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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
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スクルトーレ・モーストロ 二十

「……は?」

 舞依は、己の耳を疑うかのように、そう呟いた。

 ルチアーノの言った言葉の意味が、まるで理解出来ない。そう主張するかのように。

「……何を、言っとるんじゃ? わしに、手を組め、じゃと……?」

「ああ、そうだ。私の助手となり、魔拳を討つ手伝いをしろ。そうすれば、悪いようにはしない」

 そう言うと、ルチアーノは立ち上がり、口の端を歪めて笑った。


「魔拳とその仲間たちは、間違いなく君を助けに来る。君の無事を確認すれば、奴らは安堵し、何の気兼ねもなく私と闘おうとするはずだ。その隙を突き、君が背後から奴らを攻めるのだ。驚くだろうなァ。『助けたはずの仲間が、実は裏切っていた』なんて事態に直面すれば。あの少女も、きっと良い表情で絶望してくれるだろう」

 ルチアーノは、ジェスチャーを交えながら早口で語り──そうした後に、歪な笑顔を浮かべた。

 己が立てた策が成功した瞬間のことを予想し、高揚感が抑えられなかった。


「……それで、解答は?」

「……。……はっ」

 ルチアーノが尋ねると、舞依は呆れたように鼻で笑った。

「何を馬鹿馬鹿しいことを。わしに仲間になれ? 衛たちを裏切れ? あやつらを攻撃しろ? ……あまり調子に乗るでないぞ、このたわけ者め!」


「『仲間になるのは嫌だ』と? 何故かね?」

「当たり前じゃろうが!」

 舞依は顔を紅潮させて怒鳴り、凄まじい剣幕でまくし立てた。

「あやつらは仲間じゃ! 衛もマリーも、シェリーも雄矢も、かけがえのない大事な仲間なんじゃ! 敵であるぬしのために、なぜわしがあやつらを裏切らねばならん! 寝ぼけたことを言うな!」

「ククク……確かにな」

 激昂する舞依の姿に、ルチアーノは思わず失笑した。


 ──予想通りの答えであった。

 こちらが仲間になるよう提案しても、彼女は間違いなく断る。当然の結果だ。彼女と同じ状況に置かれたら、このような怪しい申し出など、誰だってはね除けるに決まっている。この計画を考えた当初から、ルチアーノはそう予想していた。

 そして──そんな彼女の心変わりを誘発する手段も、同時に考えていた。


「だが君は、その敵である私に忠誠を誓うことになる」

「ほう? どうするつもりじゃ? わしにお駄賃でもくれるのか?」

 嘲るように舞依が挑発する。

 その顔を見て、ルチアーノの心の奥底に、小さな怒りの火が灯った。

 しかし、数十秒後に彼女が浮かべる表情を思い描くことで、その小さな火を揉み消そうと心掛けた。


「……ふむ。君は、私がどうすると思うかね?」

「ふん、そんなもん知らんし、興味も──」

「こうするんだ」

「キャッ!?」


 突如、ルチアーノが右手をかざし、青銅の物体を放った。

 射出された物体は、舞依の足に直撃し、緑青色の粉塵を立ち上らせた。


「ゲホッ、ゴホッ……! い、一体何を……えっ」

 舞依は顔をしかめて咳き込みながら、粉塵に包まれた己の足を見た。

 直後、その表情が強張った。


 彼女の視線の先には──青銅へと代わり果てた両足があった。


「……え。……え? ……えっ?」

 変わり果てた己の足を目の当たりにした舞依は、間の抜けた声を漏らした。

「……何じゃこれ。……えっ、な、何? 何、これ、何?」

 困惑と動揺が、舞依の顔一面に広がっていく。

 更に、じわじわと恐怖の色がにじみ、瞳に絶望の色が浮かぶ。

 彼女のそんな様子を見て、ルチアーノは若干、溜飲が下がったような気がした。


 しかし、心に灯った火を消すには、まだ足りなかった。

 ルチアーノは、舞依の太腿に手をかざし──ブロンズ弾を、素早く射出した。

「きゃあっ!?」

 先ほど以上に大きな悲鳴が、アトリエに木霊した。

「あ、ひ、ひっ……」

 マリーが、固く閉ざした両目を、恐る恐る開く。

 直後、より色濃い絶望が、彼女の表情に宿った。

 両足だけでなく──両腿が、冷たい青銅と化していた。


「あ、あああ……う、あ、あああ……」

 舞依の見開かれた目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 口が、顔が、太腿から上の体が、恐怖で小刻みに震えていた。

 彼女のその姿を見たルチアーノは、立ち上る快感に、にやけ笑いを抑えきれなかった。


「む、ふ、ク、ク。……これで分かったかね、着物の少女よ。もし私の申し出を拒めば、君を私の作品に変える。何、安心したまえ。君が手を貸すと誓ってくれれば、すぐにでもブロンズ化を解いてあげよう」

 上機嫌なルチアーノは、猫撫で声で舞依に言葉をかけた。

 しかし、舞依には聞こえていないようであった。

 否、聞こえてはいたが、精神的ショックにより、呆然と己の脚を見つめることしか出来ないようであった。


「……それで、返答は?」

「……」

「……返答はッ!!」

「きゃあっ!?」

 痺れを切らしたルチアーノは、叫びながらブロンズ弾を二度放った。


 緑青色の塊は、舞依の腹部に直撃。みしみし、ぱきぱき、という乾いた音を立てながら、縛られた幼い子供のような体を、青銅が侵食していった。


「う、あ、や、いや、いやああああっ……! た、助け、助けて衛、いやああああっ! うわああああああっ……!」

 遂に、舞依の我慢が限界を越えた。

 先ほどまでの気丈な態度は潰え、ここにはいない主人に助けを求め、子供のようにただ泣き叫んでいた。

「ク、クフフ……! さあ、どうだ? 気が変わったか? 少しは協力しようという気分になったか?」

 ルチアーノはにやにやと笑いながら、咽び泣く舞依に顔を近付けた。

 しかし、舞依は答えなかった。泣き声は上げ続けたが、イエスとも、ノーとも答えなかった。


「……チッ」

 ルチアーノは舌打ちし、不愉快そうに顔を歪めた。

 それから、苛立ったように右手をかざし、舞依の胸元に、ブロンズ弾を発射した。


「きゃあっ! や、やだあああっ、いやああああっ!!」

 恐怖と苦痛に、舞依がまた悲鳴を上げた。

 もはや舞依は、首から下が青銅と化していた。

 あと一撃──ブロンズ弾が頭部に直撃すれば、彼女は全身がブロンズ像へと変わり果てる。

 しかし、それでも舞依は、ルチアーノの申し出に応じようとはしなかった。

 どれほど恐ろしくとも、どれほど痛く苦しかろうとも、決してルチアーノのもとへ行こうとはしなかった。


「……何故だ。何故拒む!? 何故だ!」

 激しく苛立ちながら、ルチアーノは舞依の髪を鷲掴んだ。

 もはや首から上しか自由に動かせない舞依は、ルチアーノのその行動によって、泣きながら苦しげに顔を歪めた。


「……なあ。別に良いではないか、裏切っても」

 ルチアーノは、作り笑いを浮かべながら、また猫撫で声で語りかけた。

「時々だが、私は遠くから見ていたぞ。君たちが、よく争っている光景を。君は、あの少女と仲が悪いのだろう? 先ほど、あの少女が泣きながら家を飛び出したのも、君とまた言い争ったからなのだろう?」

「!」

 その言葉を聞き、舞依は目を大きく見開いた。

 泣き叫ぶ声も、助けを求める声も、ぴたりと止まっていた。


「仲が悪いのならば、別に売ってしまってもいいではないか。仕方がないだろう。自分の命のほうが大事なのだから。そうだろう──ん?」

 その時、ようやくルチアーノは、舞依の変化に気付いた。

 舞依は口を閉ざしたまま、ルチアーノの目をじっと見つめていた。

 先ほどのように、恐怖と絶望で動揺し、泣き叫んでなどいない。

 見定めるかのように、冷静に、ルチアーノの瞳の奥に視線を注いでいた。


「……なるほど。はっきりと分かった」

 不意に、舞依が声をもらした。

 わずかに震えはあるが、低くしっかりとした声であった。

「お前は、何も分かってない」

「……? 何を言っている?」

 舞依の変化に、ルチアーノは思わず眉をひそめた。


「確かに私は、あいつとよく喧嘩する。ご飯のことで揉めるし、観たいテレビのことでも言い争うし、トイレの順番でも喧嘩する」

 困惑するルチアーノに、舞依は震える声でなお語り掛ける。

「正直なところ、あいつは私を嫌ってるかもしれない。こんなに口うるさくて嫌みな奴、大っ嫌いだって言ってるかもしれない。……でも。でも──!」

 その時──舞依の両目が、力強く見開かれた。

 涙で潤んでいたが、その瞳には、恐怖はほとんど残っていなかった。


「馬鹿で、間抜けで、わがままだけど! 私はあいつの良いところもいっぱい知ってるんだ! 優しくて、思いやりがあって、頑張り屋で、どうしようもないくらいお人好しで、主人想いの良い娘なんだ! お前の言うとおり、あいつと私はいっつも喧嘩してるけど! 私にとっては、初めて出来た大事な友達なんだ!!」

 叫ぶ舞依の目から、一筋の涙がこぼれた。

 同時に、彼女の瞳に、強い意思が宿るのが見えた。

 恐怖でもなければ、絶望でもない。

 激しい怒りと、決して揺るがぬ覚悟が、そこにあった。

「そんなマリーを、裏切ってたまるもんか! お前にはあいつは渡さない! あいつは私の、大事な友達だ!! お前なんかに、絶対渡してたまるもんか!!」


 凄まじい絶叫──その後に、コンクリートで覆われたアトリエに、静寂が訪れた。

 ルチアーノの耳がわずかに捉えているのは、舞依の荒い息遣い。そして、激しく打ち鳴らしている、己の心臓の鼓動のみであった。


「……フーッ」

 無表情のルチアーノは、口を閉ざしたまま、鼻息を吐いた。

 長く、そして小さい鼻息であった。

「……フーッ」

 短く息を吸った後、もう一度、鼻息を吐いた。

 先ほどよりも短い鼻息であった。


「フーッ……フーッ……」

 口の両端をぎゅっと結び、鼻息を何度も吐き出す。

「フーッ、フーッ」

 鼻息の間隔が短くなり、次第に大きくなっていく。

 それにつれて、ルチアーノの心の奥底で燻っていた火が膨れ上がり、うねるような炎へと変わっていく。

「フーッ、フーッ、フーッ、フーッ、フーッ!!」

 血走った両目を、大きく見開く。

 結んでいた口に隙間が生じ、牙のように尖った歯が露出する。


 やがて、閉ざされていた上下の歯が開き、ルチアーノの口から、咆哮がほとばしった。

 直後、舞依が両目をぎゅっとつぶる姿が見えた。


 ──この数十秒間の記憶を、ルチアーノは怒りで思い出せなかった。

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