魔拳参上 二
【これまでのあらすじ】
人気のない夜の街を疾走する、3体の妖怪。彼らの前に、20階建てのビルから、何者かが飛び降りてくる。その人物は、『青木衛』と名乗った。
「な……!?」
「あ、青木って……まさか!?」
「……ま、魔拳……!?」
青年の名を耳にし、3人が驚愕する。
彼らの目の前に現れた青年は、名の知れた上級妖怪ですら震え上がる、『魔拳』の異名を持つ退魔師――青木衛、その人だったのである。
「その名前で呼ぶな。ハッキリ言ってムカつくんだよ」
衛はぶっきらぼうに答える。
表情が不機嫌そうに歪んでいた。
彼は、『魔拳』という異名で呼ばれることを嫌っていた。
やたらと大袈裟で、妖怪達がからかい半分でそう噂をしているように感じるためであった。
しかし、3人の表情からは、からかっている様子は見られない。
ただただ、眼前の退魔師の存在に戦慄し切っていた。
「ど、どうするんだよぉ寛太郎ぉ……!」
「てめぇ、『退魔師には絶対にバレねぇ』って言ってたじゃねぇか……! 魔拳が出てくるなんて聞いてねえぞ!」
康治郎と義満が、リーダーに語り掛ける。
康治郎の表情には怯えが。
義満の顔には、焦りが浮かんでいた。
「うっ、うるせえ! ビビってんじゃねえ!」
彼らの言葉に対し、寛太郎が怒鳴りつける。
言葉の節々に、苛立ちが滲んでいた。
寛太郎は、一度大きく深呼吸をする。
そして、声のトーンを落としながら、二人に指示を飛ばした。
「大丈夫だ……いいか……? 俺が隙を作る。お前らは『いつも通り』にやれ……!」
「わ、分かった……」
「……おう」
二人は、緊張に顔を強張らせながら返事をする。
その反応を見て、衛は寛太郎に鋭い視線を送った。
──噂によると、この寛太郎という妖怪は、3人の中で一番頭のキレが良いと聞いている。
おそらく、彼がチームのリーダーとなっているのも、それが理由だろうと思った。
この3人組がこれまでに犯してきた行為は、極めて狡猾かつ凶悪なものである。
それらも全て、寛太郎が考案し、実行してきたものであると思われた。
奴を倒すことを最優先にしなければならない──衛はそう思った。
「ん、っぐ……おぉ──!」
「グ、ォ……グルァ──!」
康治郎、そして義満が唸り始める。
同時に、両者の体に変化が起こった。
康治郎の顔の赤みが増し、全身へと広がっていく。
筋肉は盛り上がり、まとっている上着がビリビリと破けていく。
義満はというと、鼻と口とが尖り始め、剥き出た歯は、人間のものから、徐々に獣の鋭いそれへと変わり始める。
そして、体中の皮膚から毛が浮かび上がっていく。
両者の身体が変態している間に、寛太郎はズボンのポケットから何かを取り出した。
木の葉である。
1枚ではない。
10枚、15枚──否、もっとあるかもしれない。
「……っ!」
寛太郎はそれらを、宙へとばら撒いた。
木の葉は、ひらひらと地面へと舞い落ちようとする。
その動きが突然止み、宙に貼り付けられているような状態となった。
次の瞬間──
「燃えろ……!」
──寛太郎が唸るのと同時に、木の葉の末端が赤く染まる。
小さな火であった。
だが、火は徐々に勢いを増し、遂には葉全体を包み込み、一つの塊となるような大きな炎と化す。
そして──
「行けぇッ!!」
──寛太郎が怒号と共に、衛に向けて右手をかざす。
同時に、燃え上がった炎の群れが、衛を目掛けて突進を始めた。
だが──衛には、この炎の妖術は通用しない。
衛の体内に流れる気には、超常の力を打ち消す『抗体』が流れている。
衛の体に触れようとした瞬間、抗体が自動的に働き、炎はたちどころに消え去ってしまうであろう。
激しく燃え上がった炎の渦は、既に衛へと直撃する寸前の距離に近付いていた。
そして案の定、抗体の力によって、炎は衛の体に達することなく消滅してしまう。
その時──
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
──炎が打ち消されると同時に、何者かが衛の目と鼻の先に接近していた。
康治郎である。
筋肉によって膨れ上がった肉体は完全に赤色に染まっており、頭頂部からはごつごつとした角が突き出ていた。
既に彼は本来の姿───赤鬼の姿へと転じていた。
どうやら、寛太郎が炎を使った目的は、攻撃ではないようであった。
衛の視界を塞ぎ、隙を作ること──それが目的であった。
康治郎は、倍加した両腕で、衛を捉えようとする。
しかし、衛はそれよりも早く、康治郎の懐へと潜り込む。
そして──
「──ッ!!」
──康治郎の水月目掛け、両拳による強烈な3連打を叩き込んでいた。
「う──ごッ!?」
内臓を吐き出しかねない強烈な打撃により、康治郎が前屈みになる。
そこで、衛は回転しながら素早く跳躍。
苦悶する赤鬼の顔面を目掛け、ローリングソバットを見舞う。
「ぶッ!?」
鼻骨が砕ける鈍い音。
激痛により顔をしかめる康治郎。
よろめきながら、仰向けに倒れていた。
丁寧に地上へと着地する衛。
その首筋に、チリチリとした熱い感覚が生じる。
何者かの気配──そして、殺気である。
その正体は、康治郎と同じく、既に狼男へと姿を変えた義満であった。
全身が体毛に覆われ、顔面は狼のように尖り、頭部に三角の耳が生えていた。
両手の爪も鋭く尖っており、それを用いて、背後から衛の五体を引き裂こうと接近していたのである。
風をまといながら疾走し、その右手を振り上げた。
が──
「フンッ!!」
──衛は振り返りながら、後方を薙ぎ払うようにバックハンドブローを放つ。
遠心力をまとった鉄拳は、義満の横っ面を凄まじい速度で殴り抜いていた。
「がぁっ!!」
きりもみをしながら吹き飛ぶ義満。
だが、宙で器用に姿勢を持ち直す。
そして地面に着地した直後、再び衛を目掛けて突進。
今度こそ爪による斬撃を放った。
「っ──!」
衛はそれを紙一重で躱す。
義満は両手の爪を用い、連続で斬り掛かっていく。
掠めただけで、肉が削げ落ちそうな鋭い爪撃。
衛はそれらをしっかりと見極め、躱し続ける。
そして一瞬の隙を突き、義満の懐に踏み込み、左の直拳を放つ。
「ぐぅっ!?」
水月直撃──怯む義満。
その隙に、衛は更に水月に5発の拳打を打ち込む。
──迅六拳。
「シッ!!」
「うっ──がぁっ!」
よろめく義満の顎を、左アッパーで打ち上げる。
狼男は宙で一回転し、腹這いの姿勢で地面に叩き付けられた。
「ひ、ぃっ……!?」
寛太郎の上擦った声が聞こえた。
衛が振り向き、殺意のこもった目で寛太郎を射抜く。
「っ……! なっ、何してやがる! ははは、早く助けろ!!」
寛太郎は後退りながら、康治郎と義満に指示を飛ばす。
だが、両者はまだ地面に倒れている。
何とか立ち上がろうとしているが──間に合うはずもない。
「クソ……!」
寛太郎は、ズボンの左ポケットから木の葉を取り出す。
そして再び、先程の炎の妖術を、衛に向けて放った。
先程のような、目くらましのために放ったのではない。
今の彼に、そのような策を考える余裕は残っていなかった。
ただ己の身を守る為に放った、がむしゃらな攻撃であった。
炎が衛に迫っている間に、寛太郎は踵を返し、全力疾走を始める。
「逃がすか!」
衛も同時に、寛太郎を目掛けて疾走する。
迫る炎を抗体で打ち消しながら、徐々に寛太郎との距離を縮めていく。
突如、衛が右足で強く踏み込んだ。
腰を翻し、回転しながら天高く跳躍。
宙を舞いながら、右手を鋭利な手刀へと変える。
その手刀から──禍々しい赤光が噴き出す。
気の輝きである。
背後を振り返る寛太郎。
「うわっ、うわああああああああああああっ!!」
その表情が、恐怖で染まる。
逃げようとしていたはずの足が、動くことを止めていた。
「死ねェッ!!」
衛は叫び──寛太郎の頭を目掛け、手刀を振り下ろした。
皮膚を裂き、頭蓋骨を叩き割る音が、辺りに木霊した。
「う、がぁぁっぁ──!」
寛太郎の断末魔の叫びが、途中で中断される。
真っ赤に燃える手刀は、寛太郎の脳天から股間までを、真っ二つに斬り裂いていた。
文字通り、一刀両断である。
──翻腰旋風掌。
左右に分かれた寛太郎の肉体。
その体から、煙が噴き出す。
煙は一瞬で死体を包み込んだかと思うと──再び消え失せた。
そこには、寛太郎の遺体は残っていなかった。
代わりに、2つに斬り裂かれた獣の遺体があった。
狸である。
寛太郎の、本来の姿であった。
その獣の遺体も、抗体によってグズグズに崩れていき──塵となって、跡形もなく消滅した。
次は、水曜日の午前10時に投稿する予定です。




