滅掌の延慶 二
2
遡ること数日前。
深夜の公園に、『稲妻』の異名を持つ空手家───進藤雄矢が佇んでいた。
彼の周囲には、6人の人影が、雄矢を取り囲むように立っている。
雄矢の前方には、3人の男。
右側と左側に1人ずつ。
そして背後に、最後の1人が佇んでいる。
彼らは、決して談笑しているのではない。
現在、彼らが放ち続けている雰囲気は、そんな楽しげなものではない。
怒りと血の滾りによって生まれた、禍々しい雰囲気であった。
「やっと見つけたぜ、進藤・・・!」
前方の3人───その中央の、ポケットに手を突っ込んでいる男が、そう語り掛けて来る。
口を吊り上げ、笑っていた。
しかし、顔は笑ってはいるが、愉快そうな笑みではない。
その目には怒りが満ちており、目の前の雄矢に怒気を注いでいた。
彼が、この集団のリーダーのようであった。
「・・・」
そんな男の様子を、雄矢はつまらないものを見るような目で見ていた。
早いところ用件を言ってくれないだろうか―――そんな感情が伝わってきた。
「よぉ進藤・・・先月はよくもうちの師範をやってくれたな・・・!」
「あ・・・?先月・・・?」
男の言葉に、雄矢が初めて口を開く。
ぽかんとした表情になっていた。
腕組みし、記憶を呼び起こそうと顔を上に上げ―――しばらくして、申し訳無さそうな顔で答えた。
「悪い。心当たりが多すぎて覚えてねえわ」
「ざけんじゃねえ!!てめえは先月、俺達の道場にいきなり乗り込んで、飯島師範をボコボコにしやがった!師範はまだ入院中だ・・・!その上門下生はどんどん減ってる・・・!全部てめえのせいだ!忘れたなんて言わせねえぞ!!」
「んん・・・?飯島・・・?」
男が口にした名を耳にし、雄矢が目を丸くする。
再び天を仰ぎ、眉を寄せて考え込み始める。
すると、しばらくして雄矢の頭の中に、とある空手家のシルエットが浮かび上がった。
「ああ!清柳会の飯島昇か!」
わざとらしい様子で、雄矢がそう口にする。
それを耳にし、リーダー格の男の怒りが、若干静まった。
「けっ・・・やっと思い出しやがったか・・・!」
「おう。誰かと思ったら、チンピラの飯島センセイのことだったんだな」
「・・・!?てめえ!!」
雄矢が口にした答え。
その言葉に、リーダー格の男が再び目を剥いた。
「今何て言った・・・!飯島師範のことを、何て言いやがった!!」
怒りに声と体を震わせる男。
目は血走り、まるで餓えた獣のようであった。
「聞こえなかったか?なら何度も言ってやるよ。『飯島昇はチンピラだ』。あいつは空手家じゃねえ。金のことしか考えてねぇ、薄汚い子悪党だ」
それに対し、雄矢はせせ笑いながら、彼らの師匠への侮辱の言葉を口にする。
「黙れ!!」
「飯島師範への暴言は許さん!!」
「ぶっ殺されてぇのかコラァ!!」
取り巻きの男達が、初めて口を開いた。
凄まじい剣幕で怒鳴っていた。
「あ?何キレてんだてめえら―――」
しかし雄矢は、物怖じすることなく言葉を続ける。
「全部本当のことじゃねえか。飯島は何度も、喧嘩をしたこともねえような奴に絡んで、一方的にボコって、その上有り金全部カツアゲしてやがった。どこからどう見てもチンピラじゃねえかよ。だから俺が、本当の空手ってもんを教えてやったのさ」
そこで雄矢は、言葉を区切る。
そして次の瞬間、リーダー格の男を、凄い表情で睨みつけていた。
「・・・あんたもチンピラだよなぁ、三谷さん?あんた、いたいけな高校生を虐めて、無理やり清柳会の門下生にしてたよなぁ?」
「な・・・!?何でそれを!?」
リーダー格の男―――三谷の顔が、驚愕の表情を形作る。
「気付かれねえとでも思ってたのかよ、この馬鹿が。他の流派の道場でも、とっくに噂になってるぜ。お前以外の門下生の汚え悪事もな・・・!」
「っ・・・!」
三谷を除く他の門下生達の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
しかし、三谷の表情は、怒りによってますます赤くなっていく。
あと少しでも何かを言われれば、爆発してしまいそうなほどに。
そして遂に、雄矢がとどめの言葉を放った。
「清柳会は空手の団体じゃねえ。卑怯なやり口で美味い汁を啜る、腰抜けのゴロツキ共の溜まり場だ!!」
「・・・っ!て―――めえっ―――!!」
三谷の怒りは、遂に頂点に達した。
自信の内側から湧き上がるドロドロとしたものを右拳に込め、雄矢の顔面に放っていた。
が―――
「―――っ!」
雄矢はその拳を避けるどころか、逆に頭突きを放っていた。
「ぐっ!?」
三谷の拳が、壁に叩き付けられたゴムボールの如く奇妙な形に歪む。
慌てて拳を引くが、もう遅い。
右拳の激痛が、腕を通して、三谷の脳へと駆け上がるように伝わっていく。
そして遂に、痛みの感覚が脳へと達した。
「ひ―――ぎゃああああああああああっ!!」
三谷の悲鳴が、夜の公園に響き渡る。
右手の甲からは、折れた骨が皮膚を突き破っており、真っ赤な血が流れていた。
堪らず三谷は、左の手の平で右手を庇う。
そして、その場にうずくまろうとするが―――直後、雄矢が放った右正拳によって、顔面を打たれていた。
「うがっ!?」
三谷が仰向けに倒れる。
受け身を取ることも出来ず、後頭部を地面に強打。
そのまま彼は、地面の上で昏倒した。
「み、三谷先輩!?」
傍らに立っていた2人が、三谷へと駆け寄る。
次の瞬間―――
「野郎っ―――!!」
雄矢の背後から怒号が発せられる。
三谷が倒されたことに逆上した取り巻きの1人が、背後から急襲しようとしていた。
しかし―――
「フンッ!!」
「ぉげっ!?」
雄矢は振り返ることなく、その男の鳩尾に右肘をぶち込む。
堪らず男は、呻き声を漏らし、その場に膝をつく。
「りゃあっ!!」
更に雄矢は、自身の右側に向かって、左の回し蹴りを叩き込む。
そこには、仲間の2人が瞬時に倒されたことに驚愕している男が佇んでいた。
「がっ―――!?」
男の側頭部を、雄矢の左足が捉える。
その瞬間、男は頭部への激しい衝撃を感じながら、意識を失った。
「くぁっ!!」
直後雄矢は、自身の後方―――先ほどまで左に立っていた男の方へ、右の足刀蹴りを見舞う。
それにより、4人目の男の前歯が砕けた。
「がばっ!?」
折れた歯を撒き散らしながら、その男は真後ろに吹き飛ばされていた。
「―――ッ!!」
そこで雄矢は、残心の構えを取る。
そして、周囲の様子を窺った。
1人目の男―――三谷は、未だに頭を打った衝撃で昏倒していた。
2人目の男は、その場に膝をついたまま、胃の中のものを激しく吐き出している。
3人目の男は、回し蹴りを食らった後に倒れ伏し、そのままぴくりとも動かない。
そして、今倒したばかりの4人目の男は、両手で口を覆い隠し、苦痛にもがき苦しんでいた。
「ひっ―――」
「そ、そんな―――」
三谷に駆け寄っていた2人の男は、戦慄しながら雄矢を見つめていた。
表情に浮かぶのは、怯えと絶望。
次にやられるのは自分達だ―――そんな考えが、色濃く表れていた。
「どうする?続けるか?」
萎縮し切った2人に、雄矢がそう言葉を掛ける。
声の調子は優しかったが、表情は凄まじいものであった。
「やっ、やめろ、分かった!」
「勘弁してくれ、俺達が悪かった・・・!」
2人は慌てて許しを請う。
雄矢が見せた腕前と凄みに、完全に闘争心を失っていた。
「分かりゃ良いんだよ―――」
雄矢はそう呟くと、ようやく構えを解く。
「なら、ぼやぼやしてないで、そいつらを病院に送ってやんな」
「・・・!あ、ああ・・・」
雄矢の言葉に、2人ははっとした顔つきになり、倒れた男達に肩を貸す。
そして背中を向け、よろよろと立ち去った。
「・・・・・ちっ」
男達の背中が小さくなっていくのを見詰めながら、雄矢が小さく舌打ちする。
つまらない喧嘩をしてしまった―――そんな考えが、表情に出ていた。
「どうせ闘るなら、気合いの入った奴に来て欲しいよなぁ・・・」
雄矢はそう呟きながら、軽く伸びをする。
そして、これからどうしようかと考えていた。
不味い喧嘩をしたので、口直しがしたかった。
酒でも飲みに行こうか。
いや、折角人気の少ない公園にいるのだから、少し汗をかくのも良いかもしれない。
雄矢がそんなことを考えていた、その時であった。
「ムハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
突如、誰もいないはずの公園に、何者かの笑い声が響き渡った。
同時に、乾いた拍手の音が聞こえてくる。
(・・・?誰だ・・・?)
雄矢は、声と拍手が飛んできた方向を見やる。
茂みがある辺りであった。
そこに紛れるように、男が立っていた。
型の古いフロックコートを身にまとっていた。
髪は整髪料で撫で付けられ、口の上の辺りには、形の整えられたボリュームのある髭が乗っている。
年齢は───分からなかった。
30代半ばのようにも見えるし、50代半ばの威厳も兼ね備えていた。
そして、細めた両目からは、妖しくも強い光が放たれていた。
「ムハハハハハハ!!いや、見事見事!電光石火の早業とは正にこのことよ!!」
男性は笑いながら、雄矢に賛辞を送る。
そして、拍手を続けながら、茂みの隙間を抜け、雄矢の下へと歩み寄って来た。
「あんた、見てたのか」
雄矢は怪訝な顔をしながら、その男に声を掛ける。
「左様!強い闘気を感じたのでな。武心拳の使い手かと思って来てみたのだが・・・違っていたようだな。いやしかし、代わりに面白い男に出会えた。結構結構!」
「・・・『武心拳』?」
雄矢が眉を寄せる。
初めて聞く武術の名であった。
「何だよ?その武心拳って」
「ん?ああいや、気にするな、こちらの話よ」
雄矢の質問に、男性は微笑みを崩さぬままはぐらかす。
どうやら、敵意はないようであった。
しかし───雄矢は見抜いていた。
この男性の肉体から、はち切れんばかりのエネルギーが漏れ出していることを。
強い───雄矢はそう思った。
そして同時に、疑問に思った。
これほどまでに強そうな男が近くにいることに、なぜ自分は全く気付かなかったのだ───と。
そんなことを雄矢が考えていると───
「しかし、どうも腑に落ちんことがある───」
不意に男性がトーンを落とした声を発した。
「貴様、何故残った2人を始末しなかった?」
「何?」
男性の質問に、思わず雄矢は目を丸くする。
「武術家にとって、情けは余計な感情よ。己に歯向かった相手は、全て容赦なく叩きのめすべきなのだ。しかし、貴様はそうしなかった。何故だ?」
「え・・・?何故ってそりゃ───」
きょとんとした顔で、雄矢は答える。
「あいつら、完全にビビってたんだぜ?やる気のない奴をわざわざ虐めることもねえだろ?」
「・・・ふむ・・・なるほどな・・・」
雄矢の言葉に、男性は口元に手を当て、考え込むような仕草をする。
その様子を見ながら、雄矢は身体の内側で、再び闘志を燃え滾らせていた。
闘いたい。
この男と、激しく殴り合ってみたい。
そんな考えが、表情にゆっくりと浮かび上がっていた。
「で、どうする・・・?あんたも闘るかい?不味い喧嘩をした後だからな。こっちは口直しがしたくて仕方ねえんだよ」
ニヤリと笑いながら、雄矢はその男性に言葉を掛ける。
我慢の限界であった。
一刻も早く、この男の顔面に拳をぶち込みたい───雄矢は、そんな内なる格闘衝動を抑えかねていた。
「むう・・・」
しかし、男性はじっくりと黙考した後───ゆっくりとかぶりを振った。
「いや、止めておこう。才能有る若い芽を早く摘み取るのも惜しい。後の楽しみの為に、ここは引くことにする」
「へ・・・?あ、そう・・・」
男性の返答に、雄矢は拍子抜けした様子で答える。
己の内から湧き出る熱い衝動が、ゆっくりと冷えていくのを感じた。
「では、我輩も立ち去ることとしよう。だがその前に───貴様の名前を聞いておきたい」
「え?俺?」
男の問い掛けに、雄矢は素直に答えた。
「・・・進藤雄矢。正錬館空手の二段だ」
「進藤雄矢か。なるほど、良き名だ」
雄矢の名前を聞き、男は再びニヤリと笑う。
「進藤雄矢よ。非情さを身に付けろ。貴様が冷酷なまでの殺意を手に入れた時、相手をしてやろう」
男は笑みを浮かべ続けながら、雄矢に助言するように言葉を掛ける。
「情けや甘さなど、強さを求める道では邪魔なだけよ。徹底的に非情になることだ」
「・・・」
そう言うと男は、雄矢に背中を向ける。
そして、僅かに首だけを振り向かせ、名乗った。
「我が名は延慶。『滅掌の延慶』」
「滅掌の・・・延慶・・・?」
「では、また会おうぞ───」
延慶は最後にそう言うと、悠然と歩きだした。
雄矢はその背中を、黙って見つめていた。
そして公園に残されたのは、再び雄矢のみとなった。
僅かに、風が吹いている。
暖かくも冷たくもなく、不穏な気配を漂わせる風であった。
進藤雄矢と、『滅掌の延慶』の邂逅。
それが、事の始まりであった。
次の投稿日は未定です。
【追記】
次は、火曜日の午前10時に投稿する予定です。




