第二話「犯罪感染」
俺には須山ライカという彼女がいる。
俺より少し背が低くて、髪が短くて、伊達メガネをかけて、明るくて……ちょっと変わっている女の子だ。
「さあ、今日の卵焼きは卵焼きらしくなったよ。いざ食べて、さあ、さあ!!」
「い、いや……明らかに、これは……はは、はははは」
屋上は競争率が高くて、大抵別のクラスの連中がが占拠しているので、昼休み中庭が俺らの居場所だ。
正直、寒いのだが、その寒さなど目の前の事象には些細なことだ。
木陰が割と多い中庭で俺は俺の彼女、須山 ライカが作ってくれた弁当と対峙していた。
「ライカ……これは何?」
「卵焼きよ!」
ここ何日か彼女の行動が静かになっていたので、思いっきり油断していた。
俺の目の前には有機物だとなんとか理解できる、食べ物だと信じたい産業廃棄物寸前の物。
……流石にこれじゃよく分からないな。遠まわしはやめよう。俺の目の前には四角く黒い物。
死闘の予感に俺は眉間のシワを寄せた。
「ライカ……さすがに」
ライカは時々このように壮絶なお弁当を作ってきてくる。
実力から言うと家庭科は5だし、彼女は特に料理が下手というわけではない。
ただ、彼女いわく『弁当は一生懸命まずく作るもの、それが萌よ!』だそうで……俺にはわからん。
「ん、あーそう? ノボルは食べてくれないわけ? へぇ……?」
そういってニコリと冷たく微笑むライカ。
それを見て俺の背筋にゾクリと寒気が走り、第六感が警報をバンバン鳴らす。
(この弁当は危険だ、しかし食べねば俺が危険だ……!)
絶体絶命。四方八方虎だらけ。
俺は無理やり意を決することにした
父よ、母よ、これが今生の別れになってしまうかもしれません、先立つ不幸を御許しください。
「……これ……うん、食べる」
俺がそういうとパッと暖かい笑みを浮かべる彼女。
うぐぐ、それは反則だ。
思わずにへらっと頬が緩んでしまう。
もうなんて言ったらいいのか分からない。
「ええーい、なるようになれ、どちくしょが!!」
俺は『それ』を箸でつかむ、そして力いっぱいに目を閉じ視覚をカットする。
恐怖心を作るものを最大限にカットした俺は素早くそれを口に運ぶ。
勝負は一瞬だ。
味覚から脳に信号が送られる前に一気に勝負を決める!
「う……っ! ううぐっ!?」
なんと言えばいいのだろうか……、表面パリッと中はネチャッ?
「う……食感から、か……。う、迂闊……」
「どう、おいしい?」
明らかにまずいと知っていてライカは俺に聞いてきた。
「ど、独創的な食感がする」
どんだけまずくても、いや意図的にまずく作られてても、一生懸命作ったものをまずいとはいえない。
ただおいしいとも言えない。絶対に言わないぞ俺は!
「お弁当を賛美する言葉としては新しいわねそれ」
「フーム」とあごに手を置いて考えるしぐさをするライカ。
いや……決して賛美しているわけではないのだが……。
なんと言っていいか次の言葉を捜していると「ちょっと借りるね」と彼女は俺の鞄をあさりだし英語のノートを取り出していた。
俺が止める間もなくペラペラとノートをめくりだす彼女。
「次の時間同じ教師の英語だから」と言って今年に入ってから習慣になり始めた行為だった。
「ノボル……あんた、またこんなことまとめていたわけ?」
ライカからいぶかしげな声が上がる。
俺がどうしたのかとライカを見ると、彼女は目を細め、あるページでは手を止めていた。
彼女に近寄り覗き込むとそれは今日の授業で書いていたあのインビジブルイーターの行動をまとめていたページだった。
「別にいいだろ」
そういって俺はライカからノートを取り返そうとする。
しかし彼女は、立ち上がってそれを避ける。
自然と俺は彼女を見上げる形になった。
「いい、こういうことは本当に危ないことなんだからね」
物凄く真剣な表情でライカは俺に訴えるように言う。
瞬時、気圧されるが俺は考える。
何が危険のだろう、その事件の情報を集めることで犯人に狙われるとでも言うのだろうか。
「何が危ないってのさ。それって小説やゲームのやりすぎじゃないのか?」
俺は思ったことを彼女に言う。
それを聞いてライカは一部否定的な言葉を返してきた。
「違うわよ……ゲームのやりすぎは否定しないけどさ」
「どう説明したものやら」と考える表情を浮かべる彼女。
俺も何を喋っていいものやらと思案をめぐらす。
「私はね。こういうの犯罪感染って呼んでいるの」
そうこうしているうちに彼女が口を開いた。
「そう、犯罪感染ってのはこの間買ったゲームに出てきた単語なんだけどさ、ちょうどいいから借りてるの。なんていうかな精神的な感染症みたいなものなんだ」
「精神的な感染症?」
俺は続きを促す。
「うん、簡単に言うとAっていう人が犯罪をして捕まるとするじゃない、それをテレビで見たBって人がAと同じことをするの」
「……なんだそれ、おかしいだろ間違ったことをしたAの行動を何でBがするんだ?」
そういいながら俺は考える。
名前も、性格もなにも知らないA。
それがテレビで捕まったと報道されただけで、まるでAの思考が感染したかのようにAと同じことをする俺。
……物凄く変な話だった。
「私が思うに最近の報道って犯人が何をどういう風にやったかって結構鮮明にでるでしょ。
だから、それを見た想像力が豊かな人が、さも自分を犯人に置き換えて想像をめぐらしちゃうのが第一段階」
「何をどういう風に鮮明に想像……」
それを踏まえもう一度俺は考える。
インビジブルイーター、人の喉を食らう殺人鬼。
一人目は知らないおじさん。
あまり、いい食感はしないだろう。
二人目は顔を知っている程度の知り合い
同い年だから、今度は噛み切りにくいかもしれない。
食らいつくときはときはプシュっと音がするかもしれない。
三人目は若いOL。
写真で見た首は意外と細かった。
あの首に食らいついて、プシュっと音を立てるように歯を使って喉を引き千切る。
引き千切った瞬間「ヒッ」と声を鳴らして、彼女の体がピクンと跳ねるだろう。
……。
俺は言い知れぬ感情を抱きながら目の前に立っているライカを見る。
彼女はまだ何か言っているのか口をパクパク動かしている。
その声は聞こえない、ただ俺の視覚だけの情報が脳で処理されていく。
彼女を見る。
彼女の白くて細い首を見る。
口の動きにあわせてコクコクと動くあの喉を見る。
あの小さい喉に歯を食い込ませれば、プシュっと音がするのだろうか。
今この場で彼女の白くて細い首に食らいついて、あのコクコクと動く喉を噛み切ったらいったいどんな――――。
「というわけで、このページはこの場で燃やすこと……っとノボル、大丈夫?」
「―――――っ。あ、ああ。大丈夫だよ」
俺は一体……何を考えていた……?
一瞬とは言え、瞬間的なものとはいえそう考えてしまった自分が怖くなってくる。
俺は何を考えていた。
両手で頭を抱えたい衝動に駆られるが、彼女を心配させるわけにもいかずこらえる。
何を考えていた。
俺は、彼女を殺すことを考えていた?
何で? 食らおうとした?
それは考えていただけか? 本当に考えていただけなんだな。
いや、今のは違う……。何か止めるものがなかったら衝動に任せて彼女の首に食らいついていたかもしれない。
かもしれない?
本当にかもしれない、だよな。
「本当に大丈夫、結構顔が真っ青よ」
そういって彼女は自然な動きで俺に近づき「コン」と額を当ててくる。
じわっと暖かい熱がそこから広がっていき、それが俺を落ちつかせる。
大丈夫……俺は彼女を殺したいなんて思っていない。
心の中でそう呟いて彼女からいっぺん離れる。
「大丈夫だって、というかお前恥ずかしくないのか?」
「へ……?」
きょとんとするライカ。
俺はそんなライカに親切心満点で両方の親指を使って左右を示した。
そうしてやっと思い当たったのか、ライカは顔を真っ赤にしながらバッバッと左右を確認しだす。
俺は苦笑しながらそんな彼女を見ていた。
俺には彼女がいる。
俺より少し背が低くて、髪が短くて、明るくて……ちょっと変わっている女の子だ。
ヘンな弁当作ってきたり、ヘンな言動が時々有るけれど、それでも俺のことを心配してくれるいい奴だ。
そんな彼女を俺は大切に思う。
そんな彼女を俺は殺したいとは思わない、絶対に。
ずっと懸念していたことがある。俺は彼女がすべての事件現場にいたことを知っている。
それは俺もすべての事件現場のすぐそばにいたことになる。
そう、もしあの通り魔事件「インビジブルイーター」に、何かしらの形で俺が関わっているのならば、俺は確かめなければならない。
彼女をライカを巻き込まないためにも。