SCENE 14――隠者(ハーミット)――
――ずきり。
右上腕部に、鈍い痛みが疾る。
「チッ……」
俺は焼けた傷を押さえ――白い空間を、油断なく見渡した。
広大な虚無――そこから、猛禽を思わせる気配。
まるで、空気そのものから発散されているかの様に――そこら中から、それは感じられた。
――隠者。
これが、あの小柄な老人の発するものとは――。
知らず、全身の筋肉が緊迫する。
耳の中で――静寂が音を立てた。
「何が――“引退した”だ……あの爺さん」
思わず洩れる悪態。
俺は今更ながら――酔狂に付き合ってやった事を後悔した。
――その肢体は、枯れ枝の様に見えた。
「あんたも……被験体なのか?」
――<GIGA>にアクセス出来るのは……≪MECELL≫を移植された被験体だけ――
そう解っていながら――思わず、俺は尋ねる。
老いた顔がゆっくりと頷き――にいっと、大層に笑って見せた。
「見ての通り――この老体じゃ。とうの昔に引退したがな」
その身を晒すように、大きく両腕を広げて見せる。
――老体?……どうだかな――
眼に映るもの――それを素直に信じてはならない。
この世界において、姿形は必ずしも真実ではない――スネイルがそうだった様に。
「引退……?だったら何故……今更アクセスして来た?」
俺は慎重に――“真実”を探っていた。
目の前の人物:ある程度の年齢である事は、物腰や先に見せた洞察で見当がつく。
――だが……何故俺に接触して来た?――
闘技場以外でのコンタクトなど――常識的に考えて、あり得ない事。
ここはゲームの中でもなければ、俺達は気楽なユーザーでもない。
危険な実験場にいる、剣呑極まりない犯罪者達――。
徹底して、管理されて然るべきなのだ。
「酔狂……かのう……」
俺の疑念を知ってか知らずか――老人は呑気な声音で答える。
「長く生きていると……時々、お前さんの様な向こう見ずにちょっかいを出したくなるんじゃ……おお、そうじゃ」
突然、大声を上げ――たるんだ皮膚から覗く眼を、輝かせた。
「わしと一戦、交えてみんか……?」
「――は?」
「久方ぶりに――この身体を使ってみたいんじゃ」
そう言って、老人は樹皮の様に荒れた己の掌を眺める。
その様子は――まるで道化の様に見えた。
――この爺さん……どこまで、本気で言ってる?――
――捉え処が無い。
「お前さんも……まあまあ手練の様じゃし。いい暇潰しじゃ……のう?」
生来の性格なのか――おどけた言動の中に漂う高慢さ:神経を逆撫でる。
――あるいは……挑発しているのか。
「ケッ……」
無意識に――俺は声を洩らした。
「何様だか知らねえが――」
――真実は――
「……相手してやろうじゃねえか」
――這いつくばったコイツから、聴いてやる――
ささくれた感情の赴くまま――俺の身体は、光の粒子へと変換し始めた。
「……どこにいやがる……?」
猛禽の様な殺気は――途切れる事無く、肌にまとわりつく。
右腕の痛みに耐えながら、俺は周囲を見渡した。
――白い空間:虚構の世界。
そこに溶け込む様に――先刻から、薄く白煙が立ち昇っていた。
微かに漂う――薬品の臭い。
「何者だよ……あの爺さん」
俺は右前方――床に穿たれた、白煙の源を見やる。
変色し、溶け崩れた穴――見覚えのある光景。
――そして、微かな戦慄。
その淵から、ぽたりと――酸の雫が落ちた。