第一章『凍てついた心』
つ、ついにこの時が来た! 待ちに待った『暁 黎命』編です!
いやー、ずっとこの話を半年前から書きたくて書きたくてうずうずしておりました。
それでは尾張編のはじまり~はじまり~。
埋もれていく、
「......」
全てが、
「......」
オレの故郷が、
「......」
知人が、家族が、愛する者が、
「......何が」
埋もれていく、
「......何が神の力だ」
吹き荒れる吹雪が、降り積もる雪が、
「......何が最強の力だ」
オレの全てをオレの視界から消し去っていく、
「......う、うぅ」
この力は神が与えたものではない、
「がぁあああああああああああああ!!」
これは天がオレに与えた......『呪い』だ。
■
「な、なんだ貴様! 止ま......ぎゃあ!」
「こ、こいつ! 急に斬りやがった!」
「ひぃ! 俺達が何をしたって言うんだよぉおおおおお!!」
「やめ、やめろぉぉぉぉ! お前の望みを叶えてやるから......だ、だか、だからぁ、殺さないでくれぇ!」
大量の死体が転がる部屋の中で、一人の高貴な男が糞尿を漏らしながら返り血を全身に浴びた男に対して懇願する。
そんな男を氷のように凍てついた眼差しで見つめる血塗れの男は答えた。
「オレの......望み?」
「そ、そうだとも! なんせ儂は幕府に顔が利くのでな! お、お主中々の剣の腕前じゃな、も、もしよかった幕府に仕官してみぬか? わ、わわわ儂が、後見人に......」
「オレの......望みは......ただ一つ」
男は静かに剣を振り上げた。
「ひぃ!?」
━━死ぬことだ。
これは今からほんの一年くらい前の話。蝦夷に住まいし、とある民族が着るような民族衣装を身にまといし奇妙な男が自分に迫り来る者を次から次へと斬殺する事件が陸奥で最初に起こり、陸前、岩代など、東北地方を中心とした『人斬り事件』が起こった。
この時点では彼の者の名は不明のままだったが、この一ヶ月後に男は天下の『江戸』へと足を踏み入れ、そこで幕臣四十二名を殺害したのである。
理由や目的は不明、だがこの出来事が切っ掛けで男の名は世に知れ渡った。
名は『暁 黎命』。その名前以外の家柄、出自、剣の流派、どの藩に仕えていたかなど、その全てが謎に包まれた謎の人斬りであった。
名前以外全てが不明であるため、より一層人々を不安と恐怖に陥れたのである。
「へー、そんな奴が『尾張』に現れたのか?」
出羽、鴨居城。
「......あぁ、しかも最悪な形でだがな」
とある六畳程の一室。そこで烏乃助と鴨居が二人で話をしていた。
「氷使いの暴走か......確かにヤバそうだなぁ」
「......はぁ、出来れば『勇氷』はもう少し後にしたかった相手じゃがのぉ」
「そんなにヤバいのか?」
「......一週間前にも言ったが、今のお主には勝てる見込みが薄い相手じゃ、氷を自在に操れると言うことは、例えケガをしても即座に傷口を氷で塞げるし、しかも冷気で自が神経を意図的に麻痺させてしまうであろう」
「痛みや苦しみを消して『勇気』を与えるってか? はっ! それじゃまるで死人だな」
「しかも現在の尾張は極寒の地、ただ其処にいるだけで体力が奪われるであろう。故に長期戦は避けるのじゃ......それに」
「ん?」
ふと、悩みがあるかの如く頭をかきむしる鴨居、一呼吸置いた後に衝撃的な事実を話した。
「......幕府が二万の軍勢を尾張に向けて進行中だそうじゃ」
「何!?」
二万の軍勢、まさか暁 黎命を討伐するために差し向けたのだろうか? だとしてもたった一人の人斬り相手に二万はおかしすぎる。
まるでかの関ヶ原の戦いに匹敵しかねない数である。
「それだけ、暁の奴はやり過ぎたんじゃよ、何故今まで暁の所在が分からなかったか判るか?」
「......奴の所在を突き止めようとした連中が一人残らず殺されたからか?」
「うむ、しかも氷漬けにされた後に跡形もなく粉微塵になるまで斬り刻まれてしまった為に死体は残らず、暁に殺された者達の数は不明、被害者よりも行方不明者が圧倒的に多いのう」
「こ、粉微塵って......やっぱそいつイカれてるな」
「ワシの部下が命賭けで得た情報が結局それだけじゃ......出来れば、まだ優しい部類の『恥木』か『諦土』を攻略してからお主を暁に当てたかったがやむ終えん!」
すると、鴨居は立ち上がり、烏乃助に指示を出した。
「烏乃助! 今すぐに尾張に向かってくれ! 幕府の軍勢が尾張に到着する前に暁を倒して『勇氷』を取り戻してくれ!」
「......え? いや、それ無理だろ? 距離的に考えて幕府の軍勢の方が早くないか?」
「ご心配には及びません」
と、天井裏から郷見が現れた。
「既に出発の準備は整っております。 最短で半月で尾張に到着するでしょう、そして幕府の軍勢が到着するのは恐らく一ヶ月後、ギリギリで間に合うかと」
「は? 出羽から尾張まで半月? それはさすがに早すぎじゃないか?」
出羽から尾張までの距離はおよそ百五十七里(627km)、どう考えても幕府の軍勢の方が早く到着するようなものだが......。
「冷静に考えてみぃ、二万の軍勢を江戸から尾張まで移動させるには、それ相応の労力と時間が掛かる筈じゃ、それにこの『二万』という数字......」
「明らかに『勇氷』つまり神通力を幕府が知っていて警戒している数だな」
「......正直どこまで知ってるか知らぬがな、やはり早いに越したことはない、でないとお主は暁を倒した直後に二万の軍勢と闘うハメになるぞ?」
「だな、んじゃま、行くか」
身も心も震え上がる第七話「こころたける」
はじまり~はじまり~。
■
時は飛んで半月後、如月(二月)。
尾張、桶狭間。
『罪終決戦場・故地』。
戦乱の頃、駿河(静岡県)の戦国大名が二万五千もの大軍を率いて尾張に進行する中、尾張の大名でもあり、当時は『魔王』と恐れられていた男が少数の軍勢を率いて駿河軍の本陣を強襲し、見事駿河の大名の首を討ち取った歴史に名高い戦の跡地でもあるこの場所に例の人斬り『暁 黎命』が潜伏しているらしい。
「うわーっ、やっぱり凄い吹雪だねー」
と、目の前の視界に広がる白銀の世界、吹き荒れる吹雪を前にしてうずめは呟いた。
「また白か、丹波の時の濃霧とは比べものにならねぇなぁ、これマジでお前を見失ったらどうしようないな 」
と、うずめの雪のように白い髪を眺めながら烏乃助は呟いた。
「でもでも、烏乃助よく見てよ」
「あ?」
「この雪より私の髪の方が白くて綺麗じゃない?」
丹波の『神鳴平原』の濃霧の時みたいに、うずめは自然現象相手に張り合おうとしていた。
もっとも、今回は自然現象と呼んで良いのか謎だが、なんせ今烏乃助とうずめの視界に広がる真冬のような雪原や猛吹雪は『暁 黎命』が起こしているものだからである。
「......あーはいはい、綺麗だな」
少し面倒臭そうに烏乃助はうずめの白い頭を撫でた。
「むふー」
「それにしても郷見の奴、準備良すぎるなぁ、まさかあんな移動手段を用意してやがったとは」
「うん、私もびっくり」
「おまけにちゃんと防寒用の上着まで見繕ってくれるとは」
「うん、これなら寒くないね」
ちなみに、烏乃助とうずめがどのようにして出羽から尾張までの道程を移動したのかは内緒である。
更に言うと、烏乃助の現在の服装は、いつもの黒い着物、裾がボロボロの袴、その上から防寒用の鳥の羽の模様が印象的な黒と赤の上着を着ていた。
うずめは、いつもの花柄混じりの白い着物の上から防寒ようの菜の花の模様が施された黄色と青の上着を羽織っていた。
「むふーっ、中々に暖かいねぇ~」
「なぁんて、悠長な事言ってらんねぇだろ、早く暁の野郎を見付けねぇと、凍え死ぬぞ」
「あ、じゃあ烏乃助、ん」
「......なんだこの手?」
「この吹雪の中はぐれたら不味いでしょ? だから手を繋いで行こ?」
とても純粋な上目遣いで烏乃助の顔を覗きこむうずめに対して「それもそうだな」と、あっさり承諾して烏乃助はうずめの小さな手を軽く握った。
ほんの少し、力を加えるだけでも壊れてしまいそうなうずめの手を壊さぬよう慎重に、細心の注意を払って握った。
「?」
うずめの手を握ると、烏乃助は自身の胸に奇妙なものを感じた。今まで味わったことのない何かを感じた。
「......むふーっ、むふむふふ~、烏乃助の手、あったか~い」
そんな烏乃助のことなど露知らず、うずめは烏乃助の体温を噛み締めていた。
「......お前、最初の頃に比べると大分なついてきたな」
■
━━頼む、誰か。
「斬れぇ! 賊を城に入れるなぁ!」
━━俺を。
「う、わぁぁ、ぁ!? な、なんだアイツ」
「け、剣の腕だけでなく、こ、氷? 氷を操って......くっぎゃ!」
━━終わらせてくれ。
「怯むなぁ! 貴様らそれでも幕府に忠を誓った侍かぁ!」
「む、むむむむ、無理でごじゃ、ございま、す。あ、ああああ、あんな怪物......我々でど、どうしろと?」
「剣の腕が我々以上な上に、あ、あんな恐ろしい氷を操るなんて、も、もう無理だぁああああああああああああああ!!」
━━お前たちはいいよなぁ。
「た、大砲だぁ! 大砲を持てぇい!」
「う、あああああ! 死っねぇええええええええ!!」
━━勝手に死んでしまうから。
「や、やった......のかぎょぇいやぁ!?」
「ひ、ひぃ! に、逃げろぉぉぉぉ!」
「う、あああああ! 母ちゃーん!」
━━ここなら、俺を終わらせてくれる奴が居ると思ったのに、拍子抜けだ。
これは、ほんの一年くらい前の出来事。『暁 黎命』が日本一の人斬りと呼ばれるようにもなった事件であった。
彼は唐突に江戸に現れ、江戸の町に出払っていた幕臣を次々と殺害し、その後幽鬼のように江戸に鎮座する幕府が根城『江戸城』の門前に現れ、自分に迫り来る幕府の精鋭達をことごとく斬り伏せ、氷の矢で射貫き、地面から氷の槍を生やし、そして、氷漬けにした者を一瞬で跡形もなく斬り刻んだ、それだけで幕府の軍勢は目の前の氷を操る怪物に対して戦意を失っていた。
自らを奮い立たせて立ち向かおうとする者、命惜しさで逃げ惑う者が入り交じる中、一人の青年が暁に近付いてきたのである。
━━なんだ?
その青年は明らかに他とは異質であった。逃げるわけでも、ましてや忠義や誰かの為に戦おうとするわけでもなく、まるで日中の町中を散歩するような足取りで、ゆっくりと、穏やかな雰囲気を纏いながらこちらに歩を進めていた。
とても場違いな気がする青年を見て、暁は確信した。
━━お前なら。
「『時定丸』。アンタに最初の命令をするわ。あの不届者を斬り捨てなさい!」
「......うん、承知したよ。『阿姫』ちゃん」
━━俺を終わらせてくれるかもなぁッッ!!
■
「さっむぅぅぅぅぅ!!」
時は戻り尾張。
あれから二刻(四時間)近く、先が見えない雪原をうずめと二人で歩きながら暁の捜索をする烏乃助は、あまりの寒さに叫んでいた。
「あー、くっそ! 神通力ってのはなんでもありだなぁ......まさか天候まで変えてしまうとは思わなかったぜぇ、なぁお前はどう思━━」
烏乃助は文句を垂れながらうずめの方を振り返ると、そこにはうずめは居なかった、変わりに一頭の二足歩行をする『熊』がいた。
烏乃助はずっとうずめと手を繋いでいた筈なのに、烏乃助はいつの間にか熊と手を繋いで今まで歩いていたのである。
「......」
「......がぅ」
「......だ、誰だお前ぇえええええええええ!!?」
いつ、どこで、すり替わったのかは謎だが、どうやらうずめとはぐれたらしい、そもそも何故熊と手を繋いでいたことにすら気付かなかったのだろうか?
もしかすると、寒さで手の感覚がおかしくなっていたのかもしれない。
「く、くそ! どこではぐれた!? 早くしないとアイツ凍え死ぬぞ!」
「がぅぅん」
「じゃねぇよ! そもそもお前なんで熊のくせに二足歩行なんだよ!」
七尺(210cm)越える熊が目の前に、しかも後ろ足で直立しているにも関わらず、烏乃助は熊相手に抗議した。すると━━。
「がぅがぅぅん!」
「何ぃ!?」
いきなり熊が烏乃助の頭上高くからその大きな前足を烏乃助目掛けて振り下ろしたのである。
突然の事ではあったが、烏乃助は腰に差していた鞘付き刀で熊の一撃を防いだ。
「ちぃ! なんだお前? 俺を殺して冬眠に必要なエサにする気か?」
「がぅ、がぅ♪」
殺気に関して言えば常人以上に敏感な烏乃助ならすぐに理解した。この熊、烏乃助を食うためではなく、単に烏乃助相手にじゃれついてるだけのようである。
「......お前、俺と遊びたいのか?」
「がぅ!」
いい返事であった。しかし、この熊の相手をしている暇などない、一刻も早くはぐれたうずめを見付けないといけない。そう思った烏乃助は熊に背を向けて走った、が。
「がぅぅぅぅぅん!!」
「どぉあああああああ!?」
いきなり、烏乃助相手に突進し、烏乃助の体は宙に跳ね上げられた。
※熊に背を向けて走ってはいけません。熊は本能的に逃げる者をどこまでも追い掛けてきます。
「ちぃ! だからお前の相手はしてられんつってんだろうがぁ!」
熊に吹き飛ばされたが、空中で体勢を立て直して烏乃助は着地した。熊に行く手を阻まれ、烏乃助にしては珍しく焦りが募っていた。
このままではうずめが死んでしまうのもそうだが、だが今目の前に居る相手は今の烏乃助の『天敵』に他ならなかった。
そう、烏乃助の弱点は先月の鴨居城で鴨居に指摘された通り、烏乃助は敵意や殺気を持たない者の動きを読めないのである。
もし目の前の熊が烏乃助を殺しに来てくれるならば、烏乃助は相手が猛獣だろうと遅れを取らないほどの実力者であるのだが、向こうは単に烏乃助とじゃれ合いたいだけなのである。
「......おい、後で相手してやるからそこを退け」
「がぅ?」
当然、人の言葉を介さない熊には烏乃助の言葉は通じなかった。
この巨体で殺気や敵意もなく、単純に目の前の相手と遊びたいだけ、まるで丹波で出会った動く鎧『雷剣』みたいだと烏乃助は思った。しかし、雷剣と比べると目の前の熊はとても小さく見えてしまっていた。
これで雷剣と同じ十尺(3m)だったらじゃれつかれただけで即死してしまいそうなものである。
「......ちっ、めんどくせー」
「がぁぅぅぅぅぅん!」
烏乃助が刀を担いで熊に歩み寄ると、熊は烏乃助相手に飛び掛かってきたのである。
さすがにこんな大振りな動きなら烏乃助でも読めたため、烏乃助は刀を捨て、熊の両脇に両手を差し込み、熊の腹に片足を当て、後方に倒れこむようにして熊を投げた。
「ばぅぅぅん?」
何が起こったか分からず熊は背中から地面に落下した。
「がぅがぅぅぅ......がぅ?」
熊はすぐに立ち上がったが、そこには烏乃助は居なくなっていた。
周囲を見渡しても吹雪が邪魔で視界が悪く、そして吹雪のせいで臭いを辿ることも出来なかった。
唯一の手がかりである雪に残った足跡を辿ればすぐに烏乃助に追い付けるだろうが、熊にはそこまで頭が回ることはなかった。
「......くぅぅぅぅん」
悲しそうな声を上げながら、熊はその場を後にした。
■
一方その頃、うずめはうつ伏せに倒れて雪に埋もれていた。
「......う......」
いつの間に烏乃助とはぐれてしまったのか分からず、うずめは無情にも降り注ぐ雪の下敷きになっていた。
逃れようにもうずめの体力はかなり消耗仕切っていて、立つことすら出来なかった。
「......さ......むい......あ、そうだ......こう言う時に『怒火』で......」
火の神通力『怒火』で体温を上げようと試みるが、吹雪のせいで怒火の火はあっさり消えてしまった。
「......もう......駄目......烏乃助......ごめ......ん......いつも足......引っ張っちゃ......て......」
あぁ、なんだか眠くなってきたなぁ、うずめは急激な眠気に襲われた。本当はこんなところで寝てはいけないことは分かっている筈なのに、どうしても睡魔に勝てない。
今のうずめにとってこの睡魔はあの世からやって来た死神に感じたであろう。
必死に抵抗し続けたが、うずめは死神の誘惑に勝てなかった。
「......」
うずめの意識が無くなった頃、うずめの側に一匹の狼が現れた。
その狼は雪に埋まったうずめを掘り起こし、そのままうずめの腹部に鼻先を差し込み、自分の背中に気を失ったうずめを乗せ、そのまま何処かへと消えていった。
■
━━強い。
時は遡り一年前、江戸城敷地内。
暁は目の前の青年に苦戦していた。
━━こいつなら。
いくら氷の矢を飛ばしても、いくら氷の槍を地面に生やしても、いくら氷の壁で行く手を阻み、行動を制限してから最速の連撃を叩き込んでも、何一つ当たらなかった。一つでも当たれば致命傷となり、その時点で勝負が着くはずだが、一向に当たる気配がない。
「......むきーっ! じれったいわねー! さっさとそいつを斬り捨てなさい! それともあんたの実力はその程度なわけ? だったら詐欺よ詐欺ぃ!」
青年の後ろで白を強調した絢爛豪華な衣装を身に纏い、白と黒の綺麗な髪、左目に西洋風の片眼鏡をした華奢な女が叫んでいた。
「もぉ、見てるだけのくせにうるさいよぉ」
「なぬぅ!? ご主人に対してなんだその口のきき方わぁ!」
氷を操る人斬りを前にして女と青年は痴話喧嘩を始めた。
一見すると嘗められてる気がするが、暁はそんな二人のやり取りを無視して青年相手に攻撃の手を止めなかった。
「うわぁ!」
「ぎゃあ!」
その攻撃の余波で周囲を取り囲む兵士を巻き込んでも意に介さなかった。
それでも、何故かこの青年には攻撃が何一つ当たらないどころか、向こうは未だに腰の刀を抜いて居なかったのである。
そもそも戦う気があるのだろうか? さっきから敵意が何一つ感じない。
「......ふ......ざ......」
「ん?」
「お前......ふざけているのか?」
「あー、やっと喋ったぁ、喋れないのかと思ったよぉ」
「......お前、闘う気はないのか? なのに......何故オレの前に立つ?」
「う~ん? いやねぇ、本当は君を斬ろうと思っていたよぉ、けど君とこうして対峙してわかったんだけどさぁ......君、斬る価値ないね」
「なんだと?」
「だって君もう死んでるじゃない、それもここに来る前からとっくに」
「......」
とっくに死んでる、目の前の青年の言葉に対して暁は当然だと思った、あの日、せっかくこの力を手にしたのに大切なもの全てを守れなかったあの日から自分の心や魂はとっくに死んでいると、そう指摘されても何も思わなかった。
ただ、一つだけ思うところがあれば、今の口ぶりからすると、この青年は自分を斬るつもりは毛頭ないことと伺える。
実力だけなら自分と同格かそれ以上の相手、この青年なら自分の望みを叶えてくれるかもしれない。
そう思ったが、向こうがこちらを殺すつもりがないならこれ以上闘う理由がないし、この江戸城にこの青年と同格の好敵手などそうそうに居ないと思った暁は攻撃の手を止め、青年に背を向けた。
「......闘う気がないなら......もういい、天下を名乗るぐらいだからオレを満足してくれる奴が居ると思ったが拍子抜け━━━━━━!?」
「はい、死んだ」
なんだ? 何が起こった? 今、背後から心臓を刀で貫かれたような気がしたのだが、慌てて胸を触って確認するが、どこも異常がなかった。
「......お前......」
「ん? 何?」
「......いや......なんでも......ない」
「そぉ? それじゃあね」
と、手をひらひらさせて去ろうとする暁を見送ろうとする青年。
その背後から女がいきない青年の尻を蹴った。
「いった~」
「くぉらぁ! わ・た・し・は! あいつを斬れと言ったはずだぞ! それを見逃すとは何事だ!」
「もぉいいじゃん、それより早く阿姫ちゃんの屋敷に行ってみたいなぁ、どんな所なのかなぁ? 楽しみだなぁ」
「ちぇいやぁ!」
気合いの入った掛け声と共に女は青年の両肩を掴んで青年の腰に強烈な膝蹴りをかました。
下手したら腰の仙骨が抜けて半身不随になりかねないのだが、青年は平然としていた。
「何呑気な事を! というかなんで平然としてんのじゃーっ!」
「んー? 阿姫ちゃんが手を抜いたとか?」
「なわけあるかーっ!」
端から見るとこの二人のやり取りはとてもこの場に似合わないやり取りではあったが、だが暁はこれ以上この青年と関わりたくないと思った。
この青年が自分を斬らない理由、そして先程刀で貫かれた謎の感覚、恐らくこれらはこの青年なりの『優しさ』なのだろう。
斬るのが可哀想だ、心が死んでる人を殺すのは忍びない、武士としての矜持なのか、それとも単なる優しさなのか、傲慢な人間、誇り高い人間からすると侮辱に等しい行為なのかもしれない。
しかし、傲慢も誇りも信念も、とうの昔に朽ち果てた暁なら分かった。
この青年は、全てに興味がないのだ。優しすぎると言うことは、それだけ周りに興味がない事なのだ。
世話好き、お節介、慈悲深い、それらを分け隔てなく行える人間は、一見聖人君子に見えるが相手を見ていない。
こうしたら相手の気を鎮められる、こうしたら相手は傷付かない、こうしたら、こうしたら、こうしたら、こうしたら、相手の気ばかり伺っている人間は相手を気遣っているのではなく、本当は自分を気遣っている臆病者なのかもしれない。
優しさに溢れ、愛情に溢れた人間はこんなにも『からっぽ』なのかと暁は思った。
暁が呆然とそんな事を考えながら青年に背を向けて立ち去ろうとした時、背後から青年がぽつりと呟いた。
「君は......彼に似ているね。その死んだ目、死んで凍りついた心とか特に」
青年が誰の事を言っているのか知らないし興味がない暁はさっさとその場を立ち去った。
そんな暁を追う者は誰一人居なかった。自分達ではどうにも出来ない相手だと分かってしまったからなのだろう。暁も自分に刃を向けない者には何もしなかった。
■
「わぁ! 綺麗なお花畑だぁ! 」
うずめは、かつて母親と共に出雲の菜の花畑を訪れていた記憶を見ていた。
━━なんか、前にも似たような事があったような気が......。
「ふふ、でもね●●●、これから先何があっても■■■■■■■■■■■」
前回の若狭で倒れた時にも何故かこの記憶を見ていたが、今回も前回と同じで母が娘に送った言葉が思い出せない。
てっきり心が未だに欠けてるのが原因かと思っていたが、あれからだいぶ心が集まったのにどうしてもこの母の言葉だけ思い出せない。
すると、前回の続きなのか、この後の記憶がうずめの頭の中で再生された。
「やぁ君、僕と遊ばない?」
見知らぬ少年が幼き日の彼女の前に現れた。
「あれぇ? だぁれ?」
彼女は首を傾げた、すると母がその少年に向けて声をあらげた。
「ど、どうして......貴方が......『うずめ』!」
━━? 母様は何を言っているのだろう、うずめは私なのに。
「母様、あの子だぁれ? わたしとなんか似てるね」
「ふふ、初めまして●●●。母様も、別にいいよね? 彼女と遊んでも」
「......うずめ。どうやって脱け出したの......かっ!?」
彼女の母は急にその場で倒れてしまった。
そんな 母を見て彼女は母の体を揺すった。
「母様? どうしたの母様?」
「●●●。母様はお昼寝したいみたいだから、その間僕と遊ぼ」
そう言ってうずめと呼ばれた少年は彼女の手を引いて菜の花畑を駆けた。母をその場に残して。
━━何これ、こんな記憶あったっけ?
自分の幼き日の記憶を見て疑問に思ううずめ。
すると、うずめと呼ばれた少年は立ち止まり、この記憶を見ている意識だけ現在のうずめを見つめた。
「やぁ、こんな所まで思い出したんだね。これから先は君と僕にとっても大切な記憶だから僕が『保管』しといたよ 」
━━!! な......に......私に言ってるの?
これは過去の記憶のはず、なのに何故少年はうずめの存在に気付き語りかけてくるのか、これは過去の記憶のはずなのに、記憶の中の少年だけがこちらを見据え、語りかけてくる。
それだけでうずめ恐怖を感じた。
「この先を知りたければまずは心を全て集めてよ。元々その心は......おっと」
と、少年はわざとらしく口を手で押さえた。
「じゃあね。烏乃助にもよろしくね」
━━なんで烏乃助のことも、貴方はなんなの!? ねぇ答えてよ! ねぇってばぉ!!
■
「答えてよぉ!!」
うずめは目を覚ました。
「......なんなの......なんで貴方が『うずめ』なの? だったら私は......」
うずめが一頻り涙を流した後、周囲を見渡した。
現在自分が居るのは何処かの洞窟らしい、どうやらあの後自分は助かったらしい。
しかし誰が? 目の前には燃え盛る焚き火、そして洞窟の入り口には動物の毛皮で作ったような暖簾みたいなのが天井から垂れていた。
もしかしたらこの毛皮で外の雪が中に入らないようにしているのかもしれない。
「......誰も.....居ないの?」
すると、入り口にある毛皮の暖簾を潜って一匹の狼と一人の男が現れた。
その男は、奇妙な民族衣装を纏い、そして氷のような冷徹な双眸でうずめを見下ろした。
「あ......」
うずめはその男を見て言葉を失い、見ただけで理解した。この男が......『暁 黎命』だと!
第七話「こころたける」第二章『英雄の矜持』に続く。
あー、さっむぅ、学費を払っちゃって持ち金が随分寂しくなりましたなぁ。
次回は、美濃でディアルと影隠 夜叉が闘います。
烏乃助vs暁は、多分次々回になると思います。
それでは次回をお楽しみに~............どうしよ、今の烏乃助じゃ暁に勝てる気がしないんだが(´・ω・`)




