爆発死惨 十五
12
彼は、子供の頃から子犬が大好きであった。
鳴き声を上げる姿、主人にじゃれ付く無邪気さ、そしてぬいぐるみのような愛らしさ。
どれも、筆舌に尽くしがたいものである。
そして今、もう一つ──彼が子犬を愛する理由が出来た。
味である。
子犬の頭の肉は、彼にとって甘美な味わいであった。
昔から肉は好物であったが、まさか子犬の頭の肉がこんなに美味であるとは、思ってもいなかった。
彼──宮内隆史は今、破裂させて殺したばかりの子犬の頭に、夢中で喰らいついていた。
血濡れの毛皮ごと噛み千切り、そのまま飲み込んでいる。
肉と毛皮と血のペーストの喉越しを楽しみながら、休む間もなく食事に没頭していた。
宮内は今、とある廃工場に潜伏していた。
一昨日、藤枝夏希と西田雅人を殺害して以降、彼は自宅に一度も帰らなかった。
彼の自宅は今、とても生活が出来る状態ではない。
そうなったのは──彼があの日、『力』を手に入れた為であった。
会社をクビになり、夏希に捨てられてから、彼はずっと、自宅で自棄酒を呷っていた。
大量に摂取したアルコールにより、頭痛が酷く、何度も嘔吐した。
それでも彼は、浴びるように酒を飲み続けた。
そうしながら、夏希と雅人に対する憎悪の想いを募らせていた。
憎い。
許せない。
殺してやりたい。
この世から消してやりたい。
そう考えている間にも、頭痛の痛みは激しさを増していった。
その時──彼は自身の目から、涙が溢れていることに気付いた。
怒りと悲しみ、そして悔しさによって流れた涙であった。
その涙を自覚した直後、彼は頭を掻き毟った。
頭を揺する度に酷い頭痛がしたが、それでも彼は掻き毟るのを止めなかった。
あんな奴らに騙されるなんて──あんなクズ共のせいで、俺の人生が滅茶苦茶にされてしまったなんて──その思いが、唸り声となって口から洩れる。
──好きだったのに。
──愛していたのに。
──よくも騙してくれたな。
──裏切ってくれたな。
ぐるぐると──己を包む世界が、メリーゴーランドのように回っているように感じた。
赤く染まる視界。
酷くなる頭痛。
堪え切れない憎悪。
抑えきれない唸り声。
激しい音。
鳴り止まぬ動悸。
零れる唾液。
ぐるぐると、ぐるぐると──取り巻く世界が回っていく。
そして、彼の頭痛が最高潮に達した時──咆哮が上がった。
人のものとも、獣のものともつかぬ、おぞましい叫び声であった。
その声が、己の口から吐き出されたものであるとは、その時の宮内には分からなかった。
気が付いた時には、部屋の中が滅茶苦茶になっていた。
無意識で暴れたからこうなったのではない。
そうなって出来た散らかり様ではなかった。
家具や瓶や缶──部屋中の物が粉々になっていたのである。
まるで、内側から爆発し、粉砕されたかのように。
どうして部屋の中がこうなっているのか。
記憶が全くなかった。
だが、何故か宮内には、誰が、何をやったのかが理解できた。
己だ。
己であった。
己自身であった。
何故かは分からないが、このような力を手に入れたのだ。
おそらく、己の内から溢れ出る憎悪に同情し、天が与えて下さったのだ。
自分はきっと、カミサマになったのだ。
宮内は、そう思った。
いつの間にか、頭痛が消え去っていた。
吐き気もなくなっていた。
まるで、体の内からアルコールが一瞬で蒸発してしまったかのように。
代わりに、高揚感が彼を包んでいた。
素晴らしい力を手に入れたという、満ち足りた感情が、彼を支配していた。
そして彼は、行動を起こした。
最初に、歌舞伎町で逢瀬をしていた西田雅人を殺害。
次に、その相手であり、宮内の恋人として偽りの関係を築いて来た藤枝夏希を血祭りに上げた。
その瞬間のことは、今も鮮明に覚えている。
自分を罠にかけ、嘲笑っていたはずの2人が、涙と鼻水をぼろぼろと垂れ流し、恐怖に引き攣った表情で悲鳴を上げる光景。
思い出すだけで、己の一物がいきり立つ程であった。
その後彼は、警察に見つからないように警戒しながら、様々な場所を徘徊していた。
道中、彼は二人の人間を殺害した。
そのどちらも、カミサマとなった自分を崇めようともしない、存在価値のない虫けらのような、取るに足らない人間であった。
それらの人間を殺した時、彼は決意した。
自分を大切にしない人間は、どんどん殺していこう。
そして、自分を尊ぶ者のみが存在する、自分にとっての理想郷を作り上げよう──と。
「うひひ……くっひ……いひひ……!」
醜悪な笑みを浮かべながら、また一口、肉を噛み千切る。
そうしながら、これから何をやろうかと思案していた。
今の自分に出来ないことは何もない。
人を殺す事など、造作もない。
(そうだな……まずは金だな……)
口周りの血を拭いながら、宮内はそう思い立つ。
どこかの民家にでも押し入り、金品を盗んでやろうか。
いや、銀行を襲撃し、金を根こそぎ奪い取ってやろうか。
警察に知られるのは面倒だから、目撃者は一人残らず殺そう。
そんなことを考えながら、宮内はただ一人、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。
その時。
宮内は、己のズボンのポケットから、何かが震えているのを感じ取った。
「……あ?」
ポケットに手を突っ込み、それを取り出す。
携帯電話であった。何者かから電話が掛かって来たと告げる、携帯電話のバイブレーションであった。
それを宮内は、不審に思った。
この携帯は、昨日の時点でバッテリーが切れてしまっている。
着信をすることはおろか、電源が入ることもないはずである。
画面を見る。画面は暗いままである。やはり、電源は入っていない。
しかし、バイブレーション機能は絶えず動作し続けていた。
故障であろうか。それとも、これも自分の中で目覚めた力の一端なのか。
様々な考えが頭に浮かぶ中、宮内は興奮気味に電話に出た。
「ふ、ひひひひひひひ……?誰だぁ……?」
相手に問い掛ける。
しかし、相手は答えなかった。
受話口から聞こえるのは、ザーザーというノイズのみであった。
「……?おい、誰だ?誰が掛けてんだぁ?」
眉を寄せながら、再び尋ねる宮内。
しばらくの間、ノイズが受話口から響いて来た。
すると、五秒ほど経過した後、声が聞こえてきた。
『……あんた、宮内隆史よね?』
女の声であった。
それも、幼い少女の声であった。
「ああ……?誰だお前ぇ……?どこのガキだぁ……?」
『あたしのことはどうだっていい。あんたは宮内なの?』
少女の冷ややかな声。
その調子が、宮内の癇に障った。
「ああ、そうだよ……俺が宮内隆史だ。何の用だ、クソガキ」
『一昨日あんたは、藤枝夏希と西田雅人を殺した。そして今日、また2人の人間を殺した。そうよね?』
「ああ、そうだ。俺が殺したよ。文句あるか」
ぶっきらぼうに答える宮内。
その回答により、少女の声に怒りの色が差す。
『……どうして殺したの?最初の二人は、あんたが恨みを持ってるから、分からないでもない。だけど今日の2人は、あんたとは無関係のはずよ』
「ああ?俺を嘗めたからに決まってんだろ」
そこで宮内は、低く笑う。
「ひ、ひひひ……!最初の若い野郎は、俺にぶつかってきやがった……。次のヤクザは、俺を脅そうとしやがった……。カミサマになった、この俺にな……!そういう奴らは、殺されても仕方ねぇだろうがよぅ……!」
上機嫌な宮内の声。
それとは正反対に、電話から次に聞こえてきた少女の声は、不愉快そうな雰囲気を醸し出していた。
『……何がカミサマよ、このバカ……!』
怒りを抑えながら、少女が罵る。
『あんたはカミサマじゃあない。ただの人殺しよ。自分勝手で最低な、ただの悪者よ!』
「……ああ?」
その言葉をきっかけに、宮内の怒りの感情が、せきを切ったように吹き出す。
「うるせえぞクソガキがぁ!嘗めてんじゃねえ!てめえも粉々にしてぶっ殺してやろうか!」
『良いわよ。やれるもんならやってみなさいよ』
宮内の脅しに、少女は全く怯まなかった。
それどころか、先ほどよりも気丈な声で、宮内にこう告げた。
『あんたが今居る廃工場の近くに、採石場があるわ。今すぐそこまで来なさい』
「何!?」
その言葉に、宮内が驚きの表情を浮かべた。
「てめぇ、何でこの場所を知ってんだ!?」
『知ってるわよ。あんたを遠くからずっと『見てる』もん。あんたがどこに行っても分かる。ずっと狙い続けてる」
「何……!?」
宮内の声に、焦りが滲む。
この廃工場に辿り着くまでに、宮内は誰にも尾行されないよう、注意していた。
ならば何故、この電話の少女は、自分の居場所を知っているというのか。
『もう一度言うわ。今すぐ、近くの採石場まで来なさい。もし逃げたら、警察やマスコミにあんたの情報を全部バラすから。そうなったら、あんたも色々とやりにくいことになるんじゃない?』
「グッ……このクソガキ……!」
宮内の額を、汗が伝う。
警察にバレるのはマズい。自分の犯行であるということが世間にバレたら、色々と面倒なことになる。
『ちなみに、採石場に来るまでの間に誰かを殺したり、人質を用意したりしても、あんたの情報をバラまくから。じゃあ、そういう訳で。待ってるわよ。逃げられると思わないことね』
「まっ、待て!」
制止する宮内。
だが少女は、宮内の言葉を聞くまでもなく、一方的に通話を切っていた。
(マズい……マズい……マズい……!)
通話が切れた音を鳴らす携帯電話。
それを耳にあて続けながら、宮内は動揺していた。
その顔には、冷や汗がだらだらと流れていた。
何とかしなければ。
警察にバレる前に、何とかして少女を殺さなければ。
怒りと焦燥感で、宮内の顔は醜く歪んでいた。
その顔が、ゆっくりと、笑みを形作る。
「いや、待て。落ち着け……」
自分にそう言い聞かせながら、宮内は余裕を取り戻そうとする。
(ビビることはない。俺はカミサマになったんだ。警察に知られる前に、あのクソ生意気なガキを殺しちまえば、何も問題はない……!)
心の内で、宮内はそう呟いた。
そうしてから、宮内は傍らに置いてある『それ』を手にする。
殺害したヤクザの遺体からくすねた、安物の拳銃であった。
手に取ると、ずっしりとした重みと、鉄の冷たさが伝わってきた。
その感覚が、宮内の心に安心をもたらす。
「い、いっひ……!いひひひひひひひ!待ってろよクソガキがぁ!」
ただひたすらに、気味の悪い笑い声を漏らしながら、宮内はただ、電話の少女への殺意をたぎらせていた。
次回は、木曜日の午前10時頃に投稿する予定です。




