


 若いと歯も丈夫なのかね?

 つーか、誰か俺の心配とかしてくれる奴はおらんのか……。


 そんな感じで黄昏ていると、パネロが不思議そうに俺に尋ねてきた。

「治さないんですか?」

 治す? 何を言ってるのかなパネロさん?

 俺は歯医者では無いのだが……。


 何言ってるか良く分からないという俺の顔を見て、パネロが俺の知らなかった知識を教えてくれた。

「おっさんさんの極めた【回復】の魔法なら、新しい歯が生えてきますよ」

「そうなの!?」

「そうですよ――高度な回復魔法なら部位欠損も治せるのは、おっさんさんだって知ってるじゃないですか」

 イヤ、部位欠損が治せるのは知ってたけど、それが歯にまで適用されるとは知らんかったし……。


 ふむ、そうと分かれば試しにやってみよう。

 どうせやるなら、回復魔法の最上位魔法だ。


「【完全回復(オメガヒール)】!」

 口の中が聖なる癒しの力で満たされていく。

 なんか歯が折れたとこの辺りがムズムズして――あれ? 何か違う場所もムズムズするぞ?

 そっか、部分入れ歯にしてたとこか……。


 やがて折れた歯の根っこの部分とか部分入れ歯が、口の中の異物として舌にぶつかってきた。

 俺はペッとその異物を吐き出す。

 で、舌で歯をチェック――うわー、マジで生えてるよ……。

 あとついでに口内炎も直ってる。


 今更だけど、やっぱ魔法すげー。

 だけど【状態異常:老化】は治せないんだなこれが。


 ちなみにこれも今更だが【状態異常:老化】の治療方法は、さすがにこのファンタジー異世界でも無い。

 まぁ治療出来たらみんな不老になってしまって、殺されない限り死ななくなってしまうからな。


 にしても回復魔法で歯が生えてくるとは、全く知らんかったなー。

 でもこれで今後、虫歯の心配は無くなった訳だ。


 待てよ? 歯が生えるんだから、もしかして……?

 俺はもう1度【完全回復(オメガヒール)】の魔法を、今度は頭頂部へと――。


「生えませんよ」

 パネロに冷たく言い放たれてしまった……。

 へ? そうなの?


「で、でもさ、歯は新しいのが生えるんだから――」

「回復魔法では、髪は生えないんですよ」

 聞くと薄毛の類は【状態異常:老化】の症状であるがゆえに、回復魔法では治らないのだそうだ。


 うむ、何かそんな気はしてた。

 その辺にハゲの人とか、たくさんいるもんね。

 治療できるなら、そんな人が街の中にたくさんいるはずないもんね。


 俺の微かな望みは失われた。

 まぁ、仕方ない。

 アレだ、人間諦めなければならない物もあるということだ。


 そう、諦めるべきは諦める。

 切り替えは大事だ。


 なのでマンモス肉は廃棄して、無かったことにしよう。


 晩メシはそうだな――タラの鍋にでもすっか。


 ――――


 ― 自宅・夜 ―


 肉のほうは納得いかない結果となったが、俺にはもう1つマンモスから手に入れた物があった。

 マンモスの牙である。


 もちろん牙を1本丸ごとなどでは無い。

 納品した4本の牙のうち、最も巨大だった物の根本5cmをちょろまかし――じゃなくて、無断で分けてもらっていたのだ。


 これをどうするかというと、もちろん印鑑を掘るのである。

 象牙の印鑑とか、やっぱ持ってみたいじゃん。


 この世界には印鑑などという文化は無いので、もちろん印鑑を掘る職人さんなどはいない。

 なので、頑張って自分で掘ってみようと思っている。

 実際に使う機会とかは無い物だし、どうせ誰に見せる訳でも無いのだから、ちょっと自分で掘ってみたいと思ってしまったのだ。


 ちなみに丸い棒状にするところまでは、石に彫刻をする職人さんに頼んでやってもらっている。

 けっこう日にちがかかるかなと思っていたのだが、ものの2時間で加工してくれた。

 魔法的な加工方法を使っているとかもあるのかもしれないが、随分と早いものである。


 もちろん印鑑を掘るための、彫刻刀のような道具類も購入済みだ。

 これは普通に道具屋で売っていたので、それなりに良い品を買ってきた。


 象牙は外側のほうがキメが荒く品質が悪いらしいので、まずは練習用にそちらを使う。

 というか、しばらくは練習だ。


 棒状に加工した象牙の掘る面に、トレーシングペーパーほどでは無いが透けて見える紙を押し付けて掘る面の輪郭をかたどる。

 そして透けて見える紙を一旦外して、輪郭の中に自分の苗字である『有江内(ありえない)』の3文字を細い筆を使って縦に書く――難しいな、これ……。


 あ、なんか文字が歪んだし。

 これは字を書く練習もしたほうが良さそうだなー。

 まぁいいや、どうせ練習だしこの歪んだ文字のままやってしまおう。


 あとは苗字を書いた紙を裏返して掘る面に貼り付け、輪郭と裏返しになって透けて見える文字の部分を残して掘るという作業だ。

 ――うむ、やはりこれは難しい。


 手先は器用なはずなんだけどなー。

 パラメータの『器用さ』の数値もかなり高いはずだし。

 どんなに器用でも、やっぱ練習しないとダメってことだねー。


 とりあえず最後まで掘ってみた。

 あっちこっちガタガタだし、ところどころ文字の部分まで削れてる。

 うむ、これは印鑑としては使い物にならんな。


 掘った部分を良く切れる悪魔の短剣でスパッと平らになるよう切り落とし、再び挑戦というか練習だ。

 つーか練習するなら、もっと単純な文字のほうがいいのかな?

 そもそも『有江内(ありえない)』という3文字のハンコを掘るとか、初心者には難しいと思うし。


 そうだね、最初はもっと簡単な文字で練習してみよう。

 どんな文字がいいかな?

 画数のそんなに多くなくて、できれば真っ直ぐな線でできた文字。


 どうせならちゃんとした、実在する苗字のほうがいいな……。

 ふむ……よし、決めた。


 練習用のハンコに掘る文字は――。


 とりあえず『田中』にしようっと。

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