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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第五話『市松人形の呪い』
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市松人形の呪い 二

2   

 青木衛は、午前中の鍛練を終えた後、自宅の書斎にて読書にふけっていた。

 読んでいる書物は、妖怪に関する古い文献である。

 退魔師としての仕事が無い日は、衛は大抵鍛練に時間を費やすことにしている。

 しかし稀に、こうして妖怪の研究を行うこともあった。

 もし強大な敵に直面したとしても、それに打ち勝ち、生き延びなければならない。

 そのために、こうやって事前に妖怪への知識を深め、対策を練っておくのである。


「……」

 ページをめくり、そこに書いてある文章に目を通す。

 そこから得た知識でイメージを形作り、脳内に取り入れる。

 合間に、湯気を立てている緑茶を啜る。

 ──静かな午後であった。

 束の間の平和を心から実感できる、穏やかなひと時であった。

 

 しかし──その静かな時間は、二〇三号室全体に響き渡る悲鳴によって破られた。

「うぎゃーーーーーーーーーーーーー!!」

「!?」

 書斎が震えるほどの大声に、衛は思わず椅子から転げ落ちそうになる。

 湯呑に注がれた緑茶の表面が、振動で波を立てていた。


「どうした!!」

 衛が声を張り上げる。

 読み進めていた本を机に投げ出し、キッチンへと飛び込んだ。


 そこで目にしたのは──

「あうぁー……やっちゃったぁ……」

 鍋の中身を見つめ、途方に暮れているマリーの姿であった。

「……は? 何だ? 何が起こった?」

「衛~……これどーしよ~……」

 助けを請うような顔で、マリーが衛を見る。

 不審に思い、衛が鍋の中身に目を向けた。

「……うお」

 思わず顔をしかめる。


 鍋の中に入っていたのは、湯気を立てている二つの饅頭であった。

 否──それはもはや、『饅頭とは別の何か』と言っていい代物であった。

 真っ白な生地はドロドロに溶けかかっており、形が完全に崩れている。まるで、ペンキか何かが固まりかけているような姿であった。


「うう……失敗しちゃった」

 しょんぼりとうなだれるマリー。

「びっくりさせんなよ……。敵が乗り込んできたのかと思ったぞ……」

 衛はそう言いながら、呆れとも安堵ともつかぬ溜め息を漏らすのであった。


「……それにしても、すごいことになったな」

 衛はおもむろに、湿った泥団子の如くベチャベチャになっている饅頭の一つを掴む。

 両手で割り、片方を口にすると──

「……んぉ」

 ──硬直した。


 一口で、衛の口の中全体に不快な食感が広がった。

 噛むごとに、溶解した生地が激しく自己主張を繰り広げる。

 中の餡子は割と普通の味であったが、それさえも周りの生地が台無しにしてしまっている。

 一言で言うと──不味かった。


「……ど、どう?」

 マリーが不安げに尋ねる。

 衛は不快感を堪え、饅頭をしっかりと食べ終えてから答えた。

「……次、頑張れ」

「うわー……やっぱりか……」

 衛の感想を聞き、マリーが肩を落とす。


「う~ん、何がいけなかったんだろ……?」

「水分が多かったか、蒸し過ぎだったんじゃねえかな」

 うんうん唸りながら失敗点を考えるマリーと、それに付き合う衛。

 その姿は、さながら弟子と師匠のようであった。


 ──マリーが『饅頭を作ってみたい』と言い出したのは、衛が鍛練を終えて帰宅してからすぐのことであった。

 どうやら、ワイドショーで美味い饅頭の店の特集をやっていたようである。

 それを見て、無性に饅頭が食べたくなったらしい。

 作り方を教えてほしいと必死に頼むマリーに対し、衛は快くレシピを教えたのであった。

 実際に調理を行う前に、衛は一度、大まかな作り方と材料を伝えた。

 だが、それを聞いたマリーは、簡単に作れるものと高を括ってしまった。

 付き添おうかという衛の提案を、彼女は断ってしまったのである。

 おそらくそれも、今回の失敗要因の一つであろう──衛はそう思った。


「まだ材料はある。もう一回やってみろよ。今度は俺も手伝う」

「うう、ありがと。 ……よーし、次は絶対にふっくらしてて美味しいのを作ってやるんだから!」

 マリーは一念発起し、鼻を一つ鳴らす。

 袖をめくるその姿は、いかにもやる気満々と言った出で立ちであった。


 ──そこに、一本の電話が掛かって来る。

 室内に鳴り響く電子音に、思わずマリーはずっこけそうになった。

「……って、何ィ? 仕事の依頼?」

「かもな。ちょっと待ってろ」

 そう言うと、衛は携帯電話の通話ボタンを押した。


「はい、青木です。仕事のご依頼でしょうか? ……はい。……」

 電話に出てしばらく、衛は相手の話を聞いていた。

 通話口から、相手の声が漏れてくる。

 どうやら女性のようであった。


「……ええ、今からでも大丈夫です。……はい、承知致しました。それでは、一時間後にお邪魔致します。それでは、失礼いたします」

 衛は丁寧に挨拶をすると、相手が通話を切るのを待つ。

 無事通話が終了したのを確認すると、衛は電話を仕舞い、マリーに顔を向けた。


「思った通り。饅頭作りは帰ってからだ」

「うう……やっぱり……」

 衛の言葉を聞き、マリーが再び肩を落とす。

 案の定、仕事の依頼であった。


「今回はお前も付いて来てくれ。パパッと済ませて、続きをやろうぜ」

「まぁ、しょうがないか……。よし、行きますか!」

 そう言うと、マリーは両頬をペチンと叩く。

 そして、いかにもやる気満々と言った表情になった。


 ──が、直後、神妙な顔付きになる。

「……そう言えば、これどうするの?」

 そう言うと、鍋の中でまだ湯気を立てている残りの饅頭を見た。


「ああ……俺が食うよ。お前が食ったらマジでぶっ倒れるかもしれないからな」

「そんなに!?」

 衛の言葉に、マリーが思わず愕然とした表情になる。

 饅頭の見た目や、試食した衛の反応から、酷い味であろうということは分かっていたが、そこまで不味いとは思っていなかったらしい。


「……そんなの食べて大丈夫なの?」

「仕方ねえよ。材料が勿体ないしな」

 そう言うと、衛は饅頭を掴み、頬張った。


「ぉご」

 再び硬直。

 口の中でグチャグチャと暴れる饅頭を気合いで咀嚼し、勢いよく飲み込んだ。

 しばらく沈黙し、マリーに対し、青白い顔を向けた。

「……お茶くれ」

「……食材を大事にするのは良いけど、仕事中にお腹壊さないでよ?」

 衛の要求に対し、マリーは呆れたような顔で、急須に茶葉を入れ始めた。

 次回は、水曜日の午前10時頃に投稿する予定です。

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