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サメ小説アンソロジー『サメ、サメ、サメ!!』  作者: サメ小説アンソロジー企画班
2/22

新たな種族ができるまで 作者:えくぼ

えくぼ


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http://mypage.syosetu.com/407013/

 人類はかつて栄華を極めた。

 思い上がり、傲慢になり、世界の全てを知ったようなつもりになっていた。

 事実、宇宙へと旅立ち拠点を築きあげ、エネルギー問題を解決し、全能感を得たとして何ら不思議はなかった。

 栄華を極めた。そう、語られるのは過去のことだ。天候も災害も星の運動さえも予測可能となった人類が、一つ大きく見逃したものがあり、そしてそれが今は――


「襲撃だ!! 隠れろ!」

「逃げ遅れた者がいる。伏せろ」


 息を切らした体格のいい男が、それでも伝えようと叫ぶ。

 身に纏うは旧時代の遺物。布の衣服に、革の靴、それらは全て、文明の発展と共に廃れた、はずだった。


「やはり無茶だったか……」

「はあ? アレを取り返さねーと俺たちに未来はねーんだぞ!」


 伏せたまま、先ほど叫んだ男が怒鳴る。彼がおそらくこの場においてのリーダーなのだろう。そしてアレ、と指をさしたのは一つの巨大なドーム。


「循環型エネルギー製造機、通称、聖炎球エネルスフィア


 山と比べなければ正確な大きさを目測で測ることすら叶わない。人類の文明を象徴していた三大発明の一つが惜しみなく使われている。世界に三箇所のみ存在する、ほぼ無尽蔵にエネルギーを作り出す、それだけの設備だ。

 その目的地を目前にして、彼ら四人は窮地に立たされていた。


「囲まれたか……」


 地面がボコ、ボコリと盛り上がる。亀裂が入ったところから黄土色のそれが現れた。

 顔も身も、全てがジャガイモ。それがまるで人のように形をとって二足歩行を真似るようにざわざわと動き出す。唯一、人との共通点があるとすれば、ジャガイモの中に目と鼻と口がある。まるで笑顔の芋が、パックリと口を開けて動く様子に、人間はいつまでたっても違和感を覚える。


「我々の領域に入ったからには、生きて帰れると思うなよ人間共……」

芋人いもうとめ……! それはもともと人間の物だ!」

「そちらが差し出したのだ」

「そうなるように仕向けたのはお前らだ」


 険悪に火花を散らすが、その迫力と数、双方において人間の側が大きく劣勢であった。

 芋人いもうと

 ある時、地球上の生命体は人間を除いて全てが爆発的に進化した。その中でも最も目まぐるしく進化を遂げた種が二つある。その一つが芋、特にジャガイモであった。目立つ特徴として、人間の言語を使いこなす――人間と同程度、もしくはそれ以上の知性を得たのだ。

 これまで人間のアドバンテージであった知識の共有と発展が、お株を奪われ、地上は人類のそれからジャガイモのそれへと生息域を塗り替えられた。

 そう、人が見逃した不確定要素とはすなわち、生命の進化であった。


「侵入者、確認」

「いつまでもやられっぱなしでいられるかっての!」


 人間の一人が、手元に黒光りする卵のようなものを取り出した。そのピンを抜いたかと思えば、大きく投擲する。

 それは弧を描いて芋達の間にポトリと落ちる。瞬間、音と炎が上がった。衝撃が広がり、砂煙が視界を埋め尽くした。


「はっ、そのドヤ顔マッシュポテトにしてやるよ」


 リーダーの隣にいた中肉中背の男は苦しげに笑う。

 ぽん、ぽんと手のひらにもう一つの黒い手榴弾に近いものを跳ねさせて弄ぶ。その視線はまっすぐに煙の中を油断なく見つめていた。

 煙が晴れると、そこにはまだ傷一つ付いていない芋人いもうとが悠然と立っていた。


「今、面白い言葉が聞こえたな」

「ああ、我々をマッシュポテトにするらしい。なかなか素晴らしい啖呵をきるじゃないか」

「だが残念だ。その程度の火力ではマッシュどころかベイクドにすらなれない」


 投げた男は総毛立つ肌を抑え込もうと飛びのいた。


「だいたい、我々は進化によって得た強度は以前のものを遥かに上回る。そんなことは人類周知の事実だと思ったが」

「冗談、だろ……こんなの鉄より硬いじゃねえか!」


 実を言うと芋人かれらは、この攻撃を全く食らっていなかったわけではない。食らったが、一瞬で再生したのだ。そういえば五人の男は安堵したのだろうか。知らぬが仏。まだ見ぬ脅威に怯えずに済んだ彼らを、幸福と見るか。

 それでも、圧倒的戦力差があることに変わりはなく。彼らは一つ兵器を消費して、彼らとの差を浮き彫りにしただけであった。


「こうなりゃ」

「構えろ」


 耳打ちしつつ、逃走の準備を図る。地中から情報を得る芋人いもうとの感覚器官を狂わせようと、地面に向けて先ほどのそれを叩きつけて、煙幕と砂煙の両方を用いて――


「無駄だ」


 砂煙の中に根を紛れこませ、鋭敏にその目標を見つけ出す。そのまま縛り上げるようにして根が男たちを絡めとった。

 それぞれが死を覚悟し、中には走馬灯さえ見ているその刹那、ぶちりと嫌な音を立てて根が断ち切られた。否、踏みちぎられた(・・・・・・・)


雑魚ひと相手あいてに随分と粋がるようになったじゃねえか、デンプン野郎ども」


 その声は頭上より降ってきた。よく響く、鋭く刺すような声だった。

 勢いよく下されたことで、砂煙は吹き飛ばされてその姿はよく見えた。

 その元来生えているはずのなかった足を見て、男たちはその声の主を察する。黒っぽい青みのかかったザラザラの肌に、大きなヒレがついている。口にはズラリと鋭い牙が並ぶ。それらすべては、ある種を想起させるのに十分であった。

 鮫人こうと

 読んで字の如く、鮫の特徴を持つ種だ。芋人いもうとと双璧をなす、進化によって最も発達した種族だった。芋のような多様化した特殊能力は少ない。否、芋と比べるがゆえに少なく見えるだけであり、その異常性は人から見て災害と呼んでも過言ではなかった。その一つが、陸上での活動が可能となったことである。足が生え、肺呼吸にすら対応し、同じく言語を操っていた。


「貴様らこそ、よくもまあぬけぬけと陸に上がってこれたものだ。塩水の中に隠れていればよいものを」

「小せえ体でよく吠えるもんだ」


 一言、獰猛に笑いながら告げると、そのまま再び足を下ろした。

 無様な音を立てて、先ほどまで根を張りめぐらせていた芋人いもうとの一人がぐしゃりと砕け散った。跡形もなく、根とも分離されたことで彼らは再生能力ですら復活不能な状態に陥った。否、追い込まれた。

 芋人いもうとたちは取るに足らない人間たちよりも、目の前の鮫人こうとを優先させた。

 人と芋との戦いが、芋と鮫と人の三つ巴になった。それにより人間が得たのはわずかな逃げるための時間。ふりきるように芋と鮫の間を抜けて、目的地を諦める。そして三つ巴は人が離脱して、芋と鮫になった。

 激化する戦いを背に、負けを認めて逃げ出した。

 この世界では珍しくもない光景、これこそが弱肉強食の頂点が入れ替わった、人類の瀬戸際であった。


「いつか、取り戻してやる……!」


 聖炎球を背に悔しげに、拳を握りしめて押し殺したように宣言する。その瞳にはギラギラと野望とも恨みとも言えぬ暗い炎が燃えていた。


 ◇


 逃げ切れた。その結果に対する安堵だけが人間かれらの胸を占めていた。

 彼らは居住地コロニーの片隅で壁に背を預けて、祝杯をあげていた。なんの成果もなかったわけではなく、そして生き残れたというそれだけで祝うに十分すぎる理由だった。

 生物が進化したことで、ただの森――以前も安全が保障されたとは言い難いが――が生き残るのに装備や技術では到底追いつかない危険地帯となってしまっていた。

 人類が本当の意味で心を休められるのはこうした居住地コロニーの中だけとなってしまっていた。


「がおー! 食べちゃうぞー!」

「きゃー!」

「にげろ」


 子供たちが無邪気に遊ぶ。

 その呑気さ、楽天的な光景に髭面の男は不謹慎だとばかりに眉をひそめた。


「まあまあ、子どものやってることだ。追い詰められてる時に、さらに暗くしてどうするんだい。僕たちの敗北をあいつらに背負わせないでさ」

「はっ。そうやっていつまでも頭の中花畑だから、養分たっぷりで芋がのさばるんだよ」

「ん、君は鮫の方が憎いと思ってたよ。漁師の息子さん」

「ばかいえ。どっちも似たようなもんだろ」


 髭面の男は素っ気なく話を切って、不貞腐れたように横になった。隣で細身の男はクスクスと笑う。

 地面を伝って、壁越しに隣の部屋で会話しているのが聞こえた。内容はわからなかったが、耳をすませるほどに悪趣味にもなれずに、せめての抵抗として隣との会話を再開した。


「てめえはおかしいとは思わなかったか?」

「この前の作戦?」

「ああ、てめえはあの時ろくに戦えてなかったもんな。わかんねえか」

「鮫人と芋人が僕たちをワザと逃したこと?」

「なんだ、気づいたのか」


 あの時、鮫人は芋人いもうとと相対する後ろからやってきていた。しかし人を踏み潰すよりも先に、芋人を踏み潰した。つまり手前に見えていた人間を無視したということに他ならない。嗅覚すらも発達した鮫人が人間を見つけられないはずがない。

 芋人いもうとが目の前の鮫に集中するのは、わかる。だがそれだけの理由で一度進入した人間を逃すだろうか。連絡手段も持っていれば、そもそも芋人の能力は足止めに向いている。鮫人であろうが時間稼ぎに徹すればよかったのだ。それを、人間よりも恐怖も痛覚もない芋人が感情にとらわれて見失うなどありえない。

 だとすれば。


「あれはただのやらせ、ってことにならぁな」

「流石我らが小隊長リーダー。頭が回ることで」

「だってよ、いくら今の諜報能力が地に落ちてるとは言え、鮫と芋が両方いる場所に気づかずに突っ込むか? 混乱の隙を狙うなら俺たちに通達があってしかるべきだ」

「だから、上はそれを予想していて本当かどうかを確かめるためだけに僕たちをつっこませた、と?」

「そうだな。そしてそれはどうやら気づかれたくないらしい。で、あいつらが俺らを逃したのも、はっきり伝えてやれってことだろ」


 そこでようやく細身の男が、意図を読みきれなくなる。

 は、と軽く息を吐いて舌打ちをしたあと忌々しげに髭面の男がい言った。


「鮫人と芋人は接触したぞ、と」


 ◇


 人は文明を滅ぼされた。

 壊されたのみにとどまれば、再び英知を結集し、作り直すことは可能なはずであった。厄介なことに、知性を得た野生生物たちはこぞって、文明の再起の拠点となりうる施設を徹底的に破壊した。破壊し続け、作ろうとするたびに襲った。さらに知性の高かった芋人いもうと鮫人こうとはその中でも特に重要であった聖炎球エネルスフィアを占拠した。壊すよりも奪い、そして利用すれば良いのだ、と。

 他の生物たちからは、人から継いだ負の遺産を利用するなど誇りがないのかと白い目で見られた。だが、その誇りよりも優先するべきことが二種族には見えていた。それだけのことだった。


「やめだ、やめ!」


 既にすっかり戦闘態勢に入った芋と鮫を、鮫の一人が割り込んで止めた。


「何の真似だ」

「いや、悪かったって。てめえらの邪魔したみたいだな」

「先に手を出したのはそちらだと認識しているが」

「勘弁してくれ。俺らはてめえらの上に呼ばれてここにきてんだ。そしたら侵入者用の罠が作動したもんだから嵌められたと勘違いしたんだよ」


 鮫人はその誤解により、芋人を敵と認識していた。

 元来、この二種族は対立しており、むしろきっかけさえあればあっさりと殺しあう。野生の本能が色濃く残る彼らにとって、殺しあうことの敷居は低い。

 人間の進入により、一度は切られていたはずの罠が作動していた。それが鮫人の不信感を煽った。言葉にすれば単純だが、それがうっかり芋をマッシュした経緯と言われれば、芋人いもうとからすればはいそうですかとは納得しがたい。


「こちらに被害が出ている。再生不可能なダメージだ。こうなるともう、畑の肥やしにしかならない」

「おいおい、冗談きついぜ。再生が不可能なだけだろう? 治療ならできるはずだ。できねえとは言わせねえよ。それに」


 戦闘、そしてこれまでの罠で傷ついたヒレを見せつける。大きく傷が入って裂けていたが、みるみるうちに治っていく。


「俺らは強度はお前らより上だが、再生能力、ましてや治癒技術においては負ける。そんなてめえらが砕けたぐらいで諦めるか? どうせ治療可能なんだろうがよ。あとな、俺らも傷は負わされてるんだよ」

「……ちっ。連絡を取ろう」


 そう言って、地中から通信機器を取り出した。


「こちら南部第四畑、招待されたと主張するフカヒレが三匹、こちらに来ている」

『そうか。こちらまで案内してくれ。一人でいい』

「人を料理名で呼ぶな、忌々しい。デブに向かって丸焼きくんって言ってるようなもんだろそれ」

「こうして人への憎しみを絶やさぬためのにくい心遣いだよ」

「ああ、その場合、心にくいじゃなくて本当に憎いだがな!」


 あながち口から出まかせでもなかった。

 彼らが畑と呼ぶそれこそが、人間に支配されていた時代の名残。自らの居場所を心に焼きつくその名で呼ぶのは、今も忘れまいとしているのだ。


「フカヒレ一匹案内する」


 乱暴な口調で芋人いもうと鮫人こうとを自らの本拠地へと連れて行く。


「やっぱりてめえ、バカにしてるだろ」

「違うと言っているだろう。貴様の頭の中にはキャビアでも詰まっているのか」

「子宝をバカにしてんなよ。あれは脳には作らねえよ」

「真面目に返してくるな、バカ」

「とうとうバカって言いやがった!」


 こうしたやりとりも、今も忘れまいとして――


「我々の畑を踏み荒らした害虫がよく吠える。どうして罠をもっと強力なものにできなかったのだろうな」

「人間が滅んだあとの世界会議で決めたことだろう。強すぎる兵器の開発をやめること。人間よりもずっと楽にあの法案を通せたことは、対立する俺たちの共通の誇りだろうが」

「わかってるとも。だから鮫のみを殺しつくせるソラニンを開発しているのだ」

「嘘だよな? 嘘だと言えよ!」


 これらは全て、人への憎しみを今も忘れまいとしているのだ。

 と、芋人の間では少なくともそうなっている。


「わりい、お前らはここで待っててくれるか? 中に入れるのは代表だけらしい」

「それでは危険だろうが。俺たちもついていこう」

「おいおい。芋の百個や二百個、1トンや2トンきたところで俺が潰れるとでも言うのかよ」

「や、あんたなら芋の海を泳いで帰ってくるんだろうけどよ」

「むしろ危険なのはお前らだぜ?」

「……はぁ、いってこいよ。待ってるっての」

「別れの挨拶は終えたか?」

「聞くな。余計に不吉だろうが」


 がしゃん、と重い扉が閉まった。

 

 部屋に入ると、そこはジャガイモ畑だった。

 ぐるりと芋が取り囲む。土の壁からその凹凸のある芋が顔を覗かせている。さながらドーム状の裏側一面が畑になっているようにしか見えなかったが、彼らにとっては贅沢な椅子や机と同義らしい。

 海という三次元空間で生きてきた鮫人故に慣れたつもりの奇妙な会議場ではあったが、圧迫感と違和感を隠せないでいた。


「人間を逃したと聞いたが」


 最初に口を開いたのは芋人だった。確認するようにぽつりと尋ねた。


「あんたらがちまちまこそこそやってるからいつまでも見当違いの敵意ばっか向けられんだろうがよ。ちょいとサービスしてやったんだよ」

「はあ……姿を晒すだけでも屈辱もの。我らは土の中に存在する種族だというのに」

「だったら土の中で満足してりゃいいのによ、地上へそして海の利権まで寄越せと欲の皮を突っ張るからだよ。あぁ、茹でて貰えば少しは剥きやすくなんじゃねえの? お芋さんたちよ」


 会議の場でさえ、一の嫌味と九の確認に対して百の挑発が返ってくる。彼らの仲が改善されるのは先のことだろう、と思われていた。芋人、鮫人、本人たちにでさえが、そのように思っていた。

 ザラザラの肌を舐めるように見られ、不愉快さを微かに表に出した。不機嫌そうに、そのズラリと並ぶ牙をむき出しに、獰猛さを押し出す。

 感情の表出を止めるように、バシャリと全身に水をかけた。いくら陸での生活が可能になったとはいえ、彼も元は海の生物。乾燥しないにこしたことはない。冷静さを取り戻し、シュルシュルと奇妙な音を立てた。


「ま、ごたごた歪みあってても仕方ねーか。これからのことを思えば」


 そう、彼らの不和とやらはここ数年で裏側で解消されている。あくまで形式の上において、ではあるが。

 それは全て、ある計画のためであった。

 一端を聞かされ、参加させられる身となっていた彼は諦めるようにして、投げやりに。


「好きに使えよ、ほら」


 持ってきた荷物を目の前においたのであった。


 ◇


 鮫と芋と人は争っていた。

 それは事実だ。事実ではあるのだが、根本的なところでこの構図は綺麗な正三角形にはなり得ない。

 海を支配しようとした、肉食の鮫人。

 陸を埋め尽くしている、植物の芋人。

 彼らの生息域は被らず、彼らのエネルギーを得る手段は重なることはない。

 彼らが一貫して敵対したのは、人間に他ならない。

 ならば何故、敵対が成立したのか。

 それは知性を得たばかりで合理性も伝統もなかった頃に、本能のままに動き出したからであった。

 より範囲を広げようとして、邪魔なものを消そうとした。人間を獲物とした。故に、衝突した。

 一度出来上がった対立に、芽生えた感情がのった。のってしまった。そして受け継がれてしまった。


 では協力できたはずだ。

 即ち、三つ巴に見えたそれは最初から人間が眼中になく、互いが牽制しあうが故に成り立っているように錯覚していただけのこと。

 危うく、バランスをとっていた自然対人間のはず、だった。

 崩れたのは、たった一手。

 たった一言が全てを塗り替えた。


「種族の境目とは、なんだろうか」


 誰が言ったとも知れぬこの問いかけは、悩めば悩むほどに、生物工学バイオテクノロジーの進んだ世界において哲学的な領域にさえ入った。


「もし、二つの種族が互いの特徴を取り込めばどうなるのか」


 そして浮かんだ疑問。

 研ぎ澄まされた生物工学バイオテクノロジー、その全てを人間から受け継いだ、芋人いもうと。彼らはその身に遺産を受け入れ、改造することに倫理的な葛藤を覚えなかった。何故なら、それは全て人間が彼らにしてきたことであったからだ。

 品種改良、遺伝子組換え、そういった生物工学の技術の成果が、農産物に如実に反映されていたことは、人間にだけでなく、いつしかジャガイモ自身にとって当然となっていた。

 彼らは躊躇わなかった。

 自らを実験台に、その研究を進めてしまう行為を。

 答えを求めるために、手段を選ばないことを。

 人間よりもずっとシビアに、全体主義、種族全体を考える、全と個の境界が曖昧なところで出来上がった技術とは、たった一つ。


「異なる種族を融合させる」


 鮫はそれを受け入れた。

 力に貪欲な種族だったからだ。他の生き物さえ食べられるならば、その方法などどうでも良いことであったからだ。

 牙がすぐに生え変わる。その能力の線状にある再生能力は、肉体への執着を薄めていた。圧倒的な個により、様々なことを可能としてきた。だから、その肉体がさらに進化するなら、反対する者は少なかった。それだけのことだった。


 報告書の一つをひらひらと片手で持って、その片隅に書かれた事情の一つを読み上げる。

 倒壊するビル、薙がれたことでひび割れ巻き上げられる道。残骸になっていくかつての都市を離れた場所から二人の人間が見ていた。


「全て、俺たちは踊らされてたんだよ」

「まったく、あんなのに勝てるわけがないのに」

「今度は俺たちが喰われる番ってか」


 不審に思い、二人の男は人類の居住地を抜け出して、独断行動に出た。

 持ち出してきた上層部のデータを分析しながらの逃亡。

 そして見つけたのが、遺伝子融合によって出来上がった新たな種族――化物だった。


「あんなこと、できるんだな」

「人間がやってこなかっただけじゃないかな」


 遺伝子融合は膨大なエネルギーを消費する。それを賄うためには、人間の作り出した聖炎球エネルスフィアが必要不可欠だった。それも、出力が足りないからと最低二つ。

 鮫人と芋人は、互いを出し抜くことができた。世界に聖炎球エネルスフィアは三つある。つまり、互いが一つずつ占拠していたとしても、残り一つを奪えばいい。しかし、その技術を得た芋人はそれをしなかった。持ちかけられた鮫人もしなかった。

 叩きつぶすよりも利用価値があると、判断されたのか。

 思惑が絡み合い、倫理も種族も捨てた末の研究成果が誕生した。

 鮫人の力強さ、タフネス、水中での能力を持ち、芋人の再生力、繁殖力、毒、リーチの長さを兼ね備えた怪物が今動き出す。

 無数に伸びた蔓のようなそれは根だった。一本一本が硬く太く、自在に広がっている。大きな口には鋭い牙が並んでいる。ある種の神話生物のようだった。

 二人は非常識を前に立ち尽くしていた。慌てて報告することも、立ち向かうこともできずに。力の抜けた笑いをあげることしかできなくなっていたのだ。


「は、は、は」


 芋と鮫の戦いはこれからだ。とそう冗談めかして言いたかった。しかし芋と鮫は仲間であり、そして戦う対象が人間に絞られてしまった以上、笑って言えることではなく。あえて一言でこの現状を示すならば――


 人類の悪夢が始まった。

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