よっつめの試練
彼女を連れて、一家で彼女の実家に向かう。
多少なりとも、彼女は両親と打ち解けてくれた。
表面上はいつも通りに振る舞っているように見える。
私は気疲れ、思い悩みから移動中はずっと寝ていた。
そして、彼女の実家に戻ったとき来るであろう叱責は、予想外に飛んでこなかった。
ただ、彼女が元気でいる事がよかったと。それだけであった。
拍子抜け。
そうとしか言えなかったけれど、ありとあらゆる罵倒を覚悟していた私は、どうすればいいのかまた分からなくなった。
私が、あの日怒ったということもあるのだろうか。
それから、和解して一応の平穏と、そして、理事長と黒猫が出張ってくることでおじさんとおばさんへの事情説明は済んだ。
その時に彼女が理事長から渡された、切り替え装置のようなもの。
あれは、私にとっての救いに見えた。
ちゃんと吹っ切ってもらえる。
彼の姿で、彼の声で、彼のことを過去にして貰える物。
そんなことを考えてしまう自分に嫌気がさす。
どこまでいっても、私は私のことしか考えていない。
だからダメなんだと。
人のことを考えている振りをして、その実、考えていることの全てが自分の事に帰結している。
嫌な人間だ。
気がつけば側に黒猫がいた。
神出鬼没ではあるけれども、この黒猫が私一人の時に側にいるというのは、それはすなわち、早いスパンで試練の訪れと言う事になる。
わかってる。最後。
私が盛大に傷つく姿を見せればよいのだろう。
だけど、自分が嫌な人間である事を自覚して、両親に自分のやっている事を理解して貰えた。
それだけでも、充分に戦っていける自信がある。
傷つくけれど、それが私のためであるのなら。
どんな試練でも受けて立つ。
私は初めて、側に居る黒猫に手を伸ばした。
破滅へのレールを敷いたのは私だし、もうそれを思い悩む気は無い。
認めてしまえば心が楽になる。
もうどうしようもないところまで、来てしまっているから。
最初から詰んでいた、この想い。
叶ったところで、思い人は死ぬ事になるし、叶わなかったところで、結局思い人は死ぬ。
じゃあ、どうやればこの事態を回避出来たのだろうかと考える。
多分それは、もっと前の段階。
彼が初めて傷を負い、事情を知ったところで、面と向かって立ち会い、寄り添い甘やかさなければいけなかった。
私が、彼のためにできる事は、彼は一人じゃ無いと言うことを、引き籠もった時点で教えてあげなければいけなかった。
私にはそれが出来なかった。
ただ、彼の自宅にお見舞いにいって、会うこともせずに、おばさんの言葉を鵜呑みにして帰った。
それを一年半も続けた。
どれだけ彼に酷い仕打ちをしたのだろうか。
例え嫌がっても、彼と面と向かって合って話をして、私に溺れさせることが出来たらまた違う結果が出たのではないか。
「見てみるかい?」
私の思いを汲み取った黒猫がそんなことを言う。
猫の姿で行儀よく座り込んでいると思ったら、開口一番これだ。
「あり得た未来、今とは少しだけ違う未来。諦めたければ見せるよ?」
その甘言に、私は首を振る。
もういい。見てしまえば焦がれてしまうから。
闇に落ちる可能性があるから。
「そっかー」
そうだ。
ひたすらに甘い誘惑ではあるけれども。
それを越えてこそ、この試練の意味があるのだろう。
「よく分かってるね」
前を向かせる試練。
確定した過去は変えられないけれど、未来は変えられるかもしれないと思った。
けれど変えられなかった。
私の行動の一つ一つが空回りして、敷いたレールの先が今の状況なんだ。
私は弱いから。その甘い誘惑に負ければきっとずっと浸っていたいと思うから。
だから、最初からその誘惑に乗らないことにした。
意志の強い、彼女のような人ならきっとそんなものを見せられても乗り越えられるんだろうけれども。
「賢い選択だなー。大体の人がみちゃうんだよね。君はそう言う所は強いね」
黒猫はそう言って、猫のように伏せた。
固めだけ開いた状態で、
「それで、どうするの?」
そんなことを言う。
私はそれに、ちゃんと振って貰うと端的に応える。
男の子の彼女に男の子の姿で振って貰わないと、前を向けない。
だから、そうお願いするつもりだと伝えた。
「そっか、きつい選択だね。なあなあで生きればいいのに」
それができないのが私だから。
思い続けて思われないのをずっと見続けることなんてできないから。
「それもまた一つの選択だ。君に幸あらんことを」
ぬけぬけとよく言う。
もうここまで来ると邪険にする気すらも起きない。
結局この黒猫は最初の事以外、何一つ手を出していないのだから。
要所要所で表れはしたけれども、それだけで、直接何もしていないのだから。
それから、私はばっさり振られた。
そして泣いた。
大泣きして、悪態を吐いて、泣き止むまで抱きしめてもらって、やっと落ち着いた。
そうすると、胸の内がスッキリとしていることに気付いた。
ぽっかりと穴の開いた気分でもあるけれど。
今まで背負っていた重荷が全て無くなってしまったような。
彼への想いと一緒に流れてしまったような。
ごめんねと困ったように笑う彼に、私はもう大丈夫と応える。
ちゃんと男の子の彼が私のことを振ってくれたのが嬉しかったから。
使わないと決めていた、切り替え機を私のために、ひいては彼の両親のために、信念を曲げてでも使ってくれたのがとても嬉しかった。
だから、私の初恋はここでお終い。
よく言う、初恋は実らない、というのは本当の事だった。
でも、なあなあで終わるよりも、こうやってきちっと決着がついたのは喜ばしいことだ。
だから、スッキリしている。
今なら、過去のことを思い出しても甘い思い出として語ることができるかもしれない。
でも、流石に今すぐにそれをして見せろというのは勘弁願いたかった。