爆発死惨 九
7
遡ること数分前。
青木衛は、後藤英樹が歩いていた場所から、数十メートル程離れた地点にいた。
衛は今、歌舞伎町の『とある店』を目指していた。
その店の店主は、歌舞伎町とその周辺の事情に詳しく、人望も厚い。
その人物の力を借りれば、宮内隆史の行方を掴めるかもしれない──そう考えたのである。
(カツミさん……今日は早く店を開けてくれてると良いんだけどな……)
そう思いながら、静かに眉を寄せた。
その時であった。
「おっ、青木センセイじゃねえか!」
聞き覚えのある明るい声が耳に届く。
衛は、無意識にそちらに目をやった。
「……あんたか」
わずかに目を見開く。
衛の視線の先。
そこには、今朝立ち合ったばかりの空手家、進藤雄矢が佇んでいた。
朝のような、空手着とパーカーを組み合わせた服装ではない。シャツの上からダークブラウンのレザージャケットを羽織っており、下は伸縮性のあるジーンズを履いている。
恵まれた体格にマッチした服装であった。
「今朝は悪かったな、お流れになっちまって」
立ち合いが中断になったことを、衛が詫びる。
それに対し、雄矢は気持ちよくからからと笑った。
「ははは! 気にすんなよ、楽しみが後に伸びただけだ! もう仕事は終わったのかい?」
「いや、まだなんだ。今、人を探してるんだ。手掛かりを掴みに、ちょっとこの辺りにある店に顔を出そうと思ってな」
「ふぅん……あのよ、気になってんだけど、あんた一体何の仕事やってんだ?」
雄矢が興味深そうに問い掛ける。
「探偵だよ」
「探偵?」
「厳密には違うんだけどな。まぁ、それに似た仕事だ」
「……?」
はっきりとしない衛の回答に、雄矢が不思議そうな顔をする。
「……なぁ、ひょっとしてヤバい仕事やってる?」
「ん……まぁ、そこそこな。でもヤクザじゃないぞ」
「ヤクザでもない……? そんじゃ、用心棒……? 殺し屋とかじゃねえよな……? ますます分かんねぇな……」
雄矢は首を傾げる。
衛の職業に、雄矢は見当が付かない様子であった。
「そう言えば今日、仕事で事情聴取をしたんだけど、あんたの真似をしたら上手くいったよ」
「え? 俺の真似?」
衛の言葉に、雄矢がきょとんとした顔になる。
「ああ。その人、最初はまともに話に取り合ってくれなかったんだ。けど、今朝のあんたを真似て、妙に物分かりの良い態度を見せたら、興味を示してくれてな。いくつか情報を教えてくれたよ」
「へぇ、じゃあ俺のおかげって訳か」
「まぁな。『変な奴だ』って笑われたけどな」
「それ聞くと何か素直に喜べねぇな……」
顔をしかめ、頭をポリポリとかく雄矢。
凄腕の空手家が見せる様子とは思えぬ、とぼけた姿であった。
「まぁそんな訳だから、再戦はまた今度にしてくれ。ここまで来てくれて申し訳ないんだけどな」
「……ん? あぁ、それは別に構わねぇよ。そもそも、俺は別の用事でここに来たんだ」
「別の用事?」
「おう」
雄矢が笑みを浮かべながら答える。
「ガキの頃からのダチと飲もうと思ってな。後藤英樹っていうんだ。あんたも知ってるんじゃないか? 武術界の『表』の方じゃ、俺よりも有名だからな」
自慢げな雄矢の様子。
彼の言葉に、衛は若干驚いたような仕草を見せた。
「後藤っていうと、空手の大会で何度も優勝してる奴じゃないか。あんたのツレだったのか」
「ああ、俺のライバルだよ。……そうだ。良かったら、あんたも一緒に来ないか?ちょっと早めに仕事を切り上げて──」
その時であった。
「──ん?何だ?」
雄矢が言葉を区切り、怪訝な顔をする。
衛も同様の表情を浮かべた。
破裂音が聞こえたのである。
音の具合から察するに、両者が話している場所から、少し離れた地点で鳴った音であろう。
その後に続いて、悲鳴が聞こえてくる。
一人や二人の悲鳴ではない。
大勢の人間がパニックを起こしているようであった。
(……まさか……!?)
衛の表情が、徐々に険しくなる。
頭の中に、最悪の予想が浮かんでいた。
「何だ……? 花火でもやって──っておい!どこに行くんだよ!」
雄矢が声を張り上げる。
彼の言葉が終わる前に、衛が走り出したのである。
「ちょっと待てよ!」
後に続き、雄矢も疾走する。
衛は、雄矢が付いてきていることを気にも留めず、徐々にスピードを上げていく。
(油断していた……! 奴がまだ歌舞伎町にいるかもしれないってのに……!)
衛が顔を歪める。
己の不用心さに、歯痒さを感じていた。
場所が近付くにつれ、徐々に悲鳴が大きくなってくる。
パニックに陥った人物が、こちらに向かって走って来る。
それらの者とすれ違うたびに、衛の予想は確信へと変わっていった。
(あそこか!)
衛の目に、道を染めている赤黒いものが映る。
その周辺には、何人かの人が跪いていた。
誰もが嘔吐し、その光景から逃れようと、目を背け続けている。
冷静さを保った人間は、一人もいなかった。
こんな光景を目にし、正気を保っていられる者など、いるはずもなかった。
「……」
衛は無言で『それ』に近付く。
路上で赤黒い花を咲かせている──無残な遺体に。
「クソッ……!」
憎々しげに顔を歪めながら、衛が悪態を吐く。
しかし、己を責めている時間は無い。
警察が来る前に、調べられる所は調べておかなければ──衛はそう思い、調査を開始した。
「うげっ……何だよこれ……」
少し遅れて、雄矢が到着する。
顔をしかめながら右手で鼻と口を覆った。
流石にこのような残酷な光景は見慣れていないらしい。
それでも、吐き出したりパニックになったりしない辺り、一般人と比べて大した精神力であった。
「……」
現場と遺体を観察しながら、衛が黙考する。
藤枝夏希・西田雅人の事件と酷似している。
四肢と頭部のみが原型を留めており、胴体部分は粉々に飛び散っていた。
やはり、同一犯による犯行であろう──衛はそう確信していた。
血や内臓、原型が残っている人体部分の飛び散り具合から見て、人間の体内から何かが爆発したような状況であった。
衛は以前、そんな死に方をした妖怪を見たことがあったため、それが分かった。
「……?」
遺体の傍らで、衛が何かを発見する。
──血濡れのジッポライターであった。
血を浴びていない箇所は金色に染まっており、メッキではなく、純金製だと言うことが伺える。
外面には、龍の彫り物が刻まれていた。
「……」
衛はしばらく、そのジッポを見つめる。
もしかしたら、事件とは無関係の落とし物なのかもしれない。
だがその時の衛は、その血濡れのジッポが、この殺人に何か関わっているのではないかという予感がしたのである。
衛は無言でスマートフォンを取り出すと、そのライターの写真を何枚か撮影した。
──本音を言うと、そのライターそのものを回収したいところであった。
だが、さすがにそれはマズいと思った。刑事から依頼を受けているとはいえ、現場を荒らすわけにはいかない。
故に、写真撮影のみに留めておくことにした。
その時──
「……嘘だろ」
──ぽつりと。
震える声で、雄矢が呟いた。
「……?」
そんな雄矢の様子を不審に思い、衛が歩み寄る。
「どうした、進藤さん」
雄矢に声を掛ける。
雄矢は、遺体の頭部の近くに跪き、被害者の顔を覗き込んでいた。
「……進藤?」
「……」
衛が眉をひそめる。
雄矢は、何も答えない。
僅かに体を震わせながら、生首の虚ろな目を、じっと見つめ続けていた。
しばらく沈黙し──雄矢が、再び口を開いた。
「……………………英樹」
「何……!?」
雄矢の漏らした言葉に、衛が驚愕する。
そして、遺体の顔を見た。
被害者の顔を、衛は雑誌や新聞の記事で何度か見たことがあった。
その男の──後藤英樹の顔を。
しかし、その顔は血に塗れ、両目は生気を失っていた。
かつて記事で見た、生命力にあふれた生き生きとした表情は、そこには無かった。
「……なん、で……だよ……何で……」
雄矢の声の震えが、徐々に大きくなっていく。
見開かれた両目には、先程までの明るい様子は欠片も残ってはいなかった。
「英樹……英樹…… !……っあ、あああ……! うわあああああああああああああっ!!」
夕方の歌舞伎町に、雄矢の悲痛な叫び声が木霊する。
それを耳にしながら、衛はただ静かに、嘆き続ける雄矢の姿を見つめていた。
次回は、水曜日の午前10時に投稿する予定です。




