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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第六話『魔拳参上』
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魔拳参上 九

6

 どうしてこんなことに───顎と腹の苦痛に身を捩りながら、義満はそんなことを考えていた。

 傍らでは、共に生き延びた康治郎が、鼻を押さえながら苦悶している。

 現在、両者共に、人間の姿に化けていない。

 妖怪としての本来の姿を晒していた。

 彼らは今、自分達が拠点としている森───その中にある穴倉に潜んでいた。

 魔拳が追いかけて来る気配がないことを悟り、ここで一旦休憩をとっているのである。

 外は酷く雨が降り注いでおり、曇天によって、穴倉の中は更に薄暗くなっていた。


「ううっ・・・痛え・・・痛ぇよぉ・・・」

 康治郎が、顔を押さえてさめざめと泣いている。

 顔の下半分は、赤い皮膚の上でもはっきりと見えるほど、赤黒い血に塗れている。

 その上の辺りでは、鼻が痛々しく変形していた。

 衛のローリングソバットによる負傷である。

「くそっ・・・うるせえぞ・・・。デカい図体して・・・ガキみてぇに・・・泣いてんじゃねぇ・・・!」

 義満は、苛立たしげに康治郎を叱りつける。

 口を開ける度に、顎が酷く痛んだ。

 骨にヒビが入っているようであり、牙も何本か折れていた。

 当分、人肉は噛み千切れそうにない。

 いや、そもそも寛太郎が死んだ今、自分達に人間を安全な方法で捕らえることなど出来るはずがない―――そう考えるだけで、義満の苛立ちはますます酷くなった。


 義満と寛太郎には、目くらましや捕縛を目的とした妖術を持っていない。

 また、それに代わる計略を巡らせる頭を持っている訳でもない。

 これまでの人間襲撃作戦が上手くいっていたのは、その両方を持ち合わせていた寛太郎がいたからこそである。

 寛太郎をリーダーとし、寛太郎の指示通りに動いていたからこそ、彼らは 今まで、退魔師に気付かれずに人間を喰らうことが出来たのである。

 だが今回、とうとう退魔師に―――しかも、よりにもよって魔拳に勘付かれてしまった。

 寛太郎の作戦は、完璧ではなかったのである。


(クソッタレ・・・寛太郎の馬鹿野郎が・・・!『俺の作戦は完璧だ』なんて言ってた癖しやがって・・・!てめえのおかげで俺達はこのザマじゃねえか!)

 心の中で、義満はそう吐き捨てる。

 義満は、外面ではリーダーとして認めてはいたものの、内面では寛太郎のことが好きではなかった。

 それどころか、やたらと威張り散らす彼のことを、忌々しく思っていた。

 寛太郎は、妖術や策略に長けてはいたものの、妖怪としての格や、身体能力は義満や康治郎よりも下であった。

 虎の威を借る狐という言葉はあるが、まさに寛太郎のことだ───義満はそう思っていた。


「うぅぅ・・・止まらねぇ・・・血が止まらねぇよぉ・・・!」

 泣きじゃくっている康治郎。

 そんな彼の様子に、義満の苛立ちはピークに達していた。

「チッ・・・!うる、せえ・・・!いつまでも・・・めそめそ、泣くな・・・!鬱陶しいんだよ・・・!!」

 顎の痛みを堪えながら小さく叫び、腰を下ろしている彼の足を蹴ったくる。

 思いきり蹴ったのだが、丸太のような彼の足はびくともしなかった。

 それが更に、義満の苛立ちを激しくした。

(クソッタレが・・・!こいつも図体がデカいだけで何の役にも立たねぇ・・・。これからどうすりゃいいんだよ・・・!)


 その時であった。

「・・・!」

 最初に感じ取ったのは、義満であった。

 辺りの気配が、突然冷ややかなものになったことを。

「・・・?」

 少し遅れて、康治郎も気付く。

 泣くのを止め、きょとんとした顔になっていた。


「おやおや・・・酷い怪我ですね・・・」

「!?誰だ・・・!?」

 穴倉の入り口の方から、男の声が聞こえた。

 2人は思わず、そちらに目をやる。

 そこには───ローブ姿の男が立っていた。

 背後には、同じようなローブを着た人々が、何人も佇んでいる。

 何とも不気味な光景であった。


「安心しなさい。我々は敵ではありません。我々は、あなた方を助けに来たのです」

「な・・・にィ・・・!?」

 口元に微笑を湛えながら、男が語り掛ける。

 口から上はローブの影で見えないが───おそらく、目を細めているのではなかろうか。

 義満はそう思った。

 すると、男が無造作に、康治郎へと近寄る。

 康治郎は無抵抗であった。

 ただ、不思議そうな顔で、そのローブの男をじっとみつめていた。


「可哀想に・・・鼻が折れているではありませんか・・・。同じ鬼として、見過ごすことは出来ませんね。治癒をしてあげましょう」

 そう言うと、男は右手を、血に塗れた康治郎の鼻にかざした。

「・・・?てめぇも・・・鬼か・・・?」

 警戒しながら、義満が尋ねる。

 その言葉に、男は治癒術を施しながら答えた。

「ええ。私は『囁鬼(ササヤキ)』という妖怪です」

「囁鬼・・・?」

 康治郎が呟く。

 先程まで痛々しく折れ曲がっていた彼の鼻は、既に元の形に戻っていた。

「初めて耳にする種族でしょう?現世には、私も含めて数名しかいません」

「へっ・・・その囁鬼様が・・・俺達に・・・何の用だよ・・・?」

 義満はやさぐれたように、そう吐き捨てる。

 その姿を見て、囁鬼は微笑を浮かべた。

 そして、義満の傍に歩み寄る。


「そう邪険に扱わないでください。悲しくなってしまいます」

 そう呟き、義満の顎に手をかざす。

 次の瞬間、義満は、己の顎の激しい痛みがだんだん和らいでいくのを感じた。

「私は、あなた方を迎えに来たのですよ」

「迎えに・・・?」

 囁鬼の言葉に、義満が眉をひそめながら呟く。

 その時既に、義満は顎の痛みを全く感じなくなっていた。

 酷くヒビが入っていたはずの骨が、完治していた。


「ええ。あなた達のことは、私の信者達から聞いていますよ。魔拳に対して、怒りを感じているのでしょう・・・?許せないと感じているのでしょう・・・?」

「・・・・・」

「・・・・・」

 その時、義満と康治郎は、男の話に思わず聞き入っていた。

 男の口から零れる、鳥のさえずりのような心地よい囁き声が、彼らの耳を通り、脳をくすぐっていた。

「その口惜しさ・・・私が晴らしてあげましょう。私と共に来なさい。力を与えましょう。魔拳は勿論、他の退魔師や妖怪達にも負けないような、絶対的な強さをね・・・」

 囁鬼の声は、絶えず2人の耳に流れ込んでくる。

 怒りや苛立ちが浄化され、心に平穏が訪れる。

「ちか・・・ら・・・絶対的・・・な・・・強さ・・・」

 恍惚とした表情で、康治郎が呟く。

 その時の彼の顔を見て、義満はようやく、己が囁鬼のペースに乗せられていることに気付いた。

 不味い。

 具体的なことは何一つ分からないが、これ以上、こいつの話を聞いていたら絶対に不味い───義満はそう思った。


「・・・っ!み・・・魅力的な話だけどよ・・・遠慮しとくぜ・・・。もう、誰かにこき使われんのはこりごりなんだよ・・・」

 慎重に断る義満。

 しかし、その反応を見越していたかのように、囁鬼は微笑み続けていた。

「ふふ・・・これまで、あなた方のリーダーは余程あなた方を軽んじていたと見えます。分かりますよ、その気持ち・・・。悔しかったでしょう・・・?辛かったでしょう・・・?」

「う・・・あ・・・」

「私には、双子の兄がいましてね・・・。彼はいつも、私のことを見下していました・・・。『自分の方が偉いのだから、お前は黙って従っていればいい』とね・・・。悔しかった・・・。本当に、悔しかった・・・。だからこそ、私にもその屈辱は良く分かりますよ・・・」

 一度は抗ったはずの、囁鬼の甘い誘惑。

 その言葉が、再び義満の耳に流れ込んでいく。

 蜜のように甘く、薔薇のように芳醇な香りが、己と、周囲を満たしていく。

「でも、大丈夫です・・・。私は、あなた達を軽く見たりはしませんよ・・・。あなた達のように誇り高く、強い妖怪達を、蔑ろに出来るはずがありません・・・」

「・・・ぁ・・・っ・・・ぇぁ・・・・」

「・・・ぉ・・・ぅぉ・・・」

 自分達を称える囁鬼の言葉に、義満と康治郎の荒んだ心が、ゆっくりと癒されていく。

 それは、彼らが誕生して以来、一度も体験したことのない感覚であった。


「おお・・・そう言えば、まだ名前を伺っていませんでしたね・・・。あなた方の、お名前は・・・?」

 囁鬼が尋ねる。

 2人は、その言葉に、いやに素直に答えた。

 脳が痺れた様にぼんやりとしており、抵抗する気など、全く起きなかった。

「よ・・・義満・・・」

「康・・・治、郎・・・」

「ふふふ・・・義満に、康治郎ですか・・・。なるほど、良い名前ではありませんか・・・」

 その時、両者は歓喜に目を見開いた。

 囁鬼が、自分達の名を呼んだ。

 否───『呼んでくださった』。

 この方と比べれば、取るに足らない下賤な妖怪である自分達の名を、躊躇なく呼んでくださった───2人はそう思い、心の底から喜びに打ち震えた。


「もう一度、言いましょう。私と共に来なさい。素晴らしい世界を見せてあげましょう・・・」

「ぁ・・・ぁぁ・・・ササ・・・ヤ、キ、様・・・」

「ササヤキ・・・様・・・!」

「力を与えましょう。これまでに、あなた方に屈辱を与えた全ての存在に、報復できる力を・・・。あなた方の理想を実現できる、素晴らしい力を・・・!」

「ササヤキ様・・・!」

「ササヤキ様!!」

 義満と康治郎が、目に涙を溜めて歓喜する。

 すると次の瞬間───彼らの目が、『死んだ』。

 先程まで、感動に打ち震えていたはずの彼らの瞳から、意思や感情の光が消え、濁ったものに変わり果てていた。


「ふ・・・堕ちましたか・・・実に容易い・・・」

 囁鬼はほくそ笑みながら、そう呟く。

「これで、手駒がもう2つ・・・」

 そう言いながら、狼男と赤鬼の頭を撫でる。

 しかし───彼らの表情は、目は、全く喜んではいなかった。

 それどころか、何の感情も、それらには表れてはいなかった。


「・・・さて。魔拳の方はどうですか・・・?」

 囁鬼は背後を振り返り、ローブ姿の人物───己の信者の中の1人に問い掛ける。

「は・・・。再び外出したようです」

 尋ねられた男が答える。

 声には、抑揚が全くなかった。

 紙に書いてあることをただ読んでいるような、無感情な声であった。

「もう1つ、ご報告が御座います」

「もう1つ・・・?言ってみなさい」

 その信者が続けた言葉に、囁鬼は眉をひそめる。

「監視を行っている信者の1人からの報告なのですが・・・魔拳の周囲を嗅ぎまわっている女を発見いたしました」

「魔拳を・・・?妖怪なのですか?」

「いいえ。おそらく人間・・・退魔師なのではないかと。現在、その女を複数の信者が追跡しております」

「ふむ・・・」

 囁鬼は、口に手を当てて考え込む。

 しばらくした後───その口が、にやりと歪んだ。

「使えそうですね・・・。いいでしょう。また私自ら出向くとしましょうか」

 そう呟くと、虚ろな顔で跪く義満と康治郎に目を向けた。

「さぁ、お前達も行きますよ。・・・あー・・・名前───」

 そこで囁鬼は、顔を上げて小さく唸る。

 そして、短い沈黙の後、小馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。

「・・・忘れてしまいました。まぁいいでしょう。付いて来なさい、狼、赤鬼」


 次の投稿日は未定です。


【追記】

 次回は、日曜日の午前10時に投稿する予定です。

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