スクルトーレ・モーストロ 二十
「……は?」
舞依は、己の耳を疑うかのように、そう呟いた。
ルチアーノの言った言葉の意味が、まるで理解出来ない。そう主張するかのように。
「……何を、言っとるんじゃ? わしに、手を組め、じゃと……?」
「ああ、そうだ。私の助手となり、魔拳を討つ手伝いをしろ。そうすれば、悪いようにはしない」
そう言うと、ルチアーノは立ち上がり、口の端を歪めて笑った。
「魔拳とその仲間たちは、間違いなく君を助けに来る。君の無事を確認すれば、奴らは安堵し、何の気兼ねもなく私と闘おうとするはずだ。その隙を突き、君が背後から奴らを攻めるのだ。驚くだろうなァ。『助けたはずの仲間が、実は裏切っていた』なんて事態に直面すれば。あの少女も、きっと良い表情で絶望してくれるだろう」
ルチアーノは、ジェスチャーを交えながら早口で語り──そうした後に、歪な笑顔を浮かべた。
己が立てた策が成功した瞬間のことを予想し、高揚感が抑えられなかった。
「……それで、解答は?」
「……。……はっ」
ルチアーノが尋ねると、舞依は呆れたように鼻で笑った。
「何を馬鹿馬鹿しいことを。わしに仲間になれ? 衛たちを裏切れ? あやつらを攻撃しろ? ……あまり調子に乗るでないぞ、このたわけ者め!」
「『仲間になるのは嫌だ』と? 何故かね?」
「当たり前じゃろうが!」
舞依は顔を紅潮させて怒鳴り、凄まじい剣幕でまくし立てた。
「あやつらは仲間じゃ! 衛もマリーも、シェリーも雄矢も、かけがえのない大事な仲間なんじゃ! 敵であるぬしのために、なぜわしがあやつらを裏切らねばならん! 寝ぼけたことを言うな!」
「ククク……確かにな」
激昂する舞依の姿に、ルチアーノは思わず失笑した。
──予想通りの答えであった。
こちらが仲間になるよう提案しても、彼女は間違いなく断る。当然の結果だ。彼女と同じ状況に置かれたら、このような怪しい申し出など、誰だってはね除けるに決まっている。この計画を考えた当初から、ルチアーノはそう予想していた。
そして──そんな彼女の心変わりを誘発する手段も、同時に考えていた。
「だが君は、その敵である私に忠誠を誓うことになる」
「ほう? どうするつもりじゃ? わしにお駄賃でもくれるのか?」
嘲るように舞依が挑発する。
その顔を見て、ルチアーノの心の奥底に、小さな怒りの火が灯った。
しかし、数十秒後に彼女が浮かべる表情を思い描くことで、その小さな火を揉み消そうと心掛けた。
「……ふむ。君は、私がどうすると思うかね?」
「ふん、そんなもん知らんし、興味も──」
「こうするんだ」
「キャッ!?」
突如、ルチアーノが右手をかざし、青銅の物体を放った。
射出された物体は、舞依の足に直撃し、緑青色の粉塵を立ち上らせた。
「ゲホッ、ゴホッ……! い、一体何を……えっ」
舞依は顔をしかめて咳き込みながら、粉塵に包まれた己の足を見た。
直後、その表情が強張った。
彼女の視線の先には──青銅へと代わり果てた両足があった。
「……え。……え? ……えっ?」
変わり果てた己の足を目の当たりにした舞依は、間の抜けた声を漏らした。
「……何じゃこれ。……えっ、な、何? 何、これ、何?」
困惑と動揺が、舞依の顔一面に広がっていく。
更に、じわじわと恐怖の色がにじみ、瞳に絶望の色が浮かぶ。
彼女のそんな様子を見て、ルチアーノは若干、溜飲が下がったような気がした。
しかし、心に灯った火を消すには、まだ足りなかった。
ルチアーノは、舞依の太腿に手をかざし──ブロンズ弾を、素早く射出した。
「きゃあっ!?」
先ほど以上に大きな悲鳴が、アトリエに木霊した。
「あ、ひ、ひっ……」
マリーが、固く閉ざした両目を、恐る恐る開く。
直後、より色濃い絶望が、彼女の表情に宿った。
両足だけでなく──両腿が、冷たい青銅と化していた。
「あ、あああ……う、あ、あああ……」
舞依の見開かれた目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
口が、顔が、太腿から上の体が、恐怖で小刻みに震えていた。
彼女のその姿を見たルチアーノは、立ち上る快感に、にやけ笑いを抑えきれなかった。
「む、ふ、ク、ク。……これで分かったかね、着物の少女よ。もし私の申し出を拒めば、君を私の作品に変える。何、安心したまえ。君が手を貸すと誓ってくれれば、すぐにでもブロンズ化を解いてあげよう」
上機嫌なルチアーノは、猫撫で声で舞依に言葉をかけた。
しかし、舞依には聞こえていないようであった。
否、聞こえてはいたが、精神的ショックにより、呆然と己の脚を見つめることしか出来ないようであった。
「……それで、返答は?」
「……」
「……返答はッ!!」
「きゃあっ!?」
痺れを切らしたルチアーノは、叫びながらブロンズ弾を二度放った。
緑青色の塊は、舞依の腹部に直撃。みしみし、ぱきぱき、という乾いた音を立てながら、縛られた幼い子供のような体を、青銅が侵食していった。
「う、あ、や、いや、いやああああっ……! た、助け、助けて衛、いやああああっ! うわああああああっ……!」
遂に、舞依の我慢が限界を越えた。
先ほどまでの気丈な態度は潰え、ここにはいない主人に助けを求め、子供のようにただ泣き叫んでいた。
「ク、クフフ……! さあ、どうだ? 気が変わったか? 少しは協力しようという気分になったか?」
ルチアーノはにやにやと笑いながら、咽び泣く舞依に顔を近付けた。
しかし、舞依は答えなかった。泣き声は上げ続けたが、イエスとも、ノーとも答えなかった。
「……チッ」
ルチアーノは舌打ちし、不愉快そうに顔を歪めた。
それから、苛立ったように右手をかざし、舞依の胸元に、ブロンズ弾を発射した。
「きゃあっ! や、やだあああっ、いやああああっ!!」
恐怖と苦痛に、舞依がまた悲鳴を上げた。
もはや舞依は、首から下が青銅と化していた。
あと一撃──ブロンズ弾が頭部に直撃すれば、彼女は全身がブロンズ像へと変わり果てる。
しかし、それでも舞依は、ルチアーノの申し出に応じようとはしなかった。
どれほど恐ろしくとも、どれほど痛く苦しかろうとも、決してルチアーノのもとへ行こうとはしなかった。
「……何故だ。何故拒む!? 何故だ!」
激しく苛立ちながら、ルチアーノは舞依の髪を鷲掴んだ。
もはや首から上しか自由に動かせない舞依は、ルチアーノのその行動によって、泣きながら苦しげに顔を歪めた。
「……なあ。別に良いではないか、裏切っても」
ルチアーノは、作り笑いを浮かべながら、また猫撫で声で語りかけた。
「時々だが、私は遠くから見ていたぞ。君たちが、よく争っている光景を。君は、あの少女と仲が悪いのだろう? 先ほど、あの少女が泣きながら家を飛び出したのも、君とまた言い争ったからなのだろう?」
「!」
その言葉を聞き、舞依は目を大きく見開いた。
泣き叫ぶ声も、助けを求める声も、ぴたりと止まっていた。
「仲が悪いのならば、別に売ってしまってもいいではないか。仕方がないだろう。自分の命のほうが大事なのだから。そうだろう──ん?」
その時、ようやくルチアーノは、舞依の変化に気付いた。
舞依は口を閉ざしたまま、ルチアーノの目をじっと見つめていた。
先ほどのように、恐怖と絶望で動揺し、泣き叫んでなどいない。
見定めるかのように、冷静に、ルチアーノの瞳の奥に視線を注いでいた。
「……なるほど。はっきりと分かった」
不意に、舞依が声をもらした。
わずかに震えはあるが、低くしっかりとした声であった。
「お前は、何も分かってない」
「……? 何を言っている?」
舞依の変化に、ルチアーノは思わず眉をひそめた。
「確かに私は、あいつとよく喧嘩する。ご飯のことで揉めるし、観たいテレビのことでも言い争うし、トイレの順番でも喧嘩する」
困惑するルチアーノに、舞依は震える声でなお語り掛ける。
「正直なところ、あいつは私を嫌ってるかもしれない。こんなに口うるさくて嫌みな奴、大っ嫌いだって言ってるかもしれない。……でも。でも──!」
その時──舞依の両目が、力強く見開かれた。
涙で潤んでいたが、その瞳には、恐怖はほとんど残っていなかった。
「馬鹿で、間抜けで、わがままだけど! 私はあいつの良いところもいっぱい知ってるんだ! 優しくて、思いやりがあって、頑張り屋で、どうしようもないくらいお人好しで、主人想いの良い娘なんだ! お前の言うとおり、あいつと私はいっつも喧嘩してるけど! 私にとっては、初めて出来た大事な友達なんだ!!」
叫ぶ舞依の目から、一筋の涙がこぼれた。
同時に、彼女の瞳に、強い意思が宿るのが見えた。
恐怖でもなければ、絶望でもない。
激しい怒りと、決して揺るがぬ覚悟が、そこにあった。
「そんなマリーを、裏切ってたまるもんか! お前にはあいつは渡さない! あいつは私の、大事な友達だ!! お前なんかに、絶対渡してたまるもんか!!」
凄まじい絶叫──その後に、コンクリートで覆われたアトリエに、静寂が訪れた。
ルチアーノの耳がわずかに捉えているのは、舞依の荒い息遣い。そして、激しく打ち鳴らしている、己の心臓の鼓動のみであった。
「……フーッ」
無表情のルチアーノは、口を閉ざしたまま、鼻息を吐いた。
長く、そして小さい鼻息であった。
「……フーッ」
短く息を吸った後、もう一度、鼻息を吐いた。
先ほどよりも短い鼻息であった。
「フーッ……フーッ……」
口の両端をぎゅっと結び、鼻息を何度も吐き出す。
「フーッ、フーッ」
鼻息の間隔が短くなり、次第に大きくなっていく。
それにつれて、ルチアーノの心の奥底で燻っていた火が膨れ上がり、うねるような炎へと変わっていく。
「フーッ、フーッ、フーッ、フーッ、フーッ!!」
血走った両目を、大きく見開く。
結んでいた口に隙間が生じ、牙のように尖った歯が露出する。
やがて、閉ざされていた上下の歯が開き、ルチアーノの口から、咆哮がほとばしった。
直後、舞依が両目をぎゅっとつぶる姿が見えた。
──この数十秒間の記憶を、ルチアーノは怒りで思い出せなかった。




