第四話「されど星を見上げる」
「あの見切りみたいな力は防御に徹底されると殺すのに時間がかかるからね。幾分厄介だったよ」
笑いながら『僕』は僕に言った。
頭痛は徐々に引き、視界がクリアになってくる。
おかしな光や数字は見えない、いつも通りの視界だ。
「……なんで殺した。狙いは僕じゃないのか?」
「いや、あの『僕』は欠陥品さ。僕も僕も殺せない欠陥品。あの『僕』がドッペルゲンガーを殺すには呼び出した彼女を殺すしかないのに、『僕』はそれをしなかった。あまつさえ僕から彼女を守るために、彼女を匿うなんて、殺すに値するとは思わないのかい? あんなものは僕ではない」
……ああ、二人目の僕の不可解な行動がいろいろ腑に落ちた。
だとするといま僕と話をしている三人目の『僕』は……片桐さえも殺そうとするのか。
「僕は違う。この能力さえあれば、僕を殺すことなんて簡単なことさ」
『僕』は軽く腕を振るう。
僕はとっさに横に跳び、射程と思われる場所から離脱する。
渇いた音が響く。僕が膝をついていた場所は細く鋭い傷痕がつけられていた。
「おいおい、もう見切ったっていうのか? やっぱり初見殺しは一発で決めないとめんどくさいな」
めんどくさそうに『僕』は右腕を上げ、カッターを縦に振りかざす。
僕は急ぎ射程から身をよじり回避する。
偶然なのか僕と同じ系統の能力、あの『僕』の能力は認識した空間を切り裂く能力。
この能力なら相手の動きさえ気を付けていればそうそう当たるはずがない。
再び『僕』はカッターを縦に振り上げる。
僕は再び横に軽く飛び、見えない刃を交わす、そして一気に距離を詰めるために駆け寄ろうと――――。そのとたん脇腹に鋭利な痛みが走った。
「え……? うっ……」
何が起こったのか一瞬パニックを起こしそうになる。
確かに縦の斬撃は避けたはず。一体何をした。
見れば『僕』の左手にもカッターナイフが握られていた。
「で、右腕だけじゃ足りないか。じゃ、もう一本使うことにしたよ」
そこから先は防戦一方の展開だった。
矢継ぎ早に繰り出される斬撃は僕の体を傷つけていく。
傷ついた僕の体はすぐに回復はするが、無論、即死だけは避けなければならず、僕は僕と『僕』の間合いにできた斬撃の壁を超えることができずにいた。
足を止めるわけにもいかず、下手にナイフの能力を使うわけにもいかない。
「おいおい、逃げ回るだけだな芸がないじゃないか」
「そっちこそ、カッター振り回してどんだけだよ」
十字に切り裂かられる。僕は斜めに踏み込み斬撃の範囲から避けようとする。
しかし避けきれず、斬撃が僕の足に命中する。
「ぐぅ……!」
吹き飛ばされなかっただけマシだと思えるほどに深く切り裂かれるが、化け物じみた回復力で即座に傷は癒え、僕は動きを止めることなく回避を続ける。
自分が使う能力と同じだからよくわかる。
この能力の前で静止は厳禁、さらに対象への直線的な接近もできるだけ避けた方がいい。
射程を無視して繰り出される斬撃に廃工場はあちこち切り刻まれる。
首、胸、頭、ならびに五体のどれかを失い失血多量に陥る、即死につながる箇所への直撃は避けているもののさすがにすべては避けきれないでいた。
このままでは押し切られてしまう。僕がいなくなってしまえば、あの『僕』が彼女の隣にいることになる。
「……お前は、僕と入れ替わってどうするつもりだ」
息を切らし切らし問う。
「こんな素晴らしい、力と体を手に入れたんだ。好き勝手やらせてもらうさ。正体を知っている人間は全員死んでもらうけどね」
「片桐を殺す気か」
「もちろん。僕らは世界から呼び出されただけだからね。別に彼女は関係ない。正体を知っているから殺しても、僕らには何のデメリットもないわけさ」
ああ、そうか……。
「なら、言っておくよ。それは僕ではない。好きな人を殺せるヤツ、そんなのは僕ではない!」
声を張り上げ、能力を使い『僕』を含めたすべてを切り裂くようにナイフを大きく横に薙いだ。
「おっと、その能力はさっき見せてもらったよ!」
『僕』はその身をかがめ、斬撃を回避する。
予想はしていた。だからこの一撃は『僕』を狙ったものではない。
僕は工場の柱という柱、視界に写る工場の支柱を切り裂いた。
軋みを上げ崩れる工場、支えを失い歪み、破裂音に似た不協和音を上げながら天井が降り注いでくる。
「っ! くそっ!」
『僕』は天井を避けるため、能力を上に使う。
いくら二刀の斬撃を繰り出せるとはいえ、視界で認識している必要がある。
別角度からの危険に対応すれば、おのずと僕への攻撃は止まる。
そして僕はナイフの力を起動する。
再び走る電流のような痛み、脳が沸騰するような熱、吐き気を催しそうになるのを僕はこらえる。
視界に走る光の雨、行動予測の数値、屋根の破片がどこに、どのように堕ちるのかすべてを認識できる。
僕はすべてを避け、『僕』に近づく。
「もう一度言う、僕は『僕』じゃない―――彼女に近づけさせやしない!」
そして薙いだ。
『僕』は信じられないといった顔でこっちを見た後、僕によって二つに引き裂かれた。
さらに縦に一つ、横に二つ自分自身を否定するように僕はナイフをふるう。
倒壊する工場の中、決着はついた。
「なんだそりゃ……魔女の加護かなんかかよ……」
バラバラになった『僕』はそう捨て吐いて、『僕』は影となり消えた。
「……あぁ、くそっ」
僕は僕で、『僕』が消えたのを確認しナイフの能力を解いた。だがしかし、ひどい頭痛は引く気配を見せず胃の物をはきだし、僕は満足に立つこともできず膝をつき倒れこんだ
あちこちに降り注ぐ天井が見える。どうか魔女の加護がありますようにと天井を眺めながら僕は祈った。
倒壊した工場で僕は奇跡的に生き延びていた。
どうやら本当に魔女の加護でもあるのかもしれない。
あっちこっち傷ができたものの、すべて致命傷に至ることはなく、僕は無事だった。
奇跡的にといえば、もう一つ。片桐マナの携帯電話も無事だった。女性向けとは言い難い軍事仕様のようなデザインの携帯電話はどう見ても彼女の趣味だ。
試しに電源を入れてみると、『僕』の仕業かロックは解かれていた。
いくつかデータを確認していると、『僕』が打ったであろうメールの前に彼女が送ろうとしていていたメールの下書きを見つけた。
そのメールを見て、僕は片桐が監禁されている場所はなんとなく察しがついた。
彼女はドッペルゲンガーが発生する場所を予想していたのだ。
発生場所のそばには、以前、『僕』が出現した場所である駅前の裏通りがそばにあった。
あのいくつもの空いていない店が並ぶ通りだ。
この町で3日も監禁しておける場所なんてほかに思いつかない。まず探すならそのあたりだろう。
工場に人が集まる前に僕は、駅前の裏通りを探索することにした。
頭がひどく傷むがそんなことを言っている場合ではない。
日が暮れ夜になり、僕は駅前の裏路地にたどり着いた。
空いたまま店が多いのか、店の灯りはほとんどついていない。
何件目だろうか、シャッターを無理やりこじ開け中に入ると、椅子に縛り付けられた片桐を見つけることができた。
元は喫茶店だったのか調度のとれた椅子、テーブルが並んでいる中で、彼女は足と腕を縛られぐったりとしている。
テーブルにコップが転がっているあたり、『僕』が死なないように用意はしていたのかもしれない。
「……あなたは、だれ、ですか」
ひどくかすれた声で片桐は言う。
僕は急いで彼女の拘束を解きつつ、問いに返した
「君からナイフをもらった代川アキラだよ」
「……そう、よか――――」
はっきりとは分からない言葉を呟いたかと思うと彼女は動かなくなってしまった。
彼女の拘束を解き、僕はすぐさま救急車を呼び出した。
救急車が付くまでの間、僕は彼女の顔を見た。
心身がボロボロのはずなのに、その顔は少し安堵が混ざっているように感じた。いやそれは僕が自分を納得させたいための気の違いなのかもしれないが――――……。
ややあって、救急車は到着した。
彼女は搬送され、僕はそれに付き添った。
各所から事情はいろいろ聞かれたが、連絡をもらってそこに行ったら彼女がいたと話をして大筋問題はなく話は進んでいった。
病院の診断では栄養失調気味だということ以外は特に問題なしとでたらしい。
ベッドで休む片桐からはそう聞かされたのは彼女を救出してから4日後、僕が彼女の見舞いに行った時だった。
「私もウカツでした。まさか用意しておいた認識をずらす御守が効かなかったのですから」
「僕も驚いたよ。片桐が僕の事情に巻き込まれているとは思わなかった。すぐに気が付けなくてごめん……」
「……それは、その、ごめんなさい」
ベッドで休みながら、彼女は僕に何があったのかを教えてくれた。
他人から認識されづらくなる御守を作り、一人でドッペルゲンガーの発生地点を割出し説得を試みたこと、
そして三人目の僕が現れ襲われたこと、二人目の『僕』気絶させられ携帯を奪われたこと。
「思えば、片桐の両親はどうしているの?」
「うちの両親は特殊ですから……今頃、外国で遺跡の調査ですよ」
どうにも話題が出てこないと思ったら、そういうことだったのか。
「お手伝いの人がいるのですが、その人も連絡がないと来てくれませんし、基本的にうちでは一人なんですよ」
弱弱しく笑いながら彼女は言う。
ずっとそうだったのだろうか、僕は次にかける言葉を探し、何も声を掛けられないでいた。
静かな時間が過ぎていく。
長い髪の彼女は不思議そうな顔で、しかしまっすぐと僕を見ている。
できれば、化け物ではなく、人間として彼女を見ていたかった。
人間の時にそれができなかった僕が悪いのだろう。どうにもすべてが後手に回ってしまう。
ややあって、僕はなんとか言葉を吐き出すように口をあけた。
「片桐、これからも、こんなことがあると思う。だから――――」
僕のそばにいてほしい。その言葉があまりに贅沢なもののように感じ僕は言葉をためらってしまう。
「一緒に、これからは」
僕の口から出たのはここまでだった。
こみ上げる想いと声が重ならない、すれ違いあって声にならない。
僕はなんてことを言っているのだろう。化け物がそんなことを言っていいのだろうか。
さまざまな思いが僕の声を妨げる。
「そうですね。貴方なら、いえ、代川さんなら信じられそうです」
彼女がそう僕に返した。
……本当に久しぶりだった。
片桐が僕の名前を呼んでくれた。
誰でもなく僕に向かって。
「……。よろしく」
「はい」
彼女はそれをわかっているのだろうか。
僕はどんな顔をしているだろうか。
照れた顔を隠すように僕は彼女から視線をそらす。
まったくひどい話だ。……本当、今更だし、ひどい話。
あの日見た夜空の星は僕を許すことはないのだろう。
ならば僕は罪を全てかぶり償う。
もとより自殺してしまったのだから、僕が僕を殺し続けなければならないのは罰なのだ。
だけど、それで守れるものがあるのなら、そばにいることができるのなら……僕はそれで構わない。
自殺をした罪、自身を殺した罪。
見上げた空には真昼の星、手を伸ばしても届かない断罪の星。
彼女のそばにいれるのなら、僕は生きていける。
名を呼んでくれるのなら、僕は僕であり続ける。
ゆえに星は断罪す――――されど僕は星を見上げる。