ある
「ある」
「もしかして雪乃さん、うちの広報の小沢さんの知り合い?」
って樹さんが言った
「うん、彼氏の妹」
「たまに三人で食事に行ったりする」
「奈緒ちゃんがひどく怒っていた元彼の名前をぼんやり覚えていた」
「○○○○に勤めているって聞いてあれ?って思って…」
何やら二人の間で話しが進行している
「なになに、何の話?」
私と真帆子さんは身を乗り出した
「…」
樹さんはうつむいてしまった
「ほんとうに申し訳ないことをしたと思ってる」
と神妙な顔で樹さんは話し始めた
この人のこんな顔初めて見る…
いつもは憎らしいほど自信に満ちた顔をしているのに
多分その自信が造形以上に樹さんを格好良く見せている
「実は、本社の広報の娘と付き合っていたんだけど」
「元カノとよりを戻したくなって土下座して別れてくれって頼んだ」
「そうしたらその下げた頭を踏まれた」
思わず
「うわっ、樹さん最低」
って言葉が出てしまった
「元カノとよりを戻したくなったことや、彼女に別れてくれって頼んだことがじゃないよ?」
「土下座したことがだよ!」
「それは相手のプライドが傷つくよ」
「そんなことしてまでも自分と別れたいのかって」
「ほんと、酷い!」と声を合わせて雪乃ちゃんと真帆子さんも責める
「それは、頭も踏まれるわ〜」
ふうと溜息をついてから「うん…反省しています」と樹さんが頭を下げる
「ほんとうに失礼なことをしてしまった」
「うーん、でも…二股かけなかったのは偉いね」
「ねえ、そんな思いをしてまでよりを戻したかった彼女ってどんな人?」
「今の彼女なんだよね?」
との真帆子さんの質問に少し考えてから樹さんは
「大きくて、力持ちで真面目で面白い人」
「巣鴨のおばあさんみたいな服をいつも着てる」
と言った
なんだそれ?
「一回別れたんだよね、なんで別れたの?」
「彼女と同じ地方工場勤務だったんだけど東京の本社の女玩事業部に転勤になって遠距離で自然消滅的に…」
なんだか悪さがバレて先生に問いつめられている小学生みたいだ樹さん
「今はもう別れたいって思うことはない?」
あ…この質問、私のためにしてくれている
真帆子さん…
「ない」
はい、玉砕
「ん、でもこの前寝言で、樹さんお願い貯金してぇって言ったのを聞いた時は一瞬考えた」
はあ、左様でございますか
なにそれバカみたい
ああ、これは望みないな
思い出し笑いなのか、少し口の端を上げた樹さんを見てそう感じた
もういい、もういいよ
諦めるよ真帆子さん
私はそう思って真帆子さんに目配せした
だってこの人少し趣味が変わってそうだし
女の敵感あるし
でも…もうしばらくは私たちアラサー三人組のアクセサリーみたいに連れて歩くからね、樹さん
序章的な話(時系列的には後の話になるのかな?)を短編『お菓子教室』というタイトルで投稿してあります。
『朝比奈麗子お菓子教室』をお読み頂きありがとうございました。
川本千根