夢幻指弾 二十九
──その時であった。
「カウンターの上だ」
壁際から、声が聞こえた。
その場の全員が目を向けると、そこには先ほどの坊主頭の男がいた。
どうやら目を覚ましたらしい。
依然として壁にもたれかかったまま座っているが、顔色はだいぶ良くなっていた。
「……タカ」
オールバックの男がそう呟く。
タカ──それが、坊主男の名前らしい。
「……見てみろ。野口さんのライターがある」
タカは、震える声でそう言った。
衛は早足で店内のカウンターに向かう。
そこには、純金製のジッポライターが置いてあった。
「……おいタカ。お前何やってんのか分かってんのかよ」
仲間の一人が、低い声でタカに声をかける。
「分かってるよ。でも、もういい」
対するタカは、何かを諦めたかのような調子で答えた。
「俺はもう抜けるよ。自首する」
「おい! 何勝手なこと──」
「もういいだろうが!」
タカの震える叫び声が、ボロボロのバーに木霊した。
「……もういいだろ。グレるのは」
「「「……」」」
「……目が覚めたよ。ガキでもねえのに、いつまでもヤンチャしてたからバチが当たったんだ。足洗って、真面目に生きなきゃならないんだよ」
タカは、沈痛な面持ちで声を絞り出した。
彼が発するその言葉には、重みがあった。
つい先程まで、死の淵に立っていたという経験から生じた、言葉の重みが。
その重みを感じ取ったのか、ならず者たちは皆、言葉をなくしていた。
「なあ、あんた」
衛はタカに歩み寄り、腰を下ろす。
「他に知ってることはないか」
真剣な眼差しで、タカの瞳を見た。
タカはそれをまっすぐに受け止め──ため息をついた後、ゆっくりと話し始めた。
「……秀児がさらわせた子供は、廃ビルの各階に一人ずついる。階数は全部で十階。どの階にも、俺らの仲間が待ち構えてる」
「どうしてあんたがそれを知ってる?」
「秀児から聞いたからさ。俺は元々、ビルに立てこもるメンバーの一人だったんだ。メンバーは、事前に作戦を伝えられてたんだよ」
「そのメンバーのお前が、どうしてここで死にかけてたんだ?」
「断ったんだよ。『絶対に嫌だ』ってな」
「……」
「俺はクズだ。喧嘩しか能のない、どうしようもないろくでなしだ。……そんな俺でも、越えちゃいけない一線くらいはある。……ましてや、ガキを人質になんて出来やしねえよ」
タカは苦々しい顔でそう吐き捨て、俯いた。
「……ねえ、あんた」
マリーが、タカにおずおずと話しかける。
タカは顔を上げると、マリーに優しい表情を見せた。
「怪我、大丈夫?」
「……ああ。おかげさんでな」
「そう……良かった……」
そう呟くと、マリーはほっとため息をついた。
心から安堵したようすであった。
彼女のそんな姿を見て、タカはくしゃりと顔を歪めた。
「……ありがとう。死ぬかと思った」
「うん」
「……本当に、もう助からないって思った。……ありがとな」
「うん」
震える声で感謝するタカに、マリーは何度も頷き返す。
そして、彼の手を取り、優しく言葉をかけた。
「ちゃんと償って、今度は真面目に頑張って」
「……ああ。……頑張るよ」
タカは鼻をすすると、潤んだ目でそう答えた。
衛は、マリーの頭を優しくなでると、タカに再び言葉をかけた。
「……俺の知り合いに、この場所を伝える。お前らが自首したがってることも伝えるから、ここで大人しく待ってろ」
次の瞬間、動揺した半グレの一人が、衛に向かって叫んだ。
「おい、やめろよ! タカはともかく、俺らは自首するなんて一言も──」
「──まだ分かんねえのか?」
怒気をはらんだ声が、衛の口から零れ出た。
ゆっくり立ち上がり、振り返って周囲の男たちを睨みつけた。
「お前らはもう詰んでるんだ。じきに江上もお前らも捕まる。いい加減目ぇ覚ませよ。もうダサい真似すんな」
ぴしゃりと現実を突きつける衛。
彼の言葉に、男たちはようやく、自分たちが置かれた状況が理解出来たようであった。
半グレたちの顔からは表情が抜け落ち、愕然とその場に立ち尽くした。
「おい」
タカが再び衛に呼びかけてくる。
目元に滲んだものを乱暴に拭うと、震えの収まりきっていない声で話し始めた。
「ビルにいる俺らの仲間は、八十人くらいはいるはずだ。全員、腕っぷしに自信のある奴らばっかりだ。殺人の前科がある奴もいるぞ」
「物騒だな。しかもそこそこ多い」
「秀児の奴が、野口さんに昨日バーにいなかった奴にも召集をかけるよう命令したんだ。気をつけろ」
「分かった。用心するよ」
そう言うと、衛と助手たちはバーの出口へと駆け出していった。
三人を止めようとする者は、誰一人としていなかった。
地上へと続く階段を勢いよくかけあがりながら、衛はスマートフォンで電話をかけ始めた。
「大門さん、お疲れ様です。情報を提供します」




