SCENE 3――虚ろな世界――
「――大した事ねえな」
思わず、俺は呟いていた。
目の前には、銀色の光沢を放つ、デッサン人形の様な人影が三体。こちらの隙を窺う様に蠢いている。その足元には、顔面を割られ、破片を盛大にぶちまけたやつが一体――俺がぶち壊した――ぴくりともせずに転がっていた。
<GIGA>ワールド内。
だだっ広い、真っ白な空間――まるで箱に入れられたネズミの様に、俺はここで、試験データを取られている最中だった。
“実験動物”ゆえの、拒否できない作業――外に出る為に。
――実戦だけにしてもらいたいもんだぜ――
僅かな徒労感に、俺は苛立った。
メルザック法の規定によれば、恩赦の評価基準は闘技場での行動――つまり実戦。
こんな疑似戦闘は、いわばボランティアのようなものだ。
「早く出なけりゃ――」思わず漏れる呟き。
真実が解らなくなる。それだけが不安だった。
刑務所内では、限られた情報しか得られないが――ここ最近、『零式』が動いた気配はない。それが何を意味するか、俺には何となく分かっていた。
――世代交代。組織内部の構図が、変わろうとしている。それに囚われて、外部に構っている余裕が無いのだ。
それはつまり――消される情報・消される人間もいるかもしれない、という事。
――早く出なけりゃ――
俺の求める過去は、消されるかもしれない。
それにしても。
俺は溜息をついて、周りを見渡す。
――この殺風景さはどうにかならないのか――
徒労感を逆撫でする環境。ここに来るたびに、そう思う。
壁も天井も区別がつかない――現実にはあり得ない、延々と続く白。次第に感覚が狂い、上下感覚すら曖昧になってくる。
――宇宙空間にでも放り出されたら、こんな感覚なのだろうか――
軽い眩暈。突拍子もない想像を巡らせながら、俺は眉間に皺を寄せた。
試験段階であるせいか――<GIGA>ワールドは、恐ろしく簡略化された世界だ。必要なもの以外は、徹底して存在していない。
例えば延々続く舗装道路と、ワイヤーフレームで構成された空間。
例えば窓の外は未制作――文字通り白紙――の部屋。
そんなものが、至る所に存在している。
――本気で完成させる気、あるのか?――
それを眺めるたび、リアルでよく見かけた風景が俺の中で重なる。
例えば、建設途中で放置された建造物。
例えば、一向に改善されない、民衆への処遇。
――場所は変わっても、企業や官公庁の持ついい加減さは変わらない。
またひとつ、溜息をついた。
と――。
――ジャリッ。
デッサン人形が床を踏みしめる音。微かに、空気が動く。
反射的に、俺は意識をそれに集中した。
意識の途切れ、即ち死――『零式』時代の習慣は、簡単には抜けてくれそうもない。
デッサン人形どもが、行動を開始した。
滑らかに、二体の身体が左右に展開――と、正面に残った一体が、突然こちらに向かって走り出す。
――連係プレイ。三方から攻撃しようという肚らしい。
――どんな小細工しようと――
全身を弛緩させる。深く息を吐く。
直立したまま、俺の身体は瞬時に瞑想に近い状態になった。
――大した事ねえ――
銀色の腕が、まさに掴み掛ろうとする瞬間――。
世界が、スローモーションになる。
<SHADE>の発動――その瞬間、感覚が異常に研ぎ澄まされる。デッサン人形が、その勢いのままゆっくりと、俺の身体を通過していた。
自分の身体と、異質な物体が交わった光景。それを醒めた眼で見つめる自分。
“無の境地”の賜物か、この偽りの世界故か――何の感情も湧いてはこなかった。
ただ、虫でも払うかの様に、横薙ぎに拳を一閃する。
飛び散る銀色の破片。
人形がくの字に吹き飛ぶのと同時に、感覚が正常に戻った。
――仕方ねえ――
大仰に顔を上げる。残りの二体は、まだ反応すら出来ていない。
その向こうに、学者どもの好奇の視線を感じた。
――せいぜい、楽しませてもらうぜ――
俺は走り出した。
***
「――どうだ、様子は?」
突然の声に、オペレーターは手の中の珈琲を零しそうになる。
――むせ返る様な金属の匂い・モニターの発する光と熱・キーボードを叩く無機質な音。
ここは<GIGA>システムの中枢――総合管制室。人工の光を反射する機械の群れの中を、制服や白衣に身を包んだ人間達が行き交う。ある者は一心不乱にモニターを見つめ、ある者は紙の束を手に、隣の者と議論を交わす。一見して、厳粛な企業の一部署――だがそこには、知識に飢えた研究者特有の、浮足立った気配が充満していた。
――その中に今、異質なスーツ姿の男が一人。
「――イレイザー支部長……!?」
どうにか淹れたてのキリマンジャロを零さずに済んだオペレーターは、振り向いた姿勢のまま、硬直した。
――なぜ、こんなところに?――
困惑。最新鋭システムの中枢とはいえ、こんな現場に重役クラスの人間が現れるなど、通常は考えられない。
「――それは、ライブ映像か?」
いる筈のない重役が、オペレータ越しのモニターに顎をしゃくる。
「あ……えっ……」驚きで咄嗟に言葉が出ない。
そんな彼を押しのけて、ゴードンはモニターに近づいた。
画面は大小二つが重なって表示されていた。その大写しになっている方――円形の闘技場にいる人影を見つめる。
銀色の防火服を纏った男が、そこにいた。
「ジョン・ドレイク――“消防官にして連続放火魔”のあいつか……」呟く顔が、モニターの光で蒼く染まる。
「今……試合中、です……20分ほど前から」
押しのけられた姿勢のまま、オペレーターはようやく声を発した――手にしたマグカップの中で、揺れる液体を気にしながら。
「――20分、だと?」信じられない、という顔でゴードンが振り向く。
無理もない。平均10分弱で決着がつく<GIGA>での戦闘において、20分という時間は異常だった。しかもモニターで見た限り、防火服の男は大したダメージも負ってはいない。
――これは――
ゆっくりと、視線をモニターに戻す。
――とうとう、求めていた者が現れたか――
彼の中で、期待が音を立てて膨らみ始めた。
――だが次の瞬間。
モニターに映った対戦者の姿――それを見た途端、ゴードンのそれは失望へと墜落する。
忌々しげにその名を呼んだ。
「トレスト・ミハエルコフ……」
――モニターの中で、血塗れの顔が歪んだ笑みを浮かべた。