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ひとつめの試練

 多分、姿形が変わっただけじゃダメだと思った。

 きっとそれはすぐにやってくる。

 だから、彼が一人考え込まないように、目まぐるしく環境を変えていこうと私は考えた。まずは自己の認識。

 これは失敗した。あからさまな他人の姿に拒否反応が出た。

 でも、何とかおさめることができた。


 それから服。男の子の服からかけ離れた、女の子の服を着せた。

 私のお古で良ければボーイッシュな物もあったけれど、あえて、とても女の子らしい服を用意した。案の定文句が出たけれど、そこそれ。

 内に思考を向けるより、外へと思考を向けるように誘導していた。

 そして、彼の趣味である料理に没頭できる環境を整える。

 元々料理がそんなにできないのもあるけれど、わざとらしくとぼけて見せて、彼の顰蹙を買った。苦笑でもいいから彼の笑顔を見ることができたのは僥倖。

 あの可愛らしさは、女の子でもいいかなって思う位だから、とてもずるい。見た目をあの姿にした黒猫に、これだけは感謝。


 驚いたことが一つだけあった。彼の食事の量だ。

 殆ど食べない。いつもの量くらいだよなんて言ってくれるけれど、その量はダイエットをすると言っていた女子の量より少ない。小食ではなく拒食の域に見えた。

 今の状況はご飯をちゃんと食べてないせいもあるんじゃ無いかと思ってしまった。


 そして、彼が疲れて寝静まった頃、私は彼の実家に電話をかけた。

 到着した旨を伝え、なぜあの状態の彼を無理矢理外へ放り出したのかと叱責した。しどろもどろになって答える彼の父に、私は烈火の如く悪辣な言葉を並べ立てて、彼から実家に連絡をしなくてよいラインを作り上げた。

 彼の両親は、浅はかな考えの元子供を亡くすところだったのだ。

 彼の死のイメージを明確に植え付けられた私にとって、それは身を引き裂かれるようなおもいだから。その状況を作り出した彼の両親が許せなかった。

 感情のままに言葉をぶつけ、彼の両親から連絡は携帯電話でメッセージのみという条件を取り付けたことで、彼の変化が向こうに漏れる心配は殆ど無くなった。

 但し、近況報告を私がやることの条件を貰ってしまったが、それはそれで仕方が無い。


 翌日は、彼が外に出るのを怖がっていることを分かっていながらも外出をした。

 人の目に晒される恐怖は私には分からないけれど、ここにやってきたときの青白くなった顔と、今日の玄関から一歩踏み出すことができなかった時の様子見れば、想像を絶する恐怖なのだろうと思った。

 だから、お気に入りの帽子を彼にあげた。

 お小遣いを貯めて買った、夏用の帽子。それを彼に被せるととても似合っていた。

 つば広の帽子はほどよく視界をかくしてくれるし、いざとなれば目深に被れば表情も隠れる。

 私はただデザインが好きで、お店に頼んで取り置きして貰ったものだったけれども、それが役に立つという事はとても良い事だ。


 そして買い物を済ませて帰り際、嫌がる彼を連れて喫茶店で休憩をしていた。

 体力は問題無い、だけど、彼が明らかに無理をしていたから、休ませるために入ったお店。案内されたのは窓際の席で、席を変えて貰おうと思ったけれど、彼が大丈夫というので我慢した。

 私とお喋りしているときは大丈夫なのだろう。目は見てくれないけれど時折歪みながらも笑みを浮かべてくれる。

 無理しているのは分かっていたけれど、気付かないふりをするのが嗜みだ。


 その喫茶店で無理矢理席に入ってきた、男の子の事は生涯忘れないだろう。

 彼との幸せな時間をぶち壊してくれたのだから。

 ただ、外からちらちらと私たちを見ている奴らを撃退してくれたことだけは感謝をしておこうと思う。


 そして、その男の子がまさか、同じ学校の同じクラスの新入生だとは思わなかったけれど。

 さらに言えば、彼のやっているゲーム内のお友達でもあった。嫉妬に狂いそう。私も始めてみようかなと思う位には、置いてけぼりをくらって寂しかった。

 でも、近しくて信頼の置ける同性の友人が彼にできたことはとても良い事。私が側に居られないときは彼のことを友人Aに頼むのもやぶさかではない。


 ただ、問題は、その友人Aが彼の事を可愛い女の子として見ていることだ。

 そこだけが恐い。彼が女の子として過ごすことを是として、性嗜好が男性になってしまったらどうなるんだろうかと思う位には。

 ほんの数十分しか彼と過ごしていなかったけれど、彼からは同級生達からにおうような男のにおいが全くしなかったから。多分、自慰行為なんかも言葉くらいしか知らないんじゃないかなって思う。

 それくらい彼には男臭さがない。天然のあざと可愛さを出せるのも、きっとそれ故なのだろうという事はよくわかる。

 男子の彼を見る目が、可愛らしい小動物を見る目だったり、性的弱者を舐め回すように見る目だったり様々だけれど、彼のことを女子として見ているのだけは確かだった。


 それから、彼の敵ができた。

 明らかに友人Aに一目惚れしたと思わしき女子。

 余り過激にならなければその存在は彼にとってありがたい物だろう。自分の事を考える以外の思考物件だ。

 ただやり過ぎないようにするために釘だけを刺しておく。

 効果があるかどうかは、さておきだし、私の事を同性愛者と思われるのも覚悟の上だけど、私は彼の事が好きだし、彼の事だったらこの身をなげうってもいいとすら思っている位だ。

 でも、私がケガとかしたら、拠り所が今のところ私しかいない状況じゃあ、彼は悲しむ。私がヘマをする事だけは絶対に避けねばならない事だ。


 そんな折、学校行事が開催されることを知った。

 黒猫はそれを知っていたようで、猫の姿で私の前に現れると、


「さて、そろそろ第一の試練の時間だよ。きみは、あの子に降りかかる不幸を払いのけることができるかな?」


 黒猫のその物言いに私はくってかかった。

 試練は私にだけ訪れる物ではないのかと、なぜ彼を巻き込む必要があるのかと。


「あの子を守るのが、きみに課せられた試練だよ。何事もなく過ごし切ってみせればいい。いつ、身に降りかかるかなんて、ボクは知っているけれど、きみには教えないよ。教えたら面白くないからね」


 それは、確かにそうだけれど……。

 こうやって予告して来たこと自体がいやらしい。

 何かあると勘ぐらせ、私の神経をすり減らしに来ているのがありありとわかる。

 そして、そのさまを楽しんでいることも容易に想像できる。

 みんな、あの愛くるしい少女の姿に騙されているけれども、この黒猫は悪魔だ。意地汚い悪魔なのである。


 案の定黒猫の言葉に乗せられたまま、疑心暗鬼になりながら学外に出る学校行事の日を迎えてしまった。

 彼の身に何かあっては遅いから、極力寝る時間を削った。自宅にいるときは殆ど、彼の部屋の前で過ごしていたくらいだ。トイレや飲み物を取るために部屋から出てきたときに毎回顔を合わせるから訝しまれたけれども、何とか誤魔化しておいた。

 後はやっぱり、今の生活は彼に相当負担がかかっているようで、時折青ざめた顔をしてトイレに駆け込んでいた。そのたびに吐いていたのは、見るに堪えなかった。背中をさすって、歪んだ笑みを浮かべる彼に優しい言葉をかけるしか私にできなかったのがとても悔しい。

 頻度が減ってきたのはいい傾向だけれども、学校が始まってすぐの頃は割と頻繁に保健室通いになっていたくらいだし。

 その弱々しい姿も彼の敵にとって、気に入らない態度だったのだろうと思う。

 日に日に苛烈になる嫌がらせ。彼にとってそれはそよ風に等しい物だったみたいだけれど、その嫌がらせを受けて注目を浴びる方が苦痛のように思えた。聞いてみれば実際そうだというし、この状況に周囲がまたかとなってくれるように願うしかない。


 そして、試練の時を迎えた。

 正確には前日から始まっていたのだろう。

 夜、彼が大注目を浴びる場面で、私は彼を守り切ることができなかった。周囲の空気に浮かされて、雰囲気に酔って彼が限界を迎えるまで変化に気づけなかった。

 わざとらしい声色で、彼の介抱をしていたけれど、背中には嫌な汗をたっぷりとかいていたし、心臓は早鐘を打っていた。

 私にはもうどうしようもない状態になっていて、友人Aに救いを求めた。

 快諾してくれた友人Aに内心で感謝を述べる。

 その日の試練はきっと失敗だった。悔しさに歯がみし、内心を悟られないために彼にちょっかいをかける。お風呂で無防備な姿を晒す彼が心配になった。

 でも、友人Aにとって、これくらいの役得はあっていいと思う。彼を助けてくれたご褒美のために、私はのぞき穴の存在を黙っていた。

 実際問題、裸なんて見られて減る物じゃないし。こんなことをクラスの女子達に言えば、スタイルがいいからそんな事言えるんだ、なんて言われるのは分かっているから、言わないけれど。別に叫ぶ物でも無い。

 ただ、今日、この日、裸を見られた彼がどうなるのかが少し楽しみ。女性として恥ずかしがるようになるのか、男性として女体を楽しむようになるのか。

 できれば後者になって、私にその思いをぶつけて欲しいけれど、それはまた別の話だ。


 翌日に起こった出来事は、自分なりに百点をあげたい。

 彼の敵の攻撃から、彼を守れたのだから。

 痛みを伴う代償だったけれど、よかった。

 痛む体、赤に染まる視界、口の中に広がる血の味と土の味。

 そして全身を刺されるような痛み。

 明滅する思考の中で何が起こっているのか冷静に理解していて、このままだったらどうなるかも分かっていた。

 恐かった。死ぬのは恐かった。彼を残して死ぬのが一番恐かった。

 彼を守れた事で自分に百点をあげたいけれど、不安の種を残したことで減点百。零点だ。

 死を覚悟したときに、遠のく意識の中、彼の声が聞こえた。

 女の彼の声がしたと思うと、聞き覚えのある男の彼の声が耳朶を打つ。

 走馬燈かと思ったけれど、あの黒猫の声が混じっていることで、現実だと気付いた。

 何をされたのか分からないけれど、体の痛みが瞬時に引いていく。まるで魔法をかけられたかのように。

 薄く覗く視界から、見上げると、眉根を寄せて困ったような今にも泣き出しそうな彼の顔が見えた。

 それに安堵して、私の意識は途切れた。


 気がつけば、彼が彼の敵と言い争っているところで、何とか体を起こしてその諍いを仲裁した。何も彼が手を汚す必要は無いのだ。

 私の体は彼が黒猫に働きかけてくれたお陰で、なんともないのだから。


 そして、安静のため病院に運ばれた病室のベッドの中。

 横には艶やかな赤髪を肩口で切りそろえた少女の姿をした黒猫がニヤニヤと笑っている。


「第一の試練は、まあ合格って所かな? でも願い事は残念だったよ。あの子、自分のために願い事を使わないなんて。肉体的な損傷を与える試練はダメだね。これ以降はこんなことないから、安心して過ごしていいよ」


 それを聞いて、私は安心した。

 もう彼が酷い目に合うことは早々無いのだろうと。

 精神的に酷い目に合う可能性はあれども、肉体的な問題は解決したと。

 とても喜ばしいことだ。


「何で笑ってるのさ」


 つまらなさそうに頬を膨らませる黒猫に、私は軽く答える。

 彼に身の危険が少なくなるのが嬉しいから、と。

 彼が生きていて、私もその隣を歩けるのが幸せだから。

 だから、身の危険があるような試練が今後無くなるのは喜ばしいことであると、黒猫に伝えると。


「そっかぁ」


 と、どこか含みのある笑いを浮かべて、姿を消した。

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