夢幻指弾 十一
9
「こちら奥寺。対象と見られる人物を発見、これより接触します」
腕時計に内蔵された通信機に向かって、颯人はすらすらと語りかけた。
『了解。何をやらかすかわからん奴だ。気をつけろ』
ワイヤレスイヤホンから聴こえてくる、張りつめた大門からの応答。
それを聞き終わると、颯人は音も立てずに立ち上がった。
そのまま小走りで路地裏の出口を目指す。
表情は既に、作り笑顔で覆い隠している。
──容疑者に気取られてはならない。可能な限り敵意を隠さなければ。
「……」
建物の陰から、ターゲットを確認。
気だるそうに歩いている背中が見える。
こちらに気付く気配はない。
あの男が犯人であるという確実な証拠があれば、ここから奇襲をかければいいのだが、残念ながらその確証はない。
人違いである可能性も考慮し、ここはインタビューを装って接触する。
インタビューの最中に犯人であるという確証が見つかれば、素早く無力化し拘束。普段通りのやり方である。
颯人は意を決すると、路地裏から飛び出す。
そして、いつ攻撃を受けても対応できるよう用心しつつ、小走りで男の背中に近寄った。
「あー、すみません、そこのお兄さーん」
「……は?」
颯人の声に、男が面倒臭そうに振り返る。
フードの陰に覆われており、顔は依然としてハッキリとは見えない。唯一見えるのは、わずかに口元のみ。その口が、不服そうに尖っていた。
「……誰お前? 客引き?」
「あれ、そう見えました? すみません、実は違うんですよ」
男の無礼な物言い。
しかし、颯人はヘラヘラとした笑みを崩さなかった。
「自分、『週刊リアル』っていう雑誌のライターやってる者なんスけど」
「なんだ記者か」
「そうですそうです。……実は自分、最近世間を騒がせてる連続殺人事件の調査をしてまして。ほら、テレビでやってるでしょう。昨日までに12人が殺されてるっていう──」
「消えろよ。お前みたいなネズミ野郎はウザいから嫌いなんだよ。俺は忙しいんだ」
男はハエを追い払うかのように手を振り、颯人を拒絶する。
その仕草に、颯人はわずかに癪に障ったが、気を取り直し、男に言葉を投げ掛けた。
「まあまあそう言わずに聞いてくださいよ。自分、これまでの事件を独自に調査しましてね。その結果、次はこの辺りで殺しがあるんじゃないかって睨んでるんスよね。……どうスかお兄さん、この辺りで怪しい人とか見なかったッスか? もしいたら教えて欲しいんスけど──」
「興味ねえよ。邪魔だから失せろ」
男の答える声に、徐々に苛立ちの色が見え始める。
「いやいや、そこを何とか。何とか警察よりも早く犯人を突き止めたいんですよ。お願いしますよお兄さん~。俺の昇進のために力を貸して──」
「おい」
男の声色が変わった。
苛立ちのこもっていた声に、明確な怒りが混ざったように感じた。
表情も、皺が幾重も生じるほどに眉が寄り、両目が大きく見開かれた顔に変わっていた。
「俺さ。興味ねえって言ったよな。邪魔だから失せろってお前に言ったよな。何で無視して話しかけてんだ? 俺のことナメてんの? なあ?」
「あー……怒っちゃいました? すんません」
低く押し殺した声で凄んでくる男に、颯人は苦笑いを浮かべて謝罪する。
「功を焦ってそちらさんの都合とか考えてませんでしたわ。自分、目先のことしか考えてないってよく上司から怒られるんスよ──」
「ンなこたぁ訊いてねえんだよ。何で話しかけてんだって訊いてんだよ。言ってる意味分かってンのか? それともまた無視か? あ?」
男はそうまくし立てながら、右手で颯人を二度突き飛ばした。
すごい力である。
颯人はSRBの格闘訓練ではトップクラスの成績を誇っている。運動能力と体力も、他のエージェントと比較すると突出している。
そんな颯人でも、この男に軽く突き飛ばされるだけで、後ろに仰け反らされてしまった。
パーカーの下に隠されている体は、よく鍛えられているに違いない。そう感じさせる膂力であった。
「いやいや、違いますって。お兄さん、ちょっと落ち着いて──」
「あーもういいわ、もういい。お前でいい」
「え?」
──男の声から、怒気が消えた。
声だけではない。眉間によっていたはずの皺も、消え失せている。
代わりに、怒りとは別のものが声に混じっているように感じられた。
──来るか。
颯人は緊張と同時に、胸の奥から熱が込み上げて来るのを感じた。
既に入っているエンジンを、更に温める。
初動からトップギアで動けるよう、アクセルを吹かせる。
「お前で我慢するわ。途中で見つけたガキを狙おうと思ってたんだけどさ。お前にするわ。お前、ウザいしムカつくから」
男は頭をかきながら、淡々とそう言った。
声の調子は妙に冷静であったが、体から立ち上るどす黒い気配を隠せてはいなかった。
「……あの。何の話をしてるんスか?」
颯人は、ゆっくりとそう訊ねた。
「犯人探してンだろ? 連続殺人の」
同じくらいゆっくりと、男が答えた。
「俺なんだよ。その犯人」
そう言うと、男は気だるげに右手を掲げた。
親指と人差し指を立て、銃を模した形にしていた。
その人差し指の先端を颯人の額に付き付け──つまらなそうに呟いた
「バァン」




