夢幻指弾 二十四
19
「……ここか?」
立ち止まった男に、衛が尋ねる。
「は、はい、そうッス……」
ブレイズヘアーの男が、怯えたような声で答える。
傍らのツーブロックの男は、衛を一瞥しただけで、すぐに視線を落としてしまった。
彼らのその様子を見て、弱いものいじめでもしているようで、衛は少し気の毒な気持ちになってしまっていた。
──颯人との連絡の後、衛とマリー・舞依の三人は、襲撃してきた二人のならず者に案内され、野口らが昨晩いた場所へと向かっていた。
黙々と歩き続け、たどり着いたのは、繁華街の廃れた一角。
古びたレンガ調の建物の横に出来た、地下へと続く階段。
野口の友人が経営しているというバー、『イーグル』である。
建物や階段の壁には、スプレーによってストリートアートが施されていた。
足元にはゴミが散乱しており、衛生的とは言い難い状態である。
階段を降りきるまで、そのような光景が続いていた。
まるで、映画の中に出てくるような、ならず者たちの溜まり場をそのままイメージ通りに再現したかのような風景であった。
「……ここが、そのバーです」
「ありがとう。じゃあ先に入ってくれ」
「は、はい……」
衛に促され、二人組の男がバーの扉を開ける。
そこから漂ってきたのは、凄まじい臭気であった。
芳香剤では誤魔化しきれないほどの、アルコールと煙草の香り──それらに混ざり込む、血やアンモニアの匂い。
衛にとっては既に慣れた匂いではあったが、助手たちは嫌悪感を抑えかねているようであった。
「うわ、キッツ……!」
マリーはそう口走りながら、顔をしかめている。
一方の舞依は無言であったが、流石に堪えきれなかったようで、ほんのわずかに顔をしかめていた。
「……どうぞ」
先導の二人の後に続き、衛と助手たちも、店内に足を踏み入れた。
──そこに広がっていたのは、暴力団同士の抗争でもあったかのような凄惨な光景であった。
薄暗い店内の至るところに生じているひび割れや凹み。
テーブルと思しき崩れたオブジェ。
床に散乱している割れた酒瓶の破片。
溢れたままになっている液体や吐瀉物。
飛び散ったまま固まりつつある、赤黒い血痕。
カツミの言った通り、昨晩ここで乱闘騒ぎがあったことは明白であった。
「おい、誰だよそいつ!」
「ガキだけ攫ってこいって言われてただろうが!」
店の奥から、震えの混じった怒鳴り声が飛んできた。
衛たちがそちらに目を向けると、壁際に男が十人ほどいた。
全員、襲撃を仕掛けてきた二人組と似た雰囲気を持っている。
髪型、服装、装飾品──それら全てが、『自分は気合の入った不良である』と物語っていた。
そして──そこにいる全員が、ボロボロであった。
全身に傷や打撲痕があり、自慢の服も汚れや破損が妙に目立った。
眉間には、不安や恐れ、怒りを刻み込むかのように、深い皺が寄っていた。
特に、彼らの中でも一際目を引いたのは──
「いかん……!」
その人物を見て、舞依が切羽詰まったような声を発していた。
衛やマリーも、一目見ただけで緊急性の高さを感じ取った。
三人が彼のそばへ近寄ろうとすると、半グレたちの一人が、立ち塞がるかのように前に出た。
しかし、衛たちは構うことなく、壁に向かって止まらずに歩いていく。
「おいコラチビ。ここがどこか──」
「どけ!!」
「……ッ!?」
突っかかってきた男を、衛が一喝する。
そのあまりの剣幕に、男は横にどき、道を譲っていた。
衛たちが歩み寄った相手は──壁にぐったりともたれかかるように座っている、剃り込みの入った坊主頭の男であった。
上半身が裸で、体の至るところに打撲痕があった。
左肩には包帯が巻いてあり、赤黒い血がべったりと滲んでいる。
薄暗い店内でも分かるほどに顔面は蒼白で、脂汗が浮いていた。
「……」
衛は眉根を寄せながら、坊主の男の包帯を慎重に剥がし始める。
止血用の布の下から現れたのは、反対側が見えそうなほどにぽっかりと空いた、真新しい傷穴であった。
一見、銃撃による傷のようにも見えた。
だが良く見てみると、傷口が妙に綺麗であった。
銃創ならば、もっと傷がズタズタになっていてもおかしくない。
しかしこの傷は、周囲の皮膚や肉を傷付けることなく、ぽっかりと穴を空けるかのように出来ている。
まるで、穴開けパンチで紙に穿たれた穴のようであった。
「この傷はどうやって?」
「……」
傍らで見ていたオールバックの男に尋ねる。
しかし、返事はない。
表情を歪めたまま、衛から目線をそらしている。
「……江上秀児」
「……!」
その名を聞いた途端、オールバックの男が両目を見開いた。
彼の様子を見て、衛は確信した。
予想通り──秀児の能力による傷に違いなかった。
「マズいのう」
傷を見ながら、舞依がそう呟く。
「思ったよりも傷が大きい。早く出血を止めんと」
「治せるか?」
「わしは厳しいが、マリーならあるいは」
舞依はそう言うと、マリーを見た。
見つめ返すマリーの顔には緊張が浮かんでいるが、萎縮した様子は見られない。眼差しには強い意思が宿っていた。
「どうじゃ、頼めるか?」
「やる!」
感情のこもった声で、マリーはそう答えた。




