5話 「願いを叶える」
……何してたんだっけ。
意識を取り戻した時、私の視界に入ったのは病室の天井。そして、私を覗き込む医者の顔だった。
「アイネさん、起きたかな?」
私が起きたのに気が付いたらしく声をかけてくる。
「……私は」
ソラとイチゴショートケーキを食べていたところまでは記憶があるのだが……それより後の記憶が全くない。
「アイネさんは気を失って、湖のところで倒れていたんだ。用事があって湖へ行ったらたまたま発見したんだけど、幸運だったね。あのままだったら君はずっと危なかった」
医者は笑い話してくれた。
「ところで、あの男は誰だったのかね?」
それを聞き私は焦る。ソラのことを言っているとすぐに分かったからだ。
「彼に何かされたりしなかったかい?男といたらしいと聞いて伯母さんも心配していたよ」
「……金髪の?」
医者は静かに頷いた。
「倒れている君をじっと見ていたんだ。近付くなと言ってやると、すぐにその場を去ったよ。身形も怪しかったし、あんな不審者が今どきいるんだねぇ」
不審者なんかじゃない!……そう言ってやりたかったが、そこまで気力はなかった。
「とにかく、しばらくの間は外出禁止だ。いいね?」
こんなことって……。外出禁止にされてはソラに会えなくなってしまう。折角手に入れた幸せを、私はまた手放さなくてはならないのか。そんなの絶対に嫌だ。でも……どうすればいいかも分からない。私は絶望にさいなまれた。
それからというもの、私は毎晩のように悲しみに襲われた。
ソラと一緒にいられたのはほんの少しの時間だったのに、何度も何度も思い出す。思い出して寂しくなり、涙が流れた。あんなに近くにいたのに。やっと少し仲良くなってこられたというのに。
大好きなお気に入りの本も今は悲しみを拭ってはくれない。二人で本を読んだあの時の記憶が鮮明に蘇り辛くなる。
「……どうして」
夜中の病室で、私は寂しさのあまり呟いた。
こんな病気でさえなければ——
「どこへだって行けるのに」
分かってる。いくら泣いたって何の意味もないことぐらい。だけど、一人は辛い。幸せを知ってしまうと、もう昔には戻れないのね。
それから数日が経った満月の日の真夜中。
「……ネ、アイネ」
私の名を呼ぶ小さな声で目を覚ました。伯母か医者かと思ったが声が違う。それに、頬に何かが触れている。
目を開け焦点が合った時、私は驚きのあまり気絶しそうになった。
「ソラ!?」
間違いない。目の前に立っている青年はソラだ。この金髪、金色の衣装、そして青緑の瞳。
「どうしたの!?というか、何でここにっ!?」
混乱して騒いでいると、彼が人差し指を私の口に当てる。私は自然に言葉を飲んだ。
「騒がないで。見つかると厄介なんだ」
「そ、そうね……」
その頃になって私はようやく落ち着いてきた。だが、電気は消え月明かりだけの病室の中でソラと二人きり。今度は別の意味で胸の鼓動が速くなる。
「でもどうして。どうしてここへ来られたの?」
すると彼は片口角を微かに上げるいつもの笑みを浮かべた。
「この前君が倒れた時だよ。助けにきた人がさ、医者だって言ってた。この村で病院といえばここしかないからね。前にも言ったはずだよ。僕、何でも出来るんだって」
「そうだったの……。その、ごめんなさい。その人、ソラに酷いこと言わなかった?」
医者はソラのことを良く思っていない感じだった。
「あんなの気にしてないよ。僕はこんな外見だし、いつも人間には珍しがられるんだ」
それはまぁ、一般人には見えないだろう。
「ならいいの。……ソラ。ずっと会いたかったわ」
涙で視界が滲んでくる。駄目だ、泣くなんて。今は泣いてる場合じゃないのに。
「泣いているのかい?」
ソラは片手で髪を耳にかけながら不思議そうな顔をする。
「君って変わってるよね」
流れ出る涙を袖で拭い、すぐに彼の方を向く。
「えぇ、そうかもしれない」
するとソラが突然真剣な顔をする。
「アイネ。今日は君の願いを叶えにきたんだ。でも、君の願いを叶えるためには、一つ約束してもらう必要があるんだけど」
「私の願いを叶えてくれるの?……いいわ。何を約束すれば叶えてくれる?」
彼はとんでもないことを言っている。なのに自然に信じてしまう。彼の不思議な力だ。
「今から見ることを絶対に誰にも言わない。そう約束してくれるかな」
約束せずとも私にはそもそも話すような知り合いがいない。
「分かった、絶対に言わない。誰にも話さない。誓うわ!」
ソラの青緑の瞳をしっかりと見詰めて答える。
「成立だね。驚かないでよ」
またいつもの笑みを浮かべて楽しそうに言った。
彼の身体から金色のもやのようなものが発される。そして次の瞬間、彼は大きな黄金の龍へと変貌した。
「……!!」
その姿は十年前に私が一瞬だけ見た黄金の龍に似ている。
「さぁ、乗って。この僕が人間を乗せるなんて普段は絶対にないんだから。君は凄く幸運だったね」
その大きさと立派さに圧倒された私は言葉をなくす。しばらく呆然と眺めるしかなかった。
「アイネ?どうしたの?」
「あ……」
彼の声かけでようやく現実に帰ってきたような気分だ。
「もしかして怖い?心配しなくていいよ。こっちが本当の僕なんだから」
龍の大きな顔が私の上半身の辺りに擦り寄ってくる。近くで見るとますます迫力が増す。
「朝までには帰らなくちゃならないんだから、さっさと乗ってくれるかな。じゃないと君の行きたいところ、全部回れなくなっちゃうよ?」
妙に急かしてくる。
「そうね。乗るわ」
私は彼の背によじ登った。
「じゃあ出発だね」
言うと同時に、物凄いスピードで空へ舞い上がった。通過した窓ガラスが割れていない。私を乗せた黄金の龍は、どこまでも高く飛び上がる。