魔拳参上 二十三
【これまでのあらすじ】
柳善の卑怯な策によって、衛は遂に倒れてしまう。
泣き叫ぶマリーと舞依。
柳善は、そんな彼女達すらも己の信者にしようと企む。
だがその前に、柳善は己の手で息の根を止めようと、ナイフを衛の首に近付けた───
18
(・・・・・?)
ふと気が付くと、衛は闇の中にいた。
(ここは・・・)
辺りを見渡すが、古ぼけた教会も、生い茂る草も見当たらない。
赤鬼や狼男、洗脳された被害者、そしてその犯人である柳善の姿も。
あるのは、見渡す限りの闇。
衛が何度も夢の中で見た、虚無の闇であった。
(・・・俺は・・・死んだのか・・・?)
衛が呟く。
(・・・何も・・・出来なかったのか・・・?)
目を僅かに伏せ、自分自身に問い掛ける。
(結局俺は・・・誰も助けられないで・・・自分の目的すら果たせず・・・死んじまったのかよ・・・畜生・・・!)
悔しさを滲ませながら、衛はそう吐き捨てた。
その声に答える者は、誰もいない。
彼が漏らした呟きは、そのまま闇の奥へと吸い込まれていった。
その時、闇の彼方から、少女達の泣き叫ぶ声が聞こえた。
『嫌あああああっ!来ないで!来ないでよぉっ!!』
『や、やめろ!それ以上近付くな!!止まるんじゃ!!』
それを耳にし、衛ははっとした顔になる。
聞き覚えのある声であった。
(・・・!マリー・・・!舞依・・・!!)
思わず衛は走り出していた。
自分が倒れたことで、彼女達の身に危機が迫っている―――そう考えると、衛は何か行動せずにはいられなかった。
(クソッ・・・!まだだ・・・!まだ終わってねえ・・・!何とかして、あいつらを助け出すんだ・・・!)
そう言いながら、闇雲に走り続ける。
決して、足を止めることはなかった。
存在するのかどうかも分からない、闇からの脱出口を求めて、ひたすら足を動かし続けた。
その時。
―――諦めろ。
再び、声が聞こえた。
またしても、聞き覚えのある声であった。
だが、少女の声ではない。
義満でも康治郎でも、ましてや柳善の声でもない。
己の声であった。
悪夢を見る度に何度も耳にした、己の内なる理性の声であった。
声は、いつものように衛に言葉を掛ける。
―――無駄だ。もう遅い。
(黙れ・・・!)
衛は足を止めずに、唸るように答える。
―――お前は敗けたんだ。もうすぐ、お前は死ぬ。
(うるせえ・・・!)
―――もう足掻くのはよせ。全部無駄だったんだ。
(うるせえって言ってんだよ!!)
衛が声を荒げる。
それでも、足を必死に動かすことを止めはしなかった。
(ここで諦めたら、マリーと舞依はどうなる!腹を切った連中も、舞依の治癒術で助かるかもしれねえ!今ならまだ間に合うんだ!!)
―――無駄だ。この状況をひっくり返すことは出来ない。
(勝手に決めつけんな!!)
―――なら聞くぞ。もし、この後お前がまた立ち上がったとしよう。それで、お前はどうやってこの状況を打ち破るつもりだ?
(・・・!)
その時、衛の両目が僅かに見開かれる。
───確かに、お前にはまだ動く力が残っている。だが、立ち上がったとして、お前に何が出来る?囁鬼に洗脳された人を、どうやって助け出す?
(・・・っ、それは―――)
走る足が、徐々に重くなっていく。
───こうなったのも、全てはお前のせいだ。
声はなおも、衛を責め続ける。
―――お前に強い意志があれば。多少の犠牲を払ってでも囁鬼を倒すという覚悟があれば。被害を最小限に抑えることが出来たはずだ。
(・・・!)
―――全ては、お前の責任だ。お前の心が弱かったから、誰も救えなかったんだ。お前に強い覚悟がなかったから、奴を倒せなかったんだ。
(・・・)
―――お前に出来ることは、もう何もない。もう諦めろ。諦めて、いい加減楽になれ。
(・・・・・)
足は徐々に動く速度を緩め、歩くのと変わらぬ速さへと落ちていく。
そして遂に、衛が立ち止まった。
完全に沈黙し、顔を俯かせ、その場に立ち尽くしていた。
(・・・)
衛はしばらく、そのまま佇んでいた。
理性の声が語った言葉を己に刻み込むように、目を伏せたまま俯いていた。
やがて―――衛は、ぽつりと呟いた。
(・・・ああ・・・。・・・その通りだな・・・)
―――・・・。
(お前の言う通りだ。俺には、強い意志がなかった。強い覚悟を持つことが出来なかった。・・・だから俺は、洗脳された人が腹を切ったことに動揺して・・・そして敗けた。誰も救えなかった。・・・『あの時』みたいにな)
―――フン。ようやく認めたか。
(・・・ああ)
―――なら、もう眠れ。あの世でゆっくりと休め。きっと、『あいつ』も許してくれるさ。
(・・・)
衛が再び無言になる。
しばらく、そのまま沈黙していた。
目を伏せたまま、短くない時間黙りこくり―――やがて衛は、声に対して、こう答えた。
(・・・嫌だね)
―――・・・何?
(『嫌だ』って言ったんだ。俺はまだ、死ぬ訳にはいかねえ)
───フン・・・。頑固な奴だ・・・。
呆れるような口ぶりで、声はそう吐き捨てる。
───なら、俺が言ったように、多少の犠牲を払ってでも囁鬼を殺すんだな?最も、現実のお前は虫の息だ。治癒術を使って立ち向かったとしても、奴を殺せる確率は低いが───
(そんな訳ねえだろ)
───・・・?
(確かに、お前の言う通り、俺には意思が足りなかった。覚悟がなかった。だから、お前の言う通りにするよ。多少の犠牲は諦める。そして、少しでも多くの人を助け出す。・・・けどよ・・・その前に、俺にもう一度だけ、チャンスをくれねえか)
───『被害者達を全員助ける為に、闘わせてくれ』と?
(ああ、そうだ)
───ハッ、馬鹿な・・・。じゃあどうやって助けるんだ?策も思い付かない癖に、大きな口を叩くな。
(・・・あるさ)
───・・・何?
(策ならあるさ。たった1つだけな)
その時、衛が正面を見据えた。
瞳には強い意志が。
力強い覚悟が宿っていた。
(簡単なことだ。『被害者達が腹を切る前に、奴をぶっ殺す』)
―――・・・!?何だと・・・!?
その時、声の調子に、驚愕の感情が混ざった。
衛が言ったことが、己の心が語ったことが信じられない───そんな響きであった。
───馬鹿な・・・!そんなことが出来るものか・・・!
(確かにな。馬鹿みたいな策だ。口で言うだけなら簡単だけど、成功する確率はかなり低い。・・・でも、全員が助かる為の方法があるのなら、俺はそれに賭けてみたい)
───上手くいくものか・・・!絶対に失敗するに決まっている!
(まあな。・・・だから言ったろ?もしやってみて、本当に駄目なら、お前の言った通りにするさ)
───・・・・・。
理性の声が、沈黙した。
呆気に取られたように。
衛のことを憐れむように。
声は長い間沈黙を続け───やがて、尋ねた。
───・・・・・なぁ、俺よ。
(・・・何だ)
───教えてくれ。どうして、そこまで足掻こうとする?
(・・・)
───どうしてお前は・・・。そして、俺は・・・。そこまで必死になって、立ち上がろうとする?全ての人を救おうとする?
(・・・)
───これ以上続けても、自分が苦しいだけなのに・・・報われないかもしれないのに・・・どうして『俺達』は諦めないんだ・・・?
(・・・)
その問い掛けに、衛は一度目を伏せる。
そして再び、目を開いた。
強い決意が宿った瞳を、解き放った。
(そんなの、決まってるだろ)
───・・・?
(お前にも、分かるはずだ)
───何・・・?
(囁鬼が・・・命を道具のように弄ぶあの野郎が、俺には許せねえ・・・)
───・・・。
(大勢の人が利用され、命を奪われるのが気に入らねえ・・・!)
───・・・。
(それだけじゃねえ・・・!)
───・・・!
その時。
衛の目の前に、光が灯った。
その小さな光は、徐々に大きくなり、人の形となる。
輝きは僅かに薄れ───その光の中に、女性が佇んでいた。
夢の中に何度も現れる、あの女性であった。
胸元から上は、相変わらず光でぼやけており、どんな顔をしているのかは分からなかった。
しかし───衛には、その女性が誰なのかがはっきりと分かった。
(助けたい奴がいる・・・)
大切な女性であった。
(守りたい奴がいる・・・!)
救えなかった女性であった。
(命を掛けても救いたい、何よりも大事な奴がいる・・・!!)
人生で誰よりも愛した、共に歩みたい女性であった。
(俺は決めたんだ。『あいつ』を助けるって・・・!その為に・・・どんな敵にも負けないくらい、どんな人も助けられるくらい強くなるってな・・・!)
───・・・。
(ここで誰も助けられないのなら・・・『あいつ』を助けるのなんて、夢のまた夢だ・・・!)
───・・・。
(だから俺は・・・!この程度のことで諦める訳にはいかない・・・!!)
───・・・!
(この程度のことで・・・!この程度のピンチで、心を折る訳にはいかねえんだ!!)
───・・・!!
衛の叫びが、闇の中で反響する。
それと同時に、目の前の女性が放つ輝きが弱まっていく。
光と同時に、その女性の姿も薄れていき───やがて、闇に溶けるように、姿を消した。
それを見ても、衛の瞳に宿る決意は揺るがなかった。
強い意志が、炎のように燃え上がり、その瞳の中で輝いていた。
───・・・ああ。そうだったな・・・。
(・・・)
───お前は・・・。俺は・・・。そう決めたんだったな・・・。
やっと思い出した。
そんな風に言うかの如く、理性の声が言葉を紡ぐ。
───・・・どうしても、やるのか。
(やる。やってやる)
───諦めるつもりは、ないんだな。
(端からない。徹底的に足掻いてやる)
───・・・フン。とことん狂ってるな。
(そんなこと、俺もお前もとっくに分かってるだろうが)
───ああ。その通りだ。
声は、自分達の愚かさを自虐するかのように同意する。
だが、その言葉に、弱さは感じられなかった。
───なら、やってみろ。俺はここで見物させてもらうさ。
(ああ。それでいい)
───それじゃあ、早く起きろよ。囁鬼が、お前の息の根を止めてしまう前にな。
(ああ。当然だ)
衛の体に、力が漲る。
全身にへばり付いていた重みがなくなり、体が軽くなる。
肉体を流れる血液が、一気に熱くなる。
───立て。立ち上がれ。
(分かってるよ・・・!)
───囁鬼を倒せ。そして、奴に操られている、全ての人々を救ってみせろ!!
(言われなくとも───!!)
その時、闇の中に、一筋の光が差し込む。
光は徐々に強く大きくなり、衛の周囲の闇を掻き消していく。
やがて、虚無の闇は跡形もなく消え去り、そして───
次は、土曜日の午前10時に投稿する予定です。




