巨大熊猫の討伐
討伐編です。
― 河原 ―
「ここで痕跡が追えなくなってるんですよね」
痕跡を辿るのは得意なはずのアルスくんだが、昨日取り逃がした手負いの巨大熊猫の痕跡を、この川を境に見失った。
この川は上流に位置する割には水量が多く、けっこう深いくて広い。
「川を泳いで逃げたんだろうけんども――はて、どっちに逃げたんだべ?」
ノミジが迷っているが、これは仕方が無いだろう。
巨大熊猫の痕跡は川で途絶え、ここいらの対岸には上陸した痕跡は無い。
となると川を上流か下流に向かって泳いで渡ったのだと考えられるが、泳いだとなるとしばらくは痕跡は残らない。
ここは上流か下流、とりあえずどちらかを選んで行ってみるしか無さそうだ。
「タロウさん、ちょっと潜ってみてくれませんか?」
潜る? と言われても俺は泳げな――そういや泳げたな。
俺は【水中戦闘】というスキルを得て、泳ぎも潜水も自由自在になったのを忘れていた。
「ふむ、そうだね――物は試しだ、潜ってみるか」
俺は思い切って川にダイブした。
川の中に危険な生き物がいないとは限らないので、もちろん防具は着けたままで潜る。
まずは川上に向かって水中を移動。
流れに逆らうので疲れる川上方向を先にして、流されるだけで進める川下はあとで調べることにしたのだ。
ちなみに今日は川なので、沼の時とは違って目を開けて泳いでいる。
川の中には魚くらいしか泳いでいない。
その魚もこちらへ向かって来る様子は無い、どうやら危険な生き物はこの辺の川の中にはいないようだ。
何か無いかとあちこち見ながら泳いでいると、川底に爪痕のついた大きな石を見つけた。
これはもしかして?
俺1人で判断すると間違うかもしれないので、爪痕のついた石をよっこいせと持って岸へと上がる。
「アルスくん、これってどう思う?」
痕跡を見極めることに関してはアルスくんに任せればいい。
俺が判断するより、よっぽど間違いは無い。
ふむふむとアルスくんが何やら頷きながら、爪痕のついた石を眺めて言った。
「巨大熊猫の爪痕で間違いないようですね。新しいようですし、きっと当たりですよ」
アルスくんの判断は出た。
巨大熊猫は上流へと逃げたようだ。
…………
俺たちは巨大熊猫が岸に上がった痕跡を探しながら、上流へと向かうことにした。
そう上流に行かないうちに痕跡はあり、今はその痕跡を追跡中である。
「あ、ちょっと待ってて」
「どうしたんです? タロウさん」
追跡中に笹が生えていたのを見つけたので、いくらかアイテム袋へ入れておく。
「ちょっとこれで【真・餌付け】のスキルを試してみようかな? と思ってさ」
「巨大熊猫を餌付けするんですか?」
アルスくんが驚いたように聞いてきた。
「えー、あんなおっきいのいらないですよー」
「そうだよ! それにあいつ黒焦げで可愛く無いじゃん!」
ついでに俺とアルスくんのやりとりを聞いていたパネロとマリーカが、俺に抗議してきた。
「イヤ、ただスキルを試してみるだけだからね。別にペットにするつもりは無いから」
仮に使役できたとしてもそのまま巨大熊猫をペットにする気は無い。
今回はあくまでスキルを試すだけ、使役できても解放して野に放つつもりなのだ。
「だったら子狼を!」
「だったら小虎を!」
パネロとマリーカが各々ペットにしたい生き物を主張している。
結局そこに話が行くのな。
そんなに子狼や小虎をペットにしたいのかね?
「2人とも、今はそんなこと言ってる場合でねーべ! 巨大熊猫を探すのが先だべ!」
そうそう、ノミジの言う通りだ。
今は巨大熊猫を――。
「それにペットにするなら、鷹がいいべ!」
ノミジよ……お前もか……。
パネロとマリーカとノミジの間で、ペットをどうするかの不毛な議論が始まった。
言っておくが、今のところどれもペットにする予定は無いぞ。
つーか、ペットにできるかどうかをこれから試してみるんだからな。
…………
俺の【気配察知】が巨大熊猫の気配を捉えたので、痕跡を追うのを止めて気配の方向へと俺たちは移動。
ツギノ村の周辺では珍しい岩場に、そいつはいた。
全身の毛が黒く焦げ、モコモコ感がまるで無くなった巨大なパンダ。
昨日逃げられた巨大熊猫である。
こうして改めて眺めてみると、焼け焦げたのはほぼ毛だけだったようで、皮膚はところどころ火傷があるだけのように見える。
火傷の度合いがそれほど酷くなかったおかげで、痕跡を見失うほどの長距離を逃げられたのだろう。
ギュオォォ!
巨大熊猫がこちらに気付いたらしく、威嚇してきた。
てっきりまた逃げられるかもしれないと身構えていたので、いささか拍子抜けである。
こちらの戦力なら負けることはまず無いので、向こうから戦いを挑んでくるのであればむしろ楽だ。
だが俺には戦う前にやるべきことがある。
【真・餌付け】のスキルの検証だ。
俺は巨大熊猫を刺激せぬよう、ゆっくりと近づいて行った。
もちろん1人ではなく、マリーカに護衛をしてもらいながら近づいてるのは言うまでも無い。
キュギュオォォ!
近づいていくと、また巨大熊猫がこちらを威嚇してきた。
どうやら、これ以上近づくなという意思表示のようだ。
そこそこ近づけたので、【真・餌付け】のスキル検証すべくアイテム袋から笹を取り出す。
量としてはせいぜい大きめの籠1つ分くらいの笹を、その場に置いて下がる。
下がって下がって、みんなの場所まで戻った。
笹を置いた場所は、ちょうど俺たちと巨大熊猫の中間地点というところだ
ふむ、なかなか巨大熊猫が笹を食べに来ないな。
この辺には笹なんか生えて無いし、間違いなく腹は空いてると思うのだが……。
もう少し離れたほうがいいのかな?
もう20mほど後ろに下がったところで、ようやく巨大熊猫が笹に向かって歩き出した。
当然だが、こちらを警戒したままである。
ゆっくりとこちらに近づき、笹のところまできて止まる。
しかし匂いを嗅ぐだけで、食べる気配が無い。
どうやら空腹と警戒がせめぎ合っているらしい。
「食べませんね」
なかなか笹を食べない巨大熊猫に、アルスくんが待ちくたびれてきたようだ。
「まぁ、ここはのんびりと待とうよ」
俺はアイテム袋から魔道具――魔道コンロを取り出し、鍋に【水鉄砲】で水を入れて沸かし始める。
魔道コンロは高価な品だが、俺もけっこう稼げるようになったので購入してみた。
雨の日や燃やす木切れの無い場所でも使えるので、けっこう重宝している。
さて、巨大熊猫だが――。
そう簡単に笹を食べてはくれることは無いだろうが、足を止めて警戒しながらでも匂いを嗅いでいるのだ、食べようというつもりがあることは間違いはあるまい。
あとはこちらが空気になってしまえば、巨大熊猫の意識がより多く笹に向くことになって、食べてくれるような気がする。
なるべく刺激臭がしないように香りの少ない茶葉で茶を沸かし、みんなで飲む。
茶菓子はデンプン煎餅。
ツギノ村で作られた物で、口の中の水分が持っていかれる素朴な味だ。
警戒されぬよう巨大熊猫のほうをなるべく見ずに、のんびり茶を楽しむ。
俺の【気配察知】でどんな様子かは分かるので、見なくても問題は無いのだ。
やがて、もしゃもしゃと咀嚼音が聞こえてきた。
巨大熊猫が笹を食べ始めた音だ。
ふっふっふっ……我が事成れり!
俺は立ち上がって巨大熊猫へと向かって歩いていく――今度は1人で。
先程より近づいたはずなのだが、こちらを威嚇してくるようなことも無く巨大熊猫は笹を食べ続けている。
もうちょっと近づいてみよう――ふむ、大丈夫なようだ。
「どうだ? 美味いか?」
思い切って声を掛けてみた。
巨大熊猫はこちらをチラ見しただけで、そのまま笹を食べ続けている。
おいおい、【真・餌付け】のスキルの効果で必ず友好度を上げられるんじゃ無かったのか?
とか思ったのだが、よくよく考えてみたらこちらを威嚇して襲い掛かろうとしていた相手が、近づいても気にしない程度になったのだから、友好度は上がっているのだろう。
もっと近づいてみよう。
すぐそばまで近づいても問題は無いようだ。
ちょっと触ってみる――触れた、毛がコゲているのでゴワゴワだ。
キュオ?
巨大熊猫がこっちを見た、なんか用か? みたいな態度である。
「あぁ、すまんすまん。ちょっと触ってみたかっただけだ、気にせず食べてくれ」
キュ、と短く鳴いて、巨大熊猫が食事に戻った。
すげーな、さっきまでこっちを威嚇していた生き物とは思えん。
ふむ、試してみようか……。
俺は笹を手に取って、巨大熊猫の口元へと近づけてみた。
もしゃもしゃと、俺の手から笹を食べる巨大熊猫。
バンダに餌やりか……。
動物園で鹿とかキリンには餌をやったことはあるけど、パンダは初めてだなー。
巨大熊猫が笹を食べ終わった。
満足げな様子だったので、鼻面を撫でてみる。
嫌がらない――というより、喜んでいる気がする。
「タロウさん、上手くいったんで――」
キュオオォ!
巨大熊猫が、近づいてきたアルスくんを威嚇した。
「待て待て待て、落ち着け! 戦うために近づいて来たんじゃ無い! 落ち着け!」
なんとか宥めようとしてみたが、こちらの言うことを聞く気配は無い。
俺と友好的になったのは確かなはずだが、命令は聞いてくれないようだ。
これは使役とは程遠いみたいだな……。
ついに巨大熊猫がアルスくんに襲い掛かった。
「待て!」
俺の言葉はもう巨大熊猫には届かなくなっていた……。
「タロウさん倒します! 構いませんね!」
「あぁ、アルスくん……頼む」
アルスくんと巨大熊猫の戦いが始まった。
しかしながら巨大熊猫の攻撃は、昨日の時点でアルスくんに全て見切られている。
戦いは一方的な展開となり――。
実にあっさりとアルスくんの勝利に終わった。
巨大熊猫が死んでいる。
さっきまで俺の手から餌を食べていた巨大熊猫はもう動かなくなり、冒険者が持ち帰るべき素材となった。
肉は食えるし、内臓は強壮剤の材料となる。
本来なら毛皮が最も高価な素材となるはずなのだが、それは黒焦げになったので売り物にはならない。
「あの……タロウさん」
「ん?」
「なんか、すみません」
アルスくんが何故だか俺に謝ってきた――そうか、俺ってばそんなに落ち込んでるように見えたのか。
「イヤ、アルスくんに謝られることじゃ無いし――にしてもやっぱし、そう上手くは行かなかったかー」
俺はわざと明るく、頭を掻いてみせた――あれ? なんか頭がモコモコ……。
あぁそういや俺、アフロの……頭防具を着けていたんだっけ。
着け心地が自然過ぎて忘れてたよ。
何にしても、これで【真・餌付け】のスキルでは友好度は上がっても使役はできないことが分かった。
俺の『魔物使役士』へのクラスチェンジ計画は、頓挫したのである。
まぁ、いいけどね。
上手く行ってたらそれはそれで――。
子狼とか小虎とか鷹を飼うような、面倒なことになってただろうし。
――――
― 夜・ツギノ村の広場 ―
村に戻ると、宴会の準備が整っていた。
昨日取り逃がした巨大熊猫が、無事討伐されたお祝い――などというものでは無い。
今日は俺の誕生日なのだ。
実は朝から、ちょっと楽しみにしていた。
照れ隠しに『いやぁ、すっかり忘れてたよ』などと忘れていたふりをするつもりも無く、素直にみんなに祝ってもらうのだ。
「誕生日おめでとう」
「おめでとうございます!」
「おめでとう」
会う人会う人みんなに、口々におめでとうと言われる。
誕生日を祝ってもらうのは、十数年ぶりくらいだろうか?
しばらく前……いいかげんおっさんをこじらしていた頃は、『誕生日なんて、もうこの歳になったらめでたくねーよ』とか『また1年死に近づいたのに、どこがめでてーんだよ』などと思っていたが、今は違う。
『誕生日』という日の解釈を変えてみたら、再び誕生日がめでたくなったのだ。
どのように解釈を変えたのか――。
それはこうである。
普通は誕生日というのは『また1つ歳を取った』という記念日である。
しかし俺は、誕生日とは『また1つ歳を取った』という日では無く、『また1年無事に生き続けることができた』という節目の日として考えるようにしたのだ。
俺の年齢だと、こっちの解釈のほうがしっくりくる――素直に『おめでとう』という言葉を受け入れることができる。
こうして俺の誕生日は、再びめでたくなったのである。
実際この年齢になると、自分にいつ何が起きるか分らんからね。
1年間、無事に何事も無く過ごすことが出来たら、それはマジでめでたいのですよ。
そんな訳で、俺はみんなにおめでとうと言われて素直に喜んでいる。
『黄金の絆』の仲間たちにもらったプレゼントも素直に――喜べんな。
イヤ、プレゼントとしてもらったミスリル合金の調理道具一式――これは嬉しいんだが、その裏にある『これからもご飯を作ってね』という意図がなんかムカつく。
お前ら、これからも俺に飯を作らせ続ける気でいやがるのか……。
俺はお前らのオカンか!
……まぁ、もらっとくけどさ。
あともう1つ微妙なのが、今日のメインディッシュ――巨大熊猫の肉である。
この肉は、俺の手から笹を食べたパンダの肉なんだよなー。
可愛がってた家畜をドナドナして肉を食べる気分って、こんななんだろーか?
うむ、これも供養だと思って食べることにしよう。
草食動物な巨大熊猫の肉は、熊なんかの肉とは違って臭みは少なかった。
ちょっと歯ごたえはあるが、味は悪く無い。
脂は時期的に春先だからなのか少なく、旨味は案外しっかりしている。
腹いっぱいになるまで食って、供養はおしまい。
俺の誕生日もおしまい。
あとは家に帰って寝るだけだ。
あ、でも寝る前にアフロの手入れもしないとなー。
ツギノ村の周辺は森林地帯ばかりなので、依頼を終えて帰ってくるとアフロの中が大変なことになっている時があるのだ。
枯れ葉が入っていたり――。
小枝が入っていたり――。
虫が入っていたり――。
ずいぶん近いとこで鳥が鳴いてるなーとか思ったら、アフロの中に小鳥が入っていたということもあった。
そんなんなので、アフロの手入れは小まめにせねばならないのである。
【真・餌付け】のスキルを手に入れてしまったから、いつもより念入りに手入れをする。
それはそうだろう。
間違ってアフロの中に鳥の餌になるようなものが残っていたら、アフロに潜った小鳥が俺に餌付けされてしまうのだ。
それはそれで可愛いとは思うが――。
頭の上が小鳥の巣になってしまうのは、さすがに何かイヤなのだ。




