SCENE 7――過去との闘い/開戦――
――最初の攻防が終わった。
目の前には赤髪――拳を軽く上げたまま、不敵な笑みを浮かべている。
対する俺は、膝をついてそれを見上げていた――呼吸が苦しい。
横隔膜が、キリキリと悲鳴を上げていた。
「けっ……だらしねえなあ……BB?」
小馬鹿にした様な、いやらしい声が響く。
――この野郎――
その顔を睨めつけながら――俺の思考は、数分前のやり取りを反芻していた。
「――何が可笑しい?」
闘技場中央――開始前の対峙。
サム・マグダネルの骸骨の様な顔を見下ろし、俺は呟いた。
頭ひとつ分、低い位置にあるその顔――相変わらず、不気味な笑みを浮かべている。
その緑の瞳。そこに浮かぶ色――侮蔑が、俺の神経を逆撫でた。
「てめえ――」
「ククッ……相変わらずだな……」
言い募ろうとした俺を遮るように、骸骨が声を発する。
「――お手柔らかに頼むぜ……“BB”?」
ニヤついた顔が歪み――狂った様に輝きを増した。
――驚愕。
一瞬の思考停止――その空白を縫って、奴の拳が襲いかかる。
闘いが、始まった。
咄嗟に上体を反らし、回避――身体すれすれを薙ぐ風圧が、俺の神経回路を闘いに引き戻す。
――聞き間違いか?――
拳の猛攻――右へ左へ躱し続けながら、俺は今聞いた言葉を頭の中でリフレインする。
――BB――
――なぜ……その呼び名を知っている?
それは俺の――。
「零式」時代の呼称。
BlackBox――“BB”
仲間しか知らない筈のそれを、なぜ――。
「――思い出すなあ」
嬉々として拳を繰り出しながら、不意にマグダネルが口を開く。
「一度だけ、お前とやったスパーリング――アジトの地下室だったか?――俺様の顔面に、三発も入れやがって」
言って、顎の右側を見せつける。
「おかげで――この様だ」
視界の端に捉えた――爆発した様な、傷跡。骨が歪に変形し、突起していた。
――呼び覚まされる記憶。
湿ったコンクリートの地下室。粗末なリングロープ。熱気。
繰り出した拳が感じる、肉と骨の感触。そこにいたのは――。
「――スネイル?」
瞬間――記憶と重なる顔。
――いつの間に、そこにいたのか。
息がかかる程の眼前で、それが冷酷な笑みを浮かべる。
「正解――」
――ふざけた台詞と共に、鳩尾を強烈な一撃が襲った。
サム・マグダネル――通称“蝸牛”
――かつて、仲間と呼んだ男。
「――何の仮装だ……そのツラは……」
苦痛に喘ぎながら、俺は精一杯の悪態をつく。
――赤い髪。
――緑の瞳。
痩せこけた肢体――。
全てが、記憶の中の姿とは異なっていた。
「……ハリソン・スローダー」
静かに、スネイルが口を開く。
「……一緒にTV観戦したろ?俺の憧れの、ストロー級チャンプ……彼をモデルにして、この身体を創ってみたのさ……どうだい?」
言って、大仰に両腕を広げて見せる。その様は、まるで芝居がかった教祖様だ。
俺は改めて、その小柄な身体を観察した。
――記憶がフラッシュバックする。
拳を振り上げて、熱狂する奴――TV画面では、目の前の姿そっくりの男が闘っていた。
――間違いねえ――
話の内容・この発散される雰囲気。
こいつは――あのスネイル。
俺の毛嫌いした、戦闘狂――。
「……確かにな……あいつも、随分イカレた奴だったよ」
呼吸を整えながら――俺は唇を歪めて見せる。
教祖様の眉が、ぴくりと反応した。
「それで……?その猿真似をして、お前は何しに来やがった――」
喋りながら、その隙を窺う――ハワードの時の様に。
奴の瞳が、徐々に激昂の色合いを帯びて来ていた。
「殻に籠った蝸牛野――」
――!
刹那――激しい衝撃。
無防備な腹に叩きこまれた蹴りが、俺の悪態を中断した。
「クソ野郎が……何も変わっちゃいねえな」
冷酷な――内に苛立ちを宿した言葉。その間にも、更に間断無く蹴りが叩きこまれる。
「あの頃も、てめえはそうだった――悟った様な顔で、この俺を見下しやがって」
蹴撃の弾幕――その中で、俺は異様な臭いを感じた。
薬品の様な。これは――酸?
臭いの源に視線を向ける。
狂った様に蹴り続ける蝸牛――その身体から、白い煙が立ち昇り始めていた。