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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
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スクルトーレ・モーストロ 三十一

17

「あ、あああ……あ、たし、なんて、あたし、なんて……! あたしなんて、死んじゃえばよかったんだ……!」


 マリーが、その言葉を叫んだ刹那──


「──!!」


 ──衛は、頭を思い切り殴られたかのような感覚を覚えた。

 ──世界が凍り付く。

 ──頭が割れるように痛む。

 ──心臓の鼓動が激しさを増す。

 ──己が己でないもののように感じる。

 視界がぼやけ、意識が遠退き──あの日の記憶が甦る。


 ──自殺──。


 ──遺影──。


 ──机の上の花瓶──。


 ──涙の乾いた痕が残る手紙──。


 ──『僕なんて、死んでしまえばいい』──。


 ──絶望──。


 ──耳障りな笑い声──。


 ──侮蔑の笑顔──。


 ──憎悪──。


 ──憎悪──。


 ──殺意──。


「……ッ!! ハァ……ハァ……!」

 ──気がつくと、衛は両手を床について俯いていた。

 視線の先にある、床の一点。

 そこに──ぼたぼたと赤い滴がこぼれ落ちた。

 右手で目元に触れる。

 ──赤い涙。血涙であった。


「クッハハハハハハハ! そウだ、それダ、ソれだ!! そノ顔が見たかっタのだ私は!」

 室内に響く愉快そうな高笑いを聞き、衛は顔を上げた。

 反対側の壁際に、一つのブロンズ像と、二つの人影があった。

 ブロンズ像へと変えられ横たわる舞依、涙を流しながら詫びる舞依。

 そして──彼女達を嘲笑しながら、演説をするかのように口を動かし続けるルチアーノの姿。


 その光景を見た瞬間──衛の全身から、凄まじい熱が生じ始めた。

 怒りが、憎しみが、肉体を循環する血液を沸騰させていた。


「……ッ!!」

 歯を食いしばる。

 両拳を握り締める。

 足の裏で床を踏みしめ、立ち上がる。

 心に生じた激情を振り絞り、己の力へと変える。


 体力は、先ほどよりも回復していた。

 マリーが時間を稼いでくれたおかげで、摂取した食料の栄養が完全に吸収されたようであった。

 とはいえ、万全なコンディションではない。強化術を使えるほど、回復はしていないようである。

 だが──『最後の手段』を使うには十分な回復量であった。


「恐怖と絶望、そレらが絶対的な比率で交わり合い、最高に調和した君のソの顔が!! 素晴らしい、素晴らしイぞ!!」

 ルチアーノは、相変わらず演説を続けていた。

 その上機嫌な声を聞いているだけで、衛のはらわたは更に煮えくり返っていった。


「……スーッ……」

 静かに息を吸いこみながら、衛は足を踏み出す。

 一歩一歩確実に、ルチアーノの背後へと歩み寄る。

 そうしながら、(抗体)を練り始める。

 全身の抗体を右拳に集め、更に凝縮させていく。


「さア、これで最期だ少女よ! 何の存在価値モなかった君が、よウやく役に立てる時が来たノだ!!」

 歩み寄ったことで、ルチアーノの大声が、更に大きく耳に入るようになった。

 衛は、今すぐにでも怒鳴り付けてやりたいという衝動を、必死に堪えた。

 その怒りの感情を──己の両足に注ぎ込む。

 一歩前に踏み出すごとに、床の表面に、抗体の赤い残滓が、足跡のように刻まれる。

 やがて、ルチアーノの背後で立ち止った。

 左足を前に、右足を後ろに。

 前足に三、後ろ足に七の割合で重心をかける。

 そして、比較的青銅の突起物が少ない箇所──即ち、ルチアーノの腰に狙いを定め、構えた。


「恐怖と絶望の表情を浮カべたまま、私の作品トして永久に生き続けるガいい!! ソして私は、こノ偉大なる最高傑作の創造主とシて──」


 ──もう、我慢できなかった。

 衛は、腹と胸に溜りに溜まった、禍々しいほどにどす黒い感情を二文字の言葉に込め、唸るように呟いた。


「おい」


 その瞬間──衛の体が、急加速した。


 ──すり足。


 ──二つの光の線が床に描かれる。


 ──半歩前へ。


 ──放たれる右拳。


 ──床を踏みしめる。


 ──直撃の瞬間、重さと速度が拳に乗る。


 そして──

「え──がッ!?」

 ──凄まじい炸裂音が、室内に響き渡った。


「あ……? ぐ……?」

 ルチアーノが身を屈め、その場にうつ伏せで倒れ込んだ。

 腰を覆う青銅の鎧に、拳大の穴が穿たれ──青黒く変色した皮膚が露出していた。


「黙ってろ」

 衛は、倒れ伏すルチアーノを蔑みの目で見下ろしながら、そう吐き捨てた。


「ぬ……グ……お……!?」

 ルチアーノは床に倒れたまま、苦悶の声を上げた。

 立ち上がろうと、床に両手をつく。

 ──が、立ち上がれない。

 何度も身を起こそうとしていたが、体がいうことを聞かないらしく、その場で苦し気にのたうっていた。


「な、何が起コった……!? 体が、動かヌ……!!」

「大量の気を流し込んだのさ。デカい一撃で、お前の鎧をぶち破ってな。今のお前の体内では、俺の気が鎧で何度も跳ね返りながら暴れまわってる。さぞかし苦しいだろうよ。おかげで、こっちはこのザマだがな」

 そう言うと衛は、今しがた打ち込んだばかりの右拳を掲げて見せた。

 ──それは、拳と呼ぶには、あまりにも痛々しい形をしていた。

 黒鋼改(グローブ)に包まれた拳は、腐って潰れた果物のように、歪な形に変形していた。

 手首は、グローブの内側から流れ出るどろどろとした血で、真っ赤に染まっていた。

 全て、今放った打撃によって負ってしまった怪我によるものであった。


 ──『仙歩崩拳(せんぽほうけん)』。

 足に込めた気の力によって凄まじい速度で踏み込み、突進の要領で放つ、武心拳の強力な突き技である。

 衛はこの技を用いて、青銅の鎧を突き破り、拳に収束させた大量の抗体を、ルチアーノの皮膚の上から流し込んだのである。

 しかし、その代償もまた大きかった。

 鋼鉄すらも上回るほどの強度を秘めた、ルチアーノの青銅。それに、仙歩崩拳を打ち込んだことで、衛の拳は耐えられず、破壊されてしまったのである。

 だが、その捨て身の一打によって、衛もまた、ルチアーノに深刻なダメージを与えることに成功したのであった。


「そ、そンな、馬鹿な──ぐわっ!?」

「どけ」

 悶え苦しむルチアーノを、衛は足の裏で雑に押し蹴り、横に転がした。

「俺はマリーに話がある。しばらくそこで苦しんでろ」

 衛はそう言うと、舞依の傍らに座り込んでいるマリーに顔を向けた。


「……衛……?」

 マリーは、虚ろな眼で衛を見上げた。

 泣き腫らし、涙まみれになったその顔を見て、心が張り裂けそうになる。

 衛は、そんな己の心に喝を入れ──マリーに、力強く語り掛けた。


「……諦めるな、マリー。舞依を治す方法なら、もう一つある」

「……え……!?」

 嘆きに囚われていたマリーの顔に、驚きが広がる。

 その一瞬、絶望に染まった彼女の瞳に、小さな光が宿ったことを、衛は見逃さなかった。

「ど、どうやって……!?」

「お前だ」

「……え?」


「お前だよ。舞依から教わった治癒術──それを使って、ルチアーノの術を打ち破るんだ」

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