朔の夜の酒盛り
私は祠に腰掛けて太陽が西に傾いていくのを眺める。太陽はもう山間から僅かに顔を覗かせる程度しか残っていない。村に帰っていく人の流れもまばらになってきた。人々は私に手を合わせて帰っていく。
「石神様、今日も無事に帰れそうです」
「うん、あとちょっとだけど、村まで気を付けて帰ってね!」
「……石神様、もう少し威厳を…………」
私は神として気が遠くなる程昔から人々に信仰されて、わたしも人々を見守ってきた。神様らしい威厳は少し足りないけれど、これでも沢山の人に信仰されている。
やがて、太陽が完全に沈み、辺りはすっかり暗くなる。都会にはあるという『がいとう』とかいうのは、ここいらには無いから本当に暗い。文字通り一寸先は闇だ。夜の間、世間を優しく照らす月は今日だけは出てこない。私はこの日を楽しみにしてきた。月に一度の朔の日、私の友達はやってくる。
「よお、石神ちゃん」
闇の中でじっとしていると、微かな衣擦れの音と共に、私に向かって声が掛けられる。
「やあ、くらやみちゃん。1ヶ月振り」
私も声のする方へ挨拶を返す。そこには闇が広がっているだけでなにもない。でもそこには確かに私の友達がいる。
「今日はね、お供え物豪華だったんだよ!」
私は祠の中から一升瓶に入ったお酒と山盛りの団子を取り出す。このお供え物はこの前、迷子になった村の子を家まで送り届けたお礼に貰った物だ。私は近くの木の根元に座る。近くで衣擦れの音と空気の動く気配がしたからくらやみちゃんも隣に座ったようだ。私はお酒を升に注ぐと、くらやみちゃんの位置を大抵の見当をつけて置く。
「あんがと」
升と団子のいくつかが闇に包まれる。私はそれを確認すると自分の升にもお酒を注いだ。一口含むと爽やかな味が口一杯に広がって、とっても美味しい。
「美味いな。…………石神ちゃんが羨ましいよ。こんな美味い酒貰えるくらい信仰されててさ。石神ちゃん、まだ人間の目に見えるんだろ?」
「くらやみちゃん……」
「世間はどんどん明るくなってる。もう都会には本当の闇なんてどこにも存在しない。ここいらだってもう少ししたら街灯がつき始めるだろう? 闇がどんどん無くなっていく。みーんな、アタシの事見えなくなっていく。……石神ちゃんもさ、もうアタシのこと殆ど見えないんだろ?」
くらやみちゃんの声が痛々しい。後ろ向きな事、全部否定して励ましてあげたい。だけど、くらやみちゃんの言っていることは全部本当だ。私達、人とは違うモノは人が認識してくれないとこの世にはいられない。只の石ころだった私を神にしてくれたのも、くらやみちゃんを見えなくしていくのも人だ。私は信仰が厚い方だけれど、それでも少しずつ、本当に少しずつだけど力が弱まってきている。昔は祠を離れて山を越えるくらい造作無いことだったのに、今は本体の一部を持ってやっと出来るような状態だ。
無限の時を生きると言われる神々にも、限界は訪れ始めた。もうこの世には無限のものなんてなくなってしまったんだろう。人は神を殺し始めた。それでも。
「それでも私は人が好きだよ。この世界が好きだよ」
私には人を世界を嫌う事が出来ない。嫌える筈がない。只の石ころだった私に祈ってくれた。祠を建ててくれた。神にしてくれた。私は人に支えられて、私でいられる。
「……石神ちゃんらしいよ。アタシも好きさ」
くらやみちゃんの声が僅かに上向きになる。
「さ、飲もう。お供え物はまだまだあるんだよ!」
私は空っぽになった自分の升にお酒を注いだ。一升瓶にはまだお酒がたっぷりと入っている。くらやみちゃんと話したい事も沢山ある。酒盛りはまだ始まったばかりだ。
暗い話は最初だけで、あとは楽しく喋って、歌って、踊ったりもした。楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。もう直ぐで夜明けがやってくる。酒盛りの終わりの時間だ。
「今日は久し振りに楽しかったよ」
「また来月もおいでよ」
「まだ闇が残っていたらね」
そういってくらやみちゃんは帰っていった。直ぐに太陽が山間から顔を出す。新しい一日の始まりだ。
「さて、今日も神様頑張るぞ!」
私は拳を高く突き上げた。