スクルトーレ・モーストロ 三十三
18
「……スー……ハー……」
──マリーは、一度深呼吸を行った。
ゆっくりと空気を吸い込み、肺に入れる。
酸素を取り入れ、残りの気体を、おなじようにゆっくりと口から吐き出す。
たった一呼吸──しかし、その一呼吸を行ったことで、マリーは己の思考と視界が澄んでいくように感じた。
それが終わると、マリーは恐る恐る、ブロンズ化した舞依の身体に、両手をかざした。
「……」
チラリと、衛を一瞥する。
衛は、無言でマリーを見つめていた。
──信頼、そして確信。
悪人のような彼の双眸の中に、その二つの想いが宿っているのが分かった。
「……いくわよ」
マリーが呟く。
衛に。舞依に。そして、己自身に。
そうしながら、マリーは頭の中で、舞依が教えてくれたことを思い出していた。
──妖術を使う上で大事なのは、『イメージ』をすることじゃ──
「……イメージ」
呟き、両目をそっと閉じる。
視界に広がる、虚無の闇。
そこにイメージを描き、膨らませる。
──『術を使った時、何が起こるか』。あるいは、『術を使って、どんなことをしたいか』。……そういったことを頭の中で思い描き、妖気を操って、具現化すること。それが妖術じゃ──
(どんなことをしたいか。……もう決まってる)
闇の中で甦った舞依の言葉に、マリーは迷うことなくイメージで答える。
──冷たい青銅と化したまま横たわる舞依。
──彼女の表面の青銅に、ヒビが入り始める。
──ヒビは徐々に大きくなり、彼女の全身へと広がっていく。
──やがて、青銅はパズルのピースのような形になる。
──ピースは更に細かい形になっていく。
(……違う。それだけじゃ駄目だ)
自分の思い描くイメージを、修正する。
マリーだけではない。
シェリーも雄矢も、同時に治さなければならない。
妖術で大事なのはイメージ。
少し難しいが、イメージを高め、妖気を上手く操れば、一度に多くの人をきっと治せるはず。
──舞依のイメージの隣に、青銅化しかかっているシェリーと雄矢の姿が現れる。
──二人の青銅にも、ヒビが入る。
──ヒビが少しずつ大きくなり、青銅が細かくなっていく。
──そして──そして──。
──大して強くもなく、まともな妖術すら使えない、何の役にも立たないゴミのような存在なのだ!──
「……!」
突如、かつてルチアーノからぶつけられた言葉が甦った。
マリーは思わず呼吸を止める。
同時に、順調に膨らんでいたイメージが、一時停止のボタンを押したかのように中断されてしまう。
しかし──マリーは、その言葉に呑まれたりはしなかった。
(……違う。……違う!)
心の中で、はっきりとそう答える。
直後、衛が言ってくれた言葉が、はっきりと甦った。
──お前は役立たずなんかじゃねえ! 誰かを救おうとするお前の強い心が、俺に力をくれたんだ!──
(……ありがとう、衛)
負けるつもりは、もうなかった。
今の彼女の中には、ルチアーノの言葉が入り込む隙間など、ありはしなかった。
「……」
再び、イメージを膨らませ続ける。
そうしながら──気を操り始める。
──へその下の辺りが、少しずつ暖かくなっていく。
──そこから周囲へ、温かさが広がっていく。
──手も足も頭も、全てが温もりに満ちていく。
──全身を、妖気が駆け抜けていく。
「……お願い」
マリーは、ぽつりと呟いた。
そうしながら、仲間たちのことを想った。
シェリーを。雄矢を。そして、舞依を。
大切で、大好きな友達を。ルチアーノに苦しめられている友達のことを想った。
その想いを、全身の気に乗せて、両手に届けていく。
絶対に助けて見せる──その想いを、そして治すイメージを、両手に込めていく。
「……!」
マリーが開眼する。
舞依の体にかざした両手が、妖気によって輝いていた。
練習の時の何倍も強く、美しく輝いていた。
「光よ、癒せ!!」
マリーの凛とした叫びが地下室に響いた瞬間──光が勢いよく弾けた。
弾けた光は粒子状となり、舞依に──そして、離れた場所で固まりかけているシェリーと雄矢に向かって飛んでいく。
光の粒子は、三人のブロンズに付着し、覆い隠すように包み込んでいく。
──直後、バキンという音が響いた。
ブロンズが割れる音──イメージした通り、ブロンズが細かく割れていく音である。
「あっ……!?」
「うおっ!?」
男女の驚く声が聞こえた。
マリーがその方向に目をやると──シェリーと雄矢が、そこにいた。
「……! 元に戻ったわ!」
「右腕も元通りだ! やったぜマリーちゃん、助かったァ!!」
二人が明るい顔で声を上げた。
顎から下を覆っていた青銅は全て砕け、両者の足元に散らばっている。
その光景を見たマリーは、一瞬顔を明るくし──すぐに、手をかざした先にある舞依の体に注目した。
──パキ。ピキ。
光に包まれた舞依の体から、何かが割れる音が聞こえた。
音は次第に数が増え、より大きくなっていく。
──やがて、光が霧散した。
舞依の表面を覆う青銅には、崩れかけのパズルのようなヒビが広がっていた。
直後──青銅の欠片が、剥がれ落ちていく。
床に落ち、更に小さな欠片と化し──遂には砂の粒のように崩れていく。
そして、青銅が全て剥がれ──舞依の体が、露わになった。
皮膚も、着物にも、青銅化している箇所は見られない。
気を失っていることと、縛られていることさえ除けば、どこにも異常はなかった。
「……舞依?」
マリーは、気絶したままの舞依に、おそるおそる声をかける。
「……う……んん……」
──わずかに、反応があった。
意識はまだ戻っていなかったが、それでも、ほんのわずかに反応した。
舞依は、生きていた。
──助けることが、出来た。
「……あ。……あ、あ……!」
マリーが、目を見開いた。
しばらく呆然とし──次第に、両目に涙が溜まり始めた。
安堵、そして歓喜。二つの想いが心から湧き上がり──マリーは、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「あたし……! 出来た……!」
お読みくださり、ありがとうございます。
ここで読者の方にご報告があります。
平成最後の日となる本日4月30日に、本作『魔拳、狂ひて』は、5周年を迎えることが出来ました。
また、奇しくもその5周年の日に、累計PV数が100万アクセスを突破いたしました。
ここまで続けることが出来たのも、読んでくださった皆様の温かい応援のおかげです。
本当にありがとうございました!
さて、明日からはいよいよ令和が始まり、『魔拳』は6年目に突入いたします。
そして、今エピソードもいよいよ大詰め。果たして衛達は、ルチアーノを打ち倒せるのでしょうか?
それでは、新元号になっても、『魔拳』をどうぞよろしくお願いいたします!




