夢幻指弾 四十
「何余裕ぶっこいてんだテメェ」
野口は、こめかみに青筋を立てながら言った。
「ネズミみてえにウロチョロしやがって。逃げられると思ってんのかコラ」
野口が啖呵を切っている間に、仲間たちが室内に次々に入ってくる。
そして、大部屋の隅に佇む乱入者を中心に、扇形に取り囲んだ。
「『逃げる』? 何寝言ほざいてんだお前」
対する乱入者は、呆れかえったような調子で答えた。
「俺は散歩してただけだぜ。お前らがあまりにヌルくて退屈だからな」
野口は、己の全身の血が沸騰しているように感じた。
内側から憎しみの感情が突き上がってくる。
「ああそうかよ」
野口は怒りに声を震わせながら、腰に手を回す。
そして、ベルトに差し込んでいた『それ』を握りしめると、ゆっくりと乱入者に向けて構えた。
──拳銃である。
遅れて、周りの部下たちも銃を取り出す。
皆一様に、乱入者に向かって銃口を向けた。
「これでもまだそんなナメた態度とれんのかよ?」
野口は口の右端を歪めて笑った。
顔色が変わるか、慌てふためくか──乱入者の、そんな反応を期待して。
しかし、乱入者は極めて落ち着いた様子であった。
それどころか、より一層つまらなそうな表情を浮かべていた。
「へぇ。いいモン持ってんな。どこのおもちゃ屋で買った?」
「チッ……!」
野口は舌打ちし、乱入者の足元に銃撃した。
──バン、と弾ける音が鳴り響き、床に穴が開く。
だが、それでも乱入者の態度に寸分も変化は見られなかった。
「死ぬ前に答えろ。何でテメェはカチ込んで来やがった? 俺が目的なんだろ? 何で俺に喧嘩売りに来やがった?」
野口はますます苛立ちながら、そう尋ねた。
「胸に手ェ当てりゃあ分かるんじゃねえか?」
「ああ?」
「お前らは今まで、汚い手を使って大勢の人に散々迷惑をかけやがった。しかも今回は子どもまで誘拐して何かを企んでやがった。見過ごすわけにはいかねえんだよ」
「……ハッ。何かと思ったら、正義の味方を気取ったバカかよ。何いい子ぶってんだ?」
「何とでも言え。これからお前は、そのバカにぶちのめされることになる」
「出来ると思って……ん?」
──その時、野口はようやく気付いた。
乱入者が連れ去ったはずの子どもがいない。
七階に囚えていた子どもの姿が、どこにもないのである。
「……おいテメェ。さっきのガキはどこにやった」
「隠した。喧嘩に巻き込むのもかわいそうだからな。お前らには見つけらんねえだろうな。頭の回りが悪いだろうしな」
──野口が再び発砲する。
脅しではなく、乱入者の右耳を狙って。
しかし──当たらなかった。
乱入者はわずかに頭を動かし、回避していた。
未だにその余裕のある態度に変化はない。
その様子に、野口はますます苛立ちを募らせた。
「ああ。もういいか」
野口は平静を装いながら、そうぼやいた。
「お前が何しようがどうでもいい。ぶっ殺す。ハチの巣にして、バラバラにして海ン中にでもバラまいてやる」
そう言いながら、乱入者の眉間を狙う。
周りの手下たちも、据わった目で銃を構えている。
皆、震えることなく落ち着いている。
──この場にいる手下は、全員札付きの悪である。
暴力はもちろんのこと、殺しを経験した者もいる。
人一人殺めることなど、造作もなかった。
「へえ」
乱入者は、なおもつまらなそうに呟いた。
「じゃあやってみろよ。出来るもんならな」
──その時であった。
「野口さん、ヤバいっす!」
慌ただしい声と共に、一人の男が室内に入ってくる。
人質を連れてくるように野口が指示した手下である。
「うるせえぞ! 何だ!?」
野口は銃と目線を乱入者に向け続けたまま、その手下に荒っぽく尋ねた。
「それが……! この階のガキがいないっす! 見張りの奴らがぶっ倒れてて、奥にも誰もいなかったんすよ!」
「何!?」
驚愕し、野口は弾かれたようにその部下を見た。
──ほんの一瞬。
本当に、わずかに目を乱入者からそらした、まさにその刹那であった。
「ぶッ!?」
──鈍い音、そして悲鳴。
すぐに視線を向ける──手下の一人が、仰向けに倒れていた。
「ぎゃ!?」
再び悲鳴。
乱入者が、手下の一人に拳をぶち込んでいた。
「クソ!!」
野口が銃を向ける。
発砲──しかし、乱入者は回避。
そのままこちらに突っ込んでくる。
「ぐ──!?」
銃が弾き飛ばされ──そして鳩尾に衝撃。
堪えきれず、野口は思わず後ずさる。
何を食らったのか見当もつかない。
だが、凄まじい威力である。
呼吸が一瞬止まった。
体の奥から、酸っぱいものが込み上げてきそうになる。
「ごッ!?」
「が!?」
「ばッ!?」
──銃声。
──鈍い音。
──手下たちの悲鳴。
無機質な大部屋の中で、次々に音が反響している。
野口は呼吸を整えながら、周囲を見た。
「な……!?」
──信じがたい光景が、野口の目に飛び込んできた。
室内の部下たちが、全滅していたのである。
野口が直々に指名した、グループの中でも選りすぐりの凶悪なメンバーたち。
そんな連中が、ほんの一瞬で血塗れになり、床に寝転んで呻いているのである。
そして──その床の上に、手下たちを撃破した張本人が立っていた。
左手と両足から返り血を滴らせながら、黒服の乱入者は、そこに佇んでいた。
「後はお前一人だ。観念しろ」
乱入者が言った。
サングラスで覆い隠されているはずの瞳が、まっすぐに野口を睨みつけているのが分かった。
「ッ……ぐ……」
野口が呻く。
屈辱による怒りで、奥歯を噛み締める。
後がないという焦りが、汗の雫となって肌に浮かんでいる。
「ナメんじゃねぇぞ、このチビが……!」
野口は、振り絞るようにそう言った。
──認めたくなかった。
認められるはずがなかった。
ようやく上手くいくかもしれなかった自分の野望が、こんなところで潰えてしまう。
──その事実を、野口は認めるわけにはいかなかった。
「この野口隆太が! テメェみてぇなチビに負けると思ってんのか! 俺一人でぶち殺せるに決まってんだろうが! ナメてんじゃねぇぞゴラァッ!!」
野口は吠えた。
体と心を怒りに震わせながら。
己の内に残った野望と、傷だらけのプライドを守るために。
「ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねえぞバカタレが!!」
対しする乱入者も、凄まじい怒号を返した。。
それまで抑揚のなかった声に、とめどない激情と殺意が乗っていた。
「悪事を働いてきたツケが回ってきたのに、まだ反省しねえのか! その歪みきった性根、ぶん殴って無理やり叩き直してやる!!」
「う……っせェんだよォッ!!」
野口は一瞬気圧されかけ──己を鼓舞するかのように、叫び返した。
そして、猛獣の如く突進した。
またしても阻まれそうになっている野望を、今度こそ守るために。




