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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十四話『夢幻指弾』
298/310

夢幻指弾 三十二

24

 山郷ビル10階。

 コンクリートが剥き出しになった、殺風景な大部屋。

 その部屋の中央に無造作に置かれたパイプ椅子に、秀児は腰掛けていた。


「あ〜あ。クソ颯人クンはいつになったら来るンでしょうねェ。早くしねェとガキどもブッ殺しちゃうぞ〜っと」

 秀児はぼんやりと天井を仰ぎ見ながら、そうぼやいた。

 それから、もう何度出したかわからないほどの大きな欠伸をした。

 背もたれに身を預け、子供のように足をぶらぶらと振りながら、『遊び相手』の到着を待ち望んでいた。


 この部屋で待っている間、秀児は様々な方法で暇を潰そうと試みていた。

 野口や手下たちに対して、これまでの憂さ晴らしをするかのようにいたぶったり。人質として捕らえた子どもたちを脅したり。到着した颯人を徹底的にいたぶるイメージトレーニングをしたり。

 多くの手段を用いて、空き時間を有意義なものにしようとしていた。

 そして、颯人がここに到着した際に、最高の状態で迎え撃つことができるよう、己のテンションとコンディションを高めようとしていた。


 しかし、待てども待てども颯人は来ない。

 実のところ、颯人と電話してから少ししか時間は立っていなかった。だが、秀児にとってはそのわずかな待ち時間でも、永遠に続いているかのように感じられた


 ──その時、聞き覚えのある声が部屋に響いた。

「やあ。随分と退屈そうじゃないか」

「あ? ……おお、アンタか」


 秀児が顔を向けると、いつの間にか部屋の隅に一人の男が佇んでいた。

 協力者──白いローブの男である。

 その姿を見ただけで、秀児の呆けた表情に、幾分か生気が戻った。


「確かに退屈だなァ。野口と兵隊どもをいじめンのも飽きちまったからな。早くクソボケ颯人クンが来てくンねェかなァ」

「フフ、余裕そうだね。その様子だと、準備は万全らしいね」

「まァな。兵隊もたっぷりいるし、人質のガキもいる。早くあの野郎が苦しむ顔が見てェわ」

 秀児はそう言いながら懐からカプセルを取り出し、首筋に打ち込んだ。

 チクリとした痛み。それから、冷たい液体が体の中に滑り込んでくる感覚が伝わってくる。


「すっかり慣れたようだね。薬も体に馴染んでいるように見える」

「まァな。これで残りはあと二本だ」

「体に異常は?」

「全くねェ、絶好調だ。打つ度に能力(ちから)が強くなっていくのをビンビン感じるよ。もうあの野郎には負けやしねェ」

「頼もしい限りだ。私も、遠くからじっくりと見物させてもらおう。……それでは、盤石を期すために餞別を送ろうか」

 そう言うと、ローブの男は、懐から何かを取り出した。


「……何だこれ?」

 秀児が眉をひそめ、差し出されたものをまじまじと見る。

 それは、秀児が受け取ったものと同じカプセルであった。

 しかし、中に入っている薬液が、少々異なっていた。

 これまで秀児が使っていたものも黒色だが、どちらかといえば灰色に近い色であった。

 だが、今差し出されたものは、それらよりももっと黒々とした色をしている。まるで、この世のありとあらゆる黒いものを煮詰めて、より濃く深いものを抽出しているかのように見えた。

 漆黒──この言葉がふさわしい、純粋なる黒色であった。


「君に渡した薬の原液さ。これまで君が使っていたものは、これに色々な成分を混ぜ込んで薄めたものなんだ。これは純度100%。効果は、君に渡した薬とは比べ物にならないほどに高い」

「こんなのがあったのか。そンならこっちの方をくれれば良かったのに」

「人の身にはあまりにも強過ぎるんだ。いきなりこれを打つと、人体が耐え切れず、副作用を起こす可能性が高い。適合率の高い君でも、もしかしたら耐えられないかもしれないと思ってね。だからこそ、先に渡した10本の強化薬で、体に慣れさせる必要があったんだよ」

「フーン。……で、いくらだよこれ?」

「いらないよ」

「は?」

「サービスだ。遠慮なく受け取ってくれ。ただし、くれぐれも用法だけは守るように頼むよ」

「……」


 秀児は、男が差し出したカプセルを受け取り、凝視した。

 中に入った液体は、闇を思わせるほどに濃く深い。

 まじまじと見つめるだけで、その液の黒色に吸い込まれるような気がしてきた。


「……なァ、アンタ。何でそこまでしてくれンだ?」

「ん? 疑っているのかい?」

 秀児が尋ねると、男は微笑を浮かべたままそう尋ね返した。

「違ェよ、純粋な興味ってヤツだ。俺とアンタはビジネスの関係のはずだ。もう少しドライに付き合ってもいいはずなのに、ここまでサービスしてくれる。至れり尽くせりだ。どうしてそこまでしてくれる?」


 柄でもなく、真剣に尋ねる秀児。

 その様子を察したのか、ローブの男の口元から笑みが消えた。


「……君ならこれを使いこなせる。そして、我々の期待に応えてくれる。そう信じたから渡すんだ。それが理由じゃ不満かい?」

「……」


 秀児は、男の顔をジッと見つめ返した。

 ローブの影で、その奥に隠れている目は見えなかった。

 しかし、一つだけ分かったことがあった。男の言葉が真剣で、冗談や侮蔑の感情など欠片もこもっていないことが。


「……いや、充分だ」

 秀児は素直にそう答えた。

 そして、わずかに目を伏せ、穏やかな笑みを浮かべた。

「そンじゃあ、信頼に応えるために頑張らせてもらいますかねェ。サービスも受け取ったことだし、本気でやンねェとな」

「期待していいんだね」

「大いにしてくれや。アンタからもらったコイツで、派手に大暴れしてやるよ。これからもな」


 ──その時、大部屋の外からドタドタと足音が聞こえてきた。

「おっと、誰か来たね。それでは、私は退散させてもらおう。健闘を祈ってるよ」

 そう言うと、ローブの男の姿が、ゆっくりと透け始めた。

 次第に、空気に溶けるように姿が薄れ──跡形もなく消えた。

 まるで、初めからそこには誰もいなかったかのように。


 直後、荒々しくドアが開かれた。

 入ってきたのは、肩で息をする野口であった。

 その顔には、昨晩までの驕り高ぶった様子は微塵もない。

 代わりに、極度の疲労と怯えが表情に貼り付いていた。


「よう、ご苦労さん野口ィ。颯人は来たかァ?」

「う……。いや、まだ──ウッ!?」

 秀児は間髪入れず、野口の鳩尾に拳をねじ込む。

 野口はしかめっ面を一層歪め、その場にしゃがみ込んだ。


「『まだ』じゃねェだろ『まだ』じゃ。あ? いつになったら秀児は来るんだよオイ。ああ?」

「そ、そんなの分から──ばッ!?」

 野口が言い終わるより先に、秀児は膝蹴りを叩き込む。

 鼻っ面を膝で打ち抜かれ、野口はそのまま後ろに倒れ込んだ。


「ヒヒッ──」

 秀児は低い声で笑うと、足元に転がる野口の腹を蹴った。何度も蹴りを見舞い、それに飽きたら踏みにじった。

 怪我をしない程度には手加減をした。颯人が来た時に、使い物にならなくなっていたら困るからである。

 そうやって、野口をひとしきりいたぶった後、秀児はまた退屈そうにパイプ椅子に腰掛けた。

 足元に転がる野口の顔には鼻血が滴っており、床と服を真っ赤に染めていた。


「ムカつくよなァ野口ィ。格下だと思ってた奴から見下されてアゴで使われンのはよォ。ああ?」

「ウッ……」

 野口は、苦悶の声とともに何かを呟いた。か細い声だったためよく聞こえなかったが、秀児に対する憎しみの言葉であったに違いない。秀児を弱々しくも睨み返している目が、何よりの証拠であった。


 その顔を見た秀児の背筋に、ゾクゾクとした感覚が駆け上がってくる。

 静まったはずの嗜虐心が、興奮とともに再び呼び起こされたのである。


「何だァ? そのツラはよォ──」

 秀児はサディスティックな笑みを浮かべながら、無様に這いつくばっている野口にゆっくりと歩み寄った。

 そして、顔を強ばらせた野口によく見えるよう、足を振り上げ──。


「……ああ?」

 ──その時、秀児のスマートフォンが着信音を発し始めた。

 1階で待機している手駒の一人からである。

 やっと来たか──期待に、秀児の胸が恋焦がれた女子のように跳ね上がる。

「もしもォーし。颯人は来たかァ?」

 ニヤニヤと笑いながら通話に応じる。

 直後、スマートフォンの奥から、酷く狼狽した声が返ってきた。スピーカーモードにせずとも周囲に聞こえるような大声であった。


『ち、違うッス! 話で聞いてた奴とは別の野郎が乗り込んできたンスよ!』

「……はァ? 誰だよそいつ?」

『知らねえッスよ! 黒いジャケット着たグラサンのチビが、野口さんを出せって大暴れしてるンスよ!』

「あ? 野口だァ?」

 秀児は一瞬怪訝な顔を浮かべた後、野口を見やる。

 対する野口は、知らないとでもいいたげな困惑した様子で首を横に振った。


 そして次の瞬間、スマートフォンから怒号が響き渡った。

『野口ィッ!! どこ行きやがったゴラァッ!!』

 ──凄まじい敵意と殺意に満ち溢れた、天地を揺るがすかの如き大音声。

 その迫力に、野口が──そして秀児までもが、目をギョッと見開いた。


『ヒッ! た、助け──ギャッ!?』

 電話から悲鳴と、けたたましい音が聞こえた。

 そして、再び放たれる怒号。

『隠れても無駄だぞ野口ィッ! 今日こそてめえのやらかしたツケを払わせてやる!! 出てきやがれェッ!!』

 それから、何かが壊れるような音が鳴り響いた後──ツー、ツー、という音しか聞こえなくなった。


「……何なんだ、一体?」

 困惑したまま、秀児はそう呟いた。

 不気味なビジートーンが、電話から未だに鳴り響いていた。

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