市松人形の呪い 二
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青木衛は、午前中の鍛練を終えた後、自宅の書斎にて読書にふけっていた。
読んでいる書物は、妖怪に関する古い文献である。
退魔師としての仕事が無い日は、衛は大抵鍛練に時間を費やすことにしている。
しかし稀に、こうして妖怪の研究を行うこともあった。
もし強大な敵に直面したとしても、それに打ち勝ち、生き延びなければならない。
そのために、こうやって事前に妖怪への知識を深め、対策を練っておくのである。
「……」
ページをめくり、そこに書いてある文章に目を通す。
そこから得た知識でイメージを形作り、脳内に取り入れる。
合間に、湯気を立てている緑茶を啜る。
──静かな午後であった。
束の間の平和を心から実感できる、穏やかなひと時であった。
しかし──その静かな時間は、二〇三号室全体に響き渡る悲鳴によって破られた。
「うぎゃーーーーーーーーーーーーー!!」
「!?」
書斎が震えるほどの大声に、衛は思わず椅子から転げ落ちそうになる。
湯呑に注がれた緑茶の表面が、振動で波を立てていた。
「どうした!!」
衛が声を張り上げる。
読み進めていた本を机に投げ出し、キッチンへと飛び込んだ。
そこで目にしたのは──
「あうぁー……やっちゃったぁ……」
鍋の中身を見つめ、途方に暮れているマリーの姿であった。
「……は? 何だ? 何が起こった?」
「衛~……これどーしよ~……」
助けを請うような顔で、マリーが衛を見る。
不審に思い、衛が鍋の中身に目を向けた。
「……うお」
思わず顔をしかめる。
鍋の中に入っていたのは、湯気を立てている二つの饅頭であった。
否──それはもはや、『饅頭とは別の何か』と言っていい代物であった。
真っ白な生地はドロドロに溶けかかっており、形が完全に崩れている。まるで、ペンキか何かが固まりかけているような姿であった。
「うう……失敗しちゃった」
しょんぼりとうなだれるマリー。
「びっくりさせんなよ……。敵が乗り込んできたのかと思ったぞ……」
衛はそう言いながら、呆れとも安堵ともつかぬ溜め息を漏らすのであった。
「……それにしても、すごいことになったな」
衛はおもむろに、湿った泥団子の如くベチャベチャになっている饅頭の一つを掴む。
両手で割り、片方を口にすると──
「……んぉ」
──硬直した。
一口で、衛の口の中全体に不快な食感が広がった。
噛むごとに、溶解した生地が激しく自己主張を繰り広げる。
中の餡子は割と普通の味であったが、それさえも周りの生地が台無しにしてしまっている。
一言で言うと──不味かった。
「……ど、どう?」
マリーが不安げに尋ねる。
衛は不快感を堪え、饅頭をしっかりと食べ終えてから答えた。
「……次、頑張れ」
「うわー……やっぱりか……」
衛の感想を聞き、マリーが肩を落とす。
「う~ん、何がいけなかったんだろ……?」
「水分が多かったか、蒸し過ぎだったんじゃねえかな」
うんうん唸りながら失敗点を考えるマリーと、それに付き合う衛。
その姿は、さながら弟子と師匠のようであった。
──マリーが『饅頭を作ってみたい』と言い出したのは、衛が鍛練を終えて帰宅してからすぐのことであった。
どうやら、ワイドショーで美味い饅頭の店の特集をやっていたようである。
それを見て、無性に饅頭が食べたくなったらしい。
作り方を教えてほしいと必死に頼むマリーに対し、衛は快くレシピを教えたのであった。
実際に調理を行う前に、衛は一度、大まかな作り方と材料を伝えた。
だが、それを聞いたマリーは、簡単に作れるものと高を括ってしまった。
付き添おうかという衛の提案を、彼女は断ってしまったのである。
おそらくそれも、今回の失敗要因の一つであろう──衛はそう思った。
「まだ材料はある。もう一回やってみろよ。今度は俺も手伝う」
「うう、ありがと。 ……よーし、次は絶対にふっくらしてて美味しいのを作ってやるんだから!」
マリーは一念発起し、鼻を一つ鳴らす。
袖をめくるその姿は、いかにもやる気満々と言った出で立ちであった。
──そこに、一本の電話が掛かって来る。
室内に鳴り響く電子音に、思わずマリーはずっこけそうになった。
「……って、何ィ? 仕事の依頼?」
「かもな。ちょっと待ってろ」
そう言うと、衛は携帯電話の通話ボタンを押した。
「はい、青木です。仕事のご依頼でしょうか? ……はい。……」
電話に出てしばらく、衛は相手の話を聞いていた。
通話口から、相手の声が漏れてくる。
どうやら女性のようであった。
「……ええ、今からでも大丈夫です。……はい、承知致しました。それでは、一時間後にお邪魔致します。それでは、失礼いたします」
衛は丁寧に挨拶をすると、相手が通話を切るのを待つ。
無事通話が終了したのを確認すると、衛は電話を仕舞い、マリーに顔を向けた。
「思った通り。饅頭作りは帰ってからだ」
「うう……やっぱり……」
衛の言葉を聞き、マリーが再び肩を落とす。
案の定、仕事の依頼であった。
「今回はお前も付いて来てくれ。パパッと済ませて、続きをやろうぜ」
「まぁ、しょうがないか……。よし、行きますか!」
そう言うと、マリーは両頬をペチンと叩く。
そして、いかにもやる気満々と言った表情になった。
──が、直後、神妙な顔付きになる。
「……そう言えば、これどうするの?」
そう言うと、鍋の中でまだ湯気を立てている残りの饅頭を見た。
「ああ……俺が食うよ。お前が食ったらマジでぶっ倒れるかもしれないからな」
「そんなに!?」
衛の言葉に、マリーが思わず愕然とした表情になる。
饅頭の見た目や、試食した衛の反応から、酷い味であろうということは分かっていたが、そこまで不味いとは思っていなかったらしい。
「……そんなの食べて大丈夫なの?」
「仕方ねえよ。材料が勿体ないしな」
そう言うと、衛は饅頭を掴み、頬張った。
「ぉご」
再び硬直。
口の中でグチャグチャと暴れる饅頭を気合いで咀嚼し、勢いよく飲み込んだ。
しばらく沈黙し、マリーに対し、青白い顔を向けた。
「……お茶くれ」
「……食材を大事にするのは良いけど、仕事中にお腹壊さないでよ?」
衛の要求に対し、マリーは呆れたような顔で、急須に茶葉を入れ始めた。
次回は、水曜日の午前10時頃に投稿する予定です。




