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Journey of Life~戦犯の孫~  作者: ふたぎ おっと
第4章 変わらぬ故郷の街
45/73

1.ヘルネーへ

 目の前の道路を、軍用車が通っていく。

 今ので一体何台目だろうか。いずれも西へと向かっていった。果たしてその先にはどれほどのヘルデンズ兵やオプシルナーヤ兵が集まっていることだろう。考えるだけでも嫌気がさす。

「このままアルテハウスタットに向かうのはまずいな……」

 刻一刻と悪化する状況に、路肩の草陰に隠れながら、ヴォルフは歯がみしていた。

 昼過ぎに行動を再開したヴォルフとブランカは、太陽の進む方向を目指して森を駆け抜けた。未だ森には追っ手の気配はあったが、大した食糧も防寒具もないまま森の奥で野宿するわけにもいかない。二人は慎重に身を潜ませながら距離を稼ぎ、なんとか日が暮れる前には国道沿いの方まで来ることが出来た。

 そうして更に西へと進み、二人はアルテハウスタットを目指した。ヘルデンズ中央に位置する大都市で、オプシルナーヤ支配領域最西端の場所だ。ヴァルツハーゲンからそう遠くもなく、オプシルナーヤ圏内から脱出するには、一番の近道だった。

 だが、そんなことは当然追っ手側にも容易に想像が付くだろう。一応それは予想していたものの、少し状況を甘く見てしまっていたようだ。アルテハウスタットに向かっていった軍用車の数が、ヴォルフの想像以上に多かった。そもそも、相手は万全の状態だ。そんな奴らを相手に満身創痍の状態で出し抜こうというのは、無理がありすぎた。

 しかし進路変更をするにしても、それはそれで逆にオプシルナーヤ圏内に長居することになる。果たしてどうするべきか。

――せめて、こちらも車が使えればいいのに。

 すると、隣から小さくくしゃみをする音が聞こえてきた。

 目を向ければ、ヴォルフが何か言う前にブランカが謝ってきた。

「ごめんなさい。気をつけます」

 言いながら、ブランカはオプシルナーヤ軍帽のつばを下げた。彼女の白い髪を隠すためにヴォルフが与えたそれは、完全に彼女の顔を隠すのに使われていた。まるで叱られた子どものようだ。

 確かに気をつけろとは言いたいが、そういうことを言おうとしたのではない。

「着とけ」

 ヴォルフはため息を吐きつつ、着ていたジャケットをブランカに差し出した。

 しかし、彼女はそれを受け取らなかった。

「平気です、いりません」

「どこが平気なんだよ」

 ヴォルフは顔を隠したままのブランカを睨み付けた。

 着の身着のまま二人は列車から逃げてきたわけだが、オプシルナーヤ軍服に身を包んだヴォルフに比べると、ブランカは遙かに薄い格好をしていた。薄手のグリーンのワンピースはあまり中に沢山着込めなさそうだし、もともと膝下までしかなかったスカートはヴォルフの止血のために引き裂き更に短くなっているため、足の露出度も広がっている。見るからに寒そうだ。

 それでも日が出ているときは確かに「平気」だったのだろう。というより、二人とも森を抜けることに必死で、そういうことまで考える余裕がなかった。

 だが日が傾き、じっと追っ手の気配を伺う時間が増えてから、ブランカは小さく身じろぎするようになった。鼻を啜る音も微かに聞こえてきていたし、何度かくしゃみを抑えていたのもヴォルフは知っている。今も小柄な身体を更に小さくして誤魔化そうとしているが、僅かなりとも身体が震えているのを気が付かないわけがない。

 彼女が「平気」なはずがないのだ。

「いいから着てろ。大人しく受け取れ」

「結構です。むしろヴォルフの方が着ておくべきです。冷気は傷に障りますから」

「あのなぁ、途中で風邪でも引かれたら迷惑なんだよ」

「それなら怪我が悪化して倒れる方が問題です」

――このガキが!

 相変わらず顔を隠したままのブランカにヴォルフは内心で悪態吐くが、あながち彼女の言うことももっともだった。

 列車上でオプシルナーヤ兵に撃たれたヴォルフの左肩の傷は、昼間よりも悪化していた。ここに至るまでに何度か止血し直してようやく血の勢いを抑えられたが、突き刺すような痛みは、収まるどころか更に激しくなる一方だった。気温の低下が余計にそれを煽っている。

 しかし、そんなことを彼女に心配される必要などない。そう言ってやりたいのに、帽子の下で唇を固く引き結んだ様子は、何を言っても無駄だろう。

「じゃあくしゃみもすんなよ」

 ヴォルフは苛立ちを感じながらジャケットを着直すが、

「気をつけます」

と返ってきただけだった。

 ヴォルフは一層苛々した。

 そもそもブランカの様子が気に入らない。

 今朝方、森の奥の空洞で休息してからというもの、ブランカはぱたりと喋らなくなった。必要以上のことを話さなくなったのだ。

 それはそれでいい。余計な会話でエネルギーを使いたくはないし、大人しくついて来てくれるのは手が掛からなくて済む。

 しかしそれは、一切の限界を訴えなくなったのと同義だった。休んでいる暇がないとは言え、あまりにそれが行き過ぎているのだ。

 第一ヴォルフの怪我がどうとか言うが、彼女の手足の打撲だって徐々に腫れてきている。一歩を出すだけでも相当きついはずだ。それなのにブランカは速度を落とすことなくヴォルフについて来ている。明らかに無理しているはずなのに、彼女は辛そうな表情すら浮かべなかった。

 しかし、見かねたヴォルフが何度か問い質しても、

「平気です。むしろご自分の身体を心配して下さい」

と無表情に機械的に返してくるばかりなので、結局ヴォルフは捨て置くしかなかった。

 別に本人がそう言うならそれでいいはずだ。自分に何度も言い聞かせるが、まるで人形のような様子に、ヴォルフの苛立ちは募る一方だ。

――あんなこと、聞くんじゃなかった。

 本来ならクラウディア・ダールベルクである彼女をわざわざ気にかけてやる義理などないのだが、ヴォルフをそうさせないのは、今朝ブランカが吐露した独白のせいに違いなかった。

 今もずっと頭の中で再生されている。

『私、どうして生きているんだろう』

 知ったことか。

 確かにギュンター・アメルハウザーが彼女の父親であったことには驚いたし、同時に五年前、彼女を焼き殺そうとしたのが実の父親であったことには衝撃が走った。彼女の右半身に残る火傷の痕が、一層痛ましく思えたのだ。

 だが、そうは言っても彼女はマクシミリアン・ダールベルクの孫だ。あんな大戦犯の血を受け継いでいることを嘆いていたが、彼女自身それを誇りに思っていたのではないか。あの忌々しい作文がそれを物語っているし、実際に彼女はアジェンダ狩りでヴォルフの父を殺させた。それでいながら自分の運命を嘆いて同情を誘おうとは、思い上がりも甚だしい。

 そう思うのに、彼女の言葉が耳を突いて離れない。あのときの虚ろな瞳が、目に焼き付いて離れなかった。

 憎い仇のあんな発言など、聞きたくなかった。

――騙されるな、こいつはクラウディア・ダールベルクなんだ。

 昨日の今日で色々起こりすぎているせいで、未だ頭の中で目の前の少女とあの忌々しき独裁者の孫を一致させられていないのだ。だからこんなに惑わされるに違いない。

 ヴォルフは何百回と自分にそう言い聞かせた。それと同時に肩の痛みが増してくるので、彼の苛立ちは更に煽られるばかりだ。

――とにかく、この先どうするかが問題だ。

 このままアルテハウスタットを目指すのは厳しいということが分かった。だが、進路変更をしてオプシルナーヤ圏内に長居するのも躊躇われる。その分追っ手の数は増えるだろうし、こちらも食糧のないまま何日も過ごせるものでもない。

 かと言って、頼れるアテがあるわけでもない。東ヘルデンズにはヴォルフの古い知り合いが何人か住んでいるが、いずれも東西の境界から遠ざかることになってしまう。それ以前に部外者を巻き込むわけにもいかない。

――しかし事情を知っている者など追っ手の他にいるものか。

 そう考えたとき、アルテハウスタット方面から走ってきた一台のトラックが、ヴォルフ達の視線の先で停車した。荷台に幌の張られた軽トラックだ。

 中から出て来た運転手が、トラックを放って近くの草むらへ駆けていく。助手席から「早くしろよー」なんて声が聞こえてきたので、大方小便でもしているのだろう。それ自体は正直どうでもいい。

 だが、ヴォルフはそのトラックのナンバープレートを見て、すっかり失念していたことに気が付いた。

『ヴァルツハーゲンを北に抜けたら、ヘルネーへ向かえ』

 列車でヴォルフを逃してくれた謎のヘルデンズ人がそう指示していた。そして目の前に停まったトラックのナンバープレートには、数字の横に『ヘルネー』と書かれてあるのが、暗がりでもはっきりと見て取れた。

 ヴォルフはごくりと唾を飲み込んだ。

 ヘルネーとはアルテハウスタットからやや北東方面にある中堅都市で、そこも東西の境界に近いところだった。だがヴァルツハーゲンから向かうには、まっすぐにアルテハウスタットへ行くよりも距離が遠い。そこへ行けば、ひとまずは二人の安全は守られるとあの男は言っていたが、確かにそんな遠回りの道を選ぶとはすぐには思いつきにくい。

――だが……。

 ヴォルフは隣で身を小さくしている少女を一瞥した。彼女は相変わらず帽子で顔を隠しているが、その下に見える唇の形は、やはり生きた感じがしない。

 この小娘は分かっているのだろうか。ヘルネーへ向かうとなったら、自分の身柄が要求されると言うことを。

 ヘルネーで待ち受けているというあの男の仲間は、二人を助ける代わりに確実にそういう条件を出してくるだろう。あの男はヴォルフにそう言った。しかし、こちらも任務が掛かっている以上、彼女を差し出すわけにはいかない

 第一、助けてもらった恩があるとはいえ、あの男や彼の仲間という連中を真っ先に信じ切るのは流石に抵抗がある。少なくともギュンター・アメルハウザーやオプシルナーヤへの反対勢力ではあるのだろうが、得体の知れない連中であることには変わりない。

――果たしてどうする?

 するとそのとき。

 目の前が大きく左右に揺れた。膝ががくりと崩れそうになるのをぐっと堪える。

 すぐに体勢を整えるが、彼の異変に、隣の少女はすぐに気が付いた。

「ヴォルフ……怪我の具合が、」

「いい。それよりも来い、急げ!」

 ブランカが何か言おうとしたのを遮り、ヴォルフはブランカの腕を引っ張ってトラックの後ろに向かった。荷台の幌を留めるゴムバンドを二箇所外して隙間を作る。

「乗れ」

 顎でそう促せば、ブランカは僅かに目を見開いたものの、言われるがまま荷台に忍び込んだ。続いてヴォルフも上がり込み入り口を塞いでいると、運転手がようやく帰ってきたのか、間もなくエンジン音が掛かりトラックが発車した。

 ヴォルフは荷台の壁にもたれて左肩を手で押さえた。なるべく身体に力を入れていないと、目眩が激しくなりそうだ。

「ヴォルフ……痛みがひどいの?」

 こういうときに限って隣の小娘は人間らしく反応してくる。

 確かにヴォルフの肩の痛みは更にひどくなっていた。鋭い痛みが頭にまで響き、左肩からじわじわと身体が熱くなってきた。呼吸も僅かに乱れ始め、嫌な汗が背中を伝う。

 だが、そんなことを言ったところで、この状況ではどうしようもない。

「いい、ほっとけ。お前は休んでいろ」

「でも……」

――うるせえな。こんなときばっかり口を聞きやがって。

 いちいち返答するのも面倒臭くなってきて、ヴォルフは顔を顰めたまま開いた隙間から外の様子を伺った。

――とにかく無事にヘルネーへ着ければいいが。

 咄嗟にヘルネー行きを決断してしまったが、とにかく利用できるものなら利用しておくに越したことはないだろう。ブランカの身柄についても上手くかわせば良いだけのことだ。

 それよりも問題は、このトラックが二人をヘルネーまで運んでくれるかどうかだ。

 ナンバープレートだけで判断してしまったが、実際どこへ向かっているのか分からない。万一ヘルネー行きでなかったら、ヴォルフ達は途中で降りなければならなくなる。この辺りの土地勘はないが、とにかくどこを走っているのかくらいは確認しておいた方が良いだろう。

 そう思いながら、ヴォルフは過ぎ去る道路標識をじっと観察する。だが生憎、真っ暗な夜道では後ろに消えていく道路標識をはっきりと読み取ることが出来なかった。

 それどころか、視界が一気に霞み始める。

――くそ……耐えろ……。

 ヴォルフは両手に拳を握って眉間に力を入れた。視界のぶれがさっきよりもひどくなっている。おまけに全身がうだるように熱いのに、悪寒が背中を駆け上る。頭も重く感じる。

 だがこんな危険な最中で、しかもこの娘を差し置いて、自分が倒れるわけにはいかない。折角目的の人物を奪還したのだ。ここで気を失ってまた逃すわけにはいかない。

 必死にそう言い聞かせるが、ヴォルフの気持ちとは裏腹に、彼の上体はがくりと前方に揺れてしまった。

「ヴォルフ? やっぱり怪我が……ヴォルフ? ねえ、ヴォルフ?」

――うるせえ、耳元で騒ぐな。

 身体を支えられるのを感じながら、ヴォルフは彼女の言葉に返した。もはや音に出来たかどうかも分からない。痛みは恐ろしいほどに増してくるのに、意識が離れていく。

「ヴォルフ、ねえお願い、しっかりして。ヴォルフ、ヴォルフ」

 間近で呼びかけているはずの声が、遠くに感じる。瞼も開けていられなかった。

 せめてこれだけは言わなくてはいけない。

 朦朧とする思考の中で、ヴォルフは必死に口を動かした。

『ヘルネーへ』

 だがそれがきちんと音になる前に、ヴォルフは意識を手放してしまった。

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