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プロローグ

――いいか、クラウディア。世の中には存在してはいけない害虫が沢山いるのだよ。私はそういう虫たちから世界を救おうとして戦っているのだ。



 闇が広がる森の中を、少女は死にものぐるいで走っていた。

 ここが一体どこで今が一体いつなのか分からないし、この森を抜けたところで明るい未来はどこにもないのかもしれない。

 だが、逃げなければ殺される。

 ただそれだけのために少女は必死で逃げていた。

 追っ手の気配は確実に近づいてきている。まだ彼らの姿は見えないし、おそらく向こうも自分の姿を特定できていないだろうが、もはや時間の問題だ。そもそも馬も車も乗りこなす大人たちから便利道具もなしに逃げ延びるなど、不可能だったのだ。

 少女は拙い頭で考えを巡らし、目の前にそびえる高い木によじ登った。幼少期から木登りはあまり得意ではなかったが、危機的状況のためか、案外簡単に上へ上へと足を運んでいく。それほどに生きるのに必死だったのだ。

 一番低い位置に付いている枝にようやく到達したとき、突然銃声が鳴り響いた。

 つんざくようなその音が聞こえた方向を、少女は恐る恐る確認する。彼らはまだ少し離れたところにいるようだ。少女は震える身体を叱咤しつつ、更に上へと避難する。

 そうしているうちに、追っ手は近くまで寄ってきた。

「こっちの方に逃げていたように思ったが、見事に消えたな……」

「これ以上闇雲に探し回っても埒が明かない。いかがなさいますか、アメルハウザー少佐」

 部下たちに名を呼ばれて現れたその男を、少女は未だに頭の整理が付かないまま、木の上から眺めていた。

 男は悔しそうに顔を醜く歪める。

「くそっこの鈍足が! あんなガキ一人捕まえられずによく戦場を生き残って来れたものだな!」

 募る苛立ちのせいか、男にひどく当たり散らされて、部下たちは「申し訳ありません」と小さく平謝りする。男は深々とため息を吐いた。

「いいか、あの狂った男が死んだ今、アレは私たちが生き残るためのエサだ。殺してでも何でもいい。とにかく何としてでもあのガキを捕らえるんだ!」

 半ば怒鳴るようにして放たれたその言葉に、少女は思わず耳を塞ぎたくなった。そんな台詞、彼だけは口が裂けても絶対に言わないと思っていたのに、その口調も物言いも、まるで憎い敵を相手にしているかのようだ。全面的に信頼を寄せていた人物なだけに、残酷な言葉は少女の心を深く切り刻む。

「少佐、あなたの言うとおり、あの子はまだ幼い。そんなに遠くへは逃げられないでしょう。ましてや途中で消えたとのことなので、近くのどこかに隠れているのではありませんか」部下の一人が、事務的に尋ねる。

「そうだな、あいつは特にかくれんぼが好きだったからな」

 そこだけ聞けば、懐かしんでいるようでもある。やはり先ほどの発言は嘘だったのだと、少女は淡い期待を抱きながら、男の次の言葉を待った。

 だがそれは、非情な現実を思い知るだけだった。

「ふん、あいつは確か木登りは出来なかったはずだから、どうせそこら辺の草や木の根にでも隠れているのだろう。だが、まともに探していては時間がかかるし、すぐに逃げられるだろう。ならば向こうから出て来たくなるようにすればよい」

「少佐、それはつまり――」

「――油を撒け。この辺り一帯を全て燃やすんだ」

 何の躊躇いもなく紡がれた言葉に、少女はこの上ないほどの絶望を感じた。

 彼は本気で自分を殺すつもりなのだ。そんなことは絶対にあり得ないと否定してきたが、その事実はもう揺るぎそうにもない。何で、どうして。そんな言葉が頭の中を何度も往復する。

 同じことを部下たちも思ったのか、困惑した様子で彼に疑問を投げかけた。

「し、しかし、本当によろしいのですか? そんなことをしてしまえば、本当に丸焦げになってしまいます。あの子はあなたの――」

「黙れ!」

 一際大きい怒号に、彼に進言していた部下は怯えたように固まった。

「あいつは祖国を踏みにじった男の血を引いているんだ。あいつのせいで、私たちの人生まで滅茶苦茶だ。そんなヤツの子孫など、丸焦げになったって構いやしない!」

 悲痛な男の叫びは、元々同じ心境にいた部下たちの心に共鳴する。もはや彼に逆らうものはその場には誰もいなかった。

 彼らは慣れた手つきで辺り一帯に油を撒く。

 これが本当にただ草むらに隠れているだけだったらいくらでも逃げようがあったものを、少女は完全にタイミングを失ってしまった。

「クラウディア、近くにいるのだろう? 出ておいで。素直に出て来たら、好きなものを何でも買ってあげるよ」

 男は急に猫撫で声になって言うが、狂気を孕んだそれには、もはや恐ろしさしか感じない。先ほどまであんなに自分を罵っていたのだ、どうして素直に従えるだろうか。

 しかし、既に火は放たれていて、確実に広がっている。

 どのみち自分には逃げ場はないのだ。

「ほら、クラウディア。熱いだろう? 早く出てきた方が身のためだぞ」

 燃えさかる火の向こうで聞こえてきた声は、先ほどより小さくなった。男たちがここから距離を取ったのだろう。チャンスだと思って下を見るが、火の周りは思ったよりも早く、抜け道などどこにも見あたらなかった。

 もうダメなのかもしれない。そんな言葉が頭をよぎる。

 だが、少女はここで死ぬわけにはいかない。自分には大事な使命がある。果たしてそれに命をかける必要があるのか分からないが、何としても守り抜くと、固く約束したのだ。

 ならば、例え丸焦げになってでも、自分は生き延びなければならない。

 それが本当に正しいことなのかを見届けるためにも――。

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