スクルトーレ・モーストロ 二十一
13
明智賢作の自宅に辿り着いた一同は、家の前にシェリーの車を停めた。
侵入するメンバーは、衛、雄矢、シェリー、マリーの四名。
綾子は、駐車している車の中で待機となった。何らかのハプニングが起こった際の応援要請などを行う、非常要員としての役割である。
「はい、衛。これ」
「? 何だ?」
衛が後部座席のドアを開けた直後、綾子が長方形の袋に包装された何かを差し出してきた。
携行食のクッキーブロックである。
「非常食だよ。仙術の使いすぎで、体力を消耗するかもしれないからね。ヤバそうな時は、隙を見つけてそれを腹に詰め込みたまえ」
「ああ。ありがとよ」
衛はクッキーを素直に受けとると、ジャケットの内ポケットの中に忍ばせた。
「それじゃあ、ここは任せたぞ、綾子。俺らが入って、三十分経っても連絡がなかったら──」
「助けを呼ぶんだね、任せて。そっちも、無茶だけはしないようにね」
そう言いながら、車の座席に一人残った綾子は、ひらひらと手を振った。
綾子に見送られながら、四人は慎重に、明智宅へと足を踏み入れた。
──綾子の言う通り、明智の自宅は、立派な屋敷であった。
綾子の住む豪邸ほどの大きさと華美さはなかったが、気難しいとされる彼の性格にふさわしい、厳格さを漂わせたような外観をしていた。
しかし、その外観に反するかのように、玄関の扉は、来訪者を一切拒まず、するりと開いた。
鍵もチェーンも、何もかかっていない。
中にいる者がかけ忘れたのか。それとも意図的に鍵をかけていなかったのか。
衛は、おそらく後者ではないかと思った。一刻も早く、自分達を屋敷の中に招き入れたいのではないか──そう予想した。
玄関を開いて中に入ると、薄暗い廊下が奥へと続いていた。
長いこと掃除がされていないらしく、塵や埃が、廊下の隅に溜まっていた。
家主である明智には申し訳なかったが、一同は土足で廊下に上がった。
そして、出来るだけ足音を立てぬよう気を配りつつ、奥へと進んだ。
その途中、廊下の突き当りの隅に置かれているブロンズ像に目が留まった。
──奇妙な像であった。
厳めしそうな顔つきをした初老の男性が、目の前の何かに驚愕するような表情を浮かべている。
「……これは……明智先生か……?」
小さく、衛が呟く。
こちらへ移動する途中、衛は車内で、明智の写真を綾子から見せてもらっていた。
眉間に刻まれた皺に、カメラを睨みつける鋭い眼光。
このブロンズ像の表情は、先ほど見た写真の表情とは異なる。
しかし、あの写真に写った男性が、もし何かに驚いたとしたら、きっとこのような表情になるのであろう──そう思うような像であった。
「ちょっと待ってて」
その像の前に、シェリーが立った。
彼女は右手を像の胸元に当て、静かに目を閉じる。
直後、彼女の右手が一瞬輝いた。
シェリーの持つ超能力、D.I.T.H.である。
「……間違いないわ。心の中に完全には入り込めないけれど、それでも分かる。この像は、明智先生ご本人よ。やっぱり、ルチアーノに押し入られて、ブロンズに変えられてしまったようね」
深刻な表情で、シェリーがそう言った。
「おい、それだけじゃねえぞ。こっち来てみろよ」
その時、雄矢が焦りの滲んだ声を発した。
衛とシェリー、そしてマリーが、彼のもとへ小走りで向かう。
雄矢は、突き当りを曲がった先の扉を開き、中を覗き込んでいた。
「どうした雄矢」
「中を見ろ」
雄矢は小声でそう促し、扉の前から身を引き、衛たちに位置を譲った。
その部屋は、いくつもの像が展示されたギャラリーであった。
部屋の隅には、無数の美しい像が並んでいる。女性の像もあれば、男性や動物、建築物などの像も見られる。
衛には、美術品の知識は全くない。そんな彼でも、隅に並んでいる像が、精巧に作られた一級品品であることは理解出来た。
そんな美術品の数々を追いやり、注目を奪うかのように、ギャラリーの中央に、十体のブロンズ像が、円状に並べられていた。
像のモデルは全て女性で、そのどれもが、恐怖と苦痛によって歪んだ表情を浮かべていた。
隅に置かれた品と比較すると、それら十体のブロンズ像は、妙に異質な雰囲気をまとっているように感じられた。
「……どうやら、これらも被害者たちのようね」
感情を押し殺すように、シェリーがそう呟く声が聞こえた。
「あの野郎、ゲスなことしやがるな。早くあの面ぶん殴ってやりてえよ」
雄矢は、怒りに震える声でそう言った。
衛も同じ思いであった。ルチアーノの行いに腸が煮えくり返り、胃の中を消化液がぶすぶすと溶かしているような感覚がした。
その時、それまで後をついてくるだけであったマリーが、初めて己から動いた。
「……」
マリーは、十体のブロンズ像の周囲を、ゆっくりと歩いて回る。
そして、恐る恐るといった様子で、それらの像を目視していく。
全てのブロンズ像を見終わると、その場で立ち止まった。
「……舞依はいない」
マリーはそう呟くと、安堵というにはあまりにもはりつめている表情で、息を吐いた。
「……舞依、大丈夫かな」
「大丈夫だ、マリー。あいつなら、きっと大丈夫だ」
衛はそう励ましながら、震えるマリーの頭を優しく撫でた。
無責任なことを言うべきではないのかもしれないが、彼女の不安げな姿を見て、何かせずにはいられなかった。
「とにかく、ルチアーノを探そう。舞依はきっと、やつのそばにいるはずだ。だから──」
その時、衛の目が、一層鋭くなる。
同時に、口元に人差し指を当て、三人に注意を促した。
──物音が聞こえた。
この部屋ではない、屋敷内の遠いどこか。
そこから、何かを叩き付けるような音が、微かに聞こえてくる。
「……こっちだ」
衛は耳を澄ませ、音の出処を探り当てるべく、ギャラリーを出た。
三人も、その後に続き、退室した。
そして、元来た廊下を引き返し──その途中で、足を止めた。
そこにあったのは、階段であった。
二階へと昇る階段だけでなく、地下へと下る階段もある。
物音がするのは、下りの階段のほうであった。
先ほどよりも大きい物音が、階段の奥底から聞こえてきた。
「……車の中で、綾子が言ってたな。『アトリエは地下にあるらしい』って」
衛はそう呟くと、足音を立てぬよう注意しながら、階段を降り始めた。
その後に続き、雄矢とマリーが。それから、彼らの背後をカバーするように、シェリーが降りていった。
長い階段を一段降りていくごとに、音は徐々に大きくなっていく。
何かが砕ける音。割れる音。硬い音。
様々な音が混ざり合い、四人の耳の中に入り込んでいく。
やがて、最下層に辿り着いた。
目の前にあるのは、半開きのドア。
その隙間から、わずかに顔を出し、中を覗き込む。
「──ッ! ──ッ! ──ッ!!」
衛が目にしたのは、散らかった地下室の中で暴れ狂うルチアーノの姿であった。
罵詈雑言と思われる、聞き取れぬ言葉を喚き散らしながら、室内のものに激しく当たり散らしていた。
木製の机や椅子。酒の瓶。刃物、紙、布。
それら全てを手当たり次第に持ち、投げ捨て、壁や床に叩き付けて破壊していた。
こちらに気付いている様子は、一切なかった。
「……」
衛は無言で、背後の仲間達を一瞥する。
雄矢とシェリーは、衛を見て頷いた。攻めるならば今だと、二人の目が物語っていた。
マリーは、ただ震えながら、不安気に衛を見つめていた。
「ここに隠れてろ」
怯えるマリーに、衛は小さく指示する。
その言葉に、マリーはおどおどと頷いた。
「……フーッ」
衛は一度、静かに深呼吸をした。
そして、殺気を出さないよう心掛けながら、もう一度ルチアーノに全ての意識を集中させた。
ルチアーノは扉に背を向けたまま、未だにアトリエの中央で暴れ狂っている。
衛は、半開きの扉をゆっくりと開き──敵の背中を目掛け、足音を立てず疾走した。




