魔拳参上 一
1
草木も眠る丑三つ時。
二十階建てのビルの屋上に、一つの人影が佇んでいた。
青年である。
その人物は、闇に溶け込むような黒いジャケットを羽織っていた。
両手には、ジャケットと同じくらい真っ黒なグローブをはめている。
体格は小柄であった。
しかし、貧弱な肉体ではない。
それどころか、ジャケットの下に浮かび上がっている筋肉のシルエットからは、一切の無駄が見られない。
少な過ぎず、多過ぎない──実戦で『使う』ために作られた肉体であった。
その体の上には、不愛想な表情を浮かべた顔が乗っていた。
悪人面であった。
目付きが異様に悪く、やさぐれているような印象を与える目をしていた。
そんな悪人のような彼の両目は、ビルの下に広がっている、夜の闇を見つめていた。
妙に静かであった。
道路に車は走っておらず、歩道も誰も歩いてはいない。
深夜と言えど、この街に何者の気配もないのは、明らかに妙であった。
「……」
しかしその青年は、何者かを見つけ出そうと、眼下に広がる街に視線を送り続けていた。
表情は真剣そのものであった。
わずかに、殺気が漏れ出していた。
そんな青年の傍らに──二つの人影が出現した。
そのどちらも、幼い少女の姿であった。
一人はふわふわとしたドレスを。
もう一人は、赤を基調とした着物をまとっていた。
「……首尾はどうだ?」
青年が、初めて口を開く。
着物の少女に掛けた言葉であった。
「良好じゃ。『奴ら』を除けば、今この辺りには人っ子一人おらん。わしの幻術が上手く効いておるようじゃ」
着物の少女が冷静に答える。
老人のような口調であった。
「じゃが、流石にわしの力はもう限界じゃ。後は簡単な念力しか使えそうにない。すまんな」
「いや、上出来だよ。ありがとう。後は俺が引き受けるさ」
少女が申し訳なさそうに呟く。
それに対し、青年は冷静にフォローをした。
「『奴ら』はもう近くにいるか?」
青年は次に、ドレスの少女に問い掛けた。
ドレスの少女は、僅かに緊張したような面持ちで答える。
「……うん。もうだいぶ近いわよ。そこの路地裏の影から出てくる」
少女の答えを聞き、青年は、彼らが立っているビルから七十メートル程先にある、ビルとビルの間──そこの路地裏の入り口に目をやった。
するとそこから、三つの人影が飛び出してきた。
三人とも、男性であった。
全員、外見は三十代前半から四十代前半くらいの年齢に見えた。
しかし実際の所、彼らはもっと年齢を重ねていた。
その数、およそ二百年。
彼らは人間ではない。
妖怪である。
青年が探していた、今回のターゲットであった。
三人の男は、路地裏を抜けると、青年たちがいるビルの真下にある、大きな交差点を目掛けて走り始めた。
それを見て、ドレス姿の少女が、眉をひそめて青年に問い掛ける。
「でも……どうするつもりなの? 今から階段で降りても、あいつらには間に合わないわよ?」
「お主には妖術は効かんからのう。わしの念力では降りられんしな」
着物姿の少女も、神妙な面持ちで呟く。
それらに対し、青年は仏頂面を崩さずに答えた。
「飛び降りる」
「そう、飛び降り──え!?」
「な、何じゃと!?」
青年のしれっとした一言。
それを耳にし、二人の少女の顔に驚愕が浮かんだ。
しかし青年は、彼女達の反応を全く意に介さなかった。
ただ冷静に、屋上の淵に足をかけていた。
「それじゃあ行ってくる。お前らは念力で降りて来い」
振り返りながら、青年が声を掛ける。
それに対し、少女達は慌てた様子で青年を制止しようとした。
「ちょ、ちょっ──」
「待っ──」
しかし───青年は既に、屋上から身を投げ出していた。
夜の冷たい風が、青年を打ち付ける。
青年の体は加速し続け、凄まじい速度で地上へと落下していく。
その間に、青年は三人組の様子を伺っていた。
三人組は今、青年の落下地点まで十メートルという位置を走っていた。
静まり返った街の様子に、違和感を感じているようであった。
しかし、自分達を狙って青年が飛び降りたことに気付いていないらしい。
地上に到達するまであと少し。
そこで青年は、着地の用意をする。
全身の気を操り、肉体を強化する。
更に着地の際の衝撃に備えて、空中で身構える。
そして遂に──青年の足が、地面に付いた。
轟音──そして、煙が湧き上がる。
青年が着地した衝撃によって、コンクリートの地面は凹み、ひび割れが生じていた。
「なっ!?」
「うっ──何だ!?」
「おい、どうした……!?」
三人組が足を止める。
驚愕していた。
突如、目の前に謎の人物が落下してきたことで、頭の中がパニックになっているようであった。
ゆっくりと、青年が立ち上がる。
その動きからは、落下のダメージは微塵も感じられなかった。
青年の様子は、あくまで冷静であった。
しかし──
「……」
──鋭くなった両目からは、怒りが溢れていた。
内面から吹き出す憎悪が、両目を通して、三人組を狙っていた。
「赤鬼の康治郎、狼男の義満。そしてリーダー、化け狸の寛太郎だな」
青年が呟く。
凄みを湛えた声が、三人の耳に届く。
その時、彼らは確かに恐怖した。
突如出現した、その謎の青年の言いようのない迫力に、彼らは恐れを抱いた。
「な……?」
「どうして……俺達の名前を!?」
赤ら顔の男・康治郎と、無精髭を生やした男・義満が狼狽する。
恐怖と動揺により、声が震えていた。
「お前らを殺しに来た。覚悟しろ」
怒りを押し殺した声が、青年の口を通って外へと出る。
三人は再び驚愕。
そして、僅かに身構えた。
「何……!? てめえ、何者だ!!」
目の下に濃い隈のある男──寛太郎が怒鳴る。
青年は鋭い眼光を崩さず、押し殺した名乗った。
「退魔師──青木衛」
次回は、火曜日の午後7時頃に投稿する予定です(もしかしたら延期するかもしれません)
【追記】
予定変更いたします。次回は、火曜日の午前10時に投稿致します。




