夢幻指弾 二十五
──衛は頷き、腰を下ろしながらジャケットを脱ぐ。
それをカーテン代わりにし、衰弱した男とマリーを覆い隠した。
衛のその行動に、周囲のならず者たちがどよめく。
不良の一人が、衛に不機嫌そうに尋ねた。
「おい、お前ら何するつもりだよ」
「応急処置だ」
「はぁ!? ガキに何が出来るってんだよ! ごっこ遊びでもさせるつもりかよ!?」
「ああもう、シーッ! 少し静かにしてよ! 集中できない!」
咎める不良を、マリーがたしなめる。
十歳にも満たないように見える彼女の声からは、ごっこ遊びをしようというような余裕は微塵も感じられない。
あまりの真剣な言葉に気圧されたのか、あるいは何かを感じ取ったのか──男は、渋々と引き下がった。
「マリー、冷静にやるんじゃぞ。消毒のイメージも忘れずにな」
「うん、任せて」
舞依のアドバイスに、マリーが応じる。
声に震えはない。覚悟のこもった、しっかりとした返事であった。
「……スー……ハー……」
──ジャケットの影から、人形妖怪の深呼吸が聞こえる。
酸素と共に生命の力を循環させているような、そんな神秘的な雰囲気が伝わってくる。
再び、一瞬の静寂。
そして──
「──光よ、癒やせ」
──鈴の音を鳴らすような優しい囁きが、荒廃したバーに小さく響き渡った。
直後、黒いカーテンの向こうからあたたかい光が溢れる。
それと共に、訝しむように見守っていたならず者たちの口から、驚きと戸惑いの声が漏れ出ていた。
光は、しばらくそこから溢れていた。
やがて、ゆっくりと輝きが弱くなっていき、バーは元の薄暗さに包まれた。
「……出来た!」
マリーのほっとしたような声が聞こえた。
衛がジャケットのカーテンをどかす。
そこには、一仕事を終えたマリーの背中と、寝息を立てる坊主頭の男の姿があった。
肩に空いていた痛々しい穴は、ピンク色の肉によって塞がれていた。
男の様子も、大分楽になったらしい。
先ほどまでは脂汗をかきながら苦悶していたが、今は静かに寝息を立てていた。
「……うむ、塞がっとる。よくやってくれたな」
「……えへへ。どういたしまして」
舞依が微笑み、マリーの頭をなでる。
彼女からの素直な誉め言葉に、マリーははにかむように笑っていた。
直後、一部始終を見守っていた半グレたちの安堵の声と、控えめな歓声がこぼれた。
「お、おい、おい。今、何したんだよ……!?」
「教えねえ。今見た光のことも誰にも言うなよ」
「お、おう! いやそれにしても、すげーなこのガキ! 手品、いや、マジで魔法──」
「そんなことを言っとる場合か」
ならず者たちの声を、舞依が静かに制した。
沸き立つ周囲の様子とは対照的な、凍り付きそうなほどに冷ややかな声であった。
「あ、悪い。礼を言ってなかったな。助かっ──」
「そんなことはどうでもよい」
舞依がキッと睨みつける。
さきほどまでマリーに見せていた優しい表情はない。
静かな憤りだけが、その顔に現れていた。
「……なぜこうなるまで放っておいたんじゃ。もう少し遅ければ、命を落とすかもしれなかったんじゃぞ」
「う……」
幼い少女の口から、鋭い言葉が飛び出した。
突きつけられた事実に、不良たちは思わずたじろぎ、そのまま閉口する。
「……こうして死にかけておる時、普通なら病院に連れていくなり、救急車を呼ぶなりするじゃろうが。ましてや、ぬしらはこやつの友達じゃろうが……! ぬしらは、友達が死にかけておっても見捨てるのか……!?」
「……」
舞依の叱責に、半グレたちは俯き、顔を曇らせた。
怒鳴ったわけでも、泣き喚いたわけでもない。
しかし、彼女のその静かな叱責の言葉は、この場の不良たちの心に深く突き刺さったようであった。
衛は、そんな彼女の言葉を聞き、眉間に寄った皺をわずかに和らげた。
彼女と同じ気持ちを、衛もまた抱いていた。
自分以上にストレートに、彼女は言葉にしてならず者たちに伝えてくれた──内心、衛はそのことに感謝した。
「……その」
半グレの一人が、おずおずと口を開く。
先ほどのオールバックの男であった。
その様子はまるで、教師にこっぴどく叱られている生徒のようであった。
「……ほったらかすつもりはなかったんだよ。……でも、行けなかったんだ」
「『行くな』とでも言われたか?」
振りむきながらぶっきらぼうに、しかし冷静に衛が尋ねる。
男はしばし口ごもった後、ためらいがちに頷いた。
「……『警察と病院は足がつくから絶対行くな。逆らったら殺す』って」
「それも、江上秀児からか? それとも野口か?」
「……秀児の奴から」
衛は小さくため息をつく。
そして、わずかに凄みのある表情を浮かべながら尋ねた。
「……俺は、江上を叩きのめしに来た。昨日、ここに江上が来て大暴れしたってタレコミがあった。間違いないな」
「……」
男は、おびえた顔で頷いた。
先ほどのように、衛の前に立ち塞がるような気概は、もはや微塵も感じられなかった。
「よし、ここからは俺の推理だ。昨日、お前らは江上にかちこまれてボコられた。勝った江上は、野口に代わってお前らのトップに就いた。その結果、お前らはこの子らをさらうよう顎で使われたり、歯向かった奴らは痛い目に遭わされてる。──そんなところか?」
「……」
衛の言葉に対し、返事はない。
しかし、その沈黙と意気消沈した姿こそが、何よりの肯定であった。
「奴は今どこだ?」
「……野口さんと一緒にいる。他にも大勢連れて行った」
「教えろ。江上は何を企んでる? お前らをここまでボコったり、お前らを使ってこの子らをさらおうとしたり。奴は何をしようとしてるんだ?」
「……」
汗の浮かんだ男の蒼白な顔が、いっそう青ざめる。
それから、助けを求めるかのように、周囲の仲間たちをキョロキョロと見回した。
しかし、誰も口を開く様子はない。
やがて、助け舟がないことを悟り──観念したように、口を割った。
「……『遊ぶ』って言ってた」
「『遊ぶ』?」
「……ああ。昨日、ムカつく奴と知り合ったから、そいつと遊ぶって」
「……どうやって?」
「……」
男の体が震え始める。
恐れと後悔、葛藤が混ざり合い、苦悶の表情となって浮かび上がる。
長い、長い沈黙。
それから、意を決したように、両目を強くつぶり──打ち明けた。
「……!?」
男の言葉を聞き、衛の顔に浮かび上がったのは──見た者全てを震え上がらせるほどの、鬼の形相であった。




