第三話「失踪」
片桐が姿を消した。
11月の終わり、学校行事もあらかた落ち着いた頃だった。突如として彼女が学校に来ない日が3日と続いていた。
「……風邪だとかそういうのは聞いてないんだけどな」
いつもの三人での昼食ではなく、八目と二人での昼食。
二人でぼやきながらパンをかじっていると元の世界でのことを思い出してしまい、僕は思わずため息が出ていた。いじめではないはずだ。今の所そういった痕跡はない。
「なにしてるんだか。アキラ、お前はなんか連絡もらってるか?」
「いや、なにも」
「そっか……。ま、あまり心配することでもないか。そういえばさ、この間入ってたゲームだけど――――」
話題が変わり、この話はここまでとなった。
本当に何があったのだろうか?
ふと脳裏に彼女の言葉が思い返される
『あなたは私が死ぬか、あなたが死ぬまでこの世界に留まらざる負えない』
僕がここにいるということだから大事にはなっていないはずなのだが……。
放課後、普段あまり使わない僕の携帯電話が鳴った。
画面を見れば、『こちらの指示した場所までこい』とあまりに簡素なメールが表示されている。片桐マナのアドレスからだ。どういうことだろうか? そこまでメールのやり取りをする仲ではないが、メールの文面からは彼女の雰囲気を感じられない。
何かに巻き込まれたのだろうか、それも僕に連絡が来るとなると、『僕』が絡んでいるのだろうか……。
不安を感じながらも僕は指定された場所まで向かうことにした。
指定された場所は古い造船所跡だった。
子供のころから港にそこにあり、人の気配も出入りもなにも見たことがない廃工場。
人気がないという点では僕の知っている限り一番良い場所なのかもしれない。
僕は静かにプレハブでできた工場内入っていく。
埃が溜まった工場の中は今もまだ複数の鉄柱が屋根を支えあい、廃材があちこちに散乱している。人が手入れしている気配は感じられず、外からの音がかすかに聞こえるぐらい中は静かだった。その静けさは無人であることを異様なまでに主張しているようにも感じられた。
誰が僕を呼び出したのか、片桐は無事なのか、様々な思いが僕を駆け巡る。
ポケットには彼女が用意してくれたナイフ。
多分、僕の考え違いではなければ、またいつかの通りの戦いになる。生きるために、彼女を失わないために、僕は覚悟を決める。
「まったく、それでは遅いだろうに――――」
聞いたことのある声が聞こえた。録音された自分の声を聴くような微妙なずれを感じながら、僕は声の主を探した。
「……なんで僕を呼び出したんだ。片桐はどうした」
僕の声に応えるように端から声の主は姿を見せた。その姿はやはり『僕』だった。
ただ前回とは違い、目が異常に見開かれている。なんだこいつは……?
「彼女が心配なのかい? ああ、わかってるとも僕も僕だからね」
仰々しく演劇のような動きで僕を制す『僕』。自分の姿をした人間が大げさな動きをするのは辟易とする。
「お前は何なんだ? 僕をこの世界から排除するならなんでこんな回りくどいことをするんだ」
「おいおい、僕ならわかるだろう? よほどの体験がないかぎり僕には片桐は殺せない」
……僕のドッペルゲンガーすべてがそうであるとは思えないが。
「そう。だけれども例外はいる」
「っ!」
「ああ、ごめんごめん。うっかり考え事まで読み取ってしまったみたいだよ。知っての通り僕らにはルールがある、皆、化け物であり異端の能力を得ている。その能力をもって想い人と一緒に死のうなんて僕がいるかもしれないだろう」
「……なにが言いたい」
「僕はね、僕に言いたいんだよ! 甘いじゃないか! 彼女は僕がこの世界にきてすぐさま見つけ出し僕を説得しようとした。ドッペルゲンガーのルールだからね。同じ顔の人間は3人まで、だから僕らが消えなければ世界はあと一人のドッペルゲンガーしか生み出さない。だけれどもそうじゃない。なぜ片桐と一緒に行動していない。なぜ彼女だけを危険な目に合わせた」
「……」
「僕だからよかっただろう、でも僕でなければ彼女は死んでいたかもしれない。だからこそ、その甘い認識でいる僕を、僕は許せない!」
言われ放題だった。しかし『僕』のいう通りだろう。
「だから、彼女を隠し、僕を呼び寄せたのか? それが言いたいために? どれだけ暇なんだよ」
次の瞬間、僕はナイフを振るっていた。空間を引き裂く能力は先制や不意打ちとの相性がいい。
何であれ、こいつは僕を模したドッペルゲンガーだ。消される前に消さなければいけない。
切っ先が『僕』に届く直前、『僕』は身をかがめは空間を引き裂いた部分から身をかがめて避けた。
「な……」
「いけないよ。それは僕に見えている。全ての動きを見て取り、紐解き、読み取る能力……。戦闘向きではない僕の能力だ。だけれども!」
言葉が終わるか終らないかの間、『僕』は一瞬で距離を詰め僕のナイフを持った右腕と首をつかみに来る。
とっさに二度目を振るおうとするが、その右腕はあっさりつかまってしまった。
「その能力は強力な攻撃だ。しかし懐に入られると弱いし、なにより接近されたときのこの対応はなんだ! これじゃ彼女は僕に任せられない」
「ふざけるな、この―――!」
力任せにふりほどこうとあがくが、それ以上の力で持ち上げられ僕は離れた壁に投げつけられた。
「うぐ――――」
頭を強く打ったのか鼻の奥から鉄さびのような匂いがする。
こいつさっきから僕の行動がわかったように動いてくる。何なんだ。
「まだだ。立ち上がれるはずだろ」
『僕』の言うとおりダメージはすぐに回復した。
僕は立ち上がりナイフを構える。
「……僕らを殺すためにはほぼ即死を狙わないといけない。だから僕では僕を殺せない。僕では彼女を守れない」
「それじゃおとなしく消えてくれ、自分に説教されるなんてストレスでしかない」
「僕が納得したらね。僕が彼女を守れるのだとわかるのなら―――おっと」
再び空間ごと切り裂く、完全に読み切っているのか『僕』は体をひねりやり過ごす。
「だいたいその使い方がわかっていないし、ナイフの力も理解していない。君はもう少し彼女と話すべきだ」
無茶を言うな。大体この世界の僕は片桐のことを……。
「僕はその醜い僕を否定したうえで入れ替わったのだろう。羨ましいが彼女が望んだのは、僕ではないのだから」
「どういうことだ」
「僕らは、ドッペルゲンガーのドッペルゲンガーは世界によって生み出される。
誰からも望まれていない存在。でも君は違う。望まれて呼び出された。あえて僕に言うよ。僕らは違う」
再び『僕』は僕に向って距離を詰めてくる。
僕はナイフを二度振り『僕』の動きを止めようとするが、やはり考えがわかるのかナイフの軌跡を回避してくる。
「君が使うその能力は空間を引き裂く能力ではない、認識したものを切り裂く能力だ」
三度目を振りぬくが、それも当たらない。容易に距離を詰められ僕は後ろに一歩下がる。
「そしてそのナイフの持ち主は概念を可視化できる。つまりそのナイフの力を使えば君は空間を、時間を、すべて切り裂ける」
「ふざけたことを。大体僕にそんなことを教えて、何になるっていうんだ!」
「……察しが悪いね。言っただろう僕ではほかの僕は殺せない。彼女を守ることは僕ではできないんだ。だから彼女を守ることができる僕に、僕は託すしかないんだ」
接近、そして接触、『僕』が打ち抜くように繰り出した拳を、僕は寸前のところで避ける。
概念を可視化できる……? 何を、どうやって。
その時、右腕から強烈なしびれが僕に流れ込んできた。
「ぐ、うア――――」
強烈な痛みに思わずうめき声が漏れる。色彩が失われ、代わりに僕の目は様々な情報をとらえていた。
縦に流れる細かな緑の光、『僕』が移動使用しようとしている方向を照らしている光の筋、なにかの可能性を示唆する数字。
頭に焼けそうな痛みが走る。人間がとらえてはいけない情報量を見ているのだ、それでも僕はそれを見続けた。
相手が全てを見る目を持っているのなら、こちらも相手の動きを先読みしないといけない。
相手から延びる光の筋を添うように僕はナイフを『僕』滑り込ませた。
「何っ!」
カウンター気味にナイフが『僕』の右腕を切り飛ばす。
「……これは、これは。どうやら、ナイフの力を使えたみたいだね。教えてみるものだよ」
なくなった右腕を抑え、肩で喘ぐような息をしながら『僕』が言った。
失血がひどいのか徐々に体が傾き、膝をつく、殺し切る好機だ。
僕は一度ナイフを握り直し、構えなおす。
しかし、そのナイフを振り下ろす前に僕の見る世界が強烈なノイズに襲われた。
「う、ああ――――」
気が付けば限界が来ていた。
距離や時間、相手や周囲の行動可能性の可視化。人知を超えた計算処理に脳が絶叫を上げた。
僕は激痛に膝を折る。
「おいおい、それじゃなんだ? 殺してくれと言わんばかりじゃないか」
もう一つの声が響いた。
その次の瞬間、なんの前触れもなく目の前の『僕』の首は跳ね飛ばされていた。
『僕』は音もなく、声もなく崩れ落ちそのまま影となり溶けて消える。
「うん、いけない。狙いを定めるのはなかなかコツがいるな」
声の主を探し、僕は見た。
いつか見たカッターナイフを手に三人目の『僕』がそこに立っていた。