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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
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スクルトーレ・モーストロ 二十九

16

 ──マリーは、もう我慢出来なかった。

 雄矢とシェリーがブロンズ像にされ、衛が殺されそうになる光景を見て、衝動的に部屋の中に飛び込んでいた。

 自分だけ安全な場所に隠れていることなど、もう出来なかった。


「……お願い……もう、やめて……!」

 マリーが、震える声で訴える。

 声だけではない。目も、顔も、足も──全身が恐怖によってぶるぶると震えている。

 怖かった──逃げ出したかった。

 しかし──恐怖ですくんでも、マリーは逃げるわけにはいかなかった。

 自分のせいで、仲間たちが危機に瀕している──その事実から、マリーが目を背けるわけにはいかなかった。


「おオ……少女よ……少女ヨ……! そコにいタか……!」

 ルチアーノの中から立ち上っていた憤怒が消え失せる。

代わりに歓喜と恍惚の感情が表れ、無意識に衛を掴んだ手を放していた。

「ガッ……ゲホッ、ゲホッ──!」

 衛は床の上に崩れ落ち、その場で酷く咳き込んだ。

 立ち上がろうとしているのか、その場でもがいていたが、疲労と酸欠により、すぐに動くことは出来ないようであった。


 ──分かっていた。衛がすぐに立ち上がれないことは、これまでの闘いの流れを見ていたので、理解していた。

 だが、こうしてルチアーノの意識を逸らすことさえ出来れば、衛も少しは回復出来るはず──心の奥底で、マリーはそう考えていた。


「待ちかネたぞ、少女よ……! 最初かラ素直に出て来てクレれば、私も無駄ナ苦労ヲせずニ……いヤ、もウ全て水に流ソう。こウシて、君自身が私ノ前に姿を現しテくれタノだかラな」

 上機嫌になったルチアーノは、衛をその場に放置し、マリーのもとへ歩み寄る。

「さア、少女よ……! 私ノ作品とナるのだ……! 君なラば、間違いナく私の最高傑作に生マれ変わルコとが出来るハずだ!!」

 マリーの前で立ち止まったルチアーノは、そう言って目を細めた。

 そして、その場でマリーの返答をじっと待った。


「……そ、その前に。話を聞いて」

「……何?」

 マリーの言葉に、ルチアーノが目を丸くした。

「お……お願い。舞依を、返して。……あたしの仲間を、これ以上傷付けないで」

 恐怖を堪えながら、マリーはそう言った。

 ゆっくりと。しっかりと。

 己の願いが、ルチアーノに伝わるように、確かにそう言った。


「……」

 ルチアーノは、何も答えなかった。

 目を丸くしたまま、マリーをきょとんとした顔で見ていた。

 それから、数秒経過し──ようやく、ルチアーノが口を開いた

「……は?」

 たったそれだけの──言葉というにはあまりにも短過ぎる、不快感を露わにした声が、怪物の口からこぼれた。


 ──その時、マリーの体に、何かが巻き付いた。

 直後、風と浮遊感を感じ──全身が、固い床の上に叩き付けられていた。

 ルチアーノに体を掴まれ、衛がいる側とは反対の壁に、放り投げられたのである。


「うッ──ガ、ハッ……!? ゲホッ、ゲホッ……!」

 衝撃に悶えながら、マリーは激しく咳き込んだ。

 視界が激しく揺れている。

 床に打ち付けた箇所が、鈍い痛みを放っている。


「ああ、少女、少女ヨ……。君はまダ、己の立場を理解しテいなイようだナ……」

 ルチアーノの猫なで声が、ゆっくりと近付いて来る。

 恐らく、苛立ちを隠すために、無理やり作り笑いを浮かべながら歩み寄っているのであろう。

 投げられた衝撃で軽いパニック状態になっていても、その様子だけは簡単に想像できた。


「……君ハ、私の『物』だ。物が持ち主ニ口答えナどしテは駄目ダろう?」

「うっ……」

 マリーは、身体中の痛みを我慢しながら、上体を起こした。

 すぐそばに、青銅の怪物の姿があった。

 案の定、強張った笑みを浮かべていた。


「さア、少女よ。モう一度言うゾ。私のもトへ来るノだ。そシて、私の最高傑作へと生マれ変わレ!」

 ルチアーノは、先ほどよりも語気を強めて言った。

 その言葉を耳にして、マリーの頭の中に、あの雨の夜の記憶が甦りそうになる。

 しかし、マリーはそれを振り払うかのように強く頭を振り、震える声で言った。

「……そ……その前に、舞依を──がっ!?」

 マリーが言い終わるよりも早く、ルチアーノは彼女の首を掴んだ。

 そのまま、窒息しない程度の力を込めて、首を絞めてくる。

「何故だ……? 何故分かラない……?」

「ぐ……ぐ……!」

「何故私の言うコとを聞いてクれない……? 私の作品にナるコとよりも、あノ着物の少女に会ウことガ大事なのカ……!?」

 怒りと焦燥感を交えた形相で、マリーにそう囁きかけた。

 そのまま、彼女の首を掴み続け──握りつぶすかと思いきや、不意にその手を放した。


「ゲホッ、ゲホッ……!」

「……ふン。まア良い。そんナにあの着物の少女に会いたいのならば、会わせてやろう」

「ゲホッ……え!?」

 マリーの心に、一瞬だけ安堵の輝きが灯る。

「ほ……本当? 舞依に、会わせてくれるの!?」

「ああ。会わセてやろうトも」

 ルチアーノは、口の端を歪めながら、そう答えた。


「会いタいかね?」

「あ、会いたい……ど、どこなの……!?」

「『どコ』?」

「そう、どこ……!? 舞依は今、どこにいるの……!?」

「『ドこ』……? 『どこ』ダと……? ……ク、ククククク……!」

 ルチアーノは、心底愉快そうに、低い笑い声を口からもらした。


「な、何がおかしいの……!?」

「クククク……! こレが笑わズにいラれるもノか……!」

 ルチアーノは、笑いを必死になって抑えようとしていた。

 そして、ひとしきり笑い終えた後、ねっとりとした口調で言った。


「──あノ着物の少女なラば、既ニ君の隣ニいるデはなイか」


「……え?」

 一瞬──マリーの思考回路が、完全に停止した。

 ルチアーノの言った言葉が、全く理解できなかった。

 何故なら、隣には舞依の姿はなかったからである。

 あるのは、この部屋の中に置いてあったものと思しき、裏返っている机の残骸のみ。

 衛達がこの部屋に突入する直前まで、ルチアーノはこの部屋で暴れていた。この机は、恐らくその時に壊されたものであろう。


 その机を──ルチアーノが、おもむろに掴んだ。

「分カらナいか……? なラば、見せテやろう」

 そう言って、ゆっくりと、机を持ち上げた。


 そこには──緑青色の物体が、下敷きになっていた。

 青銅。ブロンズ像である。

 幼い少女をモデルにした作品のようであった。

 着物姿であった。

 よく見ると、胴体と足首を、縄で縛られているようであった。

 両目を、力強く瞑っていた。何かに怯えるかのように──あるいは、己の最期を悟ったかのように。

その顔に──その表情を浮かべている少女の顔に、見覚えがあった。


「……違う」

 マリーが、か細い声で呟いた。

「……嘘よ」

 ──認めたくなかった。

 このブロンズ像が何なのか、『誰』なのかを、認めたくなかった。

 このブロンズ像の正体を認めさえしなければ、現実から逃避出来るかもしれないと思ったから。まだ、舞依が無事なまま、どこかに監禁されているという可能性が残り続けると思ったから。


「嘘だ……。嘘だ、嘘だ……!」

 マリーは必死に、己の心に抵抗した。

 認めてはならないと、己自身に訴えた。

 しかし──認めざるを得なかった。

 どれだけ否定しようとも。現実から目を背けようとも。

 このブロンズ像の顔を──ここにいる誰よりも、マリーは知っていた。

 彼女は──このブロンズ像の正体は──



「舞依……!」



 ──ルチアーノに連れ去られた、舞依の成れの果てであった。

 次回は、木曜日か金曜日に投稿する予定です。

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