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鍵の守り人 黙示録:飛ばない竜の手には豆がある

 大国、アーサーシーエン国は武術が盛んな国だ。

 王宮に勤める騎士は、高い教養は当然のこと、見世物ではない本物の武術を身に付けることを要請される。それは剣術、弓術、棒術に留まらず、騎馬術や体術などにも及んだ。

 華やかな大国を支える確かな武力。日々己を研鑽する騎士達が、その技を国民に示すのが、武術大会だ。

 三年に一度開催される、王都を上げた祭りの季節――――優勝した騎士には国王直々の勲章が与えられる。その誉れを得んとして、騎士達は奮い立っていた。

 さあ――――祭りの季節がやってきた。



「俺も出るの!?」

 王宮の一室で、悲鳴じみた声を上げる青年がいた。褐色の肌に赤銅色のざんばら髪、右耳の後ろにはビーズの飾りを吊るしている。着ているのはカーキ色の騎士の服装だ。

「当たり前だ、私の付き人なのだからな。武術大会の騎士の部に出るぞ」

 そう言って足を組んで座るのは、アーサーシーエン国王女のユースチアンだ。一つにまとめた金髪に、勝ち気なエメラルドの目、王女としては異様なほどにシンプルな服装。向かいの青年との対比もあって、余計にその飾り気のなさが目立った。

「いや、でも俺……剣とか使えないし」

 そう言う褐色の肌の青年は、ユースチアンの付き人のジュドだった。不安げに泳ぐ目に、ユースチアンは溜息を吐く。

「安心しろ、私が教える。別に、今までずっと鍛えて来ていた騎士達に勝てとは言わない。だが、以前私は優勝をもぎ取ってしまったのでな。その付き人が出もしないというのはまた風当たりが強くなる」

 ジュドは、以前ユースチアン、及び『鍵の守り人』と呼ばれる魔法使いと共に旅をしていた。だがその旅の役割を終えると、ユースチアンに拾われる形で付き人の職を得たのだ。粗野な言動もあって、周囲からは時折後ろ指を差されることがあった。

「使うのはレイピアでも普通の剣でもいい。今日から稽古は始めるぞ。残念ながら拒否権は無い」

「……はぁい」

「では昼の鐘が鳴ったら中庭に。それまで仕事を手伝ってくれ」

 ユースチアンが執務机に向き直り、ジュドはその傍らに立って茶の用意をした。



 以前『鍵の守り人』の入れ物として様々な国を旅していた青年、セラフィム。今ではアーサーシーエン国の王都で教師をしていた。大学寮の一角に間借りをして、ジュドと共に暮らしている。

「ただいまぁ」

 ジュドがドアを開き、セラフィムは顔を上げた。机の上には、先日学生から回収した課題が乗っている。

「お帰り。飯にするか」

「うん……」

 ジュドは椅子に座り、そのまま机に突っ伏した。

「……どうした」

「セラフィー……俺剣出来なきゃ駄目なのか?」

 その一言で、セラフィムは全てを悟ったような顔になる。

「……ユーはスパルタだったな」

「剣なんかできなくても旅では困らなかっただろう? 俺は半分とはいえ竜だし、セラフィーは『鍵の守り人』だったから魔術が何だって使えた。それをいきなり……」

「まあ不満はあるだろうが」

 セラフィムは湯を沸かし、ジュドの前に茶を置いた。

「一つ、頑張ってみるといい。お前が努力家なのは、俺が一番知っている」

「………………」

 ジュドはセラフィムを見上げ、唇を尖らせて視線を逸らした。



「八歳の子供に武術大会は酷だと思うのだが」

「過保護か?」

 王宮の客間で、セラフィムはユースチアンと睨み合っていた。

「お前はジュドにもう少し厳しいものと思っていた」

「もう何かに追われることはないんだ。少しくらい過保護になってもいいだろう。俺はあいつの親代わりなんだ」

 セラフィムはソファに身を沈め、腕を組む。

「不要な怪我はして欲しくない」

「私だって同感だ。稽古は木刀でやっているし、武術大会でも余計な怪我はさせない」

「……俺は、騎士の矜持だの面子だのは詳しくない。だが、そういう連中の中にジュドを放り込むということは感心しないんだ」

「………………」

 ジュドには、王子のふりをしていたとある男に、奴隷として働かされていた過去がある。

「当然、あいつも頭では分かってる。あの男が王族じゃなかったことも、王族貴族がそういう連中ばかりでないことも。だが……」

「分かっている。私も。……だからこそだ」

 ユースチアンは苦々しい顔になった。

「『鍵の守り人』……お前の後ろ盾はある。側近として、竜の亜人というだけでそれなりに評価もある。だがジュドにはそれしかないんだ」

 ユースチアンは鋭くセラフィムを見返す。

「あいつが、あいつ自身が側近として評価されるには、周囲にあいつを認めさせる必要がある。武術大会は、数少ない機会なんだ」

 ユースチアンの言葉に、セラフィムは言葉に詰まった。

「厳しいことを言えばあいつはただの側近としての評価は落第点だ。敬語も紅茶の淹れ方も来客の対応も書類の仕分けも。まあ、これは私がカバー出来るし本人も頑張っているのは認める。あいつの事情と本当の年齢を知っているからな。だが他人はそうはいかない」

「……ううむ」

「ある程度貯金ができたら使用人学校に行くといい。学費は必要経費だから補助しよう」

「そんなにひどいか?」

「……察せ」

 ユースチアンは手を組んで俯いた。

「……だがその……それを言われると確かにとしか言えないが……」

 額に手を当て、セラフィムは軽く首を振る。

「入ります。……ああ、何だ客ってセラフィーか。お茶淹れてきたぜ」

 二人で黙り込んでいると、扉を開いてジュドが現れた。

「……ええと、何この空気、通夜か?」

 ジュドの言葉に、セラフィムは長い溜息をついた。



 太鼓が打ち鳴らされ、闘技場の東西の扉が開く。ぐるりと周囲を囲む観客席は既に満員であった。砂の地面に風が吹きおろし、砂埃が舞い上がる。

『さあ騎士の部一回戦第三試合! 東は水の騎士団長にして時期総指揮候補、スキュアート! 西はユースチアン王女の側近にして天駆ける竜と人の混血、ジュド!』

 司会が、拡声機で互いの名を告げた。白いマントを風に翻らせ、ジュドは緊張した面持ちで進んでゆく。

 闘技場の中心で、二人は向かい合った。

 騎士の試合は、時折開催されている囚人たちの決闘とは根本的に異なる。互いに名乗りをあげ、剣を構え、礼を尽くす。対戦相手への敬意があって初めて、その試合は成立する。

「ロズ・スキュアート。水の騎士団に所属している。少しばかりエルフの血が入っているが、人間だ」

「ジュド・ガザリアス。紅の飛竜と人の亜人だ。王女の側近として働いている」

 二人は同時に剣を抜き、顔の前に構えた。

「よきひと時を期待する」

 ロズは笑みを浮かべ、二人は互いに背を向けて三歩ずつ離れた。その場所で踵を返し、互いの剣を構える。ロズが使うのは細身の長剣、ジュドは更に細長いレイピアだ。剣に慣れていないジュドの為にユースチアンが用意したもので、レイピアらしく長い刀身の割には軽く、護拳などの装飾も少ない。

『では――――始め!』

 司会が叫び、試合開始を知らせる鐘が鳴り響いた。ほぼ同時にロズは体を前へ倒し、鋭い剣の切っ先を突き出す。たかが六歩程度の歩幅は、踏み込みとその刀身で瞬く間に消え失せた。

「っ!」

 突如として眼前に現れた切っ先を、ジュドは反射的に体を沈めて回避した。そのまま横へ転がり、ロズの間合いから逃れてから立ち上がる。だが、大きく体勢を崩したはずのロズは既にジュドに正面から向き合っていた。剣の重量も振る速度も勝るロズの一撃をまともに受ければ、レイピアなどひとたまりもない。繰り出される突きを切っ先で弾きながら、ジュドはじりじりと後ずさっていった。

「一方的な試合だな」

 王族の観客席で、王子がそう呟く。その隣で、ユースチアンは黙って闘技場を見下ろしていた。

「まあ教養のない亜人では仕方がないか。ユー。情で重用するのもいいがあのままでは王族の面汚しだぞ」

 兄の言葉に、ユースチアンは黙って眉宇をひそめる。もう一人の兄が、「確かにその通りだ」と笑っていた。

「竜の亜人ならば、竜に変身できるんだろう。追い詰められてその本性を出せば、見世物としては上々だが」

「飛んで逃げるかも知れないぞ」

 また、耳障りな笑い声が響く。ユースチアンはやはり黙って、壁際へと追い詰められていくジュドを見つめていた。



 セラフィムという万能の魔術師の傍らとは言え、旅をしていれば自然と危険がつきまとう。それを回避して生き抜くのもまた、必要な技術として身に付けてきた。もし時間内ただひたすらに逃げ回るだけが仕事であれば、ジュドにとって決して難しくはなかった。

 だが、ここで自分に求められているのは、王女の側近、騎士、そんな形式ばった姿だ。清く、正しく、美しく、強く。そんなものとは無縁であったジュドには、何もかも煌びやかで眩しく、しり込みする世界だった。

「ジュド君、これ以上の無様を晒す前に、降参することを進める。君には側近の面子がある」

 攻撃の手をしばし休め、ロズがそう言った。ジュドは黙って首を横に振る。一歩足を退ければ、背中が固い壁に触れた。

「何故食い下がる? 美しくない」

「――――、」

 言葉を口にする余裕はなかった。

 ユースチアンに叩きこまれた、基本の構え、足はこび、呼吸の整え方。そこから繰り出される、洗練された技。自分では一度も成功していなくても、ユースチアンが成功させている姿を、何度も、何度も見た。どう動けばいいかは分かっている。あとは体をその通りに動かすだけだ。

 ジュドは気合いの声を上げ、正面からロズに向かって駆けだした。ロズが一瞬驚いたような顔になり、防御の構えを取る。ジュドは真っ直ぐにレイピアを突き出すように、剣を握った手を引いた。ロズは再び表情を引き締めると、剣の切っ先をジュドへと向けた。

 ジュドはそのまま、強く地面を蹴る。ロズが突き出した剣は、ジュドのマントの端を掠った。大きくマントを翻らせながらロズの頭上で一回転し、ジュドはその背後に着地する。そしてそのまま視線をロズに送り、体勢を変えないまま、腕だけを後方へ振った。

 レイピアの切っ先が、ロズの首を捉えた。

「……見事、」

 しかし、ロズの剣もまた、ジュドの項に向いていた。ジュドが歯を食いしばっているのに対し、ロズはまだ余裕の表情だ。

 下手に動けば、その瞬間に勝負は決まる。そして負けるのは、間違いなくジュドだろう。互いの刃の切っ先を、互いの急所に向けている。その緊張感は観客席まで伝わり、ざわめいていた観客が次第に静まり返って行く。

 ジュドの頬を汗が伝った。

「っっ……ああああっ!」

 騎士には不似合いな気合いの声を上げ、ジュドは剣を振り抜くと同時に体を転がした。項からロズの剣が離れ、均衡が崩れた一瞬、ふっとジュドの意識は持ちあがる。

「しまっ――――」

 極度の緊張は、押し殺していた本能を突き動かすには十分に過ぎた。

 レイピアが手から滑り落ちる。足がもつれて後方に倒れ、視線が無理矢理に持ちあがる。そして視界を埋め尽くす鮮やかな蒼は、竜の居場所だった。

 両足が地を掴む。倒れかけた体を起こす間に、見る間に地面は遠くなる。首は伸び、両腕は前足となって体を支えた。広がった大きな翼が、日の光を浴びて喜びに震える。

 こみ上げる衝動のままに、ジュドは雄々しき咆哮をあげた。



 体を締め付ける騎士の服はもうない。足に纏わりつく形式ばったマントも、踏みつければ折れてしまいそうな細い剣も、形が変わらない靴も、自分には不要なものだ。

 自分には翼がある。爪と牙がある。頑丈な鱗がある。さあ飛ぼう。何を人間ぶっていたのか。竜らしく空へ飛翔しよう。

「――――、」

 食いしばった牙の間から、唸り声が洩れる。ほとんど反射的な変身は、そのままジュドの自我を奪い取ってしまいそうだった。

 どうせロズには勝てない。このまま無様に負けるよりは――――。

「ジュド」

 揺らいだ意識を引き戻したのは、静かな声だった。

 それは、決して大声ではない。観客の怒号や悲鳴、歓声、それらに掻き消されるような、静かで穏やかな声だ。だがジュドは即座にその声の主を見つけ出し、そちらに首を向ける。

 王族の席。そこから飛び出したユースチアンが、手すりの上に立っていた。ユースチアンの腰に白い布を巻きつけて支えているのはセラフィムだ。

「……ジュド」

 もう一度、ユースチアンが呼び掛けた。

 しゅるん、と瞬く間にジュドの体が縮む。冗談のように、巨大な竜は消え、小さな騎士が立ち尽くしていた。

「……けほっ」

 余波で吹き飛ばされていたロズが、剣を掴んで戻ってくる。

「素晴らしい、これは敬意を払わなくてはいけないな。君は今私を踏み潰すこともできただろうに」

「……、」

 ジュドはレイピアを拾い上げ、手袋で埃を拭って鞘に収める。

「降参する」

 そして、俯いたまま静かに言った。



 闘技場の控室には、既に記者が集まっていた。次の戦いへコマを進めたロズではなく、竜の姿を見せたジュドを目当てに。ジュドは俯いたまま、足早に記者たちの間をすり抜けた。

「ジュドさん、先程の竜の姿は意識してなったのですか?」「やはりあの姿があるから、王女はあなたをお傍に?」「何故降参を?」

 次々と質問が飛ばされ、ジュドは耳を塞いで走り出す。階段を駆け上って記者を振り切ると、その先、武器を預ける部屋の前でロズが待っていた。

「……私の負けだったよ」

「でも、あれは」

「実力は実力だ。君はもっと自信を持っていい。……流石、ユースチアン王女が認めた子だ」

 ロズはジュドの肩を軽く叩いた。ジュドは力なく首を横に振り、力が抜けたように床に座り込む。

「……ごめんなさい……無駄に怖がらせた」

「いやいや、私は気にしていないし寧ろ嬉しいくらいだ。竜を間近で見られるなどそうそうないのだから」

「……俺もあんたみたいに強くなりたい」

 膝に額を当てたジュドに、ロズは困ったような顔になった。

「……ジュド」

 声が降ってきて、ジュドはぱっと顔をあげる。水筒を持って立っているセラフィムがそこにいた。

「せら……ふぃ、」

「ユースチアンが呼んでる」

 セラフィムの言葉に、びくっ、とジュドは震えた。セラフィムはロズに頭を下げ、腰が引けているジュドを引き摺って歩いていった。

「……説教か?」

「だろうな」

「……やだ」

「そう言っても」

「やだああああ!」

 ジュドが叫び、セラフィムが驚いたように振り返った。普段気丈で大人しいのが嘘のように、ジュドはぶんぶんと頭を振って駄々をこねる。

「やだ、絶対怒ってるもん嫌だ! 竜になったし、降参したし、教えてもらったこと何もできなかったし、……やだあ!」

「じゅ、ジュド……」

「俺だって頑張ったよ! でもまだ八歳なんだよ、まだまだこれから頑張るから、!」

 セラフィムが、ぐいっ、とジュドを抱き寄せた。自分の肩にジュドの顎を乗せさせて、頭を優しく撫でる。

「頑張ったよ、頑張った。ほら、いいこ、いいこ」

「……、」

「落ち着くまで待つから。息ゆっくり吸って」

 ジュドはセラフィムの服を掴み、大きく息を吸う。

「はい、吐いて」

「……ふー……」

「……お前は本当に良い子だよ」

 まだ緊張している体を抱き寄せて、ぽんぽんと背中を叩く。ジュドの体から徐々に力が抜けて、やがてがくりとその膝が折れた。セラフィムはジュドの体を支え、膝の下に腕を入れて持ち上げる。緊張の糸が切れたのか、ジュドはセラフィムの腕の中で眠っていた。



 窓際から、ユースチアンは中庭を見下ろす。王宮のいくつかある中庭のうちの一つ、ユースチアンの部屋から見えるそれは小さく、煉瓦の道が一本と低木が一本あるのみであった。

 その中心で、白いマントが翻る。赤銅色の髪と褐色の肌、今や王都の民で知らない者はいない、竜の亜人の騎士。力でねじ伏せることも、その翼で遠くに逃げることも可能だったのに、自らの負けを認めた青年。

「ジュド、血豆ができない程度にしておけ。側近は見た目も大事だ」

 そうユースチアンが呼び掛けると、ジュドは剣を振る手を止めて顔をあげた。

「――――ああ」

 ジュドは汗を拭い、剣を鞘に収めた。そして初めて、自分の手の変化に気付く。

 豆だらけになり、硬くなった手を握り、ジュドは改めてユースチアンを仰ぎ見る。

「……いつか、あんたが誇れる側近になるから」

 休憩の時間は終わりだ。マントを外し、ジュドは足早に王宮の中へと戻って行った。


(了)

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