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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
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スクルトーレ・モーストロ 三十四

【これまでのあらすじ】

 連れ去られた舞依は、ルチアーノの手によって、既にブロンズ像へと変えられていた。

 絶望に打ちひしがれるマリー。嘲笑うルチアーノ。

 しかし、そこに衛が割って入り、右拳と引き換えにルチアーノに重傷を負わせ、マリーを鼓舞する。

 その末に、奮起したマリーは治癒術を発動、見事成功させ、友であり師でもある舞依を元に戻すことに成功した。

19

「……は? ……何? 何ダと?」

 マリーが喜びの声を上げた直後、ルチアーノが愕然とした様子で呟いた。

「……嘘だ。……嘘、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ! こンな馬鹿なこトがあっテたまるかァッ!!」

 ルチアーノが絶叫する。

 そして、全身で暴れまわる抗体の激痛を跳ね除けながら、荒々しく立ち上がった。


「おい衛やべェぞ! あいつダメージから立ち直りやがった!」

 雄矢が切羽詰まったような声で衛に呼び掛ける。

「ああ。そうみたいだな」

 一方の衛は、簡潔にそう答えた。

 油断や焦燥感など微塵もない、冷静な声であった。


「な、何故、打ち破レた出来るのだ!? 君は、ちんけな低級妖怪に相応しい、粗末な妖術しか使えなイはずだ! それナのに、何故!? ……魔拳! 貴様、一体こノ少女に何をシた!?」」

 ルチアーノはそう叫ぶと、マリーの傍らの衛を、きっと睨みつけた。

 対する衛は、その場に佇んだまま、普段通りの抑揚のない声で答えた。

「何もしちゃいねえよ。こいつのこれまでの努力が実を結んだだけさ」

 そこで衛は言葉を区切り、ルチアーノに蔑みの視線を送った。


「……ところで、どんな感じだ? 散々侮辱して見下していた奴に、一矢報いられる気分ってのは。なあ、ルチアーノ?」

「ぬゥっ……!」

「『低級妖怪』? 『何の存在価値もない』? ……なら、そうやって煽りまくってた奴に術を打ち破られるお前は一体何なんだ?」

「だ、黙レ……!」

「黙らねえ。マリーへの悪口を散々吐いておきながら、自分が言われるのは堪らねえのか? ……それとも、現実突き付けられたら耐えられないから言ってほしくないのか?」


「だ、黙れ……! 黙れ黙レ、黙れェエエッ!!」

 衛の挑発を受け、わなわなと身を震わせていたルチアーノが、堪えきれず激昂した。

 同時に、どろついた黒い涙が、両目から溢れ始めた。


「こノ生意気な凡人め!! よくもコの私を侮辱してクれたな!! 貴様なド、この場で肉片に変エて、コのアトリエを貴様の血で真っ赤に──ぐッ!?」

 その時──ルチアーノの怒号がやんだ。

 青銅の怪物が、不意に己の口を両手で押さえたのである。


「っ──う、うェ、ゲエエエエッ!!」

 次の瞬間、ルチアーノの指の隙間──否、手で押さえている口の中から、涙と同じどす黒い色をしたものが噴出した。

 マンションの近くで闘っていた時にも目撃した、あのタールのような吐瀉物であった。

 吐瀉物は、絶えることなくルチアーノの口からごぼごぼと零れ、足元に黒い水溜りを作っていく。

 その吐瀉物の水面に、バラバラと何かが零れ落ち始めた。

 ルチアーノの体を覆う、青銅の鎧の欠片であった。

 青銅の怪物と化していたはずの、ルチアーノの巨体──その全身を覆うブロンズの皮膚に、亀裂が生じ始めたのである。

 光沢すら放っていたはずのその表面にも、変化があった。艶や滑らかさがみるみるうちに消え失せ、長い年月を経たブロンズ像のように、濁りと凹みが生じていく。


「ハァ……ハァ……馬鹿ナ、これはまさか!? ……うっ、ゲェエエエッ!!」

「気付いたか? そろそろ時間切れだ。しかもお前は、あのよくわからねえ薬を一度に大量に使っている。あれほど打ち込んだんだ。効き目もあるが、副作用も相当なもののはずだ。それこそ、これ以上は闘えないくらいにな。苦労して時間稼ぎをした甲斐があったぜ」

 吐きながら狼狽えるルチアーノに、衛は淡々とそういった。

 声に抑揚はなかったが、その瞳の中には、明確な意思が灯っていた。

「さあ、いよいよ年貢の納め時だ。抵抗しなければ、出来る限り苦しまずにあの世に送ってやる」


「ぬゥッ……! 戯言を……!」

 ルチアーノが、衛を睨みつける。

 直後、胸板から青銅の針が無数に生え始めた。

「貴様のくだらん入れ知恵さえなければ、あの少女が術に目覚めることはなかったのだ!! 貴様のせいで、私の計画は全て台無しだ!! 時間切れや副作用が何だ!! その前に、貴様だけはくびり殺してくれる!!」

 ルチアーノが、大きく胸を開く。

 しかし、衛は何の行動も起こさなかった。

 避けようとも、防ごうともしない。ただじっと、ルチアーノを見つめるだけであった。


「死ねィッ!!」

 裏返るほどの叫び声を上げながら、ルチアーノがブロンズの棘を放つ。

 だが衛は、やはり動かなかった。

 迫り来る敵の攻撃に対し、棒立ちのまま静観を決め込んでいた。

 そして──。



「光よ、守れ──!!」



 ──その時であった。

 衛に放たれたはずのブロンズの礫が、直撃する寸前に、宙で静止していた。

 否──阻まれていた。

 衛の目の前に突如発生した、平面で円形の白い光の壁に受け止められ、そのままへばりついていたのである。


「な……!? 何だ、何が起こった……!?」

 困惑の表情で、己の前に立ちはだかる壁を凝視するルチアーノ。

 やがて、白い輝きが薄れていき──青銅の棘と共に完全に消えると、その壁を生み出した者の正体が露となった。


「な──君は……!!」

 そこに佇んでいたのは──

「……やらせないわよ」

 ──覚悟の表情で、両腕を突き出しているマリーであった。


 ルチアーノがブロンズ弾を射出する直前、マリーは強い想いと共に妖気を練りながら疾駆。

 そのまま、ルチアーノと衛の間に話って入り、障壁(バリア)の妖術を発動。

 そして見事、妖術を成功させ、ルチアーノのブロンズ弾を防いでみせたのである。


「な、何故だ……。何故だ、少女よ……! 何故、私の誘いを拒む!? 何故、私を拒絶する!? 私の作品として生まれ変わることが、君にとって最高の幸せだったというのに!」

 動揺と焦燥、そして恐怖。それら全てが入り交じった複雑な表情を浮かべながら、ルチアーノは必死に訴えかける。

「そ、そもそも君はッ、自分が何をしたのか解っているのか!? こッ、この私のッ、作品を台無しにしたのだぞ!? 私、私は、これからこの世界に名を残す、偉大な彫刻家になるのだぞ!? そ、そんな私の、作品を、よ、よりにもよって、君が!! 私の創作を邪魔するなど──」


「……うるさい。あんたの言うことは、もう聞かないわ」

 ルチアーノの言葉を遮りながら、マリーはそう言った。

 その声はわずかに震えていた。

 だが、その声の震えは、恐怖の感情だけで生じたものではなかった。

 ほんの少しの恐れ──そして、それ以上に強い、別の感情から生まれた震えであった。


「……あたしが馬鹿だった。あんたが恐くって、あたしの弱さに負けそうになって、心の中がぐしゃぐしゃになってた。……それがいけなかったんだ。だって、あんたは敵で、言ってることを鵜呑みにする必要なんてなかったんだ」

「な、何……!?」

「あたしには仲間が、大事な友達がいる。衛、舞依、シェリーに雄矢。綾子ちゃんに、明日香ちゃん。もうこの世にはいないけど、さっちゃんだって。そして、他にもたくさんの大事な人がいる。あたしが大切に想っているように……あたしのことを大切に想ってくれている、大切な人たちが、たくさんいる!」

 その声に、もう震えはなかった。

 大きくはっきりとした、強さを感じさせる声。

 そして瞳の中には、揺らぐことのない確固たる決意があった。


「あたしは生きる! そして、大切な人たちを守ってみせる! あたしは弱いけど、役立たずなんかじゃない! あたしはさっちゃんのお人形で、舞依の弟子で、衛の助手なんだ! あんたなんかに、もう絶対に負けたりしない!!」


「な……ふ、ふざけ、ふざけるなッ!!」

 マリーの決意の言葉を受けたルチアーノは、弱々しくなりつつある声を、必死に張り上げた。

「何故分かってくれない! 君は私の作品となる運命で、そのような態度をとっていいはずが──ぐわァッ!?」

 その時、銃声と共に、ルチアーノの左肩から青銅の破片が弾け飛び、真っ赤な鮮血が吹き上がった。


「あなたこそ、どうしてそう同じ言葉しか言えないの?」

 シェリーが、声に冷酷な調子を伴わせながらそう言った。

 構えた大型拳銃の銃口から、硝煙が立ち上っていた。

「レディのエスコートの仕方がなっていないわね。しつこい男は嫌われるわよ」


「グッ……う、うう……何故だ……! 何故だァッ!!」

 ルチアーノが肩を抑えて跪く。

 両目から再び黒い涙が溢れだし、顔面を覆う青銅がボロボロと剥がれ始めた。

 そして露になったのは、悲哀と憎しみが刻み込まれた、黒く染まった醜い表情であった。

「何故誰も私を認めない!? 何故私を拒絶する!? 何故私の才を認めない!? 私は天才だぞ!? 最高の才を持った彫刻家なのだぞ!? それなのに何故、誰も私を崇めない!? 何故私を否定するのだ!? 何故!?」


「……当たり前だろ、馬鹿野郎が」

 咽び泣くルチアーノに、今度は雄矢が静かな怒りを見せた。

「……才能云々はともかくよ。人の心と命をオモチャにするお前を、誰も認めるはずがねえだろうが」


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ、黙れェッ!!」

 癇癪を起こした子供のように喚きながら、ルチアーノはよろよろと立ち上がった。

 そして、最後の力を振り絞り、ヒビだらけになった胸板の鎧に妖気を収束させ、青銅の針を形成させた。

「凡人共め、貴様らに私の何が分かる! 消えてしまえ! 貴様ら全員消えてしまえ!! 私の芸術を理解しないクズ共は皆死んでしまえッ!!」


「死なせない!!」

 力強さを感じさせる声を発しながら、マリーが一歩前へと歩み出る。皆を背に庇い、守るために。

──直後、全身から妖気が立ち上ぼり、前へかざした両手に向かって瞬時に収束する。

 左右の掌には、球体上に妖気が形成されつつあった。


「喰らえェッ!!」

 憤怒の叫び──そして、ルチアーノの胸から、棘状のブロンズ弾が機関銃の如き勢いで連射される。

「死なせるもんかァッ!!」

 気合いの咆哮──同時に、マリーの掌に集まった妖気の球体が弾ける。

 そして一瞬の内に、先ほどよりも巨大な障壁(バリア)が発生。

 次から次に、ルチアーノのブロンズ弾の雨を受け止めてみせた。


「グッ……う、オオオオオオオオッ!!」

 焦燥感に駆られたルチアーノが、ブロンズ弾を射出しながら吠える。

 しかし、それでもマリーが生み出した光の壁は破れない。

 撃ち出した弾の全てが阻まれ、次々に消滅していった。


「ば、馬鹿な……! そんな、馬鹿なッ!?」

 残弾が徐々に少なくなり、錯乱状態に陥り始めるルチアーノ。

 敵の集中力が途切れつつあることを見抜いたマリーは──攻撃を防ぎながら、叫んだ。

「衛、今よ!!」


「うおおおおッ──!!」

 次の瞬間──光の盾を跳び越え、ルチアーノを目掛けて何かが飛来した。

 小柄な体躯。

 赤光に輝く右足。

 怒りに歪んだ悪人面──紛れもなく、青木衛であった。


 衛はそのまま、ブロンズ弾の雨の上空を飛び──

「オラァアアアアアッ!!」

──疾空脚。

 炎の灯った松明の如き右足を、槍のように突き出し──ルチアーノの顔面に、全体重を乗せて叩き込んだ。


「ぶ──!?」

 その瞬間──貼り付いた青銅の破片が。鼻骨が。頸椎が砕ける音が、その場に鳴り響いた。

 渾身の一撃を喰らったルチアーノは、堪えることも、受け身を取ることもせず──仰向けに、大の字の姿勢で倒れ込んだ。


「あばよ、ルチアーノ」

 衛は立ち上がると、倒れたまま動かないルチアーノを見下ろしながら、別れの言葉を吐き捨てた。

「せいぜい地獄で楽しむがいい。お望みの恐怖と絶望を、お前自身でたっぷりとな」


「……。……わ……た、し……」

 倒れたルチアーノが、壊れたロボットのように呟く。

 もはやその瞳に生命の光はない。

 そこに残っていたのは、絶えることのない創作への意欲と、抑えようのない憎悪であった。

「……わた、し、を……みと、め、ろ……。わた、し……て……ん……さ……」


 ──それが、今際の際に放った一言であった。

 直後、ルチアーノの体が、徐々に濁った青銅に侵食されていく。

手足、胴体、顔、全身の至る所が青銅と化し──やがて、それら全てに亀裂が生じた。

そして、まるで陶器のように粉々に砕け、そのまま動かなくなった。

命乞いはおろか、悲鳴すら上げることなく──芸術家の妖怪は、地獄へと堕ちていった。

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