サムライフラットデイズ:ほろ苦
三月。それは人々が浮足立つ季節だ。冬がようやく終わり、年度末に向けた仕事まとめ、新年度に向けた準備。卒業、進級、など、など、など……とにかく変化が多い時期である。
そして、そのど真ん中に位置するのが、今や当然のごとくカレンダーに書かれるようになったイベント、ホワイトデーだ。
「三月十四日は平日だよ」
空になったマグカップを置き、慧は眉根を寄せた。隣に座っていた煌太が、その音で肩をすくめる。向かいの燈瑞は、黙ってカップを傾けた。
場所は、燈瑞の事務所。一仕事終えてきた三人が、そろって一服していた。
「高杉さん、支部に戻らなくていいんすか」
「今日は午後から非番。……有休」
まだ温かい急須から二杯目の茶を注ぎ、慧はソファに深く座る。
「……で、何の話だったか」
「先月、百合さんと桃井から荷物が届いていたなという話です」
「ああ、それで今日は三月十四日だなと言ったんだったな」
「……そこに戻す?」
話をぶった切った慧は、何事もなかったかのように会話を続ける煌太と燈瑞をじろりと見遣った。
「どうせ二人ともお返ししたんでしょ。いいねえ遠距離でも確実で」
「ひがむな見苦しい」
「……お返し? 今日って何かあるんすか?」
煌太が首を捻る。燈瑞と慧が同時に煌太を向いた。
「え? え……高杉さんも言ってたっすけど、今日別に何もない平日っすよね」
「……煌太君、君まさか」
「先月、桃井から何か届いていたんだろう」
「ええ、確かに刀のお手入れセットが届いたっすけど」
「うわ色気ない」
「あいつらしいな」
燈瑞は立ち上がり、デスクから卓上カレンダーを持ってきた。
「煌太。桃井から荷物が届いたのはいつだ」
「二月ー……十四っす」
びしっ、と燈瑞の指がカレンダーの『二月十四日』を叩く。
「この日は?」
「……バレンタイン」
「そして今日は?」
「……ホワイトデー……ああっ!」
がたん、と煌太はローテーブルに両手をついて立ち上がった。ソファの背の上に寝ていたヤマブキが、その衝撃で転がり落ちる。
「高杉、桃井の今の勤務先は本部だったな」
「うん。今地図出すよ。パソコン貸して」
燈瑞はデスクの引き出しを開け、大きな茶封筒を取り出した。デスクに乗っていた書類をそこに突っ込み、紐で封をする。走り書きでサインがされた付箋を張り付け、燈瑞はその封筒を煌太に突き出した。ほぼ同時に、赤丸が書き込まれた地図が慧から差し出される。
「今週末までに本部に届ける研究資料だ。悪いが午後、使いを頼めるか」
「はえ?」
「これがアンダーシティから本部までの地図。通り道に、花屋とケーキ屋と本屋と武器屋があるよ」
「はあ」
「ほら行きなさい!」
「は、はい!」
慧に背を叩かれ、煌太はばたばたと出て行った。
「……武器屋選んだらどうしよう」
「桃井も期待はしていないだろうがな」
慧は疲れたように笑った。
「結局世話しちゃうんだよなあ」
「お前今日はデートが中止にでもなったか」
「……さやちゃんもエリートだからね。しょうがないしょうがない」
どさりとソファに座り、慧はやれやれと首を振る。
「で、あなたは誰に何をお返ししたの?」
「んぐっ」
燈瑞はココアを喉に詰まらせた。
「……お前今日は本当に機嫌が悪いんだな」
「そりゃ、デートが反故になれば機嫌も悪くなるさ。年に一回、この時だけは絶対にさやちゃんが好きなケーキのお店に行くって決めてるのに。腹が立つ」
「どうせ埋め合わせはあるんだろう」
「あー……昨日の夜電話貰った時にいらないって言っちゃった。仕事の都合なら仕方ないって」
「どうしてそこでお前は格好をつけてしまうんだろうな」
燈瑞は苦笑を漏らして煙草に火を点けた。
「……一本ちょうだい」
「断る。お前の彼女が怖い」
「ちぇー」
「そら、これならいい」
燈瑞はポーチから小さな箱を取り出し、慧に放った。
「……ココアシガレット……最近仕事終わりに食べてたのこれ?」
「禁煙させたいんだそうだ」
指に挟んだ煙草を上下させ、燈瑞は紫煙を吐き出した。
「……午後暇?」
「今のところは」
「煌太君が帰ってくるまで、賭けない? どの店で何を買ったか」
「いいだろう」
「じゃあ僕は、花屋で今流行りの花束を一つにチョコ三箱」
「なら、ケーキ屋で一番人気のケーキを一つに角の中華屋の激辛麻婆豆腐三杯だ」
「どっちも負けたら?」
「煌太に何かおごってやろう」
煌太が、本屋で話題の詩集を買ったと報告させられるまで、あと一時間と二十五分。