スクルトーレ・モーストロ 二十七
「ああ、あがァアッ、がああアアアァアアアッ!!」
ルチアーノの胸に生じた巨大な裂傷から、噴水の如く鮮血が迸る。
部屋の壁や床、天井、家具の残骸、ルチアーノの周囲にあったものが、赤黒く染まっていく。
側にいた衛たちも、その噴き出した血を、全身で浴びてしまっていた。
「これで、どう、だ……! ……うっ……クッ……」
「衛、大丈夫……!?」
よろけそうになった衛を、シェリーが駆け寄って支える。
「はぁ……はぁ……ああ、大丈夫だ……少し、疲れただけだ……」
青ざめ、無数に冷や汗を浮かべた顔で、衛が答えた。
全身の疲労と倦怠感が酷い。筋肉の力が入りにくい。
疲弊している状態で行った、強化術と鋼鎧功の併用という無茶な闘い方。
その代償として、大幅に体力を消耗してしまったのである。
しかし、現在のルチアーノに対し、有効なダメージを与えるには、この手段しかなかった。
そのため、苦肉の策として、この手段を選択せざるを得なかった。
「でも、衛が無茶してくれたおかげで、あいつは大怪我したみたいだ。とっとと舞依ちゃんの居場所を吐かせて、助けてやろうぜ」
焦りを交えた表情で、雄矢がそう促した。
──その時であった。
「……はッ……ふッ……ふッ、ふッ、ふッ、
ふッ……」
過呼吸を行いながら、傷を押さえつけ、目を閉じて激痛に耐えていたルチアーノ。
その右瞼が勢いよく開き、瞳が衛たちを捉えた。
「チッ……!」
嫌な予感を感じ取った衛は、ジャケットの中に震える手を忍ばせ、綾子から受け取ったクッキーブロックを取り出した。
そして、急いで袋を破り、口の中にクッキーを押し込んだ。
「ふッ、ふッ、くッ、嘗……メ、る、ナ……! 凡人、どモめ……!」
怪物の濁った瞳が、絶えず衛たちに殺意を飛ばし続ける。
その悪意を受け、雄矢とシェリーは構えて警戒した。
衛は口を押さえたまま、急いでクッキーを咀嚼し、少しずつ飲み込んだ。
そして、胃の中に収まった咀嚼物の栄養が早く回るよう、全身の気を活性化させた。
「たカが、こノ程度の傷で……!」
傷口から手を放し──
「こノ、私の……! 情熱ヲ止めらレると思ッたかァアアアアアアッ!!」
──怒りの雄叫びと共に、ルチアーノが立ち上がった。
同時に、ルチアーノの体が、ポルターガイスト現象のように、激しく振動を始めた。
直後、彼の胸に生じた裂傷にも、異変が起こった。
クレバスのような傷の奥底から、緑青色の液体が吹き上がり、隙間を満たした。
やがて、液体は青銅となり、傷を溶接するかのように埋めていき──一瞬にして、元通りに復元したのである。
「は!? あいつ!?」
雄矢が目を見開いて叫ぶ。
「何て再生能力なの……!?」
シェリーが表情を歪め、動揺を隠しきれない様子で呟いた。
「……」
衛は、無言で怪物を睨んだ。
その額を、一筋の冷たい汗の雫が伝った。
「クソ、どうする!? 衛もまだ回復しきれてねえってのに!!」
「とにかく、時間を稼ぎましょう! 衛の回復を待って、もう一度、連携、を……え?」
その時、シェリーの話し方が、わずかにぎこちなくなった。
「あ、え……? な、に、これ……!?」
「どうし、た、シェ、リー、え? あ、ありゃ……!?」
シェリーに続き、雄矢の言葉にも、ぎこちなさが生じ始めた。
まるで、油の切れた機械が、急激に錆び始めているかのようであった。
「どうした、二人とも!? 一体──何!?」
仲間たちの異変に気付いた衛は、彼らの姿に目をやり──そして、愕然とした。
雄矢とシェリー、二人の体が──ブロンズに侵食されていたのである。
彼らが浴びた、ルチアーノの赤黒い返り血──それらが急速に、緑青色の青銅へと変化。
両者の肉体を蝕み始めたのである。
「く、クソ、体、動か、ね……!」
「迂闊、だった……! まさか、血も、青銅、に……!」
彼らは顔を歪め、必死に体を動かそうと試みる。
しかし、既に両者は、爪先から下顎の辺りまで、完全に青銅に覆われていた。
幸い、青銅化はそこまでで一旦停止していたが、それでも、言葉を発するのがやっとという状態であった。
(俺は──!?)
衛は、己の体を素早く確認する。
彼の体には──変化はない。
ルチアーノの返り血は、少しもブロンズに変化していない。
やはり、抗体のおかげで、衛は青銅になることはないようであった。
「ふン……。貴様らを我ガ作品の一つニ加えルのは後回シだ」
ルチアーノが──ブロンズの結晶に覆われた怪物が、前へと歩み出る。
ブロンズ像になりかけた二人の男女。そして、その間に立つ疲労した青年に向かって、ゆっくりと歩み寄って来る。
(クソ……どうする……! 考えろ、そして動け……!!)
衛は眉間に皺を寄せ、疲れ切っている脳と肉体に鞭を打った。
──まだ体力は戻っていない。
栄養が完全に巡るまで、何とか時間稼ぎをしなければ──そう思い、震える両手を構えた。
(逃げるわけにはいかねえ。いや、そもそも逃げられねえ! 何とかして、奴を無力化する方法を見つけなければ!!)
衛はそう思い、奥歯を噛み締めた。
「……まズは貴様だ、魔拳ヨ。私の創作活動を幾度とナく阻ム貴様を惨たラシく殺し、アの少女の更ナる絶望へと誘ウ贄にしてクれよウ!!」
怪物はそう宣言し──口の両端を大きく吊り上げ、中に並ぶ牙を見せて嗤った。
そして──怪物は、襲い掛かった。




