夢幻指弾 四十四
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「……」
乱入者──衛は、冷ややかな目で足元を見下ろしていた。
視線の先には、今しがた倒したばかりの男──野口が転がっていた。
野口は、もう立ち上がらなかった。
衛の放ったトドメの一撃により、意識は完全に潰えていた。
死んではいなかった。
しかし、再起できるような状態ではなかった。
あの時──野口が挑発を行った時、衛の内側からは、計り知れないほどの憎悪が湧き出ていた。
だが、衛の理性は負の感情に呑まれはしなかった。
怒りを感じながらも、その裏で野口が何か企んでいることを見抜いていた。
野口は、明らかにカウンターを狙っていた。
衛が右拳を使うところを迎え撃とうと、見え透いた挑発を行っていた。
なので衛は、敢えて右を使う素振りを見せた。
当然、殴るためではない。
フェイントのためである。
案の定、野口の全意識は衛の右拳に向いていた。
なので衛は、放った右拳を瞬時に引き戻し──代わりに右膝を突き出したのである。
意識外からの攻撃に、野口は対応できなかった。
故に、衛の跳び膝蹴りを、真正面から受けてしまったのである。
その渾身の一撃によって──野口の顔面の中央は、大きく凹んでしまっていた。
鼻骨は砕け、完全に圧壊している。
口は裂け、歯茎も潰れ、歯はバラバラに砕けている。
その負傷の度合いが、いかに凄まじい衝突であったのかを物語っていた。
──気絶した野口は、白目を向いていた。
そこから、血のにじんだ涙が溢れている。
痛みによる涙なのか、それとも別の理由による涙なのか。
衛には解らなかったし、解りたくもなかった。
その周囲には、野口の手下たちが転がっていた。
彼らもまた、一人として立ち上がらなかった。
気絶している者もいれば、悶え苦しんでいる者もいる。
命に別状はないが、全員重傷であった。
「……はあ」
室内の惨状を見て、衛はうんざりしたようにため息を吐いた。
たまらない不快感が、胸の内で蠢いていた。
まるで、弱いものいじめをしているような気分であった。
人命救助のために拳を振るわなければいけないことは、衛も理解している。
だが、他者を救うためとは言え、誰かを殴るのは、いい気分はしなかった。
それが例え、許しがたい外道であったとしても。
(切り替えろ。そんなこと考えてる暇はないだろ)
衛は己を叱りつけ、天井を見上げた。
上階から、轟音と銃声が響いてくる。
颯人と秀児に違いない。
サングラスで覆い隠した両目が、一層鋭くなる。
──闘いはまだ終わっていない。
衛は気合を入れ直すと、大部屋を勢いよく抜け出した。




