滅掌の延慶 九
8
その街は、夜といえど、真昼と変わらないほどの喧騒を見せていた。
店の呼び込み。
仕事帰りに酒を引っ掛けてきたサラリーマン達の談笑。
逢い引きを行う男女の声。
がらの悪そうな若者達の罵声。
それらがやかましく、街を活気づかせていた。
その中を、延慶は黙々と歩き続けていた。
一挙一動には、寸分の隙もない。
誰にもぶつかることなく、悠然と道を歩き続ける。
これほどの人混みならば、他の通行人と接触してもおかしくはないであろう。
しかし、その心配は無用であった。
なぜなら―――周囲の通行人は、延慶を避けていたからである。
彼にぶつかって、要らぬ刺激を与えてしまったらどうなってしまうのか―――周囲の通行人は、潜在する本能から、その結果を理解していたのである。
その為、通行人達は、延慶から最低でも一歩分の距離を空けて歩いていた。
その光景はさながら、延慶の周囲を見えない仕切りが囲っているようであった。
あの夜―――『魔拳』と呼ばれる退魔師の噂をつめながから訊いてから、 延慶は毎晩、こうして街を歩き回っていた。
当然、その魔拳と立ち合う為である。
魔拳とやらの実力がどれほどのものかは知らないが、武心拳の使い手と立ち合う前の前菜くらいにはなるであろう―――そう考えていたのである。
だが、結局延慶は魔拳に出会うことはなかった。
歩けども歩けども、魔拳に行き当たることは一度もなかった。
その結果に、延慶は歯痒い思いを感じていた。
魔拳はどこにいるのか―――どうすれば立ち合えるのか―――そう思いながら。
しかし―――この日、延慶は感じ取っていた。
強者の気配を。
強者のみが持ち合わせている、独特な闘気を。
久しく感じたことのなかったオーラを、延慶は確かに掴んでいた。
一歩歩く毎に、全身を高揚が駆け抜ける。
徐々に強者の気配へと近付いている。
間違いない、この気配は『魔拳』のものだ―――そう思い、堪らず延慶は、ニヤリと笑みを浮かべた。
その時、延慶の足は、街の外れの自然公園へと差し掛かっていた。
敷地内にいるのは、彼を除いて数名。
若い男女のカップルと、くたびれた中年のサラリーマン、そして、犬の散歩に来た女性である。
彼らは皆それぞれ、公園の中で己の世界に浸っていた。
恋人同士の甘い雰囲気を作り、その日の営業が上手くいかなかったことを嘆き、愛犬と共に歩きながらリラックスをしたり―――
が―――次の瞬間、彼らの表情が強張った。
延慶が敷地内に入った瞬間、彼らの背筋を冷たいものが駆け抜けたのである。
それが何なのか―――具体的なことは彼らには分からなかったが、それが 自身に対して『よくないもの』であることだけは、本能で理解していた。
そして彼らは、公園からそそくさと退散し始めた。
ここに一分一秒でも長くいたら、恐怖で身体が震えだし、一歩も動けなくなってしまうかもしれない―――そう思ったのである。
彼らのよそよそしい行動を目にしても、延慶は全く気にとめることはなかった。
彼らが退散し始めた原因は、延慶自身がよく理解していた。
公園に入った瞬間、延慶が僅かに殺気を放ったのである。
貴様ら、ここから立ち去れ。
自分の邪魔をするな―――そう言わんばかりに。
予感があった。
これからこの公園で、死闘の幕が上がる。
そんな予感が、延慶にはあった。
血湧き肉踊る死闘を、くだらない人間共に邪魔されたくなかった。
延慶はそのまま歩き続け―――やがて、公園の中央で立ち止まった。
その場で両目を閉じ、瞑想に入る。
自身が発した殺気の影響で、この辺りから人間達は立ち去りつつある。
人間の気配は、徐々に遠退いていった。
ただし―――ただ一つの気配を除いては。
その気配は、立ち去っていく人間達とは逆方向―――即ち、公園に向かって歩いていた。
強い。
堪らなく強い。
延慶は確信した。
この人物こそが魔拳だ―――と。
風が吹き始める。
強い風が吹き始める。
冷たい。
木々が煽られ、ざわざわと音を立てている。
その音と、ごう、という強風の音が、延慶の耳に入り込む。
ごう、ざわざわ───
ごう、ざわざわ───
延慶の耳に、やかましいほどの音が何度も入り込み―――突然、消えた。
延慶が目を開く。
その視線の先にはいつの間にか、一人の男が佇んでいた。
小柄である。
黒いジャケットとグローブをまとっていた。
悪人面で、異様に目付きが悪かった。
その瞳に宿るのは、殺気。
延慶が今、瞳から放っているものと、同じ類のものであった。
かくして、この日。
魔拳と滅掌―――二人の男が、出逢った。
次の投稿日は未定です。
これで、2014年内の更新は終わりです。
皆様、今年一年、応援ありがとうございました。
来年も皆様に楽しんで頂けるような作品を執筆できるよう頑張りますので、宜しくお願い致します。
【追記】
次は、土曜日の午前10時に投稿する予定です。




