SCENE 1――Ω18号刑務所――
――頭痛がする。
あそこに行った直後は、いつもこうだ。
混濁する意識の中、俺は目を開ける。視界は薄闇。眼前を覆う液晶ディスプレイで、カーソルが淡く点滅している。
感触――頭部全体を覆う金属の重み。そこから伸びる無数のコード――頭皮に直結。皮張りの椅子で、両手足を固定されている。
「……接続」
その言葉で、ディスプレイの光度が増す。途端に文字列が高速で書き出される。
“STAND‐BY:YOUR_CODE?”
「No.1227――ショウ・ブラックボックス。“拘束具”の解除を要請」
カーソルの点滅が早まる。メインフレームとのやり取りを示すサイン。
数秒後――再び文字列。
“PERMISSION(許可)”
数回点滅。直後、画面がブラックアウトする。
高周波のモーター音――金属の覆いの中。反響する。
コードが乱暴に引き抜かれる。瞬間的な痛み――いつもの事。
視界を二分する様に、光の筋が現れる。
左右に分かれていく、ヘルメット状の端末機械――椅子の背面に消えて行く。両手足を縛る金属ベルトが、音を立てて内部へ巻き取られる。
――そして、機械は沈黙。
自由になった俺は、目を瞬かせながら、周囲を見回した。
灰色の室内――壁は剥き出しのコンクリート。天井はセンサーやらカメラやらコードやら――びっしり埋め尽くされている。まるで機械の臓物。大小様々なモニターが数基、宙吊り。床はタイル張り――異様な構成。
悪趣味な芸術作品の様――精神衛生上、あまりいいとは思えない。
左側の壁に、申し訳程度の小さな窓――鉄格子の上に被せられた、嵌め殺しの強化ガラス。
その隙間から、曇った空が見て取れた。
「……どうかね、気分は?」
天井の角――大仰なスピーカーから声。果実の様にぶら下がったモニターが、一斉に白衣の男を映し出す。初老――白髪混じり。
「……いいわけないだろ」
言って、首を傾けほぐす。頭痛はまだ消えない。
「よかった試しがないな」
失笑を含んだ声。旧式スピーカーの、ざらついた音声。
肩を竦める姿が、骨董品並みのブラウン管で揺れる。
「もう少しまともな部屋にしてくれれば、よくなるかもしれんがな」
俺は組んだ両手を上げ、思い切り身体を伸ばした。
「増設が間に合わなくてな。一昔前、研究用に使われていたその棟を、急遽使う事になった。我慢してくれ。それにまだ移されて二日目だろう?――そのうち馴れるさ」
冗談のつもりだったが――大真面目に答えるのは、浮世離れした科学者だからこそか。
今度は俺の方が、肩を竦めてみせた。
医療・薬品・遺伝子ete――人体を必要とする研究の為、施設内に研究棟を併設した刑務所――Ωシリーズ。ここは、その中でも初期建造の部類に入る。
Ω18号刑務所。俺が今いる場所の名だ。
――皮肉なもんだな――
無意識に、自嘲気味の笑みが零れた。
――かつて、自分達が潰そうとした施設に、よりによって収容されてるとは。
国際テロ組織『零式』――世界中の人間が、一度はその名を見聞きした事があるだろう。
――俺の帰るべき場所だ。
五年前。先進各国は、もはや個々では手に負えなくなった無数の問題――環境汚染、人口増加、食料危機――の強力な解決法として、世界連邦制を決議。Central Public Union――通称≪C.P.U≫と呼ばれる中央政府のもと、惑星レベルの統一国家をスタートさせた。
ソ連崩壊やフランス革命を挙げるまでもなく、そうした統治体制の激変は、民衆の混乱を誘発する。今でこそ鎮静化に向かっているらしいが、当時は世界中至る所で暴動やデモが頻発していた。それに乗じて、俺達の活動も、それまでに無い程加速していった。
“破壊による再生”――現体制を一度無に帰さなければ、理想の世界は誕生しない。
『零式』の名の由来ともなった、ウチの基本理念。それを唱えた創始者、O・B・ハーレーは、もうこの世にいない。
だが彼に心酔した多くの者達によって、その理念は今も守られている。そしてその思想に殉じて、死線をくぐり続ける仲間達。
いったい何人が逮捕られ、何人が死に、何人が離れていったか。
――しかしそれが、俺の敬愛する『零式』の姿。
日々命を剥き出しにして生きる。そんな組織に、俺は血を越えた絆を感じていた。
天涯孤独な俺にとって、唯一繋がりを感じられたもの――その為に、俺は闇の中で闘いを続けた。
だが、二年前――。
俺は突然、連邦政府(C.P.U)の犬どもに捕らえられた。
その時聞いた言葉――今も俺の心に、昏い影を落とす疑念。
「匿名の通報があってなあ……可哀そうに」
「お前は、仲間に売られたんだよ」
「……今日はどうして、あんなに早く連れ戻した?」
すでに俺は立ち上がっている――首を回しながらの問い。まだ頭痛は取れない。
「観客どもが納得しないぜ」
脳裏に浮かぶ、立体映像の観客達――大半は資産家。金に物を言わせ、殺し合いの観戦権を勝ち取った狂人ども。
「脳波及び≪MECELL≫の動向に、若干の異常が見られた――<SHADE>を使った辺りだな。それで大事をとって、今日は早めに帰還させた」
モニターの中の顔――大真面目。ほとほと冗談を解さない奴だ。
「異常……ね」わざとらしく、モニターに視線を向ける。
「こんな身体である事自体、すでに異常だと思うが」
途端に、生真面目男が驚いた顔を見せた。
「何を言ってる。君は自分の価値が分かってるのか?この研究が成功すれば、人類は新たな世界――V.Rワールドを手に入れる。いわば君は、サイバー空間のアームストロングになれるんだ。それをそんな風に……」
早口で捲くし立てる。モニターの中――興奮した姿が腕を振り上げる。
俺はその声を半分聞き流しながら、自分の頭皮にそっと触れてみた。
金属とも、皮膚ともつかない感触。耳たぶから上をぐるりと囲む様に、俺の頭皮を覆う人工組織――。
ナノマシン≪MECELL≫。微細な機械の集合体でありながら、生命体と有機的に結合出来る、まさにMetal(金属) Cell(細胞)――それが、この頭には移殖されている。
表面だけではない。その先端は脳まで達し、俺の脳組織と外界を電子的に繋ぐ、いわばケーブルの様な役割を果たしていた。
それによって俺は、あの仮想空間――<GIGA>ワールドに“侵入”する。
「とにかくだ」
ひとしきり喋り終わったらしい――男は落ち着いて続ける。
「君たちは今現在、世界に十二人しかいない、貴重な被検体だ――“メルザック法”が存続する限り、補充の可能性はあるが――自身を大事にして貰わなくては困る」
「ああ……分かったよ」
――あくまでも、俺達はモノ扱いか――
出かかった言葉を喉内で制し、俺は軽く手を挙げる。
モニターの中――男は満足げに頷く――数回。
「よろしい。では明日――そうだな、午前中――また対面検診を申請しておこう。私は多忙だから、今回は他の者が担当すると思うが……憶えておいてくれ」
「了解」
けだるい返答――気にも留めずに、男は目の前のスイッチに手を伸ばす。
ブッ、と鈍い音を残して、画面はブラックアウトした。
「――アームストロング、ね……」
訪れた静寂の中、俺は独り呟く。
「そんなもんに興味はねえ」
視線――黒い革張りの椅子へ。光沢を放つその背面は複雑な機械模様に覆われ、ちょうど肩甲骨あたりに、先刻二分した端末機械が突起の様に納まっている。重厚な金属製の台座を有したそれは、まるで悪趣味な電気椅子の様な雰囲気を醸し出していた。
――“拘束具”――。
皮肉を込めて、俺達はそう呼んでいる。
ある意味正解――こいつが俺を、あの仮想空間での闘いに縛り付けているのだから。
<GIGA>――バーチャルネットワーク技術の雄、メルザックCo., ltd.が創り出した、究極のバーチャルワールド。まだ試験段階であるそれは、≪MECELL≫を介し、脳とコンピュータを高密度で繋ぐ事によって――直結。五感を介さずに――初めて実現する。
それが人体に与える影響――それを知るための人体実験。
それに供されたのが、俺達極刑レベルの囚人達――現在十二名。
その十二名が今、<GIGA>の中で熾烈な闘いを続けている。
自由を得る為に。
犯罪者特別救済法――通称“メルザック法”に、希望を託して。