スクルトーレ・モーストロ 十九
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「……ふむ、こんなところか」
薄暗い空間の中で、ルチアーノは目を下に落としながら、そう呟いた。
視線の先にいるのは、気絶している着物姿の少女。
ルチアーノが誘拐した、市松人形の妖怪、舞依である。
あの後、ルチアーノは舞依を脇に抱え、自らの隠れ家へと帰還した。
途中、舞依が妖術を用いて抵抗しそうになったが、強い衝撃を与え、気絶させた。
帰還後、ルチアーノは戦闘時に負った傷の手当てを行い、一杯だけワインを呷った。
その後、気絶している舞依の胴体と足首を縄で縛り、床に無造作に寝かせた。
これから彼女に投げ掛ける、『協力申請』のための下準備である。
「スーッ……フー……」
ルチアーノは、しゃがみこんだまま深呼吸をし──突然、舞依の顔に平手打ちを見舞った。
「……うっ……!」
舞依が呻き、ゆっくりと両目を開く。
その瞳がこちらを捉えた瞬間、彼女の表情が強張るのがよく分かった。
「ごきげんよう。気分はいかがかな?」
「ぬ、ぬしは……! ここは一体どこじゃ!?」
舞依が睨みながら叫ぶ。
ルチアーノは、吹き出したい気持ちを抑えながら、彼女の問いに素直に答えた。
「ここか? 広いだろう。ここは私のアトリエだ。ここで、私は最高傑作へと至るための試作を繰り返しているのだ」
「あ、アトリエ……? ぬしは一体……?」
「む、そうか。自己紹介がまだだったな」
ルチアーノは、ハッとした顔でそう呟くと、ゆっくりと立ち上がった。
そして、その場で優雅に一礼し、微笑みながら挨拶をした。
「初めまして、着物の少女よ。私の名はルチアーノ。芸術家の元人間──そして現在は、芸術家の『妖怪』をやっている者だ」
「元、人間……?」
「ああ、そうだとも。私は人間の頃から、ブロンズ像の製作を行っていてね。人が抱く『恐怖と絶望』をテーマとした作品を次々に産み出していた。……だが、そこらの貧困な感性を持った連中には、私の作品の素晴らしさは理解出来なかったらしくてね。痛烈な批判を雨のように浴びせかけられ、芸術界の片隅に追いやられてしまったのだ」
そう話しているルチアーノの表情から、徐々に笑みが消えていった。
代わるように現れたのは──煮えたぎるように熱い、憎しみの感情であった。
「……屈辱だったよ。私の作品はこんなにも素晴らしいのに。こんなにも美しく、儚く、そして尊いものであるというのに、大衆は私の芸術に何の理解も示さなかった。……私には、それが許せなかった。私の中の屈辱は、次第に激しい憎悪となり、心の中に満ちていった。やがて私は路頭を迷うこととなったが、その最中にも、私の中の憎悪は、大きく膨らんでいった。……しかし、神は決して、私を見放しはしなかった」
ルチアーノの表情に、再び笑みが戻った。
天を仰ぎ、両腕を広げながら、歌うように軽やかな声を上げる。
「私の憎悪は、私の肉体を妖怪へと変質させた! そして私は、人を越えた力と、物をブロンズへと変える素晴らしい妖術を手に入れたのだ!」
「フン……! 無駄に大袈裟な自己紹介をありがとさん!」
舞依は忌々しげに顔を歪め、そう吐き捨てた。
「それで……? ぬしの目的は何じゃ? 先ほどの闘いの時、マリーや衛らと面識はあったようじゃが……」
「いかにも。私はかつて、あの西洋人形の少女を捕らえようとしたことがあったのだ」
「マリーを……!? 何故!?」
「決まっているだろう。あの少女を、私の作品として仕上げるためだ」
「何!?」
舞依は驚き、信じられないものを見るような目をルチアーノに向けた。
「あやつをブロンズ像にするつもりか!? 何故じゃ!」
「決まっているだろう。彼女は、私が表現したいものを備えた素晴らしい原型だからだ」
ルチアーノはそう言いながら、再び天を仰いだ。
途端に、彼の胸に熱いものが込み上げてきた。心臓の鼓動が激しさを増し、湧き上がった感情が全身を巡っていった。
「初めて出逢ったのは、人気の少ない夜の道端だった。あの少女は薄汚れたなりをしていて、まるで捨てられた子犬のように、体を震わせながら縮こまっていた。……ああ。……ああ、ああ! その顔に宿った、恐怖と絶望! 生きる気力すらなくなり、ただ死を待つことしか出来ぬ無力感!! それこそまさに、私が表現したいものだった!!」
ルチアーノは叫ぶように力説しながら、迸る恍惚の感情に身を震わせた。
「その瞬間から、彼女を追い求める日々が始まった! 何度逃げられようとも、何度拒絶されようとも、私は諦めることなく、彼女を捕らえるべく探し続けた! そして遂に、彼女を捕らえたのだ!! 愚鈍な雑魚妖怪どもを使い、彼女を徹底的に追い詰め、この腕の中に、彼女の体を収めることに成功したのだ!! ……だが──だが!!」
次の瞬間──ルチアーノの笑顔が、憤怒の形相へと一変した。
湧き上がっていた恍惚の想いも、溶岩のように燃えたぎる、憎悪を越えた激情に塗り潰されていた。
「よりにもよって!! その素晴らしい瞬間を踏みにじる者がいた!! それが、あの魔拳だッ!! あの忌々しい小僧のせいで、私はあの少女を取り逃がし、心身ともに深い傷を負わされた!! その上あの小僧は、こともあろうに彼女を助手としてしまった!! おかげで少女の中に巣食っていた恐怖も絶望も、全て心の奥底に追いやられてしまった!! 全て、何もかもあの男のせいだ!!」
腹の底から怒号を放ちながら、ルチアーノはすぐ傍の椅子を蹴り飛ばした。椅子は壁に叩きつけられ、激しい音を立てながら、ばらばらに砕け散った。
「魔拳さえいなければ!! あの小僧さえいなければ!! 私は目的を達することが出来たというのに!! あの少女にとっても!! それが最高の幸せであったはずなのに!!」
そこでルチアーノは、ようやく叫ぶのを止めた。
荒い呼吸を何度も繰り返し、酸素を肺の中へと送り込んだ。
それにつれて、ルチアーノの中に満ちていた激情は、徐々になりをひそめていった。
「……ああ、失礼。少々興奮してしまった」
息が整うと、ルチアーノは無表情でそう言い、再び舞依を見た。
床の上の舞依は、萎縮した表情でルチアーノを見つめていた。
「……私は、魔拳に報復する。奴の命を奪い、あの西洋人形の少女に、再び恐怖と絶望を与え──そして、私の最高傑作に仕上げる。それが私の目的だ。そしてそのためには、君が必要なのだ」
先ほどまでとはうってかわって、ルチアーノは冷静な声でそう言った。
「わ、わし……!? わしをどうするつもりじゃ!? 人質にでもするつもりか!?」
怯えながらも、舞依は気丈にそう言った。
その姿と物言いに滑稽さを感じ、ルチアーノは思わず吹き出した。
「プッ……クク……。……いや、そうではない。最初は私もそうしようかと思ったのだが、それよりも良い方法を思いついたのだ」
ルチアーノはそう言うと、舞依の上に覆いかぶさるかのごとく、床に両手をついた。
そして、怯える舞依の耳元に口を近付け、囁いた。
「……私と手を組め。着物の少女よ」




