SCENE 2――メルザックCo., ltd.――
「……どういう事かね……イレイザー君」
しわがれた声が、広間の静寂を切り裂く。
メルザックCo., ltd.・北半球統括支部――ハーフミラーに覆われたビルの一室。
会議室であろうその空間には、巨大なドーナツ状の円卓が設置され、席に着く何人かの姿が見て取れる。その中の一人――顎髭を蓄えた小柄な老人の問いに、対面の大柄な男が答えた。
「――ですから、計画には何の問題もありません。被検体は全員、≪MECELL≫との融合に理想的な形で適応しています。<GIGA>ワールド内での活動にもこれといった支障はなく、実験データの収集は順調に――」
「問題はそこではない」
老人の左側――いかにも高級そうなスーツに身を固めた壮年の男が、唐突に口を挟む。
「囚人を利用した人体実験――今は情報操作をしているからいいが――実態が世間に知れたら、どうなると思う?ゴードン」
親しげに名を呼びながらも、その声は硬い冷たさに満ちていた。
「マスコミのいい餌食――我が社は地に堕ちる」
その言葉に、大柄の男――北半球統括支部長、ゴードン・イレイザーは、意外そうな顔を見せる。
「何を言ってるんだ、義兄さん?その為の法案が、もう可決寸前の所まで来てるじゃないか」
「……“犯罪者特別救済法”か……」懐疑的な響きの声。
「あれさえ成立させれば、<GIGA>は重犯罪者の矯正を目的とした、健全なシステムとして認知されるんだ。それを今更――」
「本件案は」
必死に説明するゴードンの言葉を、義兄――レイス・メルザックがまたも遮った。
「重犯罪者の人権擁護と更生を目的とし、“安全な”バーチャル空間での“健全な”訓練を趣旨とする――だったかな?お前の報告書にあったお題目は」
人差し指を立てて首を傾げる。仕事上の敵に対して、彼がよく見せる仕草だ。
「……納得すると思うか?あの疑り深い愚民どもが、保身しか考えぬ連邦政府(C.P.U)の連中が――そんな戯言で」
――沈黙。咄嗟に返す言葉が見つからず、ゴードンは歯噛みする。
「しかも“一定の基準を満たした者には恩赦を与える”だと?世論を敵に回す気か、お前は?」レイスの語気が強まった。
張り詰める空気――全員の視線がゴードンに向けられる。
それに痛々しく射られながら、彼は黙って俯いていた。
三十代にして、地球規模の大企業・メルザックCo., ltd.の重役に上り詰めた剛腕――そんな彼でも、この底知れぬ幹部連中の前では、“経験不足の若僧”という立場に甘んじなければならない。方々から、侮蔑ともとれる溜息が聞こえた。
「とにかくだ」
椅子に深々と座り直し、レイスが続ける。
「我が社が世間の反感を買う様な事態は、避けねばならん――どんな些細な事であろうと。一点の漏れもない完璧さ。それこそ、メルザックの存続に欠かせぬものだ」
周りで神妙な顔をしていた幹部たちが、無言で頷いた。
と、豪勢な装飾の施されたレイスの腕時計が、微かな電子音を上げる。
「おっと……残念ながら、もう時間がない。その件に関しては、また日を改めるとしよう――いいですかな、皆さん?」
またも無言の頷き。機械仕掛けの様に見えるその動作は、巨大企業特有の“没個性”を不気味に象徴していた――ゴードンの中にわだかまる疎外感。
レイスは満足げな表情で一同を見回すと、目の前の空間に手を伸ばした。
「――では」
その手が、そこに存在しないスイッチを押す。次の瞬間、その姿はノイズとともに、唐突に消滅した。それに追随する様に、他の幹部達も次々に消えていく。
――立体映像。広大な室内には、一人ゴードンだけが残された。
メルザックブランドを不動のものとした、バーチャルネットワークシステム「MEGA」――高密度画素の立体映像を相互展開出来るそれは、距離も人数も関係なく、現実と何等変わる事の無いコミュニケーションを可能にする。居並んだ幹部達は、それぞれの自室で、この部屋の立体映像を相手に議論を交わしていたわけだ。
そしてそれは、連邦政府(C.P.U)の発足当初から標準機器として採用され――一説には、このシステムの存在が各国首脳の決断を後押ししたとも言われる――世界規模の行政運用に多大な貢献をしている。メルザックCo., ltd.は、それを足がかりに急成長し、今や政治権力さえもその身に取り込んだ巨人として、社会に君臨していた。
「……愚民だと……?」
閑散とした部屋の中、ゴードンが独り呟く。
「……保身しか考えない……?あんたらの事じゃないか」
その昏い眼は、今しがたまで幹部達のいた空間を見詰めていた。
そこに宿るのは、嫉妬・敵意。
己が野心の為、愛してもいない女――メルザック一族の令嬢を娶り、重役たる肉親達に媚び、今の地位を築いた男。それが、生まれながらに全てを約束され、当たり前の様に君臨している者に抱く、歪んだ敵意だった。
「邪魔はさせんぞ……≪MECELL≫は、<GIGA>は――私のものだ」